生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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やっぱり、マサノブ君は、開祖・谷口雅春先生の『御教え』を嫌悪している。“理屈と議論の家”と化し、屋上、屋(おく)を重ね行くばかり・・・ (2907) |
- 日時:2014年01月08日 (水) 23時40分
名前:画龍点睛
理屈屋、屁理屈屋のマサノブ君は、マサノブ教団の運営を超縮小均衡へと向かわせているのであります。したがって大閑であるから、自分の本音を、お抱え「トキ掲示板」で一人四役を繰り出して此処連日猛烈な反駁文を「本流」信徒に書き連ねている。このまま彼のマチガイを聞き流すわけには行かないのであります。マサノブ君は、本当の「生長の家」の『御教え』を、訳の解らないものにしてしまうのでありますから、正すべきところは正さねばならないのであります。
まず、マサノブ君の間違った見解の理屈一辺倒の投稿文の重要部分を次に掲載いたします。
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5408 :身分いやしきもの(=マサノブ君):2014/01/06(月) 18:31:29 ID:iei0MD3c 生長の家では「病気は悪だから、ない」とこんな言い方がなされているような気がいたします。病気はほんとうに悪なのでしょうか。
5413 :身分いやしきもの(=マサノブ君):2014/01/06(月) 19:29:12 ID:iei0MD3c 人の心をゆさぶるような人がたしかに宗教家なのですよ。カルトの教祖も多くの人々の心をゆさぶりましたね。その意味では立派な宗教家です。あなた方は、そういう教祖であっても、人の心をゆさぶったのだから立派な宗教家として尊敬しておられるのでしょうけれども、世間の常識はそうではないということを知っておいてください。
5414 :身分いやしきもの(=マサノブ君):2014/01/06(月) 20:31:37 ID:iei0MD3c 人の心をゆさぶることの危険性を、人類はヒットラーから学んだはずなのですが、いまだにこれに価値をおく人がいるというのは驚きです。伊勢白山道という人が、世の宗教家はあの世でろくなことになっていないといっていますね。・・・人の心ゆさぶるのが善であるなら、なぜそのようなことになるのでしょう。人の心をゆさぶることのできない総裁は、おそらく人をだますことができない人でもあるのでしょう。
5428 :アンドロイド(=マサノブ君):2014/01/07(火) 07:34:25 ID:wiK/MMSE 多くの立場の方々のそれぞれの「救済」が多種多様にあるといえども、中身のない煌びやかさ、衝撃的な感動による救済は、避けて通りたい手法です。 >>精霊の時代とは、自分のなかに霊的な意識をもつ人たちがあらわれて、教会も聖書も必要でなくなる時代です。<< いまだこの精霊の時代には首を突っ込んだぐらいの時期だと思われます。だからこそ、生長の家が先駆で、その精霊の時代の運動を展開すべきと私も思います。
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理屈屋・マサノブ君のマチガイ、――
@ 生長の家の『御教え』に於いては、「病気は悪である」とはどこにも書かれてはおりません。マサノブ君には、「悪」そのものが非実在である事すら分かっていない。純真な信徒の皆さんを間違った方向へ誘導されては困るのであります。< 『真理』が近づく時、すべての『迷ひ』が消える。『迷ひ』が消える時、『迷』の産物なる『罪』と『病』と『死』とは消える。疑わずに吾が光を受けよ。>と神示には示されており、さらに、聖経「続々『甘露の法雨』」には、――
イ、「人間・神の子」の真理を自覚して病気に立対ヘば病気は消え・・・
ロ、神は凡ゆる病を創造らざるなり。すべての病気は人間の「仮想の念」の中に描かれたる信念の投影に過ぎず。人間・神の子・本来無限力の實相を自覚して汝の迷ひの念を去るべし。かくて汝の迷ひ消え、一切の恐怖去るとき、すべての病患部の炎症と、爛れと、腫張とはおのづから癒えて健全なる相をあらはさん。
ハ、病気よ、何者ぞ。汝は「無」の別名に過ぎざるなり。
ニ、「病ひ」は「生命」がそれみずからを顕さず、それみずからを主張せざるとき、朦朧として顕れる「暗」に過ぎず、・・・病気とは「迷ひの心」の表現に過ぎざるなり。
ホ、汝の肉体に起れる病気の状態は虚報の電文にて起れる青褪めた顔色と同じく真に存在するものには非ざることを知らば、忽ち汝の心に平和恢復して汝の肉体の症状は消え去るなり。
ヘ、霊の法則には疲労の法則なく病気の法則なくただ健康の法則のみあり。されば汝らに如何なる症状顕るるとも病気は本来なし。病気はただ「信念の反影」に過ぎずと断定せよ。
ト、病ひを癒さんとする者は「人間神の子、病気は非実在なり」と知らざるべからず。
チ、病ひを右顧左眄すること勿れ。汝ら百尺竿頭より一歩跳ぶべし。更に空中に遊歩すべし。空中遊歩の神人とは汝らの「生命」の實相なり。實相のほかに真の汝なし。
如何かな、マサノブ君! 君は「総裁」と称すれども聖典・聖経を真剣に読んでいなかったから、「病気は悪であるから無い」というような理解しか出来ないのである。屁理屈屋では真理は理解できないのであります。
