生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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「初心者」=マサノブ君は、“真剣な求道者”にあらず、金持ちぼんぼん孤独を好む“理屈道楽者”に過ぎぬ! 『生長の家』教団のトップとしては不適格者である! (3716)
日時:2014年04月07日 (月) 00時37分
名前:画龍点睛


合掌、ありがとうございます。
異常性格者「初心者」=マサノブ君は、「トキ掲示板」で何時果てるとも無き議論の遊戯三昧に耽っているのであります。4月3日〜5日の3日間だけの「初心者」=マサノブ君の投稿文を抜き出し、各文章の要点部分だけを再掲示すれば以下のようになるのであります。



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<トキ掲示板・部屋板>


2130 :初心者:2014/04/03(木) 10:22:09 ID:k.9Qtig6
決定された世界のなかで、「物質はない」や「現象はない」や「実相は完全である」が決定されていくのです。総裁への批判はすべて、世界を決定しようとするこうした一念によってなされています。世界は決定不可能なものであると知る。これが一念不生というものではないでしょうか。「形があるといえばあるといえるし、ないといえばないといえる」というように、世界はつねに決定不可能な両義性をあわせもつものである、とわたしは考えます。


2136 :初心者:2014/04/03(木) 16:30:08 ID:k.9Qtig6
「病気が治った。これは真理だ」はいいんですよ。これを否定しているわけではないのですよ。問題は、「病気が治った。これは真理だ」といったあとに「おまえが考えていることは真理ではない」とつづくことです。「自分が信じているものこそ絶対的真理だ。おまえがいっていることは虚説だ」となることです。
真理によって自分を特権化している・・・総裁もおそらくこのようにしてみくだされてきたのでしょう。「人間知」として冷たくあしらわれてきたのでしょう。こうした過去の因縁が今の教団のゴダゴタの原因であるとわたしは考えています。問題を解決するにはどうすればいいのでしょう。連中が特権的地位の後ろ盾としているのが雅春先生の教えです。そうした雅春先生の教えにゆさぶりをかけるのがひとつの方法です。雅春先生の教えがいかにして特権的地位とむすびつくのか。これをあきらかにするのもひとつの方法です。・・・特権的地位をあたえたままの和解はありえないと考えます。


2137 :初心者:2014/04/03(木) 16:42:01 ID:k.9Qtig6
雅春先生は「形がある」とはいっておられないではないですか。「すがた」とはっきりといっておられるではないですか。わたしが「近づける」ではなく「似せる」という表現をもちいるのは、真理が「すがた」であるからなのです。「すがた」に近づいたところで意味はない。「すがた」は似せるものなのです。


2138 :初心者:2014/04/03(木) 16:50:06 ID:k.9Qtig6
「かたち」と「すがた」ではまったくちがいます。それとわかる「かたち」があるとするのは二元論の考え方です。「すがた」はちがいます。それは似せるべきものとしてそこにあるのです。


2144 :初心者:2014/04/03(木) 21:49:43 ID:k.9Qtig6
和解が不可能であることは、以上のやりとりからもおわかりになられたでありましょう。「人間知」という言葉を手放す気など、連中にはまったくないのです。手放すということがどういうことか、連中がいちばんわかっているはずです。


2145 :曳馬野:2014/04/03(木) 22:00:54 ID:I5eaYRLI
実相研鑽のその部分を勘案したうえでの、「全宇宙この世もあの世も含めた全宇宙の人間なるもの、魂の数は有限か、違うかの質問をいちばん最初に聞いたのです。その答えは解らないでした。個生命として実在の世界にあるのであれば有限ではないですか。佛法ではそうは説いていないものですから聞いたのです。


2150 :初心者:2014/04/04(金) 09:19:39 ID:k.9Qtig6
「体験談」・・・世間の常識からすればアリエナイザーな話をしようとおもえば、いくらでもできます。そういうことはしたくない。それだけのことです。・・・「心はどうでもいい」というのがわたしの主張でありますので、どんな欲望を持とうとかまいはしないのですが、いちいちでてこられて「人間知」を連呼されたのでは、たまったものではありません。雅春先生の教えがああさせたというより、連中の欲望がああさせたのです。・・・ゆさぶりをかけるのは「連中が信じている雅春先生の教え」であってもよいのですよ。「物質はない」との教えをまるごと信じて、これを盾にとって総裁批判を執拗にくり広げている人がいるとすれば、「物質はない」とする教えにゆさぶりをかけることができますでしょう。相手が反論してくれば、批判の非真理性を論点とした議論に持ち込むことができるでしょう。聖典回帰したところで問題は解決しない、・・・雅春先生のご文章を読むときには、雅春先生が書かれた他のご文章と照合してはならないのです。照合すると、「あのときと話がちがう」となって読み手は混乱します。必要なのは切り離しです。矛盾は切り離して読む。これが雅春先生のご文章を読むときのコツでしょう。連中は「切り離し」の達人なのですよ。総裁は切り離しができずに、矛盾を照合してしまわれるのでしょう。


