生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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子供達に生かされて(児童養護施設の子供達を限りなく愛された故松下昭先生) (3747)
日時:2014年04月10日 (木) 20時18分
名前:「谷口雅春先生記念図書資料館だより」読者

児童養護施設の卒業生の献歌を拝読して、ぜひ、皆様に紹介したい松下昭先生のご遺稿のことを思い出しました。

 私は、生長の家社会事業団が設置運営しておられる児童養護施設生長の家神の国寮のホームページをときどき拝見させていただいていますが、そのなかに、施設長の松下昭先生が、施設の子供達を本当に愛しておられ、また、子供達から慕われていたことがわかるご文章がありますので、紹介いたします。

 なお、このご文章のなかで出てきます「裁判」というのは、今から約27年ほど前に、施設の職員から暴行虐待を受けたので障害が残っているとして、7500万円の損害賠償を求めて平成13年に起こされた裁判のことです。

 当時、テレビや新聞などで騒がれましたので、当時、信徒の一人である私も心配して、教団の専門家に問い合わせたことがあります。

 それで、初めて知ったことですが、「職員の暴行虐待」は真っ赤な嘘で、全くのでっち上げであることがわかりました。

 愛国者の松下昭先生が生長の家神の国寮に専念されたことを期したのかも知れませんが、新左翼の活動家グループが、各地の児童養護施設を虐待施設だと攻撃して、高額な示談金や和解金をせしめている事例を知りました。

 国立駅前で、連日のように、生長の家神の国寮を「職員が虐待している施設だ!」と誹謗中傷するビラがまかれ、このような連日の誹謗中傷にたえられなくなった職員の方々は次々と退職されたそうです。

 松下昭先生のご文章によりますと、神の国寮に連日泊まり込まれて、裁判や、養護職員の補充に、必死に対処されたようです。

 裁判のなかで、ついに真実が明らかになり、裁判所あっせんによる和解調書には、「職員による暴行の事実はない」ことが明記されたそうです。

 しかしながら、虐待が捏造だったことが明らかになったにもかかわらず、虐待があったと報道したテレビや新聞などのマスコミは、何の訂正もしていません。



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「子供達に生かされて」

                            寮長 松下 昭

 平成25年、新しい年が始まりました。

 年齢を重ねる毎に“光陰矢の如し”が身につまされ、時の過ぎ行くスピードが年々早くなるような気がします。

 老いにより認識力・思考力・判断力・行動力などが衰えてきている証拠かも知れません。

 昨年、本寮舎を建替えさせていただき、施設の小規模化というインフラ整備の大きな課題を乗り越えることができました。

 今年は、原点に立ち返って総てを見直し運営体制など内を充実させる新たな出発点の年と致したいと思います。


 振り返りますと、平成12年、私が神の国寮の運営業務に専念するのを見計らったように、翌年早々理不尽な裁判を起こされ、寮内の動揺を治めることと裁判対策のため寮長室に泊まり込んで諸課題に全力で対応してきました。

 厳しい状況の中で、児童の存在が心の支えでした。

 専門知識も無い中で、一生懸命子供達の話を聞き行動を共にしながら挫けないで前へ進む勇気をもらいました。

 寮長室の扉はいつも開放していましたので、児童は、不満・愚痴・要望・自分の過去など、何でも言ってきました。

 改善できるものは、直ぐに改善し、閉鎖的な環境と抑圧的な運営を少しづつ改めていく中で、私自身も児童養護の何たるかを学ぶこともできて成長させていただくことができたように思います。

 乳児院から入所してきた中学2年生のTSくんは野球少年で快活でリーダーシップある児童で目立つ存在でした。

 父親はいるのですが事故で記憶喪失してしまい、リハビリのため入院している病院に尋ねていっても誰だか判然としない状態でしたが、何度も面会に行く様子に接していて、TSくんが心の底から父親を求め父親と生活できることに一縷(いちる)の望みを持っていることに気付き言い知れぬ不憫さを感じ、其々(それぞれ)の児童の抱えている問題の一端を垣間見た思いでした。

 裁判が進むにつれて、原告の中心的主張が悉(ことごと)く事実誤認であることが判明して、裁判所は和解を勧告し、平成16年の暮れに和解が成立し裁判は終了しました。

 裁判の対応と、次々と辞めていくベテラン職員・新人職員の補充と教育、施設内の混乱・動揺の対応など、ストレスと泊まり込みの激務で身体を酷使したためか、裁判の終了でホッとして気が緩んだ結果でしょうか、大腸癌を発症し一月半の入院を余儀なくされました。

 入院に際して、幹部職員に「児童・職員・関係者にご心配を掛けるのは申し訳ないので、入院したことを出来るだけ知らせないように!」とお願いしておきました。

 入院して、3週間ほど経過した頃に、当時の処遇主任が見舞いに来て「昨日の児童会で、TSくんが手を上げて“最近、寮長の姿が見えないが何があったのか教えてくれ! 寮長は俺たちにとって、親代わりなんだから、子供として本当のことを知りたい! 病気ならどんな状態なのか詳しく知りたい!”と半べそをかいた抗議のような口調で質問し、他の児童も同様な雰囲気だったので、寮長の状態を教えてしまいました。」と報告してきました。

 その話を聞いた時、今までの私の児童とのかかわる姿勢が根本的に間違っていたことを覚(さと)りました。

 児童は、こんな私でも親代わりとして、色々な思いで心の支えとし頼り、認めてくれていたんだと感じました。

 その様な児童の心情を一つも理解しないで、今迄ただ可哀想な境遇の子供達だから助けてやろう、面倒を見てやろう、と思い上がった姿勢でかかわっていたのではないか、と気がつかされました。

 本当の親を思うような児童の心情に触れ、涙が溢れて溢れて溢れて止まりませんでした。

 子供達よ! もうしわけなかった! すまなかった! と泣いて泣いて泣いて泣き明かしました。

 私は、子供達から、頼られ、慕われ、子供達に生かされていたんだ。

 本当の親にはなれないけれど、心と魂は親としてこの子達と共に生き、共に生長させていただこうと、自分自身に強く誓ったことでした。

    (http://www.kamino92.or.jp/hikari/hikari_2.pdf より)



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