生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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自己虫・宗教家マサノブ君! 汝の責任を自覚せよ! 第2「旅人の被災」=雪の中の幸福者= をのんびり書いている時ではないぞ!! 余りにも非常識ではないか!! (3230)
日時:2014年02月19日 (水) 17時38分
名前:画龍点睛



合掌、ありがとうございます。
大雪に阻まれて、お気に入りの八ヶ岳南麓の自宅(信徒の浄財で建てた豪華ログハウスの“新総裁邸”)へ、主(あるじ)のマサノブ君夫婦は何とか無事ご帰還あそばされた由、早速と「総裁フェースブック」で報告、更に、帰りの列車の中で書いたという“第二の「旅人の被災」”を「枯れ松模様」に発表しておるのであります。


これを読みますと、10年前に書いた“旅人の被災”(新潟篇)と書き方は全く同じで、マサノブ君は10年経っても精神的には少しも進歩していないどころか、独裁色を益々強め、精神状態が益々異常になって来ているのが見て取れるのであります。



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2月18日 (火) = 雪の中の幸福者 = (要旨)

 史上稀にみる大雪が東日本を襲ったため、いろいろ予想外の新しい経験をし、普段はあまり考えないことを考えることができた。、京都市での生長の家講習会の帰途、東京駅を昼前に出て長野へ向かう長野新幹線「あさま521号」でこれを書いている。・・・今回の“トラブル”はトラブルではない。むしろ、当時の“順調な旅”と変わらないと言えるのである。・・・「幸福」の考え方・・・人間は、ある一定の状態が長く続くと、その状態を“当たり前”と感じるようになる。・・・「馴れ」が生じる・・・人間の幸不幸の感覚は、その人が自分の置かれた状況に「プラスの変化」を感じるか、あるいは「マイナスの変化」を感じるかによって決まる。今回の大雪に遭遇した人は、さまざまな変化を経験したと思う。 翌朝、テレビに流れていた情報を見ると、「中央道は全線通行可能」というような表現だった。「ヤッター」と思った。・・・ “オフィス”から茅野駅まで車を出してもらう、・・・茅野駅で合流してからは一般道を雪中走行して北杜市大泉町へ帰ったのだ。オフィス到着は午後1時ごろ。結局、約3時間半の・・・記録的な大雪に見舞われたということ自体が、私には何か貴重で、得がたい体験であるような気がしてならなかった。・・・この大雪は歴史的な規模だ。ということは、これ以上の厳しい冬を私たちがこの地で経験する確率はきわめて低いということになる。だから、今回の経験で足りなかったこと、失敗したこと、予想できなかったことなどを反省し、それらにきちんと対応していけば、“万全の準備”ができることになる。「千載一遇のチャンスがすぐに来た」のではないか? 私は、還暦を超えた年で初めて高冷地に家を建てて住むことになった。いちばん不安だったのは、冬の厳しさだった。雪がどの程度降り、その影響はどの程度あり、暖房にどの程度の薪が必要で、それをどう準備するか……などの情報の最大値が、すぐに手に入った。これは大変ありがたい。今後は、これらの最大値を想定して冬の準備をすればいい。どこかの大企業のように、「想定外だった」といって泡を食う必要はない−−このように考えていくと、「トラブル」という声は消えて、「私たちは実は幸福者ではないか」という想いが湧いてくるのである。 谷口雅宣




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<講評>


@ マサノブ君は「宗教家」を自称して「四無量心」を説くが、実際の場に面したときには、自分の身の安全を最優先にはかり、四無量心のかけらもない言動を為す“ガリガリ亡者”である事が今回の甲信地区大雪害に於いて又もや露呈してしまったのであります。


10年前の新潟中越地震時の第1回目「旅人の被災」の投稿文は、<東京行きの「MAX山彦118号」の先頭車両に飛び乗った。その席で、私はこの文章を書き始めた。>と、マサノブ君は書いている。そして、今回の第2回目「旅人の被災」(正式名は「雪の中の幸福者」)も<長野へ向かう長野新幹線「あさま521号」でこれを書いている。>と書き、その内容も両者ともに“自分の身の安全と自分たちだけの災害からの脱出”を如何に努力をして来たかのエッセー文章であります。



