生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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「生長の家」関連掲示板での“哲学論争”まがいのものは、果たして必要なのか? 「初心者」=「曳馬野」=「身分いやしきもの」=マサノブ君の投稿は信徒攪乱がその目的である!! (3680)
日時:2014年04月01日 (火) 15時21分
名前:画龍点睛



合掌、ありがとうございます。
このところ、「初心者」=「曳馬野」=マサノブ君は、尋常の域を超えた支離滅裂な開祖・谷口雅春先生の『御教え』攻撃を、哲学論争まがいの投稿で連日行なっております。「生長の家」と言う文字を使って設置した管理人氏が明らかに信徒である掲示板で、書き込み自由のお墨付きを悪用して、開祖・谷口雅春先生とその『御教え』を否定するようなものは不必要であります。それも一般信徒にとっては難解な哲学用語を使って、コレデモカ、コレデモカと言わんばかりに、挑戦的に書きまくる「初心者」=「曳馬野」=マサノブ君の神経は異常だと言わなければなりません。この様な“反・生長の家”投稿文は信徒が管理人である「生長の家」と言う名前を冠した掲示板からは徹底的に閉め出さねばなりません。そうでなければ、信徒である管理人氏もまた「生長の家」の解体に加担している影武者であると非難されても仕方がないのであります。その理由を申し上げます。



@ 「生長の家」信徒であるならば、必ず心得ておかなければならない開祖・谷口雅春先生の言葉があります。この御言葉は講習会で話されたことでありまして、今でもハッキリと私の耳朶に残っている言葉であります。

<< 信徒のみなさんの中には、時々“「生命の實相」研究会”というようなものを作って“研究する”方が居られますが、「生長の家」の教えは既に完成済みなのでありまして、研究する余地などはないのであります。既に完成ズミでありますから、後は“実践”あるのみであります。>>

この御言葉は肉体としての雅春先生のコトバではなく、神様が雅春先生のお口を通して信徒に伝えられた神様の御言葉であります。神様の御言葉でありますから、われわれ信徒は素直にハイとお受けしなければ生長の家の信徒とはいえないのであります。又、このお言葉は神様の御言葉であると“實相の我”が全面的に首肯して受け入れているのを、正常な信徒であるならば気付くものであります。



A 一般的に言って“掲示板”というものは、不特定多数の全世界の人々が閲覧できるものであります。したがって「生長の家」と言う文字を入れた、そして管理人が信徒である生長の家関連の掲示板に於いては、自ずからその掲示内容には暗黙の了解があります。

イ、 管理人が信徒である「生長の家掲示板」は、言うなれば会社や団体の不特定多数の人たちを相手とする宣伝媒体です。そこに、自分の会社や団体の批判や反対意見などは書かないのが鉄則であることくらい常識人なら判ることであります。この鉄則を無視して、敢えて開祖・谷口雅春先生と『御教え』批判を書き連ねているのが「初信者」=「曳き馬」=「身分いやしきもの」=マサノブ君であります。当然彼らは「生長の家関連掲示板」から追放処分を受けても文句は言えないのであります。

ロ、 「生長の家関連掲示板」の役割は、世の中の不特定多数の人たちに、開祖・谷口雅春先生の思想である『御教え』(真理の実証である体験談を含めて)をお伝えする事にあります。いくら憲法の思想信条の自由や表現の自由があるからといって『御教え』否定発言を述べたり、反対意見を述べたり、不必要な問答戦に誘導する自由などはないのであります。この当然すぎる論理を、「初心者」=「曳き馬」=「身分いやしきもの」=マサノブ君は無視しているのであります。何故無視して、難解な哲学用語の意味が判らない一般信徒に敢えて挑戦して来ているのか、この答えは、開祖・谷口雅春先生を否定し、その『御教え』を地上から抹殺せんがためであります。従って、「初心者」=「曳き馬」=「身分いやしきもの」=マサノブ君が反対意見や哲学論争を開陳したければ、全く別の「生長の家」の名前の入っていない掲示板を作ってそこで大いに反対意見を述べ議論したらよいだけのことであります。



