生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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「初心者」=「曳馬野」=マサノブ君の信徒攪乱“語録”の追加続々と・・・これでマサノブ(自称)総裁の“本音の考え”がますます明瞭になっていく。! (3754) |
- 日時:2014年04月11日 (金) 10時41分
名前:怒りの信徒代表
4月1日以降の「初心者」=「曳馬野」=マサノブ君の反・『御教え』主要投稿文章を抜き出せば・・・
<部屋板> http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1356490558/l50
2081 :初心者:2014/04/01(火) 10:09:58 ID:k.9Qtig6 神になにをすべきかを指し図しようとする一神教こそが人間中心主義なのです。
2082 :初心者:2014/04/01(火) 10:23:06 ID:k.9Qtig6 一神教はいまの人類には早すぎる・・・一神教を手にした人類は高価な代償を払うことになりました。
2097 :曳馬野:2014/04/01(火) 13:02:39 ID:I5eaYRLI 2084 真実とか事実として実相には形相が有るか無いかの問題なんです。基本的神想観によれば、働きとしての生命のみ有るように聞こえます。これは実相に形がないように聞こえます。・・・神の心動き出せば一切の現象展開して萬物なる、と云う、神の心、実相には形相は無いのでなかろうかと思われます。・・・
2100 :初心者:2014/04/01(火) 20:43:28 ID:k.9Qtig6 生長の家があらわれて80年になるそうですが、この間も人類による自然破壊は続いています。どうしてなのでしょう。生長の家は自然破壊を食い止めることができなかったのでしょうか。それとも、自然破壊を認めるのは悪であるといって、これを「ないもの」としてきたということなのでしょうか。・・・教えを利用して総裁を批判するための論理を展開しておられるだけ、ということになります。・・・誰もが納得のいく具体的なヴィジョンを示していただけるものと期待しております。
2114 :初心者:2014/04/02(水) 19:26:37 ID:k.9Qtig6 真理に心を似せるとは、「人間神の子」と聞けば、「自分は神の子だ」ということをうたがうことなく信じきれるような心理状態をつくりだそうとし、「物質はない」と聞けば、「物質はない」と信じきっているような心理状態を自分のなかにつくりだそうとすることをいいます。これがうまくいけば、そうした心理状態をいかに持続させるかが次の課題となります。
2116 :初心者:2014/04/02(水) 21:00:16 ID:k.9Qtig6 わたしは、総裁がなそうとしておられることの正当性を真理の観点から示そうとしております。
2128 :初心者:2014/04/03(木) 08:42:59 ID:k.9Qtig6 「心を真理に似せようとする」とは「心を真理に近づけようとしている」との意味です。
2130 :初心者:2014/04/03(木) 10:22:09 ID:k.9Qtig6 世界はつねに決定不可能な両義性をあわせもつものである、とわたしは考えます。
2136 :初心者:2014/04/03(木) 16:30:08 ID:k.9Qtig6 真理によって自分を特権化しているわけですから、どんな相手であっても自分より劣った人間としてみくだすことができるわけですから、これはどうしたって快感となりますよね。総裁もおそらくこのようにしてみくだされてきたのでしょう。「人間知」として冷たくあしらわれてきたのでしょう。こうした過去の因縁が今の教団のゴダゴタの原因であるとわたしは考えています。問題を解決するにはどうすればいいのでしょう。連中が特権的地位の後ろ盾としているのが雅春先生の教えです。そうした雅春先生の教えにゆさぶりをかけるのがひとつの方法です。雅春先生の教えがいかにして特権的地位とむすびつくのか。これをあきらかにするのもひとつの方法です。・・・特権的立場から総裁をみくだしてきたであろう連中と、みくだされてきた総裁の和解が成立する条件は、連中から特権的地位を奪い去る以外にないのではないですか。特権的地位をあたえたままの和解はありえないと考えます。