A マサノブ君は、今回の大雪で同じ山梨県の人たちが陸の孤島状態となり被害を受けていることなど、そ知らぬ顔で、「森のオフィス」の最初の越冬の大雪に遭遇したことを「自然との共生」の冬季ノウハウ作りのためには<「千載一遇のチャンスがすぐに来た」>と捉え、<雪がどの程度降り、その影響はどの程度あり、暖房にどの程度の薪が必要で、それをどう準備するか……などの情報の最大値が、すぐに手に入った。これは大変ありがたい。今後は、これらの最大値を想定して冬の準備をすればいい。どこかの大企業のように、「想定外だった」といって泡を食う必要はない>そして<「私たちは実は幸福者ではないか」という想いが湧いてくる>と書き、ピンチをチャンスと日時計主義で捉えることが出来た、といたく満足しているのであります。しかし、この書き方は、孤立状態になっている同じ山梨県の人たち、中には亡くなられた人たちにとっては大変失礼な書き方、――どんなことがあっても自分たちだけがよかったらいいのだ、という自己中心的な考え方そのものである。日頃説く「四無量心」など忘れてしまっているのであります。



B 10年前の「新潟中越地震」の時の「旅人の被災」ではこの様な文章表現が為されているのであります。< みな携帯電話を操作したり、仲間と声高に話したりしながら、この日常生活の断絶の時をなぜか楽しんでいるようにも見えた。「これは錬成会みたいだね!」と、私は隣にいる妻に言った。彼女も笑いながら賛成してくれた。・・・私たちはまさにその時「震災から抜け出す」という共通の課題を抱かえていた。腹ごしらえが終われば、いよいよ被災地脱出である。 >、さらに< 天災による不可抗力であるにせよ、こういう稀有の出来事が何を教えているかを正しく知る努力が必要だと思った。>、そしてこの時の大地震遭遇を結果的には、マサノブ君にとっての“楽しい記憶”として残していたのであります。だから今回の第2回目の「旅人の被災」とも言える投稿文のタイトルを「雪の中の幸福者」という自己虫丸出しの表現をしたと考えられるのであります。



C 今回の大雪害が何故山梨県を襲ったのか?同じ山梨県の中でも、「森のオフィス」のある北杜市は救援の自衛隊も行けないほどの一時孤立状態になぜ陥ったのか?さらに何故今回全く予測できなかった100年に一度の様な大雪となったのか? マサノブ君は「宗教家」を自負するのであれば、これらのことに関して現象的側面から更に霊的側面まで深めてその真因を究明しなければならないのであります。一応、気象学的には次のように解明されているのでありますが・・・

<< 今回の大雪は「冬型の気圧配置」により引き起こされたものではありません。日本の南の海上を低気圧が発達しながら進んで、本州太平洋側の広域で降水となり、上空や地表付近の寒気も強かったために大雪になったという事例です。いわゆる「南岸低気圧」による大雪の事例になります。南岸低気圧による降雪の場合は、太平洋側の地域で2日以上も雪が降り続くことは現実的には考えにくいのです。しかも「記録的な積雪になっているうえに」「その後、警報級の大雪がさらに丸一日」という条件となると、実際には極めて起こりにくい気象状況かと思います。つまり、 大雪特別警報は、南岸低気圧のような太平洋側の大雪の場合には適用が困難(長期にわたって続く冬型気圧配置による記録的な積雪と、 その状況下でさらに冬型気圧配置が強まって引き起こされる大雪がターゲット)と感じるのです。>>