B 開祖・谷口雅春先生の「生命の實相哲学」・「唯神實相哲学」を「初心者」=「曳き馬」=「身分いやしきもの」=マサノブ君は不完全な哲学理論であるであると真正面から挑戦して来ております。「初心者」=「曳き馬」=「身分いやしきもの」=マサノブ君の主張する哲学理論(と、おぼしきもの)は、開祖・谷口雅春先生の「生命の實相哲学」に比すれば比較にならぬ低レベルのものであり、独自性あるものでもなく、常に主として西欧の哲学者がこう云っていると云うことを批判規準としているだけであります。「初心者」=「曳き馬」=「身分いやしきもの」=マサノブ君は、開祖・谷口雅春先生の如く、人間知による思索の究極点から「無の関門」を飛び越えて久遠不滅の実在世界に超入し、その実在世界の様相を「實相覚」で生命体験として直視し導き出されたのが「生命の實相哲学」・「唯神實相哲学」である、と言う事がいつまで経っても理会できないのであります。「初心者」=「曳き馬」=「身分いやしきもの」=マサノブ君は、霊的生命としては、生長の家の一般信徒のレベルにすら達していない“幼い霊魂”であります。私たち、普通の信徒は開祖・谷口雅春先生の「生命の實相哲学」・「唯神實相哲学」は、肉体頭脳の思索だけで終っている哲学理論よりも比較にならぬほどに勝れた人類史上最高の哲学であると信じて疑わないのであります。この点を信徒から指摘されると、「初心者」=「曳き馬」=「身分いやしきもの」=マサノブ君は、“それは「超越項」に属することだ”といって答えることが出来ずに逃げまくっているのであります。



C われわれ信徒は、開祖・谷口雅春先生の『御教え』(生命の實相哲学・唯神實相哲学)を人類史上最上最高の実践哲学と信じ、各人の実際生活の上に実行して実際の効果を現しているのであります。一方、西欧の哲学者の哲学理論の方が勝れていると主張する「初心者」=「曳き馬」=「身分いやしきもの」=マサノブ君は、一件の実証例もないのであります。現にマサノブ君は信徒の悩み相談にたずさわり解決してあげた体験はゼロであります。この点を信徒から指摘されると、「初心者」=「曳き馬」=「身分いやしきもの」=マサノブ君は、「実践効果の話をしているのではない。どちらの哲学理論の方が勝れているかを議論しているのだ」と、これまた逃げていくのであります。



D 哲学論争を「生長の家関連掲示板」で続けて行きますと、開祖・谷口雅春先生の『御教え』に対しての“信”がぐらつく信徒も出てこないとも限りません。信徒の“信”をぐらつかせることが、「初心者」=「曳き馬」=「身分いやしきもの」=マサノブ君の目的である事を忘れてはならないのです。「初心者」=「曳き馬」=「身分いやしきもの」=マサノブ君は、全うな真摯な求道者ではありません。勿論、全うな真摯な信仰者ではないのであります。もはや、マサノブ君は、自称にしろ「法燈継承者」などお世辞にも言えないのであります。「生長の家関連掲示板」に顔を出し、開祖・谷口雅春先生を貶め、「生命の實相哲学」・「唯神實相哲学」に非道なる難癖を紳士面をして付けてくる資格などないのであります。初心者」=「曳き馬」=「身分いやしきもの」=マサノブ君は、直ちに「生長の家関連掲示板」から書込み禁止の追放処分が為されて然るべきであります。




「初心者」=「馬曳き」=雅宣さんは「トキ掲示板」から書きこみ禁止になって当たり前です! (3685)
日時:2014年04月02日 (水) 17時20分
名前:薔薇の花



