生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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「初心者」はかくのごとく生長の家の『御教え』を否定する! <その13> (314) |
- 日時:2013年03月04日 (月) 19時49分
名前:四万十分析官
「初心者」という人物は、「トキ掲示板」において下記の如く生長の家の『御教え』を否定しているのである。「トキ掲示版」規約には「基本的に生長の家の教義と谷口雅春先生の説かれた教えを支持、共鳴する人のためのサイトです。生長の家と谷口雅春先生へのご批判をされる内容の投稿はご遠慮下さい。」と書いてあるが、一連の「初心者」と名乗る人物は、この投稿規約に反する投稿を続け、管理人氏も未だに一回も注意を与えていない。「初心者」と「トキ掲示板」との関係は主従の関係にあり、この様なところから「初心者=雅宣総裁」と言われているのである。そして、雅宣総裁としては、決して公の“総裁”としての立場では言いたくても言えない開祖・谷口雅春先生への反逆の「本音の思想」を「初心者」なる名前を使い、思う存分吐露し続けているとも考えられるのである。この意味からでも、彼のやり口は宗教家として非常に卑怯そのものであり、“総裁更迭”に十分に値するのであり、信徒はもっと声を大きくしなければならないのである。
以下、生長の家の『御教え』を否定する「初心者」なる人物の投稿を転載させていただき読者のみなさんの判断に供するものである。
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「トキ掲示板」より
176 :初心者:2012/07/13(金) 15:44:27 ID:TfQ0e6RA << こうしたから神があらわれるというのは、神への指図であるのかもしれませんね。神にかんしての発言は慎重であるべきかと考えます。>>
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<問題点>
「初心者=雅宣総裁」は、人から“指図”されることに反撥をおぼえるらしい。彼は他の者からの諫言をされたら、自分に対して“斯くせよ”と指図していると考え、目上の自分を教え導こう(教化しよう)としているとして猛反発をするのである。
この短い文章だけを採りあげる事はケシカラヌといわれるかもしれないが、この短い文章の中にも彼の心の奥底の思考が垣間見れるのである。“神”という言葉が3回出ている。最初の“神”は「神」そのもの、しかし、二番目と三番目の“神”とは雅宣総裁自身のことを「神」と自負して表現しているとも解釈できる。それほどまでに今日このごろの雅宣総裁は「傲慢」であるといえるのである。
かつて、ある信徒さんが雅宣総裁の「迷いは自由から来る」との見解に対して「その考えは間違っています。迷いは本来ないものだから、どこからも来ません。無いものの出所を詮索することこそ迷いです」と諫言の手紙を出したら、雅宣総裁は「この信徒は自分(雅宣)を“教化”しようとしている」と、「小閑雑感」で反論していたことがある。こういったことから考えても「初心者」の思考は雅宣総裁の思考と“瓜二つ”だと考えられるのである。
近頃、雅宣総裁はことあるごとに生長の家の教えの原点は「大調和の神示」にあると云う。「大調和の神示」という原点に帰るとの意味は、雅宣総裁によると「大調和の神示」は、<神と自然と人間との大調和>を説いているのであるから、「今の教え」はこの神示の指し示す時代即応の教えである、人間至上主義の過去の人類文明を終らせ、“自然界との大調和の関係を樹立する新文明構築の基礎”、これが「大調和の神示」であり、この神示を原点とした“自然と共に伸びる新しき価値観の人類文明”こそ「生長の家」出現の最大使命であり、最終目的はここにあったのだ、と強調しだしたのである。
雅宣総裁は一時は「大調和の神示」を完全に忌避していた。その訳は、「大調和の神示」には、「汝が天地すべてのものと和解したとき其処にわれは顕れる」とあり、その和解とは“感謝”であり、感謝の順序として、第一番目は「皇恩」、第二「先祖〜父母」、第三「兄弟姉妹」・「夫または妻」、第四「子供・孫等」、第五「そのたの身近な人々(汝の召使)」、第六「その他の一切の人々」、第七「天地の万物(動植物・自然)」である。
人間たる者、この順序、秩序を重んじて感謝=和解するとき「天地萬物との和解が成立して、天地一切のものは汝の味方となる」と「大調和の神示」は示す。
しかし、雅宣総裁は、皇恩への感謝については説いたことはない。心の中では、天皇→愛国心→戦争への発想連鎖によって、天皇制を否定し共和制(大統領制)を望んでいる。義兄や実弟の方々を教団から追放し、祖父母を疎んじ、開祖・谷口雅春先生を信奉する講師・信徒に原理主義者の烙印を押してこれまた教団から追放した。
この中で特に義兄・実弟の教団からの強制的追放を信徒側から大いに追及され、雅宣総裁としては、この事実だけは抗弁しようがない状態に立ち至ったために、IQ知能指数の高い彼は「大調和の神示」の示す“天地一切のものと和解せよ”の言葉を意識的に取り上げ、「天地一切のもの」=「神と人と自然」のことであるとの独自解釈を強行し、「皇恩・祖父母・兄弟姉妹」を意識的に外して信徒からの批判をかわそうとしているのである。また、傲慢な性格の雅宣総裁は、特に「感謝せよ、和解せよ」との“せよ!”という言葉に猛烈に反撥を覚えたのである。
斯くの如き雅宣総裁の深層心理が「初心者」なる人物の投稿文を作成させたと分析されるのである。「初心者=雅宣総裁」曰く、< こう(天地一切のものとの和解感謝)したから神があらわれるというのは、神(独裁者雅宣)への指図(注意諫言)であるのかもしれませんね。(自分はこの指図という注意諫言が気に食わぬから)神(雅宣総裁)にかんしての発言は慎重であるべきかと考えます。>
「大調和の神示」に対する基本を外した雅宣総裁の独裁者的解釈は決して許されるべきものではない。雅宣総裁は自分にとって都合の悪い事柄は全て回避してことを進める奸智に長けた人間である。彼の“神性隠蔽”の衣は幾重にも厚い。今生では到底脱ぎきることは出来ぬ。いや、ますます厚く重ね着をしていっているのである。したがって、可哀そうではあるが“総裁更迭”はやむを得ぬ!!
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