生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

トップページへ戻る

 

↓↓↓ 訪問者数 ↓↓↓

 

名前
メールアドレス
スレッド名
本文
写真

URL
削除キー 項目の保存


マサノブ君の「生長の家」解体証明――「身分いやしきもの」君の所論から考える<第6弾> (3040)
日時:2014年01月27日 (月) 00時41分
名前:怒れる信徒代表



[V]マサノブ君の反・『御教え』、明らかな間違い解釈! <その3>




5467 :身分いやしきもの:2014/01/08(水) 14:58:34 ID:iei0MD3c
精霊の時代を生きられる人というのは、すくなくとも自分で考えようとする人でなければなりませんね。あなた様は、ものごとについてはあまり考えてはおられないようですから、残念ながら精霊の時代を生きられる人ではありません。わたしたちの語っていることが、あなた様には「オシャベリごっこ」としてしか感じられないのは仕方のないことなのです。子の時代を生きるべく運命づけられているあなた様にとって、精霊の時代を生きようとする人々はどうしても「奴等」におもえてしまうのです。

<一言コメント>
自分で生活の糧を稼ぐ必要のないセレブ・ボンボンの森の中の洞窟での「オシャベリごっこ」である。



5482 :身分いやしきもの:2014/01/08(水) 20:35:54 ID:iei0MD3c
「万法すすみて」の世界とは、教会も聖書もいらない世界だとおもいます。「万法すすみて」の世界を多少なりとも知ったものは、このことを実感をもって受けとめられるものと考えます。

<一言コメント>
セレブ・ぼんぼんのマサノブ君は、この様な思索に耽って、衆生救済を放棄し、独裁権力を行使して聖典『生命の實相』と聖経『甘露の法雨』を捨てたのである。



5508 :身分いやしきもの:2014/01/09(木) 09:40:33 ID:iei0MD3c
量子力学を学んだ人々のなかには、「量子力学ってなんだ」と考えつづけたあげくに、社会からドロップアウトしてアメリカ中を放浪してまわる人たちがいるって話です。こういう話を聞くと、あたしは人間の可能性を感じてしまうんですよね。これが人間だとおもってしまうんですよね。「いくら考えてもなんの役にも立たない」とあたな方はきっと決めつけられるはずですね。でもね、わたしはこういう人たちに人間の可能性を感じてしまうんですよね。「役に立つことの価値しか認めない」。こういう考え方ってつまらないじゃないですか。

<一言コメント>
「宇宙総動員の力で自分は今、ここで生きさせて頂いている」と自覚し、家庭を持ち、次代の子孫をつくり、報恩感謝の気持で毎日の糧を得る仕事に精一杯生きている、そしてそこから魂の真理を無意識のうちに学び潜在意識に積みかさねて行っているところの大勢の平凡なる市井人よりも、上記文章のような特異な生活をしている人に、<人間としての可能性を感じる>なんて思いあがりも甚だしいと言わざるを得ない。閑人の戯言である。



5562 :身分いやしきもの:2014/01/10(金) 15:44:13 ID:iei0MD3c
わたしのいっていることと総裁のいっていることが似ているといわれているので、2013年8月1日にエントリーされた『宗教における都市と自然(9)』を読んでみましたが、よく書けているではないですか。「さすが生長の家の総裁」といえるほどによく書けているとおもいます。日頃の行状はともかくとして、いっていることだけは宗教家の名に恥じないだけのレベルにあるとおもいますが、みなさま方は具体的にどういうところを批判しておられるのでありましょうか。行状に問題があるのはわかりました。『宗教における都市と自然(9)』で表明された考え方のどこが問題であるのか、これを具体的に述べてください。


<回答コメント>

* 『宗教における都市と自然(9)』で表明された考え方とは、――人類の健全な進歩のためには自然的要素と都会的要素の双方が必要。しかし、片方への偏重はいけない。両者をバランスさせるべき。そして、宗教は都会を離れ"森の中"の自然に還り、その本来の働きを遂行する。21世紀の宗教改革は"森の中"から始まる。

