生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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マサノブ君の「生長の家」解体実行の証明語録 <第四弾> (2938)
日時:2014年01月12日 (日) 12時37分
名前:怒りの信徒代表



マサノブ君の「生長の家」解体実行の証明語録 <第四弾>




(25) 卑怯なり! マサノブ君は、清超先生の名で、左翼的自論を展開した!

<<『新しい開国の時代』という本は、私が広報・編集部長をしていたときに、清超先生と直接相談しながら作った本ですから、その頃の先生のお気持が私にはよく理解できるのです。>>(平成22年10月28日「小閑雑感」)



(26) マサノブ君は、信徒をして「三界唯心所現」の真理に疑問を持たすべく誘導する!

<< 航空機事故は、自然科学と社会科学のどちらの“真理”に関係していると考えるべきだろう?航空機関連の事故が起こる確率は、自動車事故よりもはるかに小さい。にもかかわらず、一度起こると次々に起こるような現象に接すると、「その原因は?」と考えてしまう。もちろん、「3つ(の事故)が重なったのは単なる偶然だよ」と答えて満足する人も多くいるだろう。読者は、どちらのタイプだろうか。>>(平成22年11月6日「小閑雑感」)



(27) マサノブ君は、間違った「政治」の定義で信徒の頭を攪乱させる!

<<  そもそも「政治」とは、現象世界において利害関係が生じたときに、その一方の立場を推進したり、他方との関係を調整することを目的として行われる様々な営みである。>>(平成22年11月14日「小閑雑感」)



(28) マサノブ君は、堂々と「左翼宣言」を為した!

<< 『産経新聞』が民主党政権に明確な反対の意思表示をして、記事全般を書いている、ジャーナリズムの態度として疑問がある。産経はニュートラルではない。記事を読んでいると気分が悪くなるような新聞は、もはや購読する価値はないと思う。 『朝日』や『毎日』は彼らなりの“姿勢”をもっているが、その姿勢の根拠をきちんと書いている。根拠が書いてあれば、私はそれを読んで記事の内容の信頼度を推定することができる。『産経』は根拠を示さずに断定して記事を書く見出しを独断でつけることも多い。『産経』が、レベルの落ちた記事を掲載し続けるのを見ていられなかったのだ。>>(平成22年11月15日「小閑雑感」)



(29) マサノブ君は、開祖・谷口雅春先生の御生活とは全く逆の能天気セレブ生活を臆面もなく公開し続ける!

<< 私たちは休日を利用して山梨県の大泉町に来た。2年半後には、こちらで生活 “冬体験”のつもりで来た。雪が積もっていたら、四駆でない旧式オデッセーでは立ち往生する可能性があった。寒さは格別だ。しかし、山荘は高断熱になっているうえ、薪ストーブが威力を発揮する。車には、東京の家から薪を積んで来た。山荘内は東京の自宅よりよほど心地がいい、昼前に妻と2人で山荘周辺の山歩きをした。  雪道を行く動物たちの姿を想像する。人間の痕跡が残る場所へやってくる彼らの目的を想像する。都会では考えないことを考え、感じないことを感じている自分を、肌を切るような寒さと、白銀の森の中で見出す。 地域のソバ屋を知っていたので、昼はそこへ行って、新ソバの手打ちをおいしくいただいた。この店にも大型の薪ストーブがあり、中は暖かだった。>>(平成22年12月9日「小閑雑感」)



(30) マサノブ君は、相変らず「三界唯心所現」が分からず、唯物論的対策に終始する!

<< なぜ“森の中”なのか?― 生長の家の本部移転の“骨”となる目的は、@“新しい生き方”の提案、A炭素ゼロの実現と新産業の育成。(しかし)本部職員が東京で生活し、東京で仕事をし続けることで、「新しい生き方」を提案し、「自然と一体化した生活」や「森林の活用と育成」を行うことは、まず不可能である。温暖化対策を社会の標準レベルに合わせているのでは、“マイナス貢献”>> 平成22年12月19日「小閑雑感」



(31) マサノブ君は、冷たき学者的評論家! “燃える動機付け”で組織を動かせず!

