生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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4・24「谷口輝子先生二十六年祭」――マサノブ君は、臆面もなく堂々と自らの二重人格者・鉄皮面人間の証明をなした! (3858) |
- 日時:2014年04月26日 (土) 15時51分
名前:怒れる信徒代表
マサノブ(自称)総裁という人間は、本当にわれわれ一般人の社会常識では考えられないほどの、いわゆる“心臓にゴワゴワとした毛が一面に生えている”とんでもない人間、宗教家という仮面を被った信徒を欺瞞し続ける許せざる人間である事がこの度又もや証明されたことに私は心の奥底からの義憤・公憤を感じるのであります。先ずは次の投稿文をご覧下さい。
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4月24日「唐松模様」= 谷口輝子先生の信仰と信念に学ぶ =(要旨)
<< 今日は午前10時から、長崎県西海市の生長の家総本山の谷口家奥津城前で、近隣教区の幹部・信徒が参列して「谷口輝子聖姉二十六年祭」が行われた。直接の参列者は多くなかったが、御祭の様子がインターネットを介して各地に中継されたことにより、各地の教化部などで映像と音声により参列した人々も相当数あったようだ。私は、御祭の最後に概略、以下のような挨拶を述べた: ・・・ 今日は皆さんに、輝子先生が愛だけでなく、「信仰と信念の人」であったことをお伝えしたいのであります。・・・今日、皆さんに是非、記憶に留めておいていただきたいのは、次のところです−− 「不幸を恐れるより、自分がその日その日をすき間なく、完全に行動するように心懸けること。その日、その日を、怠りなく生活していると、何がやって来ても落ちついて対処して、不幸を招くようなことはない。」 輝子先生のこのような強い信念の背後には、もちろん“愛の神”への堅い信仰があるわけです。どうか皆さんも、三正行を怠らずに毎日をていねいに生き、“神の子”の人生を自ら生き、また人々に伝えていって下さい。それでは、これで輝子聖姉二十六年祭の挨拶といたします。ご清聴、ありがとうございました。 谷口雅宣 >>
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<感想>
@ 開祖・谷口雅春先生夫人の輝子先生は、マサノブ君が上記の如く紹介された「信仰と信念の人」であられました。無一物の開祖・谷口雅春先生とご結婚され、「夫と仰ぎ師と仰ぎて」(この名前の御著書あり)衆生救済と国家救済を同時成道せる「完成の宗教・生長の家」を生涯掛けて築かれた方であります。
A 一方、マサノブ君はどうでしょうか? 開祖・谷口雅春先生と輝子先生が生涯掛けて築かれた世界に冠たる「生長の家」を解体し、その『御教え』をばこの地上から抹殺すべく暴走していることは、今日の多くの教団信徒や教団外の世の識者達の共通に認識せるところとなっているのであります。
B 然し、マサノブ君は言うであろう。自分は「生長の家」を解体し、抹殺しようとしているのではない。『生命の實相』に説かれている通り、宗教も時代と共に自己変革を遂げていかなければ、その宗教は時代から取残されていくのだ。今までの古い酒は器と共にすて、新しい酒を新しい器に入れ替える使命が自分にはあるのだ。『生命の實相』の真理は古くなった。『甘露の法雨』読誦だけでは地球の環境破壊は防げぬ。鎮護国家思想も極めて古い思想の蒸し返しだ。原宿本部・総本山・宇治道場等の古い器は総入れ替えし、「森のオフィス」と言う新しい器を作って、「自然との共生」・「神・自然・人間の大調和」と言う新しい酒を注ぎ込む、この「新文明の構築」こそ自分が宗教家として為さねばならぬ今生の使命であるのだ、自分はこの意味での「信仰と信念の人」でなければならないと言いたいのでありましょう。
C ある人、問う。「然らば、新しい酒の入った器のレッテルも張り替えたら如何?」、マサノブ君は答える、――「“生長”という言葉はこれからもまことに相応しい名前だ。新文明の構築に相応しい言葉だから変える必要はないのだ。宗教も時代の変化と共にあってこそ無限に発展つまり“生長”していけるものなのだ。だから変えない。」ある人、更に突っこんで問う、「然らば、“家”という言葉も古いのではないのか? マサノブ君は答える。「今までの“家”の概念は、限られた家族の範囲を指す言葉であったが、これからの“家”は人類皆一つ、小さな家族団欒の家庭とか、民族国家意識を放棄して地球家族意識に変革していかなければならない。新文明の目標とする“家”とはこの「地球国家」とか「地球家族意識」のことだから『生長の家』と言う名前は変える必要を感じてはいない」と。
