生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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『神ひとに語り給ふ』が絶版にされた理由 (301)
日時:2013年03月03日 (日) 23時13分
名前:エヴァ13の使徒

『神ひとに語り給ふ』が絶版にされた理由

『神ひとに語り給ふ』の絶版は、下記の293項の「大東亜戦争の意義」が雅宣総裁のお気に召さない内容だったからだと言われています。



 大東亜戦争の意義

 大東亜戦争なんかも、ただ一概にあれは悪い悪いという人がありますけれども、あの戦争は歴史的流れに於いて、アジアに対する白人帝国主義の侵略に対するアジア民族の抵抗のあらわれとして起こるべくして起こったのであり、日本が有色民族の代表として白人帝国主義の侵略に抵抗することがなかったならば大東亜の諸民族は現在も白人種の奴隷であり、またその土地は植民地にされたままであった。日本が米英和蘭等に対して戦ったお陰でアジアの諸民族は白人帝国主義の桎梏を脱することができたのです。だから、アジアの諸民族は、日本のあの戦争努力に対して、ありがとうございますとお礼を言っても差し支えないのであります。人あるいは、日本も帝国主義で満州や朝鮮を侵略したではないかと言うかもしれないけれども、ロシア勢力の南下に対して、日本が朝鮮に進出し、満州に防衛地域を築いておかなければ、今頃、日本は地図の上から消えてしまっていたのであって、日露戦争は、中国の領土に南下進出していたロシアを叩いて、そのロシアの勢力圏を日本の勢力圏にしたのであり、しかも、日本は満州を自己の領土にしないで、其処に五族協和の理想のモデル国家として満州国を建設したのであります。それはロシアの勢力の南下を食い止める為に必要な措置であって、中国が目覚めるまでは、日本が代って中国の防衛にあたらなければならなかったのです。

 私は別に戦争を謳歌するというわけぢゃないのですけれども、起こるべくして起こっているものを、日本民族の侵略だと言うのは間違いなのであります。

 どんな逆境と言うものでも、皆人類の魂をみがく為に出てくる所の一つの学校であるという私は常々話しているのでありますが、そうすると、ロシアの南下、ロシアの満州・朝鮮への進出、日本の反撃、日露戦争、日本の戦勝、ロシアの勢力地域への日本の進出、日本の勝利による有色民族の目覚め、中国民族の目覚め、日本と目覚めた中国との衝突、日本の進出に対するアメリカの嫉妬、アメリカの中国への援助、アメリカの援助を断ち切るための真珠湾爆撃――こういうふうに順序を並べてみると、あの戦争は有色民族の目覚めの為にも、日本の尚一層の目覚めの為にも必要であったのであり、あの戦争がもし無かったならば、こんなに日本人の個人の尊厳についての考え方がこんなにもパッと変わるという事は出来なかったにちがいないのです。

 併し急激な変わり方には、悪い方面も出ているけれども、それは自壊作用というものであって、それは病気が治る時には、熱が出たり、悪いものが出る為に下痢したり、色々悪い面が出て、そしてそれが徐々に潔まって、完全な健康体に復するというのと同じ働きなのであります。歴史はマルクス言って居るように、弁証法的発展をするのであって、今までの「歴史的生命としての人間」の自覚の反動として、歴史を否定し、ただ「個」としての人間のみの自覚を強調する時代に日本は突入しているのでありますが、これも行き過ぎであって、「個」の尊厳に目覚めながら「歴史的生命としての人間」にも目覚め、「個」と「民族」と「歴史的国家」との一体としての人間に目覚めるべき時がきていると思うのであります。



皆さま、この文章を読んでどのようにお感じになられましたでしょうか?
雅宣総裁は「大東亜戦争は日本の侵略戦争ではない」と言うのが気に入らないのです。
そして、結びの、

>「個」の尊厳に目覚めながら「歴史的生命としての人間」にも目覚め、「個」と「民族」と「歴史的国家」との一体としての人間に目覚めるべき時がきていると思うのであります。

と言うのも理解できないようです。

1年ほど前、ロシア人の方と知り合いになったのですが、彼が言うには「満州事変までは満州はロシアのものであった」と言っておりました。
この事実は雅春先生の歴史の事実確認が的確なものであったことを表しています。






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