生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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マサノブ氏お得意の「観念の遊戯」 (26) |
- 日時:2013年02月18日 (月) 10時24分
名前:サーチャー
光明掲示板にて中村晃生氏に『マサノブ氏お得意の「観念の遊戯」』・・と指摘されると、初心者氏が『「観念の遊戯」発言は、本流ではなく、本流によって高く評価されている人物の発言です。わたしも、この人物の発言ということで重く受け取っています』・・と、<観念の遊戯>というコトバを意識しているのであります。
それでも、初心者氏は『観念の遊戯?けっこうではないですか。揚げ足取りと人格批判にあけくれるだけが人生ではありますまい』・・と開き直っているのです。
マサノブ氏と中村晃生氏の人間関係を、初心者氏がそのままに受け継いで、『わたしも、この人物の発言ということで重く受け取っています』・・と述べているあたり、この匂い(初心者=マサノブ)を感じていただきたいものです。
<傍流掲示板(「まじめな話」の板)> ======================================== 414 :初心者:2013/02/05(火) 23:20:14 現象世界は実相人間の共同幻想なのか自己幻想なのか。どうですかみなさま、なかなかに観念的なよい問いかけではありませぬか。
観念の遊戯?けっこうではないですか。揚げ足取りと人格批判にあけくれるだけが人生ではありますまい。 ========================================
<傍流掲示板(「まじめな話」の板)> ======================================== 461 :初心者:2013/02/08(金) 09:58:10 訊け様 「観念の遊戯」発言は、本流ではなく、本流によって高く評価されている人物の発言です。わたしも、この人物(中村晃生氏)の発言ということで重く受け取っています。
いずれにしても、「実相人間は迷わない、迷ったフリもしない」という発言は、生長の家にとってはもろ刃のつるぎにもなりかねない重要な発言であるという気がいたしております。 ========================================
<光明掲示板> ======================================== 大自然賛歌経批判C (6086) 日時:2013年01月30日 (水) 10時49分 名前:中村晃生 <前略> 「人間の集合的無意識の中の」「自然に対する愛と憎悪のコンプレックス」を「解消し、昇華するために」、日常的に「神―人間―自然」の大調和を心に強く描く必要性を説くところまでは、マサノブ氏の独自の論理としてなら理解できるが、なぜそれが突然に「自然と人間は神において一体」となるのか?これが全く理解できないのである。
彼の言う「自然」は、あくまでも抽象概念である。賛歌経の中にでてくるように、この詩の中の「自然」の概念には、無数の動植物、さらには微生物など、その様相は無限とも言え、それに山、海、川、砂漠に至るまであらゆる存在、事象を含んでいる。それとどのようにして「大調和」するのか?
「四無量心」ですか?これは「慈悲喜捨」の仏の心のことだが、それも具体的な人的対象があって初めて実践、体得しうるもので、決して「自然」という抽象概念に対しては行えない。マサノブ氏お得意の「観念の遊戯」としてはあり得ても、実際の信仰にはなりえないのだ。 ========================================
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初心者(マサノブ)氏の使う 「偉そうな用語」 (115) |
- 日時:2013年02月21日 (木) 23時39分
名前:サーチャー
初心者氏の文面には、下記のような用語が 踊って いるのであります。
これらを的確に説明できる人はいるのでしょうか?
だから『観念の遊戯』・・と言われるのです!!
================================ ・プラトンのイデア論 ・パルメニデスが説く分割不可能な全体性としての永遠不滅の世界 ・ヘラクレイトスが説く生々流転する世界 ・ゼノンのパラドックス ・ロゴス中心主義 ・ロゴスとソフィアの違い ・差異こそがロゴス ・コノテーション ・ひも理論 ・ホログラフィック理論 ・ソシュールの言語学 ・ミンデル ・ラージX(大文字のX) ・Dブレーン的仕組み ・マルチバースといわれる宇宙 ・固体の實相世界 ・本物の宇宙 ・真実の世界は流体である ================================
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はたして (116) |
- 日時:2013年02月22日 (金) 00時06分
名前:神の子A
はたして、自分自身、その言葉の意味を理解して使っているのでしょうかねぇ〜?