D 上記のようなマサノブ君の考え方は、日教組の戦後唯物論教育を受けた人の典型的考え方であって、共産党や社民党的な考え方に大変似通っているのみならず、宗教家として、それも「生長の家」の教えの継承者と自称にしろ名乗っているものとしては、「真理」の何たるかについての理解がお話にならないほどに浅はかさであることを示す以外の何ものでもないのであります。彼の論はすべて現象中心論であって、實相論を説かず、神性隠蔽を説かないのであります。マサノブ君は<真理とは時代と共に内容が変化するもの>と考えている。悠久不変の絶対的真理なんてないと云う解釈であります。だから、開祖・谷口雅春先生の『御教え』は“昭和”という時代背景の下に組み立てられたもので、21世紀の現代にはそのままでは通用しない、21世紀という時代背景の下に「マサノブ教」といわれようとも、開祖・谷口雅春先生の『御教え』のマチガイを訂正し、新しい教えを「生長の家大神」から直接啓示を受けて確立しつつあるのだ。「生長の家」を未来永劫に永続させていく為の変革だから、『生命の實相』と『甘露の法雨』に代わるものを採用し、「鎮護国家」を「世界平和」に替え、本部建物も地球環境保護に相応しい八ヶ岳に移した。これ等の改革は開祖・谷口雅春先生御夫妻も認めてくださるのだ、このように考えているようであります。
E 更に、昔の「教育勅語」的な人倫道徳の基準には何時までも拘泥すべきではないのだ。皇恩に感謝せよ、兄弟に感謝せよ、なんてグローバリズムの世界基準には合わない。新文明の時代の人間規範は<神・自然・人間の大調和>をこそ真っ先に掲げなければならない規範なのだ。欲望の巷の都会生活を止めて、自然と共生する田舎へ移住する。資金がなくて移住出来ない者は仕方ない、都会で欲望にまみれて生活せよ。「地球あっての人間」・「地球がなくなれば人間の存在価値なんてなくなる、だから地球の存立が第一条件」、と言う考え方に人類社会の生活価値観と世界観を変えて行く。これが自分に与えられた使命なのだ。だから、信徒から色々非難されている義兄・実弟の追放、お通夜の事件、開祖の焚書・原理主義者の坑儒等は開祖・谷口雅春先生御夫妻も止むを得ぬことだと認めてくださるのだ、このようにマサノブ君は考えているようであります。
F われわれの常識では到底理解の範囲を超えてしまっているマサノブ君の考えは、開祖反逆の考えでありますが、彼はそのようには考えないで、逆に開祖・谷口雅春先生・輝子先生も理解し許してもらっていると考えているのであります。そうでなければこの様な式典挨拶はできないのであります。普通人の常識では、「信仰と信念の人」・輝子先生の御文章を引用したならば、開祖反逆の自分の所業を考えるとこれまでの傲岸不遜な言行を大懺悔し、潔く総裁の椅子を降り教団を退去すべきにかかわらず、自分のことは棚に上げて、自己反省は一切せずに、信徒に対して<皆さんも、三正行を怠らずに毎日をていねいに生き、“神の子”の人生を自ら生き、また人々に伝えていって下さい。>などと一見尤もらしい上から目線の説教をなしている、これは誰が考えても彼の開祖反逆の所業の数々を考えるとオカシナ考えであると判断されるのであります。全く彼は二重人格であり、精神異常の状態にあるのであります。
G ここがマサノブ君の人間知のずるいところでありまして、輝子先生の偉大さを正面に引き立たせて、自分の開祖反逆と生長の家つぶしの悪行を蔭に隠してしまっているのであります。輝子先生の衣の影に隠れて、開祖反逆と生長の家解体作業を続行しているのであります。然し、輝子先生の本当の声を聞くならば、――
< マサノブ!いい加減にしなさい! お前は『御教え』を正しく把握していない。お前の『御教え』解釈はいつも自己中心主義で、得手勝手な解釈をしている。お前は生長の家の後継者に価しない人間だ。「生長の家」の解体なんて断じて許さぬ。即刻、辞任して教団から出て行きなさい!! >
このように厳しく叱責されるであろうことは想像に難くないのであります。
<追記>
なおマサノブ君は、この式典挨拶文の中で、関東大震災や東京大空襲によって首都東京が一面焼野原となった事も引用しておりますが、首都東京焼野原 = 原宿本部解体更地化 に通じるマサノブ君の深層意識の願望を表していると精神分析的には考えられるのであります。
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雅宣さんは、何も学んでいない・・・ (3864) |
- 日時:2014年04月27日 (日) 20時52分
名前:薔薇の花
「谷口輝子先生二十六年祭」で、雅宣さんは「谷口輝子先生の信仰と信念に学ぶ」と書いていますが、雅宣さんは何も学んでおりません。
輝子先生は、愛国者であり、日本精神を持たれた立派な日本人でした。
しかし、雅宣さんは「日本精神は死語」といって、反日的日本人の一人となってしまっております。
「谷口輝子先生の信仰と信念に学ぶ」というのであれば、マサノブさんは第一に「日本精神」を取り戻し、愛国者に転向する事ではないでしょうか?
又もや雅宣さんの「言行不一致」が追加されたと言えます。
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