生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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3・1 マサノブ君は<「生長の家」の運動は変化したが、「教え」は変化していない>というが、「教え」自体も“唯神實相論”から“左翼唯物論”へと逆転しているのであります。ゆめゆめ騙されることなかれ!!<第七回>・<第八回>・<第九回> (3428)
日時:2014年03月08日 (土) 10時49分
名前:画龍点睛

合掌、ありがとうございます。
マサノブ君は、3月1日の「立教85年記念式典」に於いて、「生長の家」の運動は変化したが、「教え」は変化していない、と堂々と言ってのけたのでありますが、これは開祖・谷口雅春先生の『御教え』に余り詳しくはない信徒さんを騙すための彼独特の言い回しに過ぎないのであります。このまま見過ごしたままにして置きますと、マサノブ君の“説”がそのまま本来の「生長の家」の教えであると信じてしまう信徒さんも大勢いらっしゃいますので、どうしても「マサノブ教」は本来の『御教え』に非ずという事を申し上げておかなければならないと思った次第でございます。そこで、浅学菲才を顧みず、マサノブ君の誤りを正すために私の理解しているところを申し述べさせて頂きます。彼、マサノブ君は次のように語っているのであります。



///////////////////////////////////////////////



「唐松(枯れ松)模様」3月 1日 (土) = 真理宣布に自信をもって邁進しよう = (抜粋)

<<・・・このように、私たちの運動の仕方は変化しつつありますが、これは「教え」が変化しているのではないということを、私はずっと以前からいろいろな所で申し上げているところです。物事には、容れ物と中身があるのと同じように、宗教の教えにも形式と内容があります。それは、コメを食べるにもいろいろの方法があるのと同じです。日本ではそのままご飯として茶碗に入れて食べる。それも白飯で食べる時もあれば、玄米で食べたり、お茶漬けにしたり、おかゆにしたりします。また、寿司で食べたり、丼にしたり、お握りにしたりします。どれもコメを食べていることに変わりありません。ただ、食事をする時の状況に合わせて外観や容器を変えるのです。容器や形式は違っても、提供されるものは同じです。海外ではこれがさらに変化して、ドリアやピラフにしたり。パエリヤに使われたりします。宗教の外面的違いに左右されてはいけません。これは、私たち人間に「肉体」と「心」があるのと同じで、肉体的違いで人間を差別してはいけないのと同じです。このことは実に明白な事実なのですが、なぜかよく理解できずに、私たちの運動を批判する人がいるのは残念なことです。・・・>>



//////////////////////////////////////////////



[ Z ] 「マサノブ教」の教えは斯くのごとく変化した! = 侵略戦争観について @ =



開祖・谷口雅春先生の本来の『御教え』と「マサノブ教」との決定的な違いは、大東亜戦争を霊的真理の面から観るか、単なる現象中心の面から見るかという点にあるのであります。この点に於いて、マサノブ君は自称にしろ「生長の家」の『御教え』の後継者として決定的な過ちを犯しているのであります。それは彼の“侵略戦争観”なのであります。



@ <大東亜戦争は日本が起こした侵略戦争であってアメリカ(連合国)がこれを阻止して打ち破った。>これが「マサノブ教」の侵略戦争観であります。少し詳しく申し上げますと、――
イ、生長の家としては、日本で「大東亜戦争」と呼んでいた戦争を<正しい戦争>とは考えていない。(「信仰による平和の道」)

(注)「大東亜戦争」と<呼んでいた>のではなく当時の日本政府の正式決定呼称であり、戦後の「太平洋戦争」という呼称は占領軍層司令部(GHQ)による言論統制による強制使用が今日の一般呼称となったものであります。日本国民としてはこの事は是非知っておかねばなりません。これは極めて重要な事であります。


ロ、大東亜戦争は<迷い>であると自覚されたならば、あれは誤りであった・間違いであったと否定する(明らかに<侵略>であったと肯定する意)ことに躊躇してはならない。(「理想世界誌」・平成4年3月号)


ハ、大東亜戦争がその悲惨極まりない人間同士の極限的争いの過程で「人間同士が殺し合う事は、如何なる理由によっても正しくない」と教えてくれたからと言っても、それは神が大東亜戦争を起こして人類にその事を教え給うたのではない。人間の自らの<迷い>が引き起こした愚かなる行為を、人間の中にある神性・仏性が「偽りなり、偽りなり」と否定しているのである。(「理想世界誌」・平成4年3月号)


