生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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マサノブ君の「生長の家」解体証明――「身分いやしきもの」君の所論から考える<第4弾> (3034)
日時:2014年01月26日 (日) 11時35分
名前:怒れる信徒代表




[V]マサノブ君の反・『御教え』、明らかな間違い解釈! <その1>




4900 :身分いやしきもの:2013/12/17(火) 16:23:37 ID:tDxKbxFM
「言葉で真理を言い当てようとすること」をわたしは「ロゴス中心主義」と呼んでいます。「コトバ」とは、実相世界における膨大な数の万事、万物間の相互作用をコトバに置き換えたものであり、それはわたしたちが日ごろ語っている言葉とはぜんぜん別物である。このコトバを、「ソフィアの叡智」と呼んでおきたい。生長の家ははたしてどちらなのでしょうか。いまだに言葉には意味があると思い込んでいる人があとをたたないようですね。言葉には意味があるとする思い込みは、必然的に言葉で真理を言い当てようとする傾向へとむすびつきます。

<一言コメント>
「太始(はじめ)に言(ことば)あり。言(ことば)は神なりき」。その言葉を載せた生長の家の神殿『生命の實相』を否定する「身分いやしきもの」君のこの発言は、明らかに反・『御教え』の重大発言である。破門されてしかるべきである。<相互作用>とか<言い当てる>という表現自体が全く相応しくなく、且つ不適切な用語の使用法である。



5015 :身分いやしきもの:2013/12/20(金) 21:11:02 ID:tDxKbxFM
言葉に一般的な意味などありません。言葉の意味は決定不可能なのです。決定不可能な言葉で真理を言い当てることなど、たとえ真理がすぐそこにたっていようとも不可能なことなのです。

<一言コメント>
『言葉』こそ事物の本(もと)であり、本質であり、本体である。「身分いやしきもの」君の見解は明らかな間違いであり、破門に値するもの。一から出直して、開祖・谷口雅春先生の『言霊学』を謙虚に学び直すべし。イヤなら直ちに生長の家掲示板から去るべし!



5019 :身分いやしきもの:2013/12/20(金) 23:34:34 ID:tDxKbxFM
わかるはずのない実相世界でみんな仲良く暮らしているだとか、健やかに暮らしているだとかという
のももちろんナンセンスですよね。「無限の素晴らしいアイデアがある」だとかもナンセンス、「善のみ」というのもナンセンス。無限定で無限に変化する世界が「善のみ」に限定されるはずがありません。

<一言コメント>
「身分いやしきもの」君は、實相世界が完全円満にして至美至妙なる世界である事が理解できていないから、この様な「ナンセンス」発言を為すのである。生半可な肉体頭脳知識をもって、「生命の實相哲学」を批判すべからず!



5040 :身分いやしきもの:2013/12/21(土) 21:40:24 ID:tDxKbxFM
言葉には意味がない。このことを示すのが今回の議論の課題でありました。真理を言葉で言い当てられないのは、真理が高遠だからではなく、言葉の意味が決定不可能であるからです。ロゴス中心主義とは、決定不可能な言葉をもちいて真理を言い当てようとする試みです。

<一言コメント>
「真理を言葉で言い当てる」とは、何たる言い草か? 「身分いやしきもの」君の霊的理解力の未熟さを示す以外の何物でもないのだ! 反・『御教え』にも程がある!



4917 :身分いやしきもの:2013/12/18(水) 14:57:20 ID:tDxKbxFM
「善のみの世界」というのがわからないですねぇ。なんで善でなければならないのか、それもわかりません。善というのは、悪があればこその善であって、悪のない世界でなぜそれが善であるとわかるのか、これが大きな疑問です。実相世界が善であるというのは、あらゆる欲望が充足可能という意味なのですか?実相世界は「五官の言葉をもっては描写は不可能」とありますがなぜ不可能であるのかというその理由については、おそらく同意できない。五官とは純粋な相互作用であり、その意味で五官は実相でありましょう。そもそも実相世界はそんなに特別な世界なのでしょうか。実相世界というのは、対象化できる世界です。対象化できるがゆえに「実相を観る」ということが可能となる。実相世界といえども、観るものと観られるものとが存在するという意味で、それは主客分離の二元論的世界ということになるではありませんか。実相世界は主客不合一の二元論的世界であり、この意味で実相世界は、いわれているほどの特別な世界ではないと考えられます。「五官は実相である」といっても、
なにも特別なことを語っているわけではありません。

