生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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<偽物>の教えと、<本物>の教えとの違いの考察 (中村晃生) (3903) |
- 日時:2014年05月02日 (金) 10時11分
名前:サーチャー
<光明掲示板> ======================================== <偽物>の教えと、<本物>の教えとの違いの考察@ (7894) 日時:2014年05月02日 (金) 05時59分 名前:中村晃生
<マサノブ教は、生長の家の宗教とは、全く別の宗教ある>
創立者の谷口雅春先生から2代を経た生長の家教団の3代目の「自称法灯継承者」である 谷口マサノブ氏は、昨年10月に東京の原宿にあった教団本部を破壊して、山梨県の八ヶ 岳の林の中に国際本部を移転しました。
私は、そのことをこれまでの論考<見えてきたマサノブ教の実態>の中で――今回の教団 移転を、名称だけは「生長の家」を依然として称しているものの、その実態は「生長の家」 とは全く無関係の「自然崇拝教団」であり、教えを全く変えてしまった、我々谷口雅春先 生の薫陶を受けた者としては絶対に許すことの出来ない、いわば「生長の家」の「革命教 団」である――ことを指摘しました。
しかし、「中心帰一」の言葉を意図的に悪用し、マサノブ教団のマインド・コントロール によって自分で考えることを否定されてしまった昔からの「信徒」の皆さん方は、「何か おかしい」と感じながらも、相変わらず上から言われるままに金を出し、喜びのないノル マだけの「地方講習会」の参加者獲得(それがマサノブ教祖の懐に入る)に駆り出されて いるのであります。
こうした状況を変えるためには、現在のマサノブ教の――どこが、本来の「生長の家」の 教えから見ておかしいのか、何が間違っているのか――を分かりやすく説明する必要があ ると、私は考えています。
そこで今回、<本物の教え>と<偽物の教え>の違いを、明示する論稿の連載をしようと 決意した次第です。
私としては、早く本論の「住吉大神と神功皇后」の連載に入っていきたいのですが、その 前にこの議論をキッチリやって、マサノブ教と本来の「生長の家」が全く関係が無いこと を論証しなければ次に進めない――という気がしております。
マサノブ教は、簡単に言えば――宗教団体などと言えるしろものではなくなってしまい、 現在の実態は、日本および日本的な価値のある存在を誹謗しつつ、自然環境を保護しよう と言う――単なる「反日環境保護団体」に堕してしまった過ぎません。ただその「本音」 を言ってしまったら、いかにマインド・コントロールされた従来の「生長の家」の信徒さ んたちでも、誰も付いて来ないでありましょう。
したがってマサノブ氏は、あくまでも「生長の家」教団を偽装しているのです。私に言わ せるならば、これはまさに「生長の家」に名を借りた「詐欺行為」です。
このようなマサノブ氏であればこそ――「生長の家」教団がぶっつぶれようが、信徒が激 減しようが――何ら意に介するところがないのであります。要は自分と家族が、自分が生 きている間はヌクヌクと信徒の皆さんの浄財と、これまで谷口雅春先生が培ってきた生長 の家教団の資金で飯が食っていけ、別荘でのセレブな生活が送れればそれで良いのです。
こうした点は、この掲示板の皆さま方も縷々ご指摘下さっていますが、私たちはまず、マ サノブ教祖のこうした邪悪な意図を、見破らなければならないのです。
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<偽物>の教えと<本物>の教えの考察A (3911) |
- 日時:2014年05月03日 (土) 22時41分
名前:サーチャー
<光明掲示板> ======================================== <偽物>の教えと<本物>の教えの考察A (7925) 日時:2014年05月03日 (土) 22時22分 名前:中村晃生
<完全に「生長の家」を捨て去ったマサノブ・自然崇拝教が、未だに「生長の家」を偽称 する「欺瞞性」を我々は許してはならない>
私は、今の「生長の家」教団に残っている信徒、ならびにイエスマンを含めた同教団職員 が、「自然崇拝教」のマサノブ教祖から、これまでの「生長の家」における自分たちの信 仰の形を――中身を変えられ、土足で踏みにじられ、ズタズタにされながらも、抗議する でもなく、文句を言うのでもなく、ただ唯々諾々とマサノブ教祖のするがままに任せて― ―傍観している人間の気が知れません。
こうした方たちに私は問いたいと思います――果たしてあなた達は、谷口雅春の「教え」 を受けた「信仰者」としいての「矜持は」、「誇りは」ないのですか――と。
本当に神様を「信仰する」ということは、自己の全存在を掛けて神様を「信仰する」とい うことなのです。自分を無にして神様を信仰することです。それが「み親神」に「帰一す る」ことの意味です。そうした心境に至って初めて、「親神様」も真剣になって私たちの 願いを聞いて頂けるのであります。それまでは「中途半端」な信仰であります。
その意味で、マサノブ教祖が「生長の家総裁」を自称しつつ、実態としては「生長の家」 とは全く無関係の「自然崇拝教」に衣替えし、しかも顕斎殿を土足で踏みにじったという ことは――私たちの「信仰」そのものがマサノブ教祖によって土足で踏みにじられたこ とと同じこと――なのであります。皆さん、そのことに怒りを感じませんか?私は、この ような「暴虐」は断じて許してはならないと考えます。
私は、マサノブ教祖の「自然崇拝教」が、「反生長の家」の教団であることが明らかにな った今、たとえどんなに「生長の家」を偽称しようとも、彼らの「欺瞞性」を許してはな らず、それを白日の下に曝さねばならないと考えるものであります。
生長の家の信仰の中核は、住吉大神をお祭りしている長崎本山の「顕斎殿」であります。 それを「自然崇拝教」のマサノブ教祖は、土足で踏みにじってしまった。これはどんな言 い訳をしても、私共は許すわけにゆきません。いやしくも「生長の家」を冠した宗教団体 であるならば、こんな暴挙をなぜそのままにして置くのか!
