生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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「初心者」(=マサノブ君本人、もしくはマサノブ影武者軍団の第一人者)の「生長の家」解体実行の証明語録 <第ニ弾> (2960)
日時:2014年01月15日 (水) 07時58分
名前:怒れる信徒代表




「初心者」(=マサノブ君本人、もしくはマサノブ影武者軍団の第一人者)の「生長の家」解体実行の証明語録 <第ニ弾>




F 「初心者」(=マサノブ君本人、もしくはマサノブ影武者軍団の第一人者)は、「實相円満完全」という言葉には意味はないと、『御教え』を真っ向否定した!


<< 310 :初心者:2012/07/20(金) 09:39:45 ID:TfQ0e6RA
言葉に意味はありません。言葉とは、いってみれば、月を見よと指し示す指先のようなものです。指先と月は、ほんらいまったく関係がないものです。言葉と真理のあいだに関係はまったくありません。言葉は真理を語っていません。ただ「あれを見よ」と、真理のある方向を指し示そうとしているだけです。・・・言葉に意味があると履き違えたところで、教義の絶対化が引き起こされ、意味の不在を埋めるために信仰はイデオロギー化していきます。・・・真理と言葉を履き違えたために、言葉にしばられるという現象が起きています。雅春先生が語られた言葉以外の言葉には耳をかさない。こうした現象が起きています。「実相円満完全」といってみたところで、この言葉に意味はありません。この言葉は「べつの何か」を指し示そうとしています。その「べつの何か」がわからなければ、言葉を絶対化し、暴走させるよりほかはありません。>>


<< 313 :初心者:2012/07/20(金) 13:37:20 ID:TfQ0e6RA
「行間を読む」を現代では「文章の構造にアクセスする」といいます。「作者の死」ともいいます。「行間を読む」とわざわざことわりをいれられるまでもなく、人は行間を読むことでしか文章にアクセスできないとするのが、現代風の考え方です。つまり、行間を読んだからといって、それは特別なことでもなんでもなく、そのことによって、行間を読まずしては知れないことが知れるということにもなりません。いうまでもないことですが、文章の構造にアクセスするにあたって問われるのは読み手の技量です。読み手の技量の不足はとうぜんのごとくあります。技量不足をおぎなう手段が、文章にたいする情緒的反応です。読み手の技量不足を熟知しておられた雅春先生は、情緒的反応に文章の力点を置かれたはずです。その結果、多くの奇跡を生みだすことには成功なされましたが、その反動として、読み手がほんらいアクセスすべき領域は遠ざけられました。人類光明化といったところで、この言葉に具体的な意味はありません。人々にできることといえば、この言葉に情緒的に反応するか、アクセスすべき領域をさがすかのどちらかしかありません。これまでなされてきたのは、情緒的反応が主であったと考えます。>>


<< 315 :初心者:2012/07/20(金) 15:55:15 ID:TfQ0e6RA
なんにしても、それが自分にとって心地よいかどうか、心に響くがどうかで言葉の価値を判断するのが、生長の家の伝統的な言葉への接し方であるということがいえそうです。即効性を求めておられるという意味で、生長の家の方々が言葉に麻薬的効果を期待しておられるのも、またたしかなことだという気がいたします。>>




G 「初心者」(=マサノブ君本人、もしくはマサノブ影武者軍団の第一人者)は、信徒の体験談を奴隷状態を居心地良き状態へ変化しただけと蔑んだ!


<< 1722 :初心者:2012/06/30(土) 17:53:20 ID:TfQ0e6RA
そもそも救済とはなんなのでしょう。救済を欲する状態から抜け出すこと。これをわたしは救済の条件にいたしたいとおもいます。雅春先生の教えで、この条件は達せられるでありましょうか。雅春先生の教えは、実際に救済につながっているといえるのでしょうか。私が見るところでは、みなさま方は、雅春先生が書かれた文字に執着し、いつまでたっても、その書かれた文字に救いを見いだそうとしておられるように感じられます。>>