<一言コメント>
「身分いやしきもの」君は、相対的善は理解できても、絶対的善は理解できていないのである。「五官は實相」などと、『生命の實相』のどこに書いてあるのだ! 屁理屈だけを捏ね回す君には『生命の實相』について語る資格などはない。森の奥の象牙の塔の中ででも叫んでいなさい!「生長の家」は君の居るべき場所ではないのだ!



4930 :身分いやしきもの:2013/12/18(水) 22:12:35 ID:RRotULlI
生長の家が哲学することさえ許されない場所であるということも完全に証明されたとわたしにはおもえます。「総裁はサタンである」という人がいたとしますと、これはあきらかに主客一致を前提とした言葉ということになります。もしも主客不一致を前提にいたしますと、確実にいえるのは、「自分には総裁がサタンにみえている」ということだけですね。ここからさらに、主客不一致を前提に考えを推し進めていくことも可能です。たとえば「なぜ総裁がサタンにみえているのかといえば、それは自分のなかにサタンがいるからだろう」という具合にです。このように、すべてを自分の内面の問題として推論を進めていった結果、出会えるのがソフィアの叡智であろうとわたしは考えます。

<一言コメント>
「身分いやしきもの」君の「総裁はサタンである」という表現は正確ではない。正しくは、マサノブ君は神の子がその本質であるが、暗黒霊界からの想念波によって何重にも神性隠蔽されている状態、同類親和の法則によって悪霊魂に憑依されている、このようにマサノブ君の實相と現象を分けて考えるべきである。『生命の實相』をシッカリと熟読していないことを君自身が暴露しているのだ。



4980 :身分いやしきもの:2013/12/20(金) 08:36:22 ID:tDxKbxFM
 天皇国日本を根本教義だと、「解釈する個人」がいるのは自由です。ですが、実際の「生長の家」は、天皇以外にも多種多様な切り口から「實相」を語るわけでありまして、これだけが根本!と云う方がおられると少々、混乱が生じます。総裁はおそらく、これが根本教義にはおもえなかった。教義はもっとべつにあると考えられた。しかし一方ではこれを教義として押したててくる集団がある。ひとつの宗教のなかにふたつの異なった教義が共存する事態となった。こうなれば一方がでていくしかない。総裁は自分がでていくいわれはないと考えられたのでその集団にでていってもらうことにした。おそらくこういうことなのでしょう。

<一言コメント>
「生長の家」立教の目的は二つある。個人の成仏(實相顕現)と国家の成仏(實相顕現)である。従って、「天皇国日本」の實相を説くことは重要な根本教義である。マサノブ君は、開祖の立教の精神と目的を継承する立場にありながら、自己の個人思想である左翼唯物思想の立場に立って、天皇国日本を否定した。この様な人こそ「生長の家」から出て行ってもらわねばならないのである。マサノブ擁護などもってのほかである!



4984 :身分いやしきもの:2013/12/20(金) 09:52:47 ID:tDxKbxFM
「肉体の牢獄」ではなく「言葉の牢獄」です。よき言葉をつかえばたしかによき運命が開けてくるでありましょう。しかしそれも言葉の牢獄のなかの出来事でしかありません。

<一言コメント>
「身分いやしきもの」君!君は暗黒思想家である。君は“牢獄”という言葉を使う。マサノブ君は“穴倉”という。好一対、一卵性双生児ではないか! 暗黒思想は「生長の家」の思想ではない。君こそ“言葉の牢獄”の中へ自分で好んで入り込んでいるのだ! 反・『御教え』の完全に間違った考えである。



5065 :身分いやしきもの:2013/12/22(日) 10:38:38 ID:tDxKbxFM
「現象とはなにか」、それを決定するのは不可能であったのです。決定できないものを「ない」ということにいかなる意味があるのかといえば、それによって人が救われるという意味だけがあります。

<一言コメント>
「身分いやしきもの」君は、「現象ナシ!」という言葉の“凄さ”がわからないのである。霊的感性がゼロである事の証明である。人間知の理屈の世界だけに生きているからで、如何に多くの人たちがこの言葉によって救われたかという事実を否定する事は出来ない。自らの不明を恥じ、謙虚なるべし!