ニ、マサノブ君は、宇治別格本山の精霊招魂神社大祭祝詞の中から谷口雅春先生の「尽忠の精霊に告ぐるの詞」の重要部分をば削除したのであります。このコトバは、大東亜戦争は侵略戦争ではなく、摂理に基づく聖戦であったとの印象を与える故に不適切と考えたのでしょう。その削除されたコトバとは、−−

<< 「今や人類進化の一周期の終わりに臨み、すべての人類はその皮膚の色彩の相違に関わることなく平等の尊厳を快復し、平等の取り扱いを受け、その国土は独立し、万民平等の自由が確保せらるべき理想実現の時期が近づきたりしが、この理想実現のためには何れかの国の民族かが尊き犠牲となって、有色人種に<神の子>の実相を自覚せしめ、その独立精神を喚起せしめる天使たるの役割を演ずる必要ありしなり・・・」>>


ホ、 独断的に、安倍首相は二十数年ぶりに靖国神社を正式参拝した。中韓両国との関係がこれでさらに難しくなることは、明らかだ。アベノミクスに好意的だったアメリカでさえ、失望と不快感を表明した。しかし、同首相は「話せばわかる」という意味のことを言うだけである。また、「どんな国でも戦没者を尊敬し、礼節を尽くすのは当たり前だ」というのは分かるが、その「戦没者」の中に、戦争を起こし、植民地政策を遂行した張本人が含まれているということを無視し続けている。そんな施設に参拝して“礼節を尽くす”という行為が、海外から見れば戦争と植民地政策を正当化していることになるという簡単な外交的論理が、この首相にはまったく理解できないか、あるいは強引に無視することで国益が増進されるという奇妙な信念をもっているように見える。(平成24年12月31日「唐松模様」)



上記引用の如く、「マサノブ教」の教え(注、こんなものは「教え」と呼ぶには程遠いもの)は、現象の観点に立ったもので、現象の奥にある霊的観点に立ったものではないのであります。端的に言えば、GHQの日本解体計画である「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」としての戦後日教組教育の<東京裁判史観・戦争贖罪意識・自虐史観>によって洗脳教育された頭デッカチなマサノブ君の“単なる個人的考え”に過ぎないのであり、それを「生長の家ではカクカクシカジカと考えるのである」と独裁権力を振りかざして言っているに過ぎないことをわれわれ信徒は正しく認識しなければならないのであります。然らば、開祖・谷口雅春先生の「大東亜戦争観とはどういうものかといえば、――




A「本来の生長の家の御教え」における大東亜戦争について


<大東亜戦争は摂理として顕れた地上天国実現のための聖戦――これが大東亜戦争の実相であった。>これが開祖・谷口雅春先生による本来の正しい御教えであります。


イ、大東亜戦争は、現象以前の「心の世界(霊の世界)」においては避けることの出来ない出来事として出来上がってしまっていた。(「心の法則と平和への道の神示」)


ロ、「迷い」と「迷い」との自壊作用が戦争である。(「声字即実相の神示」)


ハ、摂理としての内部的動力が動き出すと、現象界には迷いと迷いと相搏って自壊するという形が現れ、その自壊作用を通して平和と光明とのみ充満する理想世界が現れる。(「梅の花の神示」)


ニ、大東亜戦争における<摂理の内部的動力>とは、「人類は霊的に互いに兄弟であるから有色人種の植民地の国々を民族自決によって独立せしめねばならぬ」という<理想>であり、大東亜民族解放のための戦いであった。そして日本はその開放のために一人十字架を背負って侵略国の汚名を着せられたのである。(「梅の花の神示」)


ホ、大東亜戦争は、日本的「無」の立場、禊的立場から見ると、宇宙大生命の神聖なる聖意の実相顕現に献身する戦いであったのであります。だからこそ<聖戦>といいうるのであります。故に今上陛下の愛深き大御心を以ってしてもその戦いを未発にとどめることが出来なかったのであります。(「碧巌録解釈・前編」)