2151 :初心者:2014/04/04(金) 12:44:14 ID:k.9Qtig6
「心はどうでもいい」という「心」と、「一念不生」の「一念」のちがいを説明いたします。心を真理と似せようとするのが一念です。心は真理に似ていなければならないとするのが一念です。世界のなんたるかを真理によって決定しようとするのが一念です。「真理を利用してカネ儲けをしたい」とおもう心が、「心はどうでもいい」というときの心です。「祈ってもらって株価が上がった、ありがたい」というのがこの心です。


2152 :初心者:2014/04/04(金) 13:08:58 ID:k.9Qtig6
初心者は世界の仕組みを知りたがっているのではないか。もしそうであるとすればこれは立派な一念ではないか。・・・このように考えればうまく説明できる。これが理論です。理論とはうまくできた説明なのです。わたしは世界の仕組みをよりうまく説明できる理論をさがしているのです。・・・一念といえば一念でありますけども、心を真理に似せようとは考えておりません。少なくともこれは、わたしにとっての大きな救いです。「自覚」と称して心を真理に似せようとしている人には、ちょっと厳しいものを感じます。


2154 :初心者:2014/04/04(金) 18:38:41 ID:k.9Qtig6
たとえどんなにうまく神の子の自覚をえたとしても、それが実相の自分かというとそんなことはありませんよね。実相の自分は実相世界にしかいないわけですから、どんなに上手にうまく似せたつもりでも、それは実相の自分ではありませんよね。どうすればいいんでしょう。実相の自分ことは実相の自分に訊け。これしかありませんよね。


2161 :初心者:2014/04/05(土) 18:09:28 ID:k.9Qtig6
これまで人類によって虐げられてきた人間以外の生き物からすれば、あるいは人類の過去のおこないに心を痛めている人々からすれば、復興Gさんの発言は人間のことしか考えていない身勝手な言い分でしかない、ということになるとはおもわれませんか。復興Gさんの発言にではなく総裁の言葉に共感をよせるとはおもわれませんか。・・・それでいったい、生長の家になにができるのですか。「人間神の子は断じてそんなことはしない」との旗印をかかげることで、生長の家はなにをしてきたのですか。生長の家は、「人間神の子罪なし」と明るく呼びかることで自然破壊を食い止めることができるのですか。「できる」といえるほどのことをやってきたのですか。なにもできない、なにもしてこなかったというのであれば、復興Gさんは「批判のための批判でしかない」とみなされて当然のことをいっておられるのです。


2162 :初心者:2014/04/05(土) 18:22:04 ID:k.9Qtig6
わたしが批判しております雅春先生の教えとは、「連中が信じていると想定される雅春先生の教えである」ということをご理解いただけたものと考えます。


2167 :初心者:2014/04/05(土) 20:00:22 ID:k.9Qtig6
総裁の環境運動にしても、人間中心主義という虚説にたいして、環境運動という虚説で対抗することの是非が、手続き上の問題として問われているのではないのですか(「手続きの仕方に問題がある」といって、総裁はナンクセをつけられているのではないか、ということです)。


2169 :初心者:2014/04/05(土) 20:28:51 ID:k.9Qtig6
復興Gさんの批判は聖典を熟読した人の批判としてはたして適当なレベルにあるのか、ということです。熟読した人のレベルには達していないのではないか。これがわたしの考えです。・・・熟読するとはどういうことか。これはひとつの問題提起なのです。


2170 :初心者:2014/04/05(土) 20:38:58 ID:k.9Qtig6
なにかひと言いえば、「それは物質をありとする考えだ」や「それは現象をありと認める考えだ」というように、こうした手続き上の問題でたえず手間取ってきたのが生長の家ではなかったのですか。総裁は、こういうことはやめましょう、といっておられるような気がいたします。


2172 :初心者:2014/04/05(土) 21:45:53 ID:k.9Qtig6
つまり、信仰の教義というのは、人を救い、自分の魂を向上するためにあるべきであり、それを誰かの議論を封じるのに使うのはよくない、という事でしょう。それが批判のための批判であるとするなら、なおさらですね。



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<感想>



@ 難解な言葉を使って、「こう言えばああ言う、ああ言えばこう言う」の典型的応酬投稿文の見本と言って差し支えありません。「初心者」=マサノブ君のこの理屈っぽさで以てすれば、『生命の實相』に書かれておりますように、< 理論理屈で真理を求めれば、真理の周りを堂々巡りを繰り返すだけであり、何時まで経っても真理の奥堂へ入ることは出来ない >その典型的な見本であります。