* 考え方のどこが問題であるのか、これを具体的に述べてください。――

@ マサノブ君の21世紀の宗教改革とは、人口の都市集中を避け自然豊かな田舎へ分散して、自然と共生する生活を広めることであるという。これは、宗教本来の目的である衆生の病悩苦からの解放という完全な救済の放棄である。此処が根本的問題点である。

A 田舎へ移住して自然との共生生活を為すというが、それが出来るのは一部のセレブ族だけであり、万人の為の宗教改革ではない、というのが第二の問題点である。

B 炭素ゼロの生活を田舎ですると言いながら、自給自足の生活ではなく、現代文明の利器をそのまま利用しての都会並の生活。これでは、他人に手を汚させながら、自分だけは手を汚さない欺瞞の生活である。これが三番目の問題点である。

C マサノブ君は、バランスを強調するが、日本の地政学的位置から観ての国家の防衛問題、貿易立国による国家経営問題、日本精神復活の教育問題、こう言った全体像の中でのバランスある宗教のあり方を全く考えていない。むしろ、脱宗教、脱・信仰路線へ舵を切り替えた。この考えは間違っている。これが第四の問題点である。




5621 :身分いやしきもの:2014/01/10(金) 22:36:12 ID:iei0MD3c
生長の家の人々にはどこまでいっても「私」がついてまわっています。「私」がついてまわっていながら、生長の家の人々はその教えが「宇宙最高の教え」であると自認しています。わたしの理論では、実相は無相であります。「相あり」では理論が成り立たなくなります。説明できないところがどうしてもでてまいります。実相無相であれば、矛盾なくすべてを説明することができます。実相無相と実相有相のどちらが思想的に優位であるかといえば、実相無相に分があるはずです。なにを信じるかというのであれば、実相有相を信じるのはもちろん自由です。自由でないのは、実相有相を「宇宙最高の教え」と主張することです。このように主張することで対立が生じます。今ある対立の原因は、実相有相を「宇宙最高の教え」と主張するその独善性にあるということがいえます。独善的主張をかかげる人々が対立を呼び寄せているのです。

<一言コメント>
「身分いやしきもの」君は、「無相」=「空」=「茫漠」と考えているらしい。「無相」とは「無限相」のこと。「實相」=「實」=「至美至妙」=「完全円満」=「久遠生命」=「無窮」=「無限の完成」=「無限次元」である。このことを平易に説かれている「生命の實相の『御教え』」は「宇宙最高の教え」である。このことが解るまで、「身分いやしきもの」君は『生命の實相』40巻を素直に繰り返し繰り返し、さらに繰り返して熟読すべし! 上記文章の如き人間知だけの理屈を繰り返すべきものには非ず!



48 :身分いやしきもの:2014/01/12(日) 17:02:05 ID:iei0MD3c
形をみる「私」は、実相有相論ではなくてはならぬ存在なのです。実相有相論では、形と「私」がかならず対になって存在します。実相有相論は二元論なのです。「無相」とは、形があろうがなかろうが、それをみる「私」が存在しない状態をいいます。実相無相論こそが、「私」が存在しない一元論です。「実相有相論は、どこまでいっても「私」がついてまわる二元論的世界観ということがいえるはずです。

<一言コメント>
生長の家の『御教え』は、開祖・谷口雅春先生が無の関門を超えて到達せられた究極最高のお悟りである「唯神實相論」という根源的一元論である。「身分いやしきもの」君! 肉体頭脳の人間知を超え“百尺竿頭進一歩”して空中遊歩の真人たるべし!