ヘ、多くの人達は、戦争の悲惨な方面ばかり見て、その道徳的・宗教的意義を理解しない。肉体の無と大生命への帰一とが同時に完全融合して行われるところの最高行事が戦争なのである。戦争が地上に時々出てくるのは、地上に生まれた霊魂進化の一過程として、それが戦地へ赴くべき勇士達にとっては耐え得られるところの最高の宗教的行事であるからだと観じられる。これは、地球に生を享けた高級霊が地球を卒業して他の天体に生まれかわる最終段階としての霊魂進化の一過程なのであります。(「戦前版・生命の実相・第16巻」)


ト、第二次世界大戦において、多くの自己処罰も行われたが、多くは滅私奉公の尊い犠牲精神で神去りまして、高級天体へ移行した夥しい霊魂もあるのである。戦争はこうして人為と摂理と両方から起こるのであるから、人間がいくら努力して警戒して平和論を唱えても無くなるものではないのである。大東亜戦争は一方においては、<高級霊>が最後の滅私奉公の行動を通して、急激に霊魂の地上進化の最後の過程を終えて高級天体に移住する契機をつくったのである。(「神・真理を告げ給う」)


チ、戦争は、一人一人の自己処罰では足りない集団的自己処罰として起こる場合と、高級霊が「自己」を滅して「公」に殉ずるところの自己犠牲の行為を通して普通の生活状態では到底達し得ない急速度の霊魂の浄化を得んがために起こる場合があるが、たいていはその二つの原因が重複して起こるのである。

従って、戦争には<低い霊魂>が互いに処罰し合う残虐な悲惨な所業が各地で行われるのであるが、また他方には、純潔な<高級霊>が理想のために「公」のために自己を犠牲にして「私」を顧みない崇高な精神の発露が行われるのである。前者の残虐な悲惨な面だけを説く人もあるが、高級崇高な自己犠牲を行う<場>として戦場が選ばれたということを看過ごすのは片手落ちである。(「神・真理を告げ給う」)


リ、日本の国難を救わんとして献身を行った特攻隊その他の兵士達をすべて侵略に協力した者として攻撃する人もあるけれども、<結果>ばかりによって論ずべきではない。一粒の麦となって同胞愛のために生命を捨てんと挺身した兵士達をば十字架にかかったキリストのように傷ましくも仰ぎ見るのである。(「新生の書」)



このように、開祖・谷口雅春先生は、「唯神實相論」の観点から、霊的・哲学的に「大東亜戦争」なるもを説かれておられることが判るのであります。マサノブ君は「英霊」を貶め、開祖・谷口雅春先生は「英霊」の皆様たちを<一粒の麦となって同胞愛のために生命を捨てんと挺身した兵士達をば十字架にかかったキリストのように傷ましくも仰ぎ見るのである。>と深き愛情を持ってやさしく書かれ称揚せられているのであります。冷酷無慈悲なる左翼評論宗教家とのけざやかなる相違点であるとともに、かくも見事にマサノブ君は本来の『御教え』を改変してしまっているのであります。


(つづく)

<第八回> (3440)
日時:2014年03月09日 (日) 09時57分
名前:画龍点睛



[ [ ] 「マサノブ教」の教えは斯くのごとく変化した!
 
    = 侵略戦争観について A =


われわれ信徒は、開祖・谷口雅春先生の説かれた「大東亜戦争」の實相についての理解を深めるために更に以下の御文章に注目し、理解をしなければならないのであります。



@ 開祖・谷口雅春先生は「古事記と日本国の世界的使命」において・・・・

「歴史というものは一体何であるかといいますと、現象世界に実相が如何に投影し表現されて来るかという事のその現れ方、即ち実相が現れる場合の作用・反作用という風なものを追うて並べてゆくことによって、その民族に如何ように実相が現れ、実相が現れんとするに当たって、如何に反作用を起こし自壊作用を起こしたかを知り、それをずっと時間内に貫いて観て、そこに実相が如何なる相を以って現れるかを知る事によって大宇宙における日本国の位置およびその将来性を知り、現在自分が国家構成の一員として及び個人として如何に生くべきか、将来この世界は如何に発展して行くべきものであるかと言うことをはっきりさせるためのものが歴史の研究であります。ですから、歴史というものは、単に過去の記録を書いたという風なものではないのであって、生命の生々流動の流れの相、実相が現象界に貫いて出る時のそのままの相が書いてあるのであります。その相を見ることは自分自身の生命の相を見ることであり、宇宙の相をみることであり、宇宙が自分が今如何に生き抜いて、今如何に発展すべきかを知ることであります。」