A なぜ、マサノブ君は理屈による真理探究をするのであろうか、と思ってはならないのであります。彼は、本当には真理探究をしているのではないのです。彼の過去世から持って来た霊体質が理屈好みな性格であり、今世に於いては健康に恵まれ、お金にも不自由しなかったので、何も真剣に求道する必要性も無かったのであります。孤独癖であるところへ、ふんだんに使えるお金にも恵まれたものですから、気楽な理屈道楽を楽しみながら生活の保障をしてもらえる尤も安全な進路(生長の家総裁)を選んできただけのことなのです。



B 本当の求道者とは、形而下的な人間的欲望よりも形而上の人生問題――つまり、自分は何のために此の世に生れて来たのであろうか? 今生において遭遇している形而下的方法手段では解決できない病悩苦の根本的な解決を図る道を求めたい! そもそも本当の自分とは如何なるものなりや? この様な形而上的人生問題を経済的不遇状態の中で真剣に求め、修行して第一原因へと迫っていく人であります。更に、普通以上のレベルにまで魂の発達進化している人々(高級霊魂)は、高い人類愛的観点からの人類の病悩苦の根本的解決策は如何に? 戦争・紛争・悲惨な事件が起って来る根本第一原因を突き止め、戦争・紛争・悲惨な事件無き世界にしていく方策は如何に?という所まで突き詰めて考え、修行していくのであります。こういうのが本当の意味での求道者だと思うのであります。



C マサノブ君は、この様な面から見れば求道者とはとても呼べない人間であります。彼の霊体質は「お金大好き人間」であります。「独裁者になりたかった。そして成った」人間であります。「人間的温かさを欠いた」人間であります。肉体頭脳知(IQ指数)だけは高く生れつたのであるが、真の形而上的真理探究の時には自我が強すぎ、どうしてもIQ指数(人間知)の高さが逆方向に足を引っ張り理屈好きを助長し、これが手枷・足枷(てかせあしかせ)となって、自我が極めて強く無我謙虚には無縁で、理屈に理屈を重ねて相手を屈服させ、最高の快感を味わう。肉体的健康と経済的豊かさも逆に災いして真剣な求道の道を塞いでしまっているのであります。かくして、マサノブ君は理屈好き人間の域からは抜け出せなくなり、「修行は悟りの因に非ず」も自分の都合よき解釈をして修行を軽んじる方向へと自分で自分を向かわせて行ったのであります。



D 以上のような事柄が上記の「初心者」=マサノブ君の投稿文の内容から読み取れると思うのであります。個生命としての霊魂レベルから考えると、マサノブ君の霊性開発レベル(神の子の實相顕現レベル)は、一般信徒のそのレベルよりも遥かに下回っていることが判明したものと思われるのであります。その証拠としては、「初心者」=マサノブ君は、「悟りの世界」のことからいつも逃げ回っており、「神想観」の如き真理の観法にも背を向け、奇蹟を認めず、一言で言えば「生命の世界」への全身没入に非常なる抵抗感を持ち、すべてを「現象唯物科学の世界」の中で理屈一辺倒の頭でっかちで進んで言っているのであります。



E マサノブ君には、霊的真理探究には絶対必要な“素直さ”つまり、乳飲み子が母の乳房を求めて無心に膝へかきあがっていく姿勢が全く観られないのであります。この「無心なる素直さ」をマサノブ君はあえて拒否して理屈一辺倒で生きていっているのであります。霊的真理の把握において自分は未だ未熟である事を自覚すれば、その霊的真理を悟られた師の教えを素直な気持で無心に求めて行けば良いのであります。真理に対する本当の謙虚さが必要であるのに、IQ指数(人間知)の高い人は往々にしてこの謙虚さを持たず逆に驕慢になりがちであります。その典型的事例が「初心者」=マサノブ君であります。



F われわれ信徒は、開祖・谷口雅春先生の『御教え』を最高の真理の『御教え』だとの自信をもって生長の家の信仰の道を進んでいるのであります。「類は類を呼ぶ」法則から見れば、開祖・谷口雅春先生の『御教え』が最高真理だと深層意識の奥底で直感し波長が合ったればこそ生長の家の信徒となったのであります。だから、一般信徒は理屈の世界からの批判の気持ちなど一切持ち合わせてはいないのであります。一方、理屈の世界から『御教え』批判をしているのが「初心者」=マサノブ君であります。今や、現象組織ではマサノブ君がトップでありますが、霊的真理による霊性開発度合いから見れば逆転して、一般信徒の方が上でありまして、マサノブ君は底辺のところでウロチョロしているのであります。



G 以上の事柄が、上記引用の「初心者」=マサノブ君の屁理屈投稿文から分かることであります。真理の理解度・言行不一致・人間性のいずれの面から言ってもマサノブ君は「生長の家」総裁資格を既に喪失しているのであります。斯くなる上は速やかに「総裁更迭」がなされて然るべきであります。






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