2145 :曳馬野:2014/04/03(木) 22:00:54 ID:I5eaYRLI 「全宇宙この世もあの世も含めた全宇宙の人間なるもの、魂の数は有限か、違うか・・・実在の世界にあるのであれば有限ではないですか。・・・信念の影を見るにすぎずですから、信念、期待の度合いが強ければ救済は起きます。・・・救われたと云う思いが強いから、あれだけの組織が出来たのではないですか、
2150 :初心者:2014/04/04(金) 09:19:39 ID:k.9Qtig6 「体験談」です。世間の常識からすればアリエナイザーな話をしようとおもえば、いくらでもできます。そういうことはしたくない。それだけのことです。・・・ゆさぶりをかけるのは「連中が信じている雅春先生の教え」であってもよいのですよ。「物質はない」との教えをまるごと信じて、これを盾にとって総裁批判を執拗にくり広げている人がいるとすれば、「物質はない」とする教えにゆさぶりをかけることができますでしょう。相手が反論してくれば、批判の非真理性を論点とした議論に持ち込むことができるでしょう。たとえ未読であっても、連中は雅春先生の教えではないべつの「ある教え」を信じているのです。連中が信じる「ある教え」にゆさぶりをかけるのは無駄だとおもわれますでしょうか。・・・聖典回帰したところで問題は解決しない。・・・雅春先生のご文章を読むときには、雅春先生が書かれた他のご文章と照合してはならないのです。照合すると、「あのときと話がちがう」となって読み手は混乱します。必要なのは切り離しです。矛盾は切り離して読む。これが雅春先生のご文章を読むときのコツでしょう。連中は「切り離し」の達人なのですよ。総裁は切り離しができずに、矛盾を照合してしまわれるのでしょう。
2161 :初心者:2014/04/05(土) 18:09:28 ID:k.9Qtig6 しかし、これまで人類によって虐げられてきた人間以外の生き物からすれば、あるいは人類の過去のおこないに心を痛めている人々からすれば、・・・総裁の言葉に共感をよせるとはおもわれませんか。・・・それでいったい、生長の家になにができるのですか。「人間神の子は断じてそんなことはしない」との旗印をかかげることで、生長の家はなにをしてきたのですか。生長の家は、「人間神の子罪なし」と明るく呼びかることで自然破壊を食い止めることができるのですか。「できる」といえるほどのことをやってきたのですか。
2162 :初心者:2014/04/05(土) 18:22:04 ID:k.9Qtig6 わたしが批判しております雅春先生の教えとは、「連中が信じていると想定される雅春先生の教えである」ということをご理解いただけたものと考えます。
2170 :初心者:2014/04/05(土) 20:38:58 ID:k.9Qtig6 なにかひと言いえば、「それは物質をありとする考えだ」や「それは現象をありと認める考えだ」というように、こうした手続き上の問題でたえず手間取ってきたのが生長の家ではなかったのですか。総裁は、こういうことはやめましょう、といっておられるような気がいたします。
<本流対策室板>
6663 :曳馬野:2014/04/07(月) 19:22:07 ID:I/wU8psA 6661 相手方のご兄弟の方々は、大調和を実践されているのですか?いかに行為するか、その通りです。信仰は自分の在り方だけではありませんか?相手をどうこう言うことではない、のではないでしょうか。あんな姑とは仲良くできないと云う嫁さんに何といいますか?あんな嫁さんとは仲良くできないと云う姑に何といいますか?雅宣総裁、その教団と所謂本流派の関係は、嫁姑の問題と変わりはないと思うのですが。
6666 :曳馬野:2014/04/07(月) 21:37:52 ID:I/wU8psA 【ねばならないを開放するのが生長の家】総裁はこうでなくてはならない、という思いから自分を解放すればいいのじゃないのかな。
6669 :曳馬野:2014/04/07(月) 23:23:24 ID:I/wU8psA 先に書いた嫁姑の問題と同じなんですよ。嫌な嫁姑と互いが感じることは、間違いであり、それぞれの魂の進歩の為観世音菩薩が互いの心の叫びを表現してくれていると云う言い方もすれば、業の自壊作用であると云う言い方もする。それと同じことで自然災害を嫌なことと感じることは、いやな嫁姑と思うことと同じであり、業の自壊としてきているのであれ、必要な時に必要なものとして自然に出てきている。だから災害でも自然(神)の恵みだと私は云うのです。災害は嫌なものという考えから自分を解放しなくてはいけないのではありませんか?