A 開祖・谷口雅春先生は「古事記と日本国の世界的使命」において・・・・

「<古事記>を研究しますのも、単に過去にこういうことがあったと言う事であるとか、あるいは日本の古くからの言い伝えがこうであるとか、神話やお伽噺がこうであるとか、そういう死んだような動かない過去の記述や人の創作した物語を読むようなつもりで読んでいただいては間違いで、実相が迷いを通して輝き出るときの<波動紋理>というものを掴み出さなければならない。換言すれば、我々日本人が如何に実相を生き自壊作用を闘うて来たかということの記録がこの<古事記>に現れているのであります。」



B 開祖・谷口雅春先生は「報恩行についての神示講義」において・・・・

「世界の歴史的発展を指導する世界精神というものの流れの中にあって、日本はその為すべき役割を果たしたのであります。そしてこの戦争を契機としてアジア民族の新しい目覚めが生まれ、日本にもその他のアジア民族にも新たなる人生観が生じ、新しき社会制度が生まれて来る事になり、人類はだんだん進歩して行く事になりつつある訳であります。」・「その歴史的発展に要する事件のうちの一つでも抜いたら、こういう世界状態には成れなかったものである事を思いますと今までに起こったありと凡ゆるものは、みな必ずしも<悪い>といって排斥すべきものではないのであって、それがあったればこそ、こう言う事になれたのであると、そう感謝できる事になるのであります。」・
「だから、過去の歴史上の出来事に対して我々は不平を言ったり争いの心を起こしたりする必要は無いのであります。だから戦争責任を<軍閥が悪い>と軍閥に擦り付けることも間違いである。ある時代には軍閥もやはり必要であったのであって、これによってロシアが日本や朝鮮を植民地にすることを防ぎ得たのであります。」



C 開祖・谷口雅春先生は「報恩行についての神示講義」において更につづけて・・・・

「その真心を尽くすところの手段が如何に現れるかということは、その時代・その階級・その当時の民族の風習によるもので、異なる時代の我々から一概にそれを批判することは出来ない。「君臣一体の忠義感」がいかんものであると言うような考え方をするのは間違いであります。忠義というものは「君臣一体」の生命のムスビの上から解釈しなければ本当の意味は判らないので在ります。」



** 要は、後世の人間が自らの時代の価値観で以って、先祖の時代のことを一方的に批判してはいけない。歴史とは先祖の時代における自壊作用のよって実相がどのように現れてこようとしているかの過程そのものでその過程の上に立って後世があるのである。そしてそこから自分の生き方、現代の生き方を学び発展させて行く事が大切だということであります。


** マサノブ君は、「歴史から何を学ぶか」に於いて、「今までは、谷口雅春先生の説かれたことや教団の歴史にも真剣な反省や分析が出来ていなかったので、これからはどんどんとやって行きたい。今までなぜか知らないけれどタブーだった色々な事にも挑戦すべきです」と書いている。その挑戦の一つの大きなものが大東亜戦争観なのであります。



補足 : <日本は断じて侵略戦争を仕掛けたのでは無かった。断じて侵略国家ではなかった。>


その歴史上の事実・・・

@ アメリカは、日露戦争の日本の勝利を分析し脅威感を抱き、日本を将来の仮想敵国とした「オレンジ計画」を策定し、この政策に従ってその後の対日戦略を展開して行った。

A ルーズベルト大統領による緻密かつ狡知な演出(スチムソン米国陸軍長官の日記)
「如何にして日本を操り、我々の損害を少なくし、如何にして最初の一発を打たせるように仕向けるかが問題だ。とルーズベルト大統領は語った。」