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全部を理解してるはずなんて、誰が信じます? (185) |
- 日時:2013年02月25日 (月) 00時31分
名前:サーチャー
マサノブ氏は、こんなコトバを連発することで相手を怯(ひる)ますだけなのです、偉そうに・・・
『ひも理論』なんて、只今勉強中みたいなこと言ってましたよ。
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雪だるまはニセモノですか、それともホンモノ? (214) |
- 日時:2013年02月26日 (火) 18時27分
名前:サーチャー
『雪だるまはニセモノですか、それともホンモノ?』
“雪だるま”を見ても、“本物or偽物”と <観念の遊戯> ができるのですね?
生長の家総裁 facebook 平成25年2月26日 ======================================== 今日の絵手紙:雪だるま。今年の冬(または早春)は、北半球を通じて大雪と雪嵐が吹き荒れました。そこで絵手紙にも雪だるまが登場しても悪くない……と思いました。ところで、雪だるまはニセモノですか、それともホンモノ? ========================================
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マサノブ教の最終章 (283) |
- 日時:2013年03月03日 (日) 02時15分
名前:サーチャー
<マサノブ教の最終章>・・・イイ表現ですね!!
マサノブ氏の最後の 大賭け でしょうか?
“教化部の数を減らし”、“職員数も削減し”、”森の中にヒキコモリ”、組織全体の<縮小均衡>を図り、習い事(絵手紙や芸事)や、ノーミート料理教室や、パソコン教室に精を出すのでしょう。
マサノブ氏ご本人は、今度は逆に 東京の快適な場所 に <別宅> を構え、パソコンを駆使して、ブログを利用し、マサノブ氏お得意の「観念の遊戯」に耽るのです。
純子奥様は、“英会話”や“万葉集”のお勉強もできますよね・・・
<光明掲示板> ======================================== 森に行く事は終わりの始まり (6642) 日時:2013年02月22日 (金) 10時33分 名前:中村晃生
私は実は、「マサノブ教の最終章」が、八ケ岳移転つまり「森に行く」ことの本当の意味だと考えています。
よく言われる「終わりの始まり」が、今年10月から始まると思うのです。 ========================================
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「太陽がいっぱい」から始まる連想ゲーム (351) |
- 日時:2013年03月06日 (水) 23時53分
名前:サーチャー
中村晃生氏は、『>生命源の近くに住み、そこで働くことで、人間本来の神性・仏性の自覚が深まる<のでしょうか? だとすれば大いに結構なことですが、それは実際には、マサノブ氏の勝手な思い込み、そして「観念論」であることは、ちょっと考えれば分かります。』・・と警鐘を鳴らされております。
<光明掲示板> ======================================== 森のオフィス批判F (6930) 日時:2013年03月06日 (水) 10時45分 名前:中村晃生
<「太陽がいっぱい」から始まる連想ゲームが、その理由?> (前略)
私の考えでは、「人間本来の神性・仏性の自覚を深める」ためには、実生活における修行、つまり「信仰を深める」以外にはありません。だからこそ私たちは真剣になって「生命の実相」を読み、神想観に打ち込むしかない――と、思うのですがいかがでしょう、皆さん。
太陽が万物の生育にとって大事であることは事実です。だからといってそれから「太陽エネルギー」→「生命源」→「神性・仏性の自覚」→「他から奪わない・自然と共存する文明」→「人類の使命」とそこまで、「論理の連想ゲーム」をドンドンやって、移転の理由を大きく飛躍させ、導き出していいものでしょうか?「連想ゲーム」は、出発点の「太陽エネルギーが豊富にあることが、」「人間の神性・仏性の自覚を深める」ことになる、が間違っていれば、その先も必ず間違うのです。マサノブ氏のこの一方的な飛躍した論理には、全く驚くほかありません。少なくとも多くの信徒に影響を与え、職員たちを森の中へ強引に引っ張って行こうといのですから、もう少し慎重に、物事を検証した上で議論を進めてゆくのが、総裁たるものの責任ではないでしょうか?
