生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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「初心者」(=マサノブ君本人、もしくはマサノブ影武者軍団の第一人者)の「生長の家」解体実行の証明語録 <第五弾> (2968) |
- 日時:2014年01月16日 (木) 14時50分
名前:怒れる信徒代表
「初心者」(=マサノブ君本人、もしくはマサノブ影武者軍団の第一人者)の「生長の家」解体実行の証明語録 <第五弾>
R 「初心者」(=マサノブ君本人、もしくはマサノブ影武者軍団の第一人者)は、下記の如き「毒づきコトバ」及びそれに準じる言葉で“唯我独尊・絶対的独裁者”振りを露わにしているであります。
<< 961 :初心者:2013/02/03(日) 17:22:28 人にあれこれ言うまえに、まず自分が見本を示せ。 >>
<< 962 :初心者:2013/02/03(日) 17:24:51 人生の諸問題を誤魔化さないとはどういうことか、まずはそれを示してから言え。 >>
<< 963 :初心者:2013/02/03(日) 18:03:24 五感世界を超えてものを考えるとはどういうことか、見本を示したまえ。>>
<< 964 :初心者:2013/02/03(日) 22:09:43 直観把握や悟りといっておられる方々に、その悟りの境地を語っていただくというのはどうでしょう。わたしのことをどうのこうのというまえに、みなさま方が考えておられることをこちらでご披露いただくというのはいかがでしょう。正直もうしますと、わたしは、みなさま方はたいしたことは語れぬだろうと考えています。ここで書けば、自分のレベルの低さをさらけだすことになるので、それが怖くて書けぬのだろうと、こういうことを考えております。じっさいどなたも、それらしいことはなにも書いてはおられぬようですね。レベルの低さをさらけだしたくない。これが書けぬ理由のようでありますが、ちがいますでしょうか。>>
<< 968 :初心者:2013/02/04(月) 09:51:33 「尊大さ」こそが、生長の家の根本体質なのですよ。この体質にドップリとつかった人々が、雅春先生を裏切り、生長の家をダメにしたとわたしは考えています。>>
<< 971 :初心者:2013/02/04(月) 10:12:23 「聖典の偉大さ」、この「偉大さ」というのを、「あらゆる意味での偉大さ」ととらえてしまうことに問題があると考えます。この「偉大さ」と「尊大さ」は表裏一体の関係にあるということです。はたしてどのような意味で偉大なのでしょう。あらゆる意味で偉大なのでしょうか。そうではないですね。わたしの考えでは、読む人をある種の意識状態にみちびくことができるという意味で偉大であるということです。世界を説明できているかというと、説明はできていません。ですから、この意味では偉大とはいえないでしょう。しかし、この「偉大さ」が拡大解釈されて、「宇宙最高峰の教え」となり、その宇宙最高峰の教えを知り得た自分は特別であり、誰よりも偉大なのだと思い込んでしまう人々を、大量に世に送り出してきたということがいえるのではないかと考えます。>>
<< 337 :初心者:2012/08/17(金) 10:44:44 ID:TfQ0e6RA トキ様はなぜ「雅春先生への批判はご遠慮ください」とわざわざ表明なされたのでしょうか。これを表明なさるのであれば、総裁先生への批判もご遠慮ねがうように明記すべきでありましたね。それをしなければ、一方の批判だけが許されて、他方の批判は許されないという、いびつな構造が温存されますね。>>
<< 2371 :初心者:2013/02/13(水) 10:40:08 あちらの掲示板はアホのあつまりか。「生長の家は無力だ」というのは、「これまでの生長の家は、貧・病・争の問題解決をのぞけば、ほかはあまりにも無力だった」ということだろうが。現状認識をしっかりせえといっとるんや。80年たって振り返ってみれば、生長の家はなんにも実現できとらんというのはたしかな話やろう。じっさい無力なんや。おのれの無力さ加減をしっかりと自覚したうえで、どうすれば再建できるかを考えろといっとるんや。おのれの全能感に立脚した運動は、当然のごとく失敗したっちゅうことや。>>
S 「初心者」(=マサノブ君本人、もしくはマサノブ影武者軍団の第一人者)は、下記の如く自分の霊的未熟さを棚に上げて開き直りと負け惜しみを言っておるのであります。
<< 972 :初心者:2013/02/04(月) 10:27:57 質問いたします。生長の家では、波動関数はどのような現象としてとらえられているのでしょうか。宗教的に、あるいは哲学的に、波動関数をどのように理解すればよいのかということです。「宇宙最高峰の教え」であるとするなら、この問いかけに答えねばなりません。「それは人間知だ」と尊大にかまえてなにも答えない。これを生長の家では「偉大さ」のあかしとしてきたふしがあります。>>
<< 986 :初心者:2013/02/04(月) 11:40:38 人間知でしかものを考えられない初心者には真理は理解できない、というような発言がこちらでも相当数あったという気がいたします。人の理解を云々するまえに、まず自分の理解を語れということです。自分の理解を語ってから、人の理解を云々しろということです。「雅春先生はこのように言っておられる」では理解とはいえません。自分の言葉として語られなければ、それは理解とはいえません。>>
