生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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こんなことを書けるのは、マサノブ君のみ、一般信徒は絶対に書かない! ゆえに「曳馬野」=マサノブ君である!! (3142)
日時:2014年02月09日 (日) 01時06分
名前:怒れる信徒M




「トキ掲示板」に、次のような投稿文が掲載されている。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


6064 :曳馬野:2014/02/08(土) 21:47:49 ID:aZVuBgqg

叡智の斷片p88 『信じて其の儘たらしめよ』より

 人を自由に放つことが最大の美徳である。その完全なる解放の奥には人間性の善に對する深い信頼があるのである。・・・信じて人を縛ることなかれ。「かうあって欲しい」と思ふのも人を縛ることである。彼を彼自身そのままたらしむることが眞の人間の解放である。そのままたらしめたときに、全ての人に善そのままの実相があらはれる。 。。。。略。。。**この掲示板御覧の生長の家信仰者の皆さんにして、この雅春先生の言葉に反していないと言い切れる方はいるのでしょうか?私は清超先生と恵美子先生のみが、この真理に随順されていると思われます。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



これを、「真理の“ツマミ食い”」と言う。マサノブ君を弁護・擁護・温存する為に、『御教え』の中の都合よき部分のみを引用するまことに卑怯な戦法である。


<『信じて其の儘たらしめよ』 人を自由に放つことが最大の美徳である。> この真理の言葉は、個人対個人の場合に於いてのみ有効な言葉である。尖閣諸島を奪い取ろうとしている「共産中国」と「日本」の関係に当てはめればどうなるか?

読み替え文、――
<< 「共産中国」を自由に放つことが最大の美徳である。その完全なる解放の奥には人間性の善に對する深い信頼があるのである。・・・信じて「共産中国」を縛ることなかれ。「かうあって欲しい」と思ふのも「共産中国」を縛ることである。「共産中国」を「共産中国」自身そのままたらしむることが眞の解放である。そのままたらしめたときに、「共産中国」に善そのままの実相があらはれる。 >>

「曳馬野」君よ、君は日本國は「共産中国」に対してこの様な態度で臨めば、確実に「共産中国」に善そのものの實相が顕われると断言できるか?


読み替え文、――
<< 「マサノブ総裁」を自由に放つことが最大の美徳である。その完全なる解放の奥には人間性の善に對する深い信頼があるのである。・・・信じて「マサノブ総裁」を縛ることなかれ。「かうあって欲しい」と思ふのも「マサノブ総裁」を縛ることである。「マサノブ総裁」を「マサノブ総裁」自身そのままたらしむることが眞の解放である。そのままたらしめたときに、「マサノブ総裁」に善そのままの実相があらはれる。 >>

「曳馬野」君よ、君は生長の家信徒全員が「マサノブ総裁」に対して一切の疑念なくこの様な態度で臨めると考えているのか? 確実に「マサノブ総裁」に善そのものの實相が顕われると断言できると考えることは空論である。なぜならば、信徒全員が、一切の疑念なく「マサノブ総裁」を自由に放つことは絶対的にあり得ないことだからである。



だから、個人対個人の間では<『信じて其の儘たらしめよ』 人を自由に放つことが最大の美徳である。>、此の真理を実践できても、国家対国家や団体の中での、身勝手な最高首脳者対団体全員の間に於いては、<善そのままの実相があらはれる>ことの実現度は極めて低いと云う事である。その理由は、“逆念”の作用を考えに入れていないからである。従って、この様な場合の現象処理的解決法は第二次的な解決法を取らざるを得ないのである。「新講『甘露の法雨』解釈」P.87には、“第二の善”として、日本の再軍備の必要性について開祖・谷口雅春先生は説かれているのである。――

<< このことは日本の再軍備の問題でも同じ事であります。・・・實相世界の「一切の生物處を得て争ふものなき」状態があらわれたならそんなものは要らん筈だと言へるのであります。しかし、現代の日本人が果たしてそれだけの精神的力量叉は高い心境に達しているかという事が問題なのです。即ち「凡(およ)そ此の世界は神の世界であって敵は無いのである」という事を、日本人の大多数が深く信じそれを実践する事が出来るかというと、まだまだ遠しと言わねばなりません。・・・實相の世界には戦争はなく、平和であるけれども、その實相の状態をあらはすだけの平和な心境がなければ、他国から攻めて来たときには防ぐだけの武器というものは備へて置かねばならんということになる訳です。これは“最高”の善ではないけれども、心境がまだ至らない時の防衛の為には必要な“第二の善”であると言うほかはない。その意味に於いて現代の日本國には自衛隊とか国防軍を備えておかなければならないのは止むを得ないのであります。>>


故に、「曳馬野」君の投稿文は、マサノブ君の“真理のツマミ食い”と全く同じものであり、マサノブ君が「曳馬野」という名前で自己擁護のために書いたものであると判断されるのである。







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