<< 128 :初心者:2012/07/10(火) 12:54:55 ID:TfQ0e6RA
雅春先生の教えによって実現された救済は、人々を奴隷状態から解放してきたといえるでしょうか。むしろ実現された救済は、奴隷状態を居心地のよいものへと変えただけであるような気がいたします。・・・いかに快適な奴隷生活を実現するか。生長の家では、このことだけが考えられてきたとおもわざるを得ない、というのが経験的に得られた結論です。>>


<< 357 :初心者:2012/08/17(金) 15:20:51 ID:TfQ0e6RA
「救済運動」の具体的なヴィジョンをお持ちなのでしょうか。わたしは、新興宗教は、成熟した宗教となるために、「病気治し」を第一とする時期をすでに脱したとも考えておりますが、いまだ新興宗教は「病気治し」を第一に取り組むべき時期にあるとお考えなのでしょうか。「雅春先生は教えの問題点と限界をご存じであったのか」との問いであります。教えの限界をまったく問題にすることなく、その完全無欠性や万能性を信じ込んでいるあいだは、みずからの立場を相対化し、客観的に評価することなどけっしてできるはずもありません。おのれの全能感に酔い知れ、大言壮語するのが関の山であり、これが教えの絶対化やイデオロギー化の温床となる可能性さえあります。>>




H 「初心者」(=マサノブ君本人、もしくはマサノブ影武者軍団の第一人者)は、開祖・谷口雅春先生の『御教え』は不完全であり限界があると批難した!


<< 1784 :初心者:2012/07/01(日) 14:00:36 ID:TfQ0e6RA
雅春先生の教えが正しいにしても、つけ加えることはまだまだいくらでもある、ということは述べさせていただこうとおもいます。わたし自身の体験からすれば、雅春先生の教えにとどまっているかぎりは、これ以上さきへは進めないとする壁につねにさえぎられていたという気がいたします。・・・正直もうしますと、雅春先生の教えだけでは限界があるということを感じます。>>


<< 54 :初心者:2012/07/08(日) 07:31:42 ID:TfQ0e6RA
信仰が、個人的立場を超えて集団的になることで問題が生じます。「絶対的真理」という言葉が登場します。「絶対的真理」とは、誰もがそれに服従しなければならないとされる真理です。これにより、信仰は争いの場となります。>>


<< 83 :初心者:2012/07/09(月) 11:24:25 ID:TfQ0e6RA
科学は宗教よりもさらに先へと進んでいるのかもしれませんね。>>


<< 134 :初心者:2012/07/10(火) 19:39:27 ID:TfQ0e6RA
生長の家からは、現象世界がなぜ今あるように見えているのかという、その仕組みにかんしてさえ、具体的な声明はなにも発表されていませんね。あいまいな表現で語られることはあるにしても、具体的で詳細な説明は避けて通っているというのが実情であると考えます。>>


<< 323 :初心者:2012/07/21(土) 12:37:18 ID:TfQ0e6RA
今もわたしは、雅春先生の教えにはまったくもとづかないと考えられる救済理論を研究しております。
研究の成果がでるかどうか、それもまったく未定です。>>




I 「初心者」(=マサノブ君本人、もしくはマサノブ影武者軍団の第一人者)は、開祖・谷口雅春先生を未熟者と言わんばかりに最大限に批難する!


<< 21 :初心者:2012/07/27(金) 17:36:53
「人類光明化」、「日本国実相顕現」とかけ声は勇ましいものの何も実現できていない。具体的なヴィジョンを提示できそうもない。これが現実であるにもかかわらず、雅春先生の教えが最勝最尊だといわれている理由を語っていただきたい。最勝最尊といわれる雅春先生の教えが出現して80年が経過したにもかかわらず、いじめの問題ひとつとってみても、問題の解決にいたっていないのはもちろんのこと、解決への道筋さえ示されていないのはなぜなのか。それでも最勝最尊といわれるのはなぜなのかを語っていただきたい。何が起きていようとも現象を見ないという画期的な方法を編み出されたがゆえに最勝最尊であるということなのでしょうか。何をもって最勝最尊といっておられるのか、それを明確に語っていただきたい。以上が生長の家に望むこと。>>


