生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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反・『御教え』・・・雅宣総裁語録と講評 <第十三話> (288)
日時:2013年03月03日 (日) 10時05分
名前:信徒連合




< 第十三話 >肉体は“炎”、川とは“水の流れ”?

(『小閑雑感』・平成19年11月4−5日)



<<(要約)“炎”とは?――肉眼に見える「炎」は、確固不動の塊ではない。その実態は可燃性の物質分子が高速度で酸化反応を起こして行く「流れ」であって、ある温度以上に達した化学反応部分がそれ以下の温度空間と区別され、人間の肉眼に「光」として認識されるのである。この化学反応は、次の段階では「無」に帰して無くなる。この一連のプロセスが高速度に繰り返えされている。プロセスの行き先は「無の世界」である。つまり、物質的な炎という塊はなく、在るのは高速度の化学反応現象だけである。

 “川”とは?――「川」という物質が存在するのではなく、存在するものは常に一方から下方へと流れて行っている一定量以上の水だけで、この水の流れを人間は川と呼んでいる。つまり、「川」とは水の流れの一つの呼称に過ぎない。

 “肉体”とは?――「肉体」という実体はない。在るのは肉体を構成している物質分子の新陳代謝現象、つまり、物質分子の高速度の入れ替え現象を人間は肉体と呼んでいるに過ぎない。食物が消化酵素によって分解され吸収され肉体細胞となったり生命現象エネルギーに変化して行く。この高速度のプロセスが人生という一定の期間繰り返され、やがてプロセスの繰り返しが遮断される。これが生命現象の終わり、つまり肉体人間の死である。肉体は物質分子の流れの一つの「呼称」にすぎないのであって、「肉体」という実体はない。すなわち「肉体はナイ」のである。>>




(講評)


三代目・雅宣総裁は此処で説明を終わってしまっている。科学分析面からの内容はその通りであるが、宗教的には全く不完全そのものの解説であって、小乗の空仏教の解説であると共に虚無の哲学であり、人間は「無」になる為、「無の世界」へ消えて行くのみ、と云うことになり、人生無意義となってしまうのであります。

<引き寄せて、結べば柴の庵なり。解くれば、元の薪なりけり>(空仏教の教歌)。三代目・雅宣総裁はこの空仏教の教えを博学と自負する唯物科学の知識を披露して長々とムツカシク説明しているに過ぎないのであります。

 開祖・谷口雅春先生の「生命の實相哲学」は、「虚無の厭世哲学」ではないのであります。「肉体は無い」・「物質は無い」と云う教えは、「実相(理念)が在る」、「実相(理念)のみ独在」を最大限に肯定し明らかにするためにのみ必要なのであります。大肯定の前提としての大否定であり、大肯定を示さずして大否定だけで終わっては光明思想ではありません。(日時計主義ではありません。)


 変化無常の現象の流れの姿の奥に、その現象を顕している「理念」がある。「実相」がある。これが開祖・谷口雅春先生が説かれた本来の御教えの根本であります。

現象としての炎・川・肉体の奥に、「理念の炎」・「理念の川」・「理念の人間」が厳然として確固・不動・常住に“実在”している。実相世界に実在している此の理念が、一定の環境と条件が整った時、すなわち、因縁が熟した時に現象化してくる。そして、目的と使命を終えれば現象は消えて無くなる。

しかし、理念(実相)は久遠不滅であるから無くならず、環境・条件がまた整うと「理念(実相)」は現象化して来る。故に、神様(創造神)の自己実現としての個性命(霊魂としての人間)は、仮存在としての本来ナイ肉体を乗馬として地上に生まれ出て来て、無限価値の創造と問題の解決という人生努力(修行)を積み重ねて霊魂進化(実相顕現)の無限の階梯を着実に登っていく。


聖経・『甘露の法雨』にある<物質の奥に肉体の奥に霊妙きわまりなき。存在あり。・・・汝自身の生命の實相を自覚せよ>!!

 どうして三代目・雅宣総裁はこの様な生長の家の御教えの真骨頂を説かず、空仏教の世界の説明だけで終らせて居るのでありましょうか?

察するに三代目・雅宣総裁は「理念」という言葉の霊的意味が判らないからでありましょう!

開祖・谷口雅春先生の御著書を肉体頭脳知による『今の教え』に活用する目的でのみ拾い読みするだけで深く霊読していないからであると思わざるを得ないのであります。






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