こうした「論理の連想ゲーム」「論理の大飛躍」の中に、マサノブ氏特有の「まやかし」が存在するといって良いでしょう。我々は、このような論理に騙されないようにしなければなりません。
最近のマサノブ氏は、代表者会議のあいさつなどで、しきりに「新たな文明の創出」を訴えているという話を聞きますが、実際は「森に行く」ことは、そのような「新たな文明の創出」などといった大それたものではなく、そのベースにはこのような「ヒキコ森」に行くことをきっかけにした、彼一流の「論理の連想ゲーム」に基づく「大飛躍した観念論」が存在するだけのことなのです。 ========================================
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マサノブ氏一流の左翼的「観念の遊戯」 (437) |
- 日時:2013年03月13日 (水) 13時12分
名前:サーチャー
中村晃生氏は、<マサノブ氏の主張する「第三の選択肢」のはらむ危険性と「異常性」>について述べ、『でも、考えてみればこの論理は、左翼が好んで良く使う「無抵抗主義」の変形とも言えます。昔、社会党全盛時代に流行った「非武装中立論」です。「平和憲法さえ守っていれば、敵国から侵略されない」といった「幻想に過ぎない」ありえない論理と軌を一にしています。つまり、マサノブ氏一流の左翼的「観念の遊戯」に過ぎないのです』・・と論破しております。
<光明掲示板> ======================================== 森のオフィス批判I(7094) 日時:2013年03月13日 (水) 07時17分 名前:中村晃生
<マサノブ氏の主張する「第三の選択肢」のはらむ危険性と「異常性」>
マサノブ氏は、マサノブ教の目指す方向として「自然と共に伸びる」ことを指導方針としています。でも私が何度も指摘しているように、では具体的に「自然と共に伸びる」とはどういうことかについては、余り明確にはしておりません。
だがマサノブ氏は、この本の中で >我々はむしろ「木を植える」ことで豊かになる生活を実現したい。森の中でそういう仕事をしていたら、映画館や劇場に行けない、レストランに行けない、本屋にもゆけない、アレもできない、コレもできない、ということになる。そういうことが「自然に譲る」ことの意味だと思います。< と、彼は植林して「自然に譲る」生活の必要性を強調するのです。またその1例として面白い例え話をしています。
>(P20)「ハチが来た!」となると、都会では急いでスーパーへ行って殺虫剤を買ってきて、シューとかけるでしょう。しかし、それでは“自然と一体“ではない。ハチを殺すのでもなく、ハチから逃げるのでもない”第三の選択肢“を考えなくてはならない。そのときに、人間としてのそれまでの立場が問題になる。自然から奪うだけでなく、ある程度は「譲る」という生き方にならなければなりません。これだけは自然からいただくけれども、この部分は自然に譲り、また与えなければならない・・私はこれからの時代は、人間が自然にして少し遠慮して“譲る気持”にならなければならないと思います。<
一見、非常に「立派な」心がけのように読めるのですが、良く考えると「トンでもない」ことを書いています。ちなみにハチがやってきて「殺すでもない逃げるでもない」第三の選択肢をとったらどうなるのか――結論は、明白です。そうです。ハチに刺されるしかないのです。そんなことも分からないで、「第三の選択肢」などと偉そうなことを書かないで欲しいものです。純粋で信じやすい一般の信徒さんたちは、何か実際に良い「第三の選択肢」があるのかと勘違いするではありませんか!
