生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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「初心者」はかくのごとく生長の家の『御教え』を否定する! <その11> (278)
日時:2013年03月02日 (土) 17時39分
名前:四万十分析官



「初心者」という人物は、「トキ掲示板」において下記の如く生長の家の『御教え』を否定しているのである。「トキ掲示版」規約には「基本的に生長の家の教義と谷口雅春先生の説かれた教えを支持、共鳴する人のためのサイトです。生長の家と谷口雅春先生へのご批判をされる内容の投稿はご遠慮下さい。」と書いてあるが、一連の「初心者」と名乗る人物は、この投稿規約に反する投稿を続け、管理人氏も未だに一回も注意を与えていない。「初心者」と「トキ掲示板」との関係は主従の関係にあり、この様なところから「初心者=雅宣総裁」と言われているのである。そして、雅宣総裁としては、決して公の“総裁”としての立場では言いたくても言えない開祖・谷口雅春先生への反逆の「本音の思想」を「初心者」なる名前を使い、思う存分吐露し続けているとも考えられるのである。この意味からでも、彼のやり口は宗教家として非常に卑怯そのものであり、“総裁更迭”に十分に値するのであり、信徒はもっと声を大きくしなければならないのである。

以下、生長の家の『御教え』を否定する「初心者」なる人物の投稿を転載させていただき読者のみなさんの判断に供するものである。



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「トキ掲示板」より


399 :初心者:2012/08/18(土) 12:38:27 ID:TfQ0e6RA

具体的なことはなにも語らずに、ただ一方的に相手を人間知としてさげすみたがる体質が、生長の家にはあるようです。


477 :初心者:2012/08/19(日) 13:01:41 ID:TfQ0e6RA

わたしは、20年前に組織を見限り、それからしばらくして生長の家の会員であることも辞し、現在はその教えの影響下から脱すべく新境地を開拓中であります。やめた理由は、生長の家とかかわっていたのでは悟りを得られないことがわかったから。


333 :初心者:2012/08/17(金) 09:13:42 ID:TfQ0e6RA

すでに向かうべき方向性が定められている一元論的世界であるにもかかわらず、人間に、どこにでも向かうことができるという自由意思があるとするなら、神はどのようにして自由を実現されたのでしょうか。この「自由実現の仕組み」を雅春先生はどのように説明しておられるのでしょう。まずはこのあたりをおうかがいしてみたいところであります。



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<問題点>


@ ここで、はからずも「初心者」は“自分は「雅宣」である”とポロッと正体を現したのである。偽善者は如何に“ええ恰好”を繕おうともその構えにはスキ(隙)が生ずるのである。

約20年前に何が起きていたのか? 「谷口雅宣」という人物が本部の一般管理職職員から“副総裁”に昇格就任したのである。それは平成2年11月21日のことであったのである。

だから、このとき彼は、生長の家の“一般会員”から教団の“最高指導者”へ一足飛びに立場が変わったと自覚した。これが<20年前に組織を見限り、>と彼独特の言い回しの表現なのである。

『俺はもう一般信徒ではないぞ! これからは次期総裁として権力を振るって教団を自由自在に動かしていくのだ。これで漸く“独裁者”になるという少年時代からの夢をかなえる階段を昇り始めたのだ!そして他の誰も真似できない緻密な計算の下、20年の歳月を経て、誰も歯向かえない教団内の独裁体制を確立し、ジイサマの造ってくれた莫大な教団資産をオレサマの人生目標達成に使わせてもらっているのだ。』

この心境を、< それからしばらくして生長の家の会員であることも辞し、現在はその教えの影響下から脱すべく新境地を開拓中であります。>と表現したのである。

「初心者」の表現と「雅宣総裁」のこの20年の行動がはからずも“言行一致”を見たのである。『初心者=雅宣総裁』の証明である。



A 「初心者=雅宣総裁」は、その書く内容を“肉体頭脳知”と言われるのがよほどこたえているらしい。“人間知”・“肉体頭脳知”の考えであって決して「覚者の叡智」・「悟りの境地」ではない、と言われるのが気に障って仕方がないのである。< ただ一方的に相手を人間知としてさげすみたがる体質が、生長の家にはある。>と抵抗を示す書き方をしている。

「初心者=雅宣総裁」の心の奥底深いところ(深層の意識)には開祖・谷口雅春先生へのヤッカミの気持、見返したいという大きなトラウマが存在しているのである。

この開祖・谷口雅春先生に対する抵抗感(ヤッカミ)が『御教え』を素直に継承しようとする心を奪ってしまっている。彼の傲慢・驕慢さが宗教家として本来必要な謙遜さと謙虚さと求道する心を奪ってしまっているのである。

彼のこの心の弱点(スキ)に巨大悪霊の霊波が「類は友を呼ぶ」法則通りに入り込んだのである。

だから、「初心者=雅宣総裁」は開祖・谷口雅春先生の「無の関門」を透過せられて自己生命で以って直接認識された生きた『実相』の中身が掴めないので、< 神はどのようにして自由を実現されたのでしょうか。この「自由実現の仕組み」を雅春先生はどのように説明しておられるのでしょう。>といつまでも真理の周りの堂々巡りを繰り返しているに過ぎないのである。



B “霊的境涯の差”という観点からいえば「初心者=雅宣総裁」よりも、例えば「山新田のおかか」といわれた一般信徒の境涯の方がはるかに比較にならぬほどに卓越・凌駕していたのである。

「初心者=雅宣相違」は世間様に対していつまで「生長の家」を貶めたら気が済むのであろうか? 総裁辞任を決断すべし!






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