生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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「賽(さい)の河原の石積み祠(ほこら)」の解説をしている、マサノブ君 (3065)
日時:2014年01月29日 (水) 15時01分
名前:サーチャー


<トキ掲示板(本流対策室/5)>

5878 :トンチンカン:2014/01/29(水) 14:16:46 ID:nFgY2khg

「賽(さい)の河原の石積み祠(ほこら)」の解説をしている、マサノブ君


<唐松模様>
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2014年1月27日 (月) 森の祭壇 (2)

・「森の祭壇」を作り、その前で『大自然讃歌』を読誦するとは、何を意味するのだろう。
 先に書いたように、「森の祭壇」は、大自然を創造された宇宙の本源神と私たちとの“
 接点”である。私たち人間の心は、五官の感覚器官から伝わる情報・・・

・例えば、山や川や森や地球、街、駅、地域、国などだ。そんな場合、人間はそれらをど
 うやって視覚化するだろうか? そんな時、ミニチュア化や象徴化が行われるのだ。

・そこで、できるだけ素朴な素材を使って小さな祠を作り、その前で大自然を観じるとい
 う方法を考えたのである。

・人間の想像力は偉大であり、部分を通して全体を感じることができ、日常的にそれを行
 っているという例を、すでに書いた。ただ、それが無意識に行われていたり、条件反射
 的に、理性による反省を経ずに行われている場合が多いため、問題が生じることもある。

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・あの祠(ほこら)の「写真」を見たとたんに、トンチンカンの<感性>は「賽(さい)
 の河原の石積み祠(ほこら)」・・として目に映った!!


・もちろん「賽の河原」 とは、冥途にあるという河原のことであります・・・


・「祠(ほこら)を作りたい」と思うのはイイでしょう。


・でも、条件反射的に<理性>による反省を経ずに行われたのではないのだろうか・・? 

・口先でいくら「綺麗ごと」を言っても詮無いことであります。 そこに「神様」に対す
 る「畏怖」の念や、「尊崇」の念、が根底になければ意味がないのであります。


・マサノブ君は、秀逸なる「人間智」でもって行動し、後からそれらについての「理由付
 け」をするのが<常套手段>なのであります・・・


・そして、今回の「賽(さい)の河原の石積み祠(ほこら)」については、「今の教団」
 を独裁者としてふんぞり返っているマサノブ君の<理性>によるものであります。


・マサノブ君の<理性>が、正しいかどうかはどの様にして判断するのでしょうか??

賽(さい)の河原の石積み祠(ほこら)とは? (3181)
日時:2014年02月15日 (土) 01時49分
名前:風来坊

写真でないと分からんのじゃ

ホウホウこれがね  誰かが言っていたが閻魔さんがでそうなやつとは






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