B 連合軍総司令官であったダグラス・マッカーサー元帥の昭和26年5月3日アメリカ合衆国上院の軍事外交合同委員会での証言<大東亜戦争は日本の自衛戦争であった>
「日本は、絹産業以外には固有の産物は何も無いのです。彼らは綿が無い。羊毛が無い。石油の産出が無い。錫が無い。ゴムが無い。その他実に多くの原料が欠如している。そしてそれらの一切のものがアジアの海域には存在していたのです。もしこれらの原料の供給を断ち切られたら一千万から一千五百万人の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。従って彼らが戦争に飛び込んで行った動機は大部分が<安全保障>の必要に迫られての事だったのです。」

C これでもマサノブ君は「日本は侵略戦争をした」と信徒に説き続けるのでしょうか? 信徒の無知に付け込み、反日的日本人としていかにももっともらしく信徒の洗脳を続けるマサノブ君は絶対に許すべきではないのであります。以上述べ来った事柄についてマサノブ君は反論しようにも反論出来ないのであります。繰り返します! マサノブ君は、反日的日本人で日本がキライでキライでたまらないのであります。母国を貶め続ける獅子身中の虫であります。

(つづく)




<第九回> (3457)
日時:2014年03月10日 (月) 14時45分
名前:画龍点睛




[ \ ] 「マサノブ教」の教えは斯くのごとく変化した!

 = 日本建国の理想と精神について  =



この問題に関しても、マサノブ君は「自然」と言うものとムリヤリに結びつけて自己流の勝手な解釈を、“「生長の家」ではこう考える”と信徒を騙しているのであります。次の如くであります。



@  平成19年2月11日・本部の建国記念式典で、<<日本建国の精神とは、「神武不戦」の思想によって平和を実現すること、つまり、神意に従って八方の国が合意して平和を実現することであります。日本神話のもう一つの特徴は、神・自然・人間の三者が一体であるという日本人の感性である。自然は神の生命そのもの、故に日本人が神の御心に聴いて行動するとき、人間・神と本来一体である自然を破壊するなど考えない筈である。しかるに自然破壊の現象が起きていることは日本建国の理想に反する。戦前・戦中のように「六合兼都・八紘為宇」を独善的に解釈せず、多くの国々との合意を形成し、明るく自信を持って地球環境改善運動を進めていきましょう。(大意)>>


A 平成20年2月11日・本部の建国記念日祝賀式典において << 「神意に聴き、正しいことを素直に実行する。」という精神は、今の日本に一番欠けていることであります。「神意」とは「真理」であり、「神意に聴く」とは「真理に従う」ということです。これは即ち「本当のことを言う」ことでもあります。神意を正しく知り、それをコトバの力によって現わして行く我々の運動は日本建国の理想とも合致した正しい生き方であります。今後とも大いに真理宣布の活動に邁進し、ウソをつかない生き方を実践していきたいと思います。(大意)>>


(注)なお、一般信徒の人の感想(決意表明)が、インターネットで書き込まれていました。 「日本建国の理念の実現すなわち<中心帰一・六合兼都・八紘為宇・大和の心>と共に、日本国実相顕現による世界平和の実現のために実践して行こうと決意いたしました。」これに対してのマサノブ君の答えは「
ずいぶん古い言葉が出てきましたが、それぞれ貴方にとってどんな意味を持っているのでしょうか?「中心帰一・六合兼都・八紘為宇・大和の心と共に・・・」この言葉は、その意味次第では間違った方向を指すこともありますよ!」


B 平成25年2月11日・本部の建国記念日祝賀式典において << ある本に「日本の建国は世界に類例がないほど珍しく、古典に書かれた建国の理想は他国にない独特のものであるから、この理想を推し進めていけば、世界平和に貢献することができる」という意味のことが書いてありました。しかし、これは論理が混乱していて間違った考え方だと私は思います。特殊で、他に類例がないということ自体には、それほど価値はないのです。社会に受け入れられない特殊性や比類のなさは、かえって社会に有害です。わたしの考える建国の理想とは、➀神の御心に聞きしたがう、A自然との一体感を大切にする、そして、B武力行使をできるだけ控える、ということです。この理想は現在、生長の家が推し進めている“自然と共に伸びる運動”と大いに共通しているものですから、ぜひ皆さんは、この運動を進めていく過程で、日本建国の理想を正しく人々に伝え、子孫にも伝え、海外の人々にも伝えることによって、世界平和の実現に貢献していただきたいと切に念願するものであります。(大意)>>