でも、考えてみればこの論理は、左翼が好んで良く使う「無抵抗主義」の変形とも言えます。昔、社会党全盛時代に流行った「非武装中立論」です。「平和憲法さえ守っていれば、敵国から侵略されない」といった「幻想に過ぎない」ありえない論理と軌を一にしています。つまり、マサノブ氏一流の左翼的「観念の遊戯」に過ぎないのです。
実際にハチが来れば、無抵抗のまま刺される必要はありません。その場から逃げるか、殺虫剤を堂々と散布すれば良いのです。このような非現実的な「第三の選択肢」を唱えるマサノブ氏は、ご自分ではどうなさるのでしょう?その“第三の選択肢”とやらを是非聞きたいものです。
でもマサノブさん、こんな「観念論」を振り回して、批判精神が麻痺してしまった高齢の信徒さんたちを惑わしてはいけませんよ!ホントに。また彼は、「他から奪わない」ことを非常に強調しています。つまり、収奪する、あるいは収奪されることに非常に敏感なのです。これは階級闘争史観を持つ唯物論者に共通して見られる傾向です。この本の中にも「他からできるだけ奪わない生活」を強調し、「自然と共に伸びる」生活を推奨しています。
ただここで気になるのが、さっきのハチの問題と一緒です。
>(P136)公園の特徴は、都市と同じく「人間の生活にとって不利なものをできるだけ排除している」ことだ。もっと具体的に言えば、カやブユやハチなどの発生源となってはならず、その他の“害虫”や“害獣”がいれば駆除されるべき場所である。そういう空間を拡げたり、増やしてゆくことは、「自然と共に伸びる」ことには必ずしもならない<
と、述べていることです。なぜ「害虫」や「害獣」を排除してはならないのでしょう?そこらへんの感覚が、私には全く持って理解できないのです。実際、「害虫」や「害獣」が発生しても「自然と共に伸びる」八ケ岳教団では、それを放置したままにするのでしょうか?そんなバカなことをすれば、おそらくは八ケ岳教団は、「害人」集団として周辺の人々から「駆除される」運命になるのではないか、と心配しています。
最近のマサノブ氏は、国歌斉唱の時に一人だけ尻を向けるなどといった「異常な行動」が報告されていますが、「異常な行動」は貴方だけでよろしい。イエスマンだらけの八ケ岳教団をも、自分と同じ「異常な行動」に引き込まないで下さい。 ========================================
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マサノブ氏講演会の実態 (504) |
- 日時:2013年03月17日 (日) 21時04分
名前:サーチャー
<光明掲示板> ======================================== マサノブ氏講演会の実態 (2541) 日時:2012年10月17日 (水) 10時12分 名前:中村晃生
最近、面白い話を聞いた。生長の家教団を長く離れていたある人が、「法灯継承者」と称するマサノブ氏の口から「縦の真理」の話を聞きたいと思い、1昨年夏から一年半にわたって、各地のマサノブ氏の講演会を聞くオッカケをしたと言う。彼は雅春先生の国家観に共鳴していたため、そうした話が、「法灯継承者」なら聞けるものと期待して、わざわざ高い金を支払って(旅費や宿泊費も含めると数十万円にのぼったらしい)追っかけたわけだ。 しかし、どの会場に行っても、一言半句も国の話や天皇の話が聞けなかったというのだ。マサノブ氏の口から出るのは、初歩的な「横の真理」の話ばかり。「横の話ばかりで、縦の話は全くゼロ。これでは生長の家にならない。人をバカにしている。金を返せ」と言って憤っていました。 また、会場でマサノブ氏は神想観の実習をすることはするのだが、「その時間は、わずか2,3分。申し訳程度にチョロッとやるだけで、すぐ終わってしまう。雅春先生の時にはジックリ30分はやっていたのに」と嘆いていた。これでは、自称法灯継承者に対し「信仰心無し」と信徒たちから批判が出ても仕方ないだろう。 この人の話の面白い所は、各地の講習会を回って聞いているため、マアノブ氏の講習の「実態」が分かること。 普通の人間だと、せいぜい何年かに一回聞く程度だろうから、つまらない話でも「仕方が無いな。まあ、こんなもんだろう」で終わるのだが、この人は各地で聞いているので、実際にマサノブ氏が心理学の初歩的な話とか、環境の話の「仕方の無い話しかできない」ことが明らかになったということだ。 ちなみに私も数年前に熱心な信徒さんから「中村さんの選挙を応援した人たちも多いから」と言われ、お付き合いで券を買って、福岡の講習会に参加したことがあった。しかし、マサノブ氏がパソコンを持ち出していつもの「仕方の無い」氷山の話をし始めたため、そそくさと会場を出てしまった。 ========================================
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「実相・現象」二元論を前提とした論 (539) |
- 日時:2013年03月19日 (火) 22時47分
名前:サーチャー