<< 組織運動の観点から・・・「ウサギ喜べばキツネこれを喜ぶ」 “縦割り”を強調する運動から、“横のつながり”を重視する運動へと移行、・・・(相白青の)組織に属する人たちが、お互いを“同類”として、光明化運動の仲間として、同志として認め合い、「ウサギの上り坂」・・・得意の分野でそれぞれの長所を生かして助け合っていく運動を、エンパシー(感情移入)の能力を発揮して協力関係を深めてほしい。>>(平成23年1月 2日「小閑雑感」)



(32) マサノブ君は、亡国思想を持つ反日的宗教家である!

<< 自国の利益や近隣国との短期的関係を重視する行動や政策ばかりが目立つのは悲しいことだ。地球規模での気候変動や生物多様性問題、核兵器などの大量破壊兵器不拡散の問題は、伝統的な「国益」の範囲を超えた「生物益」や「地球益」のためのものなのだ。ここでは“小”を優先すれば“大”の利益が自ずから満たされるという構図は必ずしも成り立たない。そうではなく、“大”を優先することで、その一部である“小”の利益が護られることが多いのだ。>>(平成22年12月30日「小閑雑感」)



(33) マサノブ君は、古事記解釈においても幼稚な把握しか出来ていない!

<< 『古事記』は女性と思われる稗田阿礼という人物だけを直接のソースとして書き下ろされた、と考えられる。とすると、『古事記』の中に女性の観点がいくばくか混入していたとしても不思議はない。仮に阿礼がテープレコーダーのような記憶によって、自分の考えなど決して付け加えずに、大部の帝紀・旧辞をそのまま暗唱できたとしても、重要な国家事業である歴史書の編纂に女性を深く関わらせるという当時の支配層の考え方が、『古事記』所収の物語の中に反映している可能性は大いにある。>>(平成23年1月24日「小閑雑感」)



(34) マサノブ君は、現下の憂国の情を感じない能天気者、かくして、信徒の怒りを作り出す!

<< 水曜日は、我々夫婦にとって“ウィークエンド”に当たる。代官山に中庭から立派なケヤキが聳えるヨーロッパ風のレストランがあり、ゆっくり食事をした。そして食後には、その立派なケヤキの写真を撮った後に、周辺を散歩した。妻がこう言った。「ああ、デンマークに行きたい!」 彼女は料理好きで、食器にも造詣が深い。かの国には「ロイヤル・コペンハーゲン」という高級食器のブランドがあり、それを現地調達していたほどだ。>>(平成23年2月25日「小閑雑感」)



(35) マサノブ君は、常に自己中心人間である事を公開しても一向に恥じない!

<< 日本の観測史上最大といわれるM8・8の大地震が東北地方中心に起こり、地震が起こった午後3時前、私は東京・原宿の本部会館にある執務室、私は自分のデスクの下へもぐり込んだ。階下へ降りるのは手遅れだと思ったからだ。本部の建物は古くて、今の耐震基準を満たしていない。だから、もしかしたら崩壊するかもしれないと思った。、早く帰宅しようと決めた。東京の鉄道は地下鉄を含めてすべて止まっていたから、多くの職員が長時間かけて、バスや徒歩を使って帰宅し、あるいは地下鉄などの運行再開を待って帰宅したのだろう。  自宅の被害はなかった。、ガスが止まっていた。が、これも夕食前には出るようになっていたので、食事も普通にいただけたのは本当にありがたかった。>> (平成23年3月11日「小閑雑感」)



(36) マサノブ君は、やはり「三界唯心所現」を避けて通る唯物論主義者だ!

<< 日本列島やニュージーランド周辺で地震が起こるのは、太古から繰り返されている地殻変動の一部であり、決して異常事態ではない。それが異常事態に見えるのは、人間の視野が狭く、考える時間軸が短く、自己中心的だからである。>>(平成23年3月17日「小閑雑感」)



(37) マサノブ君は、自己反省を全くしないで、いい訳を並べるタイプの人間である!