** 以上の如きマサノブ君の「日本建国の理想と精神は、開祖・谷口雅春先生の説かれたものとは根本的に違っているものであります。どこが違っているのか? すべて現象中心の唯物論からの捉え方であります。本来の『御教え』は實相を中心とするものであります。マサノブ君は、「生命的国家論」・「理念としての日本国家」・「日本国の實相」・「天照大御神の御神勅」・「神武天皇即位建都の大詔」という最重要事項を完全に忌避してしまっているのであります。このことを語らずして「生長の家」の「日本建国の理想と精神は語ることは出来ないのであります。この点においてマサノブ君が「教え自体は少しも変っていない」と云ったことは完全な間違いなのであります。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



開祖・谷口雅春先生の説かれた「日本建国の理想と精神」の重要点は次の如きものであります。


@  << 大日本国体の尊厳無比、宇宙の実相と同体にして久遠無窮なる事実・・・大日本国家は因縁仮和合の国家ではない・・・私は『無』の門関を超えて、釈尊の指頭にある金波羅華が象徴する「実在」の荘厳無二組織完備の大日本国家を把握したのである>>(『無門関解釈』第六則「世尊拈花」の公案解釈P.70−72)

 
A <<金剛不壊の世界・蓮華蔵世界・・・私は此の世界を直接見たのである。直接触れたのである。絶対実在の絶対認識である。その絶対実在の世界は決して無常の『空』なる世界ではなく、金剛不壊にして、『実』なる世界なのである。>>(『驀進日本の心と力』P.133)


B 理念は現実に先立ち、理念は現象化する――天照御大神「天壌無窮の御神勅」と神武天皇「即位建都の大詔」
<< 日本国家は天津神すなわち天照大御神が発想せられて、その旨を公宣せられた。「豊葦原の千九百秋の瑞穂の国は、是れ我が子孫の王たるべき地なり。宜しくいまし皇孫ゆきて治らせ。さきくませ。宝祚の隆えまさんこと当に天壌とともに極まりなきものなり」という神勅に日本国の存在構図が示されているのである。 このアイディアが具体的に実現したのが神武天皇様が日本建国の理想「即位建都の大詔」として宣言せられた「上は乾霊の国を授け給いし徳に答え、下は即ち皇孫正に養い給いし心を弘めむ。しかし然して後に六合を兼ねて都を開き八紘をおおいて宇となさんこと亦可からずや」。ここには日本国家が群居せる住民の恣意によって自己防衛や生活擁護の便宜方便のために国家を形成したのではない事実が現れているのである。<多くのものを一つにまとめる>という「中心帰一」という天照大御神の御発想を基にして、日本の国土は発祥し、その国土の上に日本民族は発生し、神武天皇の<六合兼都・八紘為宇>という「即位建都の大詔」となって顕われ、その国の名が<やまと>すなわち<弥々多くまとまる>として顕われ、東西すべての文化を<弥々多く一つにまとめる>日本文化となって顕われるに至ったということである。>>(『国のいのち人のいのち』P.115−116)


C 国家は生命である。<< 有機的生命体は必ずその単位要素を結合するのに<理念的存在>が先行優先する。生命体である国家も国家形成の単位要素たる国民(国民個人)に先行してその国それぞれの特徴ある国家理念が存在し、その国家理念によって国民が統合せられてそれぞれの特徴ある国家形態が成立する。>>(「憲法の正しい理解」P31−32)

<< 普通、国家というものは、主権・領土・国民の三要素が渾然と調和して一体となったものと言われている。領土の上に国民の集まった集団があっても、その集団を統率し総覧する<主権>が無ければ<国家>と称することも認めることも出来ないのである。それは肉体があり細胞の集団があっても全体を統率し総覧するところの<生命・霊魂>が無ければ、それは生きた人間だと言う事が出来ないのと同じである。そして死物や無機物や無生物に<主権>が存在することはないから、国に<主権>が存在すると言うことは国が生命体であることを現しているのである。>>(「国のいのち・人のいのち」P.55−56)