52 :身分いやしきもの:2014/01/12(日) 21:12:33 ID:iei0MD3c
私のイメージは、実相有相論と実相無相論は矛盾しないのです。矛盾が生じるのは、有相の世界を根源的世界と考えるときです。根元的世界は無相です。有相の世界ではありません。無相をふたつに割ることで有相の世界である実相世界があらわれます。無相の世界が一義的世界であり、有相の世界である実相世界は、無相の世界から派生した二義的世界ということになります。

<一言コメント>
「身分いやしきもの」君! 『生命の實相』をそのままの心で素直に熟読せず、この様な間違った妄論を展開して『御教え』を否定消滅させようとする君の正体は一体何者なのか? 君の正体は既に見破られているのだ! 速やかに去り、舞いもどって来るでない!



53 :身分いやしきもの:2014/01/12(日) 22:48:20 ID:iei0MD3c
どこまでいっても「私」がついてまわる生長の家の考え方で到達できるのは、二義的世界である実相世界までであって、一義的な世界である無相世界には到達できまいと、曳馬野さまはいっておられるようです。ところが雅春先生は「一念不生のところに真実生命の動くを見たるが盤珪なり」ともいっておられます。盤珪禅師といえども、主観客観未分離の無相の世界で「真実生命の動くを見たり」というわけにはまいりません。ではいったい、盤珪禅師はどこでなにをご覧になられたのでありましょうか。「何もしないことに全力を尽くす」とは只管打坐についてもいえます。「只管」でありながら、何もしないことに全力を尽くす。そうすることで万法がすすみいでるとはどういうことでありましょう。

<一言コメント>
「無の関門」を越え、自己生命での直接的な、絶対実在の絶対認識の生命的体験無き者――即ち、真実の悟りに達せざる者――が、人間知の理屈で以って、真実の悟りに達せられた人を批評する事は許されない。「身分いやしきもの」君は、求道する人ではなく、普通の評論家の一人に過ぎない。身の程を知らぬ愚か者といわなければなるまい。



64 :身分いやしきもの:2014/01/13(月) 13:25:38 ID:iei0MD3c
お国のため、社会のため、人のため、――国も社会も人も自分も箱のなかの幻想ではないのですか。万法がこのような幻想のためにすすみでてくると本気で考えておられるのですか。実相有相論に立つ人は、「なにかのため」ということをしきりにいうようになりますね。実相有相論に立つ人は、有相のなかに究極の価値をみいだしてしまうのです。「私」が立てた究極の価値を実現することこそが使命である思い込むようになるのです。そしてついには「日本国実相顕現」などという考えにとりつかれてしまうのです。「私」が立てた究極の価値を実現することこそがわが使命である、というがごとき考え方をすることじたいが危険なこととはおもわれないのですか。実相無相論は究極の価値を立てるようなことはいたしません。究極の価値を立てるのは、実相有相論に立つ人々なのです。実相無相が心におさまっている人々からは、「究極の価値実現」というような危険な考え方がでてくるはずがないのですがね。実相を無相と考える人々は、「国のため、社会のため、人のため」というような実現すべき価値をまえもって立てるようなことはいたさないのです。万法がすすみでてくるままに実現すべきことを実現していくだけです。それが結果的に国や社会のためになるのであれば、それを否定する理由はありません。

<一言コメント>
「身分いやしきもの」君は、<万法がすすみでてくるままに実現すべきことを実現していくだけです。それが結果的に国や社会のためになるのであれば、それを否定する理由はありません。> といかにも悟ったことを言って居るのであるが、彼の正体は、戦後教育を受けた理屈だけは達者であるが、腹の据わっていない「志」(こころざし)なき人間――左翼的反日論者である事が上記投稿文から読み取れるのである。彼は日本が嫌いである。日本精神が嫌いなのである。そして、「日本国實相顕現」と云う言葉までもまた大嫌いなのである。そして、開祖・谷口雅春先生の「生長の家」をなんとしてでも潰してしまいたいと本気で思っているのである。







Number
Pass
SYSTEM BY せっかく掲示板