5177 :身分いやしきもの:2013/12/30(月) 07:57:54 ID:iei0MD3c
生長の家はロゴス中心主義です。日本的思想を説いているようではあっても、本質は西洋思想です。実相と現象、光と闇、善と悪、霊と物質というように、二項対立をもちいて世界を説明しようとする手法は西洋思想の特徴ではないかと考えます(東洋思想についてはあまりよくはわかりませんので断定は避けます)。二項間の関係で考えると、かならず対立の構造を生みだします。実相覚と人間知の二項関係で他者を分類する人々は、人間知を否定するという対立の構造をまちがいなく生みだします。3を基本に考えると対立の構造は生じません。3が神秘学の基本的思想であるというのは、どうやらこういうところにも理由があるようです。「虚説」もおなじです。真理を立てるところに虚説は生じます。真理を立てなければ虚説は生じません。ほんらいどこにもなかったはずの虚説が真理を立てることで生じるのです。二項関係でものごとを考えるのがロゴス中心主義です。ロゴス中心主義は、対立の構造をまちがいなく生みだします。生長の家がなぜ対立の構造を生みだしつづけるのか、その理由はもはやあきらかでしょう。ひと言ことわっておきますなら、わたしはまだまだ未熟者で、3を基本にものごとを考えるということは、いまだにできてはおりません。ようやく、実相と実相世界と現象世界の3項関係で世界をとらえようとしはじめたところです。

<一言コメント>
「身分いやしきもの」君! 君の上記の発言はすべて間違っているのである。自分はまだ未熟者と謙虚?に言う一方において、<生長の家の本質は西洋思想・真理という言葉を使うから虚説が出てくる・實相の把握(悟り)は二項対立の概念に属す>と偉そうな断定を下す。君はとにかく『御教え』に何とかしてケチを付けたいだけのことであるのだ。『御教え』を真剣に求道する者にとっては、理屈の世界でしか考えない君の存在は迷惑千万である。



5188 名前:身分いやしきもの 投稿日: 2013/12/30(月) 16:11:31 ID:iei0MD3c
「仏」も「いのち」も言葉がつくりだした、あわくはかない蜃気楼です。言葉が消え去れば、それらのものも混沌のなかへと消え去ります。あとにのこるのはカオスだけです。わたしたちが見ている世界には、もともとなにもなかったのです。「言葉には意味がある」とは、言葉と物質は分離されていて、物質は言葉とは離れたところにあるとする考え方です。雅春先生はこうした考え方にもとづいて『生命の實相』を説かれたということです。言葉のあるなしにかかわらず人間は世界を見ることができると、雅春先生はこのように考えておられたということになります。

<一言コメント>
「身分いやしきもの」君、君の考えは虚無的な傾向を有するものである。まるで、マサノブ君の“洞窟の中での思考”そのもの、思想的一卵性双生児、光明思想ではなく『御教え』を否定する暗黒思想である。君の所論は頭デッカチの理屈だけで完全な誤りばかり! この様な理屈と暗黒思想では人類救済は出来ぬ。



5249 名前:身分いやしきもの 投稿日: 2014/01/02(木) 13:34:07 ID:iei0MD3c
表層の実相世界とは、「言葉には意味がある」と思い込んでいる人々の関心を引きつけておくための疑似餌であり、囮でもあるのです。表層の実相世界は欲望充足の世界であり、健康になれればよい、人間関係がよくなればよい、経営がうまくいけばよい、株価があがればよい、みんなが仲良くすればよい、の世界なのです。よろこびに満ちたすばらしい世界なのです。

<一言コメント>
「身分いやしきもの」君! 『御教え』に関する自分勝手な解釈は慎まねばならない。それも何とかして欠点を暴きだしてやろうという態度は許されるべきものではない。君の「實相世界」についての上記のような理解は完全な間違いである。信徒の皆さんを迷わすような勝手な解釈と発言は慎むべきである。







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