生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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反・『御教え』・・・雅宣総裁語録と講評 <第十四話> (311)
日時:2013年03月04日 (月) 15時25分
名前:信徒連合




< 第十四話 > 地震は自然現象のひとつ?(『小閑雑感』・平成20年2月13日)


<<日本列島では地震が起こるのは、地質学上では「当たり前」で「自然なこと」である。それなのに「起こらない」>と考えている人間が「災い」と呼ぶ。<地震は来ない>と考えて耐震設計をしない事は「人災」で、ある場所へ「危険」を承知で行くのも「人災」を求めている。>>



(講評)

これは、講習会での質問に対する回答でありますが、三代目・雅宣総裁は、地震は自然現象というがその自然現象がなぜ起き、そしてその地震に出会う人と出遭わない人、さらに地震にであっても被害を受ける人と被害を全く受けない人とそうでない人の違いについて、形而上的検地から宗教家として明確に答えねばならない。のにそれが出来ていないのであります。と同時に心の方面からの対処法を示さなければならないのにそれも出来ず、評論家然とした見方しか示していないのであります。

 明確な回答は、『生命の實相』第一巻・第4章「心の世界に於ける運命の形成」にあります。要点のみを抜粋いたしますと、――

・ すべての事件は、<物質の世界>に現れてくる以前に<念の世界>で出来上がるのでありまして、<念の世界>で出来た通りが<物質世界>に映って来るのであります。

・<念の世界>で出来上がる事件も、宇宙に満ちている色々の生物の心の働きの組み合わせに従って時々刻々に作られて行くのであります。大きなあらすじの事件は、多くの「念」の働きを成立要素として細かい事件よりも早く多数の「念」の多数決で決まって行く。

・<念の世界>にまだ事件があるうちに修正しておいたら災難が災難にならないで<物質世界>に現れてくる。

. 多くの人々の「念の総合的力」で強く決まってしまった事件・災難は、我々がその反対の思念をしても、その事件を起こらなくならせる事は出来ないが、その災難に引きつけられない健全な信念を持っていれば、「類でないものは、反発する」という心の法則によってその災難の渦の外へ放り出される。

(三代目・雅宣総裁は自ら宗教家と称しておりますが、生来の資質として霊的思考が出来ない人であるとしか思われません。信徒にとっては誠に不幸なことであります。)




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