D 神意の具現として実現した天皇国・日本 << 宇宙には色々のアイディアあり。そのアイディアの中で特に「中心帰一理念」を日本民族という人々が、特に著しく持っていた為に、そのアイディアの波長に共鳴して天皇中心国家・日本が顕現したのである。・・・まことに日本国が天皇中心国家であると言う事は、人間の<はからい>によるのではなく、日本民族の生まれつきの性向が神意を受像して実現した国家形態であるから誠に尊い極みであるという他はない。>>「国のいのち・人のいのち」



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日本建国の精神とその理想について「マサノブ教」と「本来の正しき生長の家」の教えの内容をこのように並べて読んでみると霊的な意味において大きな落差が感じられる。



@「マサノブ教」では

イ、日本国家が、霊的・形而上的に「現象顕現の法則」という公理に照らして発生し形成されて来たかの説明はない。

ロ、神武天皇の建国の精神の説明はあるが、天照大御神様の「天壌無窮の御神勅」には何ら触れていない。

ハ、神武天皇の建国の御詔勅である「六合兼都・八紘為宇」の世界連邦思想の考え方も民族を超え・国家を超えた世界ワンワールド国家・世界市民思想へと連想がつながり、神・自然・人間の一体感が日本神話の精神であるから、地球環境回復保全運動は、まさに時代即応のものである。と説明されている。

ニ、日本の国家理念の素晴らしさ・日本人としての誇り・日本民族の自覚が持てず、本当の正しい愛国心も育たない。しかし、このことは、マサノブ君にとっては、むしろこれからの日本と世界人類にとっては好ましいことになるのであります。



A これに対して、開祖・谷口雅春先生の「本当の正しい生長の家の御教え」によると

 イ、「現象顕現の公理」に照らすとき、日本国家は宇宙の天皇中心の国家アイディアを受信して、宇宙意志を体現して出来上がって来たのであります。この「日本国家形成の原理」が<理念とその現象化>というものを中心(理念の天降り)として説かれているのであります。

 ロ、日本国家の国家理念(国柄)については、天照大御神様の「天壌無窮の御神勅」と神武天皇様の日本建国の御詔勅である「六合兼都・八紘為宇」という二大国家理念が完璧に説かれているのであります。

 ハ、この事から、日本国実相顕現・大日本真理国家の建設を通しての真の世界平和の実現という順序が、確かな道筋であることが判るのであります。

ニ、依って、日本国に生まれた日本人・日本国民としての歓びと誇りが醸成されるのであります。 
      


** 但し、注意すべき事柄があります。谷口雅春先生の御著書を数多く全相にわたって深く読んでいない人の中には、時として「日本民族選民思想・日本国家絶対独尊思想」に陥ってしまう人があります。・白鳩会総裁のジュンコ君もその一人で、彼女は熱心な青年会時代にこのような思想に陥ったことを告白しています。(「歴史から何を学ぶか」参照)。こうした彼女の自分の体験から<聖典・教典は理性を以って読まなければならぬ、無批判に盲信してはならぬ>という文章を書いたものと思われるのであります。



白鳩総裁ジュンコ君は、谷口雅春先生の御教えを間違って把握し、さらに“真理”よりも“理性”を強調するのも谷口雅春先生の御著書を全相に亘って深く深く読んでおらなかった為でありましょう。そのような偏った考えに陥らない為にも「生命の実相」を出きるだけ多く繰り返し繰り返して読み、かつ「神想観」を毎日必ず続ける習慣をつけることが大切であります。



** 日本国家の生命の実相」に穿ち入るには!

「生命の実相」第4巻・生命篇下巻<生命円相の真理>はじめの御文章・・・

<<・・・人の生命の実相に穿ち入るには、これを霊的に理会することが必要であります。頭で真理を理会するということは、真理の周囲をどうどう巡りして真理の外的なすがたを知るにすぎませんが、霊的に真理を理会するということは、「生命」の実相そのものに全身全霊をもって貫き入り、力の本源をつかむことになります。全身全霊をもって、生命の実相に貫き入るには、この書を頭で読もうとせず、全身全霊で読む、黙読する、朗読する、目で読み、声で読み、声のリズムの中に自分を溶かし込んで読む、端坐して「神想観」を行じ、行じ終わって動き出すとき神(愛)の生活を生きる。かくする時、知恵と愛とのそろった生活が実現するのであります。>>


(つづく)






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