<部室板> 2193 :初心者:2014/04/07(月) 10:16:11 ID:k.9Qtig6 解決策があるなら、生長の家はなぜその解決策を実践してこなかったのでしょう。環境問題を数十年間にわたってなぜ放置してきたのでしょう。放置してきた理由とはなんなのでしょう。明るい解決策がみいだせなかったからなのでしょうか。
2196 :初心者:2014/04/07(月) 10:35:19 ID:k.9Qtig6 虚説とは「無い説だからやがて自滅して消えてゆく」とおっしゃっておられます。「無い説」をつくりだしているのは、いったいどこのどなたなのでしょう。わたしはつくりだしていませんよ。総裁が虚説だなどとおもったことはありません。
2198 :初心者:2014/04/07(月) 11:12:33 ID:k.9Qtig6 総裁は「あらゆる人生苦になやんでいる人間」を救おうとはなされておられないように感じてしまうのですが、ちがいますでしょうか?――考えておられないのかもしれません。正確なことはもちろんわかりません。考えておられないとすればなぜなのか。わたしはこうした問いかけの「答え」を説明してきたつもりです。
2203 :初心者:2014/04/07(月) 12:06:47 ID:k.9Qtig6 資源を無限供給と考えることと、「資源は人間のためにある」と考えることとはどうちがうのですか。
2206 :初心者:2014/04/07(月) 12:29:26 ID:k.9Qtig6 太陽光や空気は無限に供給されますが、それは人間のためにあるのでしょうか。無意味な問いかけです。
2211 :初心者:2014/04/07(月) 16:54:46 ID:k.9Qtig6 聖典の熟読は不可能です。「聖典にはこのように書かれてある」といって反論なさいますけども、なにが書かれてあろうとも「成れる果」で判断するしかありません。「成れる果」とは、なにを語るかではなく、「いかに行為するか」できまるのではないでしょうか。「きれいごと」をかますことはできても行為はごまかせない、ということです。長居をする気はありません。ではこれにて。
2216 :曳馬野:2014/04/07(月) 20:50:57 ID:I/wU8psA 雅春先生の御思想の中心は「万物を礼拝すること」です。万物を礼拝していくと「自然と調和してくるというもの」です。夫々がすると云うことですよね。どこまでされている方が居るのでしょうか。・・・本流で言えば総裁、教団にどれだけ其の教えは実践されているのでしょうか?
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上記の如く、「初心者」および「曳馬野」君たちの投稿文の重要部分のみを抽出したのでありますが、中々難解な部分も多いのであります。マサノブ君としては難解な語句や西欧の学者の思想を引用して“学”のあるところを披歴したつもりであるかも知れないが、こんなことをいくら書いたところで信仰や宗教そのものからはますます遠ざかっていくのでありまして、彼の言う所の“下層の信徒”からはソッポを向かれ、実際の日常生活には何の役にも立たないのであります。
マサノブ君はこう言うであろう。「宗教の最終目的は衆生救済する事ではない。環境破壊された地球を救い、宇宙一切のものが大調和せる新文明を作りだすことだ」と。然し、彼のプランは金持ちボンボンの自己満足的机上の空論、お遊び道楽の類であり、早くも明らかとなった「森のオフィス」の失敗確定の事実を見れば明らかなことであります。われわれ信徒はマサノブ君のお遊び道楽のために「聖使命会費」等の浄財を献資しているのではない。この意味でマサノブ君は自論のはき違えを猛省してもらわねばならないのであります。
また、本当に物事が理解でき、それを文章に表す場合には、万人が理解できるような日常語で平易に書き表すべきであります。マサノブ君は逆に難解な語句を殊更に使用し、文章も簡潔ではなく理屈の為の理屈を述べて“下流の信徒”を煙に巻いて自分だけが悦に入っているのであります。このことは、マサノブ君はなにも本当には分かっていないことを示しているだけであります。