「初心者」、そして「曳馬野」と名乗って雅宣さんはトンデモナイ『御教え』否定の発言を繰り返しています。雅宣さんの言動から考えて、この様な「生長の家」の『御教え』を否定し侮辱している本音の発言は、決して許されるべきではありません。この様な発言を繰り返されると「ひょっとしたら『御教え』も不完全な真理であった」と暗示に掛かってせっかく確立した信仰をぐらつかせる信徒さんも出て来ないとも限りません。被害甚大です。雅宣さんの暗示に掛からないようにしましょう。生長の家の『御教え』は絶対です。間違いはありません。

「トキ掲示板」の管理人である「トキ」さん! 「初心者」と「曳馬野」さんの二人を書き込み禁止処分にしてください。投稿規則に「谷口雅春先生への批判は、目的外ですので、投稿をしないで下さい。」と定めてあるじゃありませんか! また、この様なことを書き込む「初心者」や「曳馬野」さんは、生長の家の共鳴者ではありません。哲学論争に名を借りた生長の家の破壊工作者ですよ!!



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http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=snihonryuu&mode=res&log=1549

■ 「生長の家」を真っ向から否定している「初心者」=「曳馬野」=雅宣さんの典型的“語録”(理解し易い表現にしてあります)

@、 生長の家では、・・・自分たちの信じる真理だけが「真理」だと信じているがこれは間違いだ。

A、 総本山は売却の意図はないとは言えない(売却を考えている意)

B、 生長の家の真理はすべてが「真理」とは言えない。

C、 「實相」額(軸)、顕斎殿、幽斎殿、御神像、開祖の著作を「神聖」なものと考えると必ずといっていいほどに過激な思想へとむすびつく。

D、 生長の家の 唯神実相論 は、(実相有相論であるから)理解できない哲学思想である。

E、 実相世界には「生長の家本部」も「聖地」もない。

F、 実相世界のコトバが複雑に組み合わさることで現象はつくられる。

G、 天皇制とは、実相世界の「現象化する力」が現象としてあらわれたもの。

H、 空虚な言葉である日本語を支えているのが天皇制である、(バルトの言った言葉)。天皇制がなければ、空虚な日本語は意味をなせない。

I、 実相世界に聖地はない。実相世界にあるのはコトバの組み合わせであり、その組み合わせが聖地として現象化されたもの。

J、 生長の家の思想には力がない。それは生長の家の用語が哲学や物理学を語るにはあまりにも貧弱すぎるからである。

K、 雅春先生の教えではソシュールを乗り越えられない。これは確かなこと。ソシュールを乗り越えられないような教えを学ぶ意味はない。

L、 雅春先生の教えは矛盾だらけで理解できない。

M、 生長の家では病気治しに利用できるものを真理と呼んでいる。利用できれば、それがなんであっても真理。利用できなければそれは虚説。こういう単純な図式が、生長の家では成り立っている。

N、 『生命の實相』は全編が真理の利用の仕方について説かれた書物といってよいのではないか。 「真理を利用して奇跡を起こしたい」と欲する人々が読む書物といってよい。

P 雅春先生と倉田百三氏による「寂光論争」――「真理の利用可能性」ということが問題にされた論争ではなかったか。

Q 「人類の幸福のために真理を利用せよ。国家の繁栄のために資源を利用せよ」。本流がいっているのはけっきょくこういうこと。

R、 資源にしても真理にしても、自分に都合よく利用してよいものなのか。これが問われているのではないのか。

S 正当な佛の教え・・・生長の家とはまるきり違う。

21、 雅春先生の教えが正しいのかと問うているのです。その答えは如何ですか。信者としての能書きは結構です、正しいと証明してください

22、下種な生き方ですね。本音で生きることをしない、無心で生きない、こんな生き方が生長の家か。

23 『実相』と云う言葉は昔からあるものであって、生長の家の専売ではない。

24、生長の家に関係した過去の多くの方の高級霊も大したことないんだね、ご先祖は何してるんだろ


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