D この起りにくい「南岸低気圧」による大雪が今回何故発生したのか? 此の原因究明は霊的原因を考えない現代科学では追求不可能であります。然らば、霊的原因まで原因追究していくならば、その大きな原因の一つにはマサノブ君の「大自然讃歌」経の作成と全国的読誦運動の推進、中でも「森のオフィス」では毎日本部講師が交代で熱心に読誦を続けており、毎月一回は野外の「森の祭壇」(「賽の川原の石積み祠」)の前で全職員が一斉読誦を行なっているのであります。この「大自然讃歌」経の本質は「大自然惨禍」経にほかならない。故に、ピンポイント的に山梨県に最大の雪害を招き寄せたと霊的には判断できるのであります。



E そもそも、マサノブ君の霊的には未発達な肉体頭脳知を絞りだして作った「大自然讃歌(惨禍)」経とは、――そこに語られている事柄は、色々と美辞麗句をちりばめてはおりますが、結局は、人間とは自然を破壊して自己の幸福を追求する生物、人間とは自然の一部である事を忘れて万物の霊長なりと思い上がった生き物、宗教的には人間の本質は“悪”(性悪説)であり、“罪の子”であり、従って“贖罪意識”を持たねばならない、人間は此の反省に立ち、自然の一部であるとの謙虚ある自覚を忘れず“自然との共生と調和”を図って生きていかねばならない。――「大自然讃歌(惨禍)」経の毎日読誦はこの様なことを毎日自分に言い聞かせているのと同じ事なのであります。「贖罪意識」を毎日深め、潜在意識に焼き付ける、その結果は「自己処罰」であります。故に「大自然讃歌」の名前は立派でも内容は「大自然惨禍」であり“惨禍”を自己処罰的に発生せしめていくことになるのであります。



F マサノブ君が如何に抗弁しようとも、次の事柄は否定できない事実であります。

イ、 「生長の家」講習会が、初めて中止となった10年前の「新潟中越大地震」

ロ、 一昨年・昨年の京都府宇治市(在:宇治別格本山)の記録的大水害

ハ、 今回の甲信地域(在:「森のオフィス」)の観測史上記録更新の大雪害


これ等の本質的原因は、マサノブ君の深層意識的想念、つまり「バサラ思想」にあります。「バサラ思想」とは“破壊と蕩尽”ということであり、マサノブ君のこれまでの所業の数々を思い起こせば簡単に誰でもが判ることであります。マサノブ君の究極の目標は「生長の家」潰しにある事は、事情を知る信徒の今や常識となっているのであります。開祖・谷口雅春先生の御造りになった「生長の家」教団を再起不能の状態になるまで解体してゆく、――そして、信徒の浄財で造られた1000億円の教団資産を売却して現金化し、独裁決裁権によって個人的人生目標の実現に使っていく、しかし、『生長の家』と言う看板は最後まで一人占めして誰にも渡さない。これぞまさしく“破壊と蕩尽”という「バサラ思想」の実践であります。



G マサノブ君がいかに紳士面をして紳士言葉を使って「自然との調和と共生」とか、「温暖化防止」、さらに「四無量心」の実践といっても、彼のこれまでの“言行不一致”振りを見れば、如何に口先だけであるかが分かるのであります。表面だけの言葉にだまされてはならないのであります。

マサノブ君の「神の子」の實相は、幾千層もの迷妄の雲により「神性隠蔽」されており、彼の「神の子」の本質という火種は深い迷妄の灰の底深く埋没してしまっているのであります。そこまで埋没せしめられてしまったのは、彼の特殊なDNAである「バサラ」と言う深層意識的想念とそれを強力に助長している霊的世界から送られてきている同波長の破壊型想念であります。

だから、現在のマサノブ君は、我々の常識では考えられないような行動、――加速化していく信徒離れにも全く平気で居られる! 教団の赤字状態の下に於いても平気で散財を続けられる・・・のであります。

どのように考えても、<総裁更迭・大政奉還・看板返却・マサノブ退去>を信徒の力で成し遂げていかねばならないのであります。その方法、手段は既に掲示板上で明らかにされており、後は一人一人の信徒が如何に多くが実行して行くかに掛かっているのであります。  再合掌




 



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