生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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反・『御教え』・・・雅宣総裁語録と講評 <第十五話> (324) |
- 日時:2013年03月05日 (火) 09時35分
名前:信徒連合
< 第十五話 > 神想観「如意宝珠観」は現象観ですか?
(『聖使命』新聞・平成21年1月1日号)
<<「如意宝受珠観」を何十年ずっと行って来たのです。・・・このお祈りの言葉をよく考えてみますと「身健やかに」という事は肉体のことですし、「相形美しく」というのも肉体のことです。だから、この言葉はふさわしくないと云う事にきがつきました。・・・このお祭りを区切りにして唱える言葉を工夫したいと思います。>>
(講評)
もはや何おか云わんや!であります。三代目・雅宣総裁は(自称)法灯継承者でありながら、自分自身の何十年(?)続けてきた神想観が「實相観」ではなく「現象観」であったことを信徒の前に披露したのであります。神想観に関する最も基礎的なことすらも理解しておらなかったのであります。
神想観を実修する時の最も大切な事柄は「吾れ、今、五官の世界を去って實相の世界に入る。」であります。つまり不完全な物質・肉体ありと肉眼に映じていた現象世界を「無し」と観じて「無の関門」を透過して、完全円満・至美至妙なる實相世界に入ってなすのであります。實相の我れが只々、實相を観ずるのであり、肉体の我れが観ずるのではありません。
したがって、「身健やかに」の「身」は「實相身」そのものであり、「相形美しく」も現象世界の相形の無限相倍にも美しい完全円満・至美至妙なる實相世界の實相身のありさまを讃えているのであります。故に、唱える言葉の工夫(修正)など少しも必要ではないのであります。
三代目・雅宣総裁は最高位の指導者として『詳説・神想観』を果たして精読しているのでしょうか?
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