A 心を揺さぶるような宗教講話、心に感動を与えるような話し方をして一体どこがいけないのか? しかも、マサノブ君は「世間ではそのような感動を与え、心を揺さぶる宗教講話は受け入れてもらえない」と云っているのであります。どうもマサノブ君は常識的判断すら出来ない人間と成り下がってしまったのではないでしょうか? マサノブ君の講習会での話は、参加者の心を揺さぶる要素は何一つなく、参加者の心を引きつける内容のものでもありません。なんの感動もない無いようですし、話し方も、全然面白くも無い大学教授の授業と同じであります。ハッキリいえばマサノブ君の話し方が下手なのであります。だから、義理で来た人は、お弁当を食べ終わると大抵はは帰ってしまい、最後まで残る人は、昼前の11時半頃のピーク時の3分の1でしかありません。
マサノブ君は壇上から会場を見てこのことがよく分かっているはずであります。自分の話が参加者に何の感動も与えない全く魅力の無い話であることを! だから、マサノブ君は屁理屈の論理を持ち出して、ヒットラーの煽動演説やオームの洗脳を引っ張り出して、味噌と糞とを一緒にして、神の子人間の實相の扉を開き迷いを消す内容の霊的レベルの本当に高い話まで否定してしまうのであります。そして、
逆に、人の心をゆさぶることのできない無感動の話しか出来ない自分は、人をだますことができない人間である、と白々しくも苦し紛れの自己弁護(負け惜しみ)をなしているのであります。マサノブ君が如何に言おうとも、彼は今までどれだけ信徒を騙し続けてきたのかは明白であり、ウソも休み休み言えと言いたくなるのであります。
マサノブ君は、更に< 世の宗教家はあの世でろくなことになっていない。人の心ゆさぶるのが善であるなら、なぜそのようなことになるのでしょう。>と問いかけているのでありますが、答えは簡単であります。答えは、“言行不一致”、ただこれだけの理由です。その典型的な人物が他ならぬ「マサノブ君」自身でります。この様な簡単なことすら、専制独裁者になるとわからなくなって来るのであります。宗教家の犯す罪(法罪)は一般人の犯す法律的罪よりも何十倍も重いのであります。これまでも、掲示板で指摘されてきましたが、マサノブ君の犯した<法罪>は、「開祖反逆罪」・「信徒欺瞞罪」・「言行不一致罪」・「信徒浄財の目的外使用罪」・「金銭執着罪」・「不正看板使用罪」・「宗教的詐欺罪」等々であります。このまま行けば、マサノブ君こそ<あの世でろくなことにはならない>のであります。
B マサノブ君は、「衝撃的な感動による救済は、避けて通りたい手法です。」と云っているのでありますが、このことは、「生長の家神性開発練成会」に参加して、人間の心の琴線に触れる霊的感動の話や行事の結果、その人の病悩苦が解決し、自己人生の行く先に光と悦びを見出した人たちの体験を全否定しているのであります。だからマサノブ君は講習会の時の体験談発表者に冷たい白い目を向けているのであります。
マサノブ君は、自分自身が現代医学では治らない難病にかかった苦しみの経験がないものでありますから、演壇からは「四無量心」を説きはするが、実際の病人の苦しみというもの、ワラをも摑みたいような病人の苦しみを自分に取り入れて考える事が出来ないのであります。宗教家としては完全な欠陥人間であり失格者であります。
だから、マサノブ君は、人々の病悩苦からの解放という宗教本来の存在目的を否定し、脱・宗教、脱・信仰の方向へ、開祖・谷口雅春先生ご創始の「生長の家」の『御教え』を変えて行こうとしているわけであります。彼・マサノブ君が、この方向が真に正しいと純粋に信じているのであれば、開祖・谷口雅春先生ご創始の「生長の家」をその方向へ変えて行くのではなくして、自分自身が「生長の家」教団から飛び出して独立してやっていけばよいのであります。これこそが本当の宗教家としての採るべき態度であります。しかし、彼はこの方向を拒否し、あくまでも総裁の椅子を降りないのであれば、彼は、開祖・谷口雅春先生の『御教え』を自己の思想(左翼唯物論)に入れ替えて、「生長の家」という看板のままで脱・宗教、脱・信仰の個人的人生目標を達成する団体として衣替えして行くところの最も卑劣・卑怯極まりなき人間だといえるのであります。言葉を代えれば、1000億円の教団資産(信徒の浄財)を徐々に売却し、現金化して、自分の思うように蕩尽して人生を楽しんで行くのが彼の最終目的だと言えるのであります。
「生長の家」を脱・宗教、脱・信仰化せしめることは、開祖・谷口雅春先生の立教の精神を完全否定するものであり、信徒の意見も聞かずして独走する事は、ハッキリ言ってマサノブ君の個人的エゴであります。彼はこの個人的エゴを貫いて行くために信徒の浄財を全面的に利用(掠め取る)している、言うなれば<宗教的窃盗罪>に相当するものであります。この「宗教的窃盗罪」をマサノブ君は、言葉巧みな美辞麗句的表現で <生長の家が先駆で、その精霊の時代の運動を展開すべきと思います> と云っているのであります。かくのごとく、マサノブ君の宗教や信仰に対する考え方は、自分本位の得手勝手過ぎる全く身勝手な解釈であり、世間に対しても決して通用するものではないのであります。
< 総裁更迭・大政奉還・教団退去 >の声をニセ宗教家マサノブ君に一点集注してまいりましょう!! 再合掌
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