<< 314 :初心者:2012/07/20(金) 13:44:21 ID:TfQ0e6RA
「不変の真理」とか「絶対的真理」とかの話になってくると、厳密な批判なり分析なりが必要になってきますね。>>


<< 356 :初心者:2012/08/17(金) 14:56:56 ID:TfQ0e6RA
それと、わたしが雅春先生の教えを批判いたいしますのには理由があります。その理由とは、雅春先生の教えが絶対化されイデオロギー化されていることが不快であるから、ということになります。生長の家としてなすべき、実現可能なヴィジョンがなにひとつとして示されていない現状では、教えの絶対化やイデオロギー化は、上記のような理由からかならず起こります。ヴィジョンの不在をおぎなうためのもっとも手っ取り早い方法として、教えの絶対化やイデオロギー化が避けがたく起こります。具体的なヴィジョンを示せないのであれば、雅春先生の教えを批判という形で相対化することでしか、教えの絶対化やイデオロギー化の動きに対抗することはできないでありましょう。ことここにいたっても、「われこそは真の生長の家」と主張するといったように、教えの絶対化やイデオロギー化に拍車をかけるがごとき言動があとを絶つことはないといえます。教えの相対化がこんにちほど必要とされた時期はなかったものと考えます。>>


<< 392 :初心者:2012/08/18(土) 09:51:11 ID:TfQ0e6RA
こんにちの事態に雅春先生の責任はあるのかということですが、「ない」といわれるのであれば、「甘え」という言葉でごまかすのではなく、きちんとした具体的な考え述べるべきであります。雅春先生が扇情的な表現を多用されたのは事実であります。扇情的な表現にあおられて、みずからの立場を絶対化させてしまった信徒がいるとすれば、これを雅春先生の責任であるとすることに異論をさしはさむ余地はない、というのがわたしの考えであります。「絶対的真理」の表現を好み、「真の生長の家」といっておられるお方は、おそらくみずからの立場を絶対化しておられるのでありましょう。もしも生長の家の教えが「いい教え」であれば、このような事態はふせげたものと考えますが、いかがでありましょう。教義が扇情的な表現で説かれれば、それを聞くものはたしかによい気持ちにはなれるでありましょうけれども、その結果としてみずからの立場を絶対化させてしまう信徒があらわれるとすれば、どんなにそれが心地よくとも「いい教え」とはいえないような気がいたしますね。信徒が、説かれた「教え」やみずからの立場を絶対化させてしまうような教えは「いい教え」とはいえない、というのがわたしの現時点での結論であります(こうした考え方はカルトにもあてはまるでありましょう)。この意味では、仏教(といってもいろいろあるようですが)は、教義が絶対化されるでもなく、信徒がその立場を絶対化することもないようにおもえますので、「いい教え」といってよいのではないか、という気はいたします。>>


<< 477 :初心者:2012/08/19(日) 13:01:41 ID:TfQ0e6RA
わたしは、20年前に組織を見限り、それからしばらくして生長の家の会員であることも辞し、現在はその教えの影響下から脱すべく新境地を開拓中であります。やめた理由は、生長の家とかかわっていたのでは悟りを得られないことがわかったから。>>


<< 333 :初心者:2012/08/17(金) 09:13:42 ID:TfQ0e6RA
神はどのようにして自由を実現されたのでしょうか。この「自由実現の仕組み」を雅春先生はどのように説明しておられるのでしょう。まずはこのあたりをおうかがいしてみたいところであります。>>


<< 397 :初心者:2012/08/18(土) 11:30:52 ID:TfQ0e6R
20年たった今でも、なにも実現されていません。>>


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注:上記477、及び 397 に特に注目して下さい。マサノブ君が副総裁に就任したのは、平成2年、そして、その後、全国教化部長にFAXを贈り一旦退職して、また復職しました。そして開祖・谷口雅春先生の『御教え』を否定し、「マサノブ教」(今の教え)を構築しました。符合していますね。故に、「初心者」=マサノブ君と考えてもいい訳であります。









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