<生長の家“本流宣言”掲示板> ======================================== 谷口雅宣総裁に浄心行のお勧め。 (2858) 日時:2011年06月18日 (土) 22時23分 名前:雅宣といふ字を見ると不快感を覚える者
実相の雅宣先生ありがたうございます。
昨年秋に、知人が『歴史から何を学ぶか。平成15年度・生長の家教習会の記録。谷口雅宣監修』のコピーを送って下さいました。それは丸ごと一冊のコピーではなく、「まとめの講話。谷口雅宣」(70ページから79ページ)のコピーですが、一読して驚き呆れました。
これは「高慢・祖国憎悪・頭の悪さ」の固まりのやうな文章です。
(中略)
それから、雅宣氏は「生長の家の運動は現象だ」と、繰り返し語っています。しかし、生長の家の運動は実相の展開であって現象ではありません。だからこそ原爆の真下にゐても傷も負わず放射能後遺症にもかからなかった奇跡が複数起きたのです。
と言ふよりも、もともと究極的には「現象はない。実相しか存在しないのだ」といふ信仰が生長の家の信仰であるのに、「物質や現象を否定する」ことが怖くてできない(あるいは理解できない)雅宣総裁は、いつまでたっても「実相・現象」二元論を前提とした論を展開してゐます。
雅宣総裁にとっての「神」や「実相」は、理論上の単なる装置にすぎません。本心から信じてゐるのでなく、求めてゐるのでもありません。
その程度の信仰(?)でゐるから、夫婦そろって悩める人の病気ひとつ治せないのです。信者のすばらしい体験談を冷たく扱ふのです。
また、雅宣氏は、生長の家の運動も「完全ではありえない」と断言してゐますが、原爆投下の当時、雅春先生も誰も予想してゐなかった上記の奇跡が続出したといふことは、雅宣氏が言う「完全」以上の結果を雅春先生の時の運動が引き出したのだと言ふべきです。
それに対して、雅宣氏が率ゐる今の運動が「完全」以上の奇跡を引き出すことができるのでせうか。森の住民たちから、「オ○ム真理教」と同レベルで見られてゐるだけではありませんか。
まして、雅宣氏が雅春先生の「不完全」を見つけて改革するのだなどという高慢な意見に対しては、嗤ひながらかう言ふしかありません。
「世の中には改革が、改悪に終わることもあるのだ。貴方はなぜ自分が雅春先生の不完全を超える者だと偉さうに言へるのか。人一人救ふこともできず、部下たちを病気にしただけのくせに。」と。
そもそも『完全』といふ形而上学的用語を振り回したら、イエス・キリストもお釈迦様も、みな欠点所有者になってしまひます。雅宣氏はそれを知ってゐて、雅春先生をレベルダウンさせるために『完全』を振り回してゐるのです。極めて軽薄な知性です。 ========================================
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誰も理解出来ない「崇高な理想」・・? (1545) |
- 日時:2013年07月16日 (火) 23時31分
名前:サーチャー
<トキ掲示板(本流対策室/5)> ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 1971 :トキ:2013/07/16(火) 22:53:32 ID:csJKRmmg
これは、個人的な考えですが、谷口雅宣先生は、自分なりに思索をして、人類のすすむべき方向は、自然との調和である、という 結論に達したと思うのです。おそらく、谷口雅春先生のお考えとも矛盾はしないと思います。すると、何故、こんな失敗ばかりする のか、という疑問が生じますが、理想が高く、正しいだけに、その理想を絶対視し譲らない、という事になるのだと思います。
極端な話、親や兄弟でも、人類の理想実現のためには、切り捨てる、という気持ちはあるのでしょう。おそらく、ご本人の脳裏には すごく崇高な理想が展開しているのですが、問題は誰もそれを理解できない、という事だと思います。周囲の側近は、口では総裁の 理想を褒めた絶えますが、現実には、理解したふりをしているだけなのは明白です。私がこんな事を言うのはおかしいですが、それ なら、教団を飛び出した人達のほうが正直だと言えるでしょう。
私個人としては、総裁が批判されるべき点は、目的の崇高さにだけ幻惑され、現実というものを全く見ていない、という事なので す。昔、ミルトン・フリードマン(ノーベル経済学賞受賞)が、講演で、『論理の間違っている事は、目的の間違っている事よりも 悪い事なのです」と発言していましたが、現在の生長の家教団では、負のフィードバックというものが全然働かない世界です。失礼 ですが、ジョージ・オーエルの「1984」の世界みたいです。
さらに言うのなら、鎮護国家の除外と『新経本」は、私でも援護できないし、するつもりはありません。
今あえて言うと、生長の家という組織は世間様に何かものを言える資格があるとは思えないです。高い理想を説いて世界を導くと いう前に、先ず、自らが行いをただし、『大調和」を実現すべきだと思います。そうしない限り、崇高な理想をとくだけに、逆に 聞いた人はシラケる、という結果になるでしょう。
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