そこで、上記の彼の投稿文から、所謂、彼独特の『御教え』不理解ともいう「マサノブ語録」を平易に書きなおして見る事に致しました。おそらくマサノブ君はクレームをつけてくると思われますが、その責任はマサノブ君の難解な語句を使った表現力の乏しさにあるのであります。腹を立てるのであれば、「平易な日常語で分かり易く表現しなさい!」という事に成るのであります。
< 反・『御教え』のマサノブ“語録” >
@ 地球の自然破壊の根本原因は「人間至上主義」にある。「人間至上主義」というものは“唯一絶対神の信仰”から生じたものである。
A 實相世界には具体的形相(すがたかたち)はない。「神の心動き出でて一切の万象が展開」して具体的形相を備えた現象世界があらわれて来る。
B 生長の家は自然破壊を食い止めることができなかった。自然破壊を認めるのは悪であるといって、これを「ないもの」としてきた。
C 「人間神の子」と聞けば、「自分は神の子だ」ということをうたがうことなく信じきれるような心理状態をつくりだそうとし、「物質はない」と聞けば、「物質はない」と信じきっているような心理状態を自分のなかにつくりだそうとする。これがうまくいけば、そうした心理状態をいかに持続させるかが次の課題となる。これが「生長の家」の教えだ。
D 「生長の家」の信徒は、真理によって自分を特権化している。そして連中が特権的地位の後ろ盾としているのが雅春先生の教えである。特権的地位を奪うには、雅春先生の教えにゆさぶりをかけるのです。特権的地位をあたえたままでの総裁との和解はありえない。(注・ わたしが批判しております雅春先生の教えとは、「連中が信じていると想定される雅春先生の教えである」ということです。)
E 全宇宙この世もあの世も含めた全宇宙の人間なるもの、魂の数は有限である。
F 「信念の影を見るにすぎず」ですから、信念、期待の度合いが強ければ救済は起きます。救われたと云う思いが強いから、あれだけの組織が出来たのである。
G 「体験談」を避けているのは、世間の常識からすればあり得ない話(アリエナイザーな話)をしようとおもえば、いくらでもできるがそういうことはしたくない。それだけのことです。
H 総裁を批判する連中に言えることは、彼らが雅春先生のご文章を読むときには、雅春先生が書かれた他のご文章と照らし合わしてはならないと思っているのです。照し合わせると、「あのときと話がちがう」となって理会が混乱します。だから切り離して読むのです。矛盾は切り離して読む。これが雅春先生のご文章を読むときの連中のコツでしょう。連中は「切り離し」の達人なのですよ。総裁は切り離しができずに、矛盾を照し合わせて読んでいる。 だから、総裁は雅春先生の文章には間違いがある、それを正すのが自分の役目だと言っているのです。
I これまで人類によって虐げられてきた人間以外の生き物からすれば、あるいは人類の過去のおこないに心を痛めている人々からすれば、総裁の言葉に共感をよせるのは当然なことである。然し、「生長の家」では、これまで「人間神の子は断じてそんなことはしない」との旗印をかかげるだけでなにもして来なかったではないか。生長の家は、「人間神の子罪なし」と明るく呼びかることで自然破壊を食い止めることができるのですか。「できる」といえるほどのことをやってきたのですか。
J 総裁は、ご兄弟と調和していないと非難されているが、相手方のご兄弟の方々は、総裁との大調和を実践されているのですか? 雅宣教団と所謂本流派の関係は、嫁姑の問題と変わりはない。
K 【ねばならないを開放するのが生長の家】だから、本流派の連中は“総裁はこうでなくてはならない”という思いから自分を解放すればいいのじゃないのかな。
L 自然災害を嫌なことと感じることは、いやな嫁姑と思うことと同じであり、業の自壊作用として起こったとしても、必要な時に必要なものとして自然に出てきていると考えるべきなのだ。だから災害でも自然(神)の恵みだと私(総裁)は云うのです。災害は嫌なものという考えから自分を解放しなくてはいけないのではありませんか?