<< 414 名前:初心者 投稿日: 2013/02/05(火) 23:20:14 現象世界は実相人間の共同幻想なのか自己幻想なのか。どうですかみなさま、なかなかに観念的なよい問いかけではありませぬか。観念の遊戯?けっこうではないですか。揚げ足取りと人格批判にあけくれるだけが人生ではありますまい。>>
<総括>
「初心者」(=マサノブ君本人、もしくはマサノブ影武者軍団の第一人者)の以上の投稿文を読んで分かることは、――
@ 彼は、所詮は宗教とか信仰とかの世界には縁のない人間だと云うことである。彼には、求道者的要素は見当たらない。理屈の世界で求道者たらんとしているけれども、理屈の世界を超えようとは絶対にしないのである。理屈の世界でこそ自分の存在意義があると思っているからである。彼の傲岸不遜な性格、唯我独尊な性格、強烈な自己顕示欲の性格のなさしめるところである。彼のもっと適した世界は、学者・評論家の世界である。
A 彼は、宗教の存在目的の第一が、衆生救済にあることが解らないのである。彼の賛同する上記内容の如き「今の教え」という「マサノブ教」は、病悩苦を救済する事は出来ないし、又「今の教え」で救われた顕著な体験例は聞いたことがない。つまり「マサノブ教」は現実的救済力はゼロであると云う事を示している。この一点に置いても開祖・谷口雅春先生御創始の「生長の家」との間には天と地以上の開きがあるのである。
B また、彼は「信仰」というものについても何も分かっていない。彼には「信仰心」はない。あるといえば“理屈で論ずる世界”に対する“信仰心”である。しかしこれは現実的救済力を持たないが故に、彼のこの信仰心は破綻している。このことすらも彼は解らないのである。
C 彼・「初心者」(=マサノブ君本人、もしくはマサノブ影武者軍団の第一人者)はまた、「信仰」ということが分かっていない。彼には自己人生に於ける人間工夫が尽きてワラでも摑んで助かりたいという絶体絶命に陥った経験がなく、衣食住とお金と自由に恵まれたボンボン育ちでるからである。それに議論好きだから、理屈を最優先にして生きている。「信仰」とは真理に対する絶対的な“信”である。彼は、「現象独在の左翼唯物論」に対する“信”はあっても、この“信”では人を救うことは出来ないし、彼にはその体験がないのは当たり前である。彼には、霊的覚者に対しての尊敬心(讃迎の心)がない。彼は、傲岸不遜・唯我独尊の塊である。
D 「生長の家」という信仰の世界での「絶対的“信”」とは、――實相世界を五官六感を超越した實相覚で直接体験された開祖・谷口雅春先生のお悟りの言葉を、100%無条件で「はい!」と信じきること。そして、生活に実践する事である。理屈で<どうのこうの>と言っている間は、いつまでたっても「生長の家」の真理の奥殿に入ること能はず。この“信”に達した著名地方講師の先生はこうおっしゃった。癌に罹った人の個人指導のときに、「雁(癌)であろうが、雁(かり)であろうが、谷口(雅春)先生が<一切の病気は無い>と言われたのじゃから、病気はないんじゃ!」と。この絶対的“信”の力で指導を受けた人の病気は消えた、という実話がある。これが信仰の世界なのである。理屈抜きの世界である。われわれ信徒は、自分たちが未熟なるがゆえに、大覚者である開祖・谷口雅春先生の説かれた内容に絶対的“信”をおいて、絶対の信仰を確立しているのである。
E こういうと理屈好きの彼・「初心者」(=マサノブ君本人、もしくはマサノブ影武者軍団の第一人者)は言うであろう。「まさに信仰とはアヘンである。一つ間違うと破壊を招く狂信の世界に入る。だから、理論的検証をシッカリせねばならぬ」と。しかし、彼はまたその理屈がマチガイである事に気が付いていない。彼には、真理に対する霊的感性とか霊的直感力ということが判らないのである。「オーム」を信じた人たちと、「生長の家」を信じた人たちの霊的感性、霊的直感力とは同じではない。大きな差があるのである。それは一重にそれぞれの個性生命(霊魂)の発達段階(實相開顕度)の開きによる。このことが判るならば、彼・「初心者」(=マサノブ君本人、もしくはマサノブ影武者軍団の第一人者)の霊的感性、霊的直感力はまだまだ低いといわなければならない。
F 彼・「初心者」(=マサノブ君本人、もしくはマサノブ影武者軍団の第一人者)の持つバサラという思想は、マサノブ君のこれまでの「生長の家」解体の歴然たる事実とピッタリ符合しているのである。つまり、「初心者」の思想=マサノブ君の思想との共通項は、「破壊と蕩尽」ということである。誰が見ても確実にピッタリである。「破壊と蕩尽」の事実で彼等の思想は一致したのである。
G 最後に次のように結論付けられるのである。
イ、 << 453 :野次馬:2013/02/07(木) 20:30:34 初心者さん、自分の姿は自分には見えないが、他人にはすっかり見られているんだよ。そっくりだというのは、第3者の感想である。当然、当人たちにはわかるまい。 >>
ロ、 マサノブ君の「今の教え」が犯した決定的な罪 は、本物の生長の家が何なのかを、解らせなくしてしまったことだ。やはり、「総裁辞去」・「教団退去」がマサノブ君にとっての最良の選択枝であると云うことであります。
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