<< 3 ・ 1 1 「 東北地方太平洋沖地震 」の記事を読んだある白鳩信徒の怒り!――「この震災に対して総裁先生はどんなメッセージを私達に出して下さるのだろうかとブログを開いて愕然としました。 形式的な言葉が冒頭にあるだけであとは延々自分のことばかり。早く仕事を切り上げたので帰宅難民にならずにすんだ。職員は帰宅難民になったようだってまるで他人事。信じられません。純子先生にいたっては、呑気に相変わらずお料理の写真をブログに載せて。あきれて言葉も出ません。いくら日時計主義と言っても、今、現に大勢の人達が被災し、友人、知人、親戚の安否を心配している人達に何の配慮も思いやりも感じられないこのブログをみて、私は退会を決意しました。お世話になった地元の誌友の皆さんには本当に申し訳なく思っておりますが、こういう代表者のもとでは、私は、やっていけません。」(平成23年3月24日「小閑雑感」読者のコメント)
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雅宣総裁 いわく (コメントへの事務的な返信)“ 残念ですが、この方は誤解されているようです。”(注・これだけ)



(38) マサノブ君は、この様なウソを平気でいえる人間である。だから、「生長の家」解体も平然と出来るのだ!

<< 随筆集『目覚むる心地』には、私生活や家庭・家族に関するような“私的”なものばかりを集めてある。「こんな人間ですが、よろしくお願いします」という気持で、皆さんにご挨拶したいのである。もし読者がこの本を読んで、「何だ、こんな人間が指導する宗教はツマラナイ」とおっしゃるなら、残念ではあるが仕方がない。私は、自分を隠して表面だけを繕い、人さまに立派なことを言おうとは思わない。そんな考えで、皆さんの前に立つ気持である。叱咤鞭撻があればありがたくお受けし、自らの向上に努める所存である。>>(平成21年2月22日「小閑雑感」)

<< ブログにはいちいち「今日も神想観をした」などと書かないだけだ。なぜ書かないのか、理由もある。次の聖書の言葉を、この読者は知らないのだろう−−「また祈る時には、偽善者たちのようにするな。」>>(平成22年4月1日「小閑雑感」)



(39) マサノブ君は、<神罰がある>と信徒の頭を攪乱させている。いつまで経っても「三界唯心所現」が理会できないでいる!

<< 生長の家では「神は法則である」とも「法則の形をもって現れ給う」とも説く。この観点から考えると、地震などの地殻変動は、物理学や化学の法則にもとづいて起こるのであるから、地震の起こる所には「神が現れている」と考えることもできる。そうすると「地震などの天変地異は神がもたらすものか?」という質問には、「そう言うこともできる」と答えても完全な間違いではない。>>(平成23年年5月22日「小閑雑感」)



(40) マサノブ君は、どこまで行っても唯物論、霊魂も輪廻転生による霊的進化の観点も持っていない!

<< 人間の“死”の意味――私は生長の家講習会で「神は悪をつくりたまわず」という話をするとき、「死も悪ではない」ことを例として使うことがある。超高齢化社会の到来、人口爆発の問題、社会や企業・団体・家庭における世代交替の必要性、医療費の負担問題などを挙げると、肉体の死は、このように現象世界の秩序維持のためには必要なのである。>>(平成23年年9月 1日「小閑雑感」)



(41) マサノブ君は、この様な形で「生長の家」解体を一歩づつ進めて行く!

<< 生長の家では、現象世界に“聖地”があるとは教えません。地球上の地理的な一点に実相世界があるなどとは説きません。ですから、皆さんもこの本山のことを「聖地だ」とは言わないでください。自然の美しさに感動してそう言いたくなる気持は分かります。しかし、その場合は「聖地のようだ」と言ってください。>>(平成23年6月17日「小閑雑感」)







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