M 生長の家はなぜ環境問題を数十年間にわたって放置してきたのでしょう。放置してきた理由とはなんなのでしょう。明るい解決策がみいだせなかったからなのでしょうか。
N 虚説とは無い説だからやがて自滅して消えてゆく。「無い説」をつくりだしているのは、いったいどこのどなたなのでしょう。わたしはつくりだしていませんよ。総裁が虚説だなどと思ったことはありません。
O 総裁は「あらゆる人生苦になやんでいる人間」を救おうとはしていないように感じてしまうのですが、ちがいますでしょうか?――総裁は衆生救済を既に放棄した人です。わたし(総裁)はこうした問いかけの「答え」を説明してきたつもりです。 即ち、救済とはその人にとって“居心地の悪い位置から居心地の良い位置へ単に移し替えただけのことなのです。人類にはこの様な内容の救済よりも他にやらねばならぬことがあるのです。それが地球救済とそのための新文明の創造なのです。
P 資源を無限供給と考えることと、「資源は人間のためにある」と考えることとはどうちがうのですか。「人間中心主義」と言う点に於いては同じじゃないですか。太陽光や空気は無限に供給されますが、それは人間のためにあるのでしょうか。こんな質問は無意味な問いかけです。
Q 聖典の熟読は不可能です。「聖典にはこのように書かれてある」といって反論なさいますけども、なにが書かれてあろうとも「結果」で判断するしかありません。「いかに行為するか」できまる。「きれいごと」をかますことはできても行為はごまかせない、つまり、これまでの「生長の家」は「真理」と言う「きれいごと」を説いて来たが、地球環境・自然との共生にどれだけの結果を出したというのですか。
R 雅春先生の御思想の中心は「万物を礼拝すること」です。万物を礼拝していくと「自然と調和してくるというもの」です。夫々がすると云うことですよね。このことを実際にどこまで実践されている方が居るのかが問題なのですよ。特に本流派の人たちについて言えば、総裁および教団に対してどれだけ其の教えは実践されているのでしょうか?
< 総括 >
* このように、平易に書き改めれば、「初心者」=「曳馬野」=マサノブ君の思想が“反・『御教え』”である事がより一層明確になるとともに、マサノブ君本人が自作自演で語っていることもハッキリとわかってくるのであります。この“語録”通りにマサノブ君は行動しているからであります。
* マサノブ君は『生命の實相』を、魂で読まず肉体頭脳だけで読んでいる、そして“理屈の世界”で理解しようとしているのでありますから、どうしても理屈の悪循環、屁理屈のデパートになるのです。そして、彼はそれでよし、と思っているのであります。
* 上記語録は、すべてマサノブ君みずからの“自分中心の都合のよい”解釈をしていることが分かるのであります。自己弁護も達者であります。彼の驕慢な性格、傲岸不遜なる性格丸出しであり、『御教え』に対して脚下照顧ナシ、反省心ゼロの欠陥人間、常識が通用しない異常性格者であることが分かるのであります。
* どう考えても、マサノブ君の常識では理解できない異常性格は今生で正常化する事はありません。故に、彼は、自称にしろ総裁としては不適格であります。「総裁更迭・教団退去」は当然の帰結です。如何かな、初老のセレブ・ぼんぼん! 何時まで“我”を通すつもりなるや。悪霊憑依の支配下にあるとはいえ、まことに気の毒すぎるほどの孤独な人生である事よ!
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雅宣総裁には荷が重いのでは。 (3755) |
- 日時:2014年04月11日 (金) 11時21分
名前:九州方面の信徒
雅宣総裁というか、谷口雅宣氏のやりたい事はわかりますが。
本流を乗っ取って行う事ではない気がします。
また、平易に人に伝わり共感を呼ぶような発言が苦手な以上は、 そのあたりの才能について、いちど他者でなく自身に問うてみてはどうかと思います。
ちょうど自転車の補助輪を付けて運転しているうちに、補助輪を外すのが怖くなって、補助輪を付けたままで自転車に乗れていると主張しているような、駄々っ子のような印象を受けます。
自らの才覚で。自らの度量にて、思うままに自分の信じる運動を前進させることが出来た時に、魂からの成長の喜びを得られるのではないでしょうかねぇ。
親の脛。信徒の脛をガリガリ齧り、もっともっと、自己への賞賛と深い理解をとせがむのは、大人の世界で行うことではないと思いますし、哲学のような学問の世界でも、親の脛かじりの研究では、一人前の研究者として評価されないでしょう。
いい加減に大人なのだから。20代やそこらの、モラトリアム期間の青年みたいな事やってないで。成果を出して自分を誇れる人になって欲しいものです。
総裁というか初心者さんの態度を傍目で観察していると、人間として大人として自立した態度で自己を研鑽し続ける事を忘れない事。そんな人生の重要な側面に気がついて、身を改める思いがします。
いつまで青年なのか。人として習熟するとはどのような事を云うのか。考えさせられます。
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