あるいは教団に残っている信徒さん方は、「見ザル」聞かザル「言わザル」の「三ザル」主義に 徹しているのかもしれません。敢えて現象面を見えない振りをしてマサノブ教祖に付いて ゆこうというのでしょう。
<今の自然崇拝の「マサノブ教」に、谷口雅春先生が創立された「生長の家」の果たして 何が残されているのでしょうか?>
今のマサノブ教には「生長の家」の看板だけは残っていますが、実態として果たして「生 長の家」の何が残っているのでありましょう?
この点をまず皆さんと共に検証してみたいと思います。
1)御本尊:これまで論じてきましたように、マサノブ教では「生長の家の大神」つまり 「住吉大神」は崇拝していません。何を崇拝しているのかは、マサノブ教祖はまだ明確に していません。
2)経典:住吉大神がご啓示された聖経「甘露の法雨」は、最早「マサノブ教」には存在 しません。最高裁にまで至る、度重なる訴訟にことごとく敗訴し、今やその帰属は明白に 「生長の家社会事業団」にあります。そしてマサノブ教祖は、あろうことか「聖経を補足 する」との言い訳のもと、自作の2つの偽経を作成し、これの読誦を信徒に強要している のであります。今ではこの偽経が経典となっています。
3)聖典「生命の実相」:これも聖経と同様に訴訟で「生長の家社会事業団」に帰属して しまい、「マサノブ教団」には現在はありません。
4)教え:谷口雅春先生が説かれた膨大な真理の著作(特に大事な国家観、愛国心に触れ たもの)は、その多くを「絶版」にして一般信徒の目から触れなくさせ(したがって教え の核心である「縦の真理」は教えずに)、ただ「横の真理」のほんの一部に過ぎない「四 無量心」と「日時計主義」だけを教えている。
5)練成:このような谷口雅春先生の教えの中核を敢えて教えないため、練成会はお絵か きや、近所の神社への散歩、仏閣への「観世音惨禍経」の拝読(福岡県での練成会の場合) などと、かつての練成会とは比べものとならないほど力の無い、訳のわからない練成会と 化し、したがって「奇跡的な治病体験」など、皆無となってしまった。
仮面だけは「生長の家」であっても、その実態は生命のない「自然崇拝教」では、私は今 では、何か恐怖映画に出てくる「ゾンビー」――姿形は人間のままだがその中身は、実は 死霊――の教団のような印象すら受けます。今や、実態としての谷口雅春先生が創設され た「生長の家」は、この教団には存在しません。ただその「看板」が残っているだけです。
「自然崇拝教」と化したマサノブ教にいまだに残っている旧来の「生長の家」信徒の皆さ ん、いい加減にマインド・コントロールから目を覚まして下さい! ========================================
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<偽物>の教えと<本物>のおしえの違いの考察B (3922) |
- 日時:2014年05月05日 (月) 13時43分
名前:サーチャー
<光明掲示板> ======================================== <偽物>の教えと<本物>のおしえの違いの考察B (7957) 日時:2014年05月05日 (月) 05時37分 名前:中村晃生
<次第にカルト化しつつあるマサノブ教>
昨年秋に原宿の「生長の家」本部を離れ(その後、彼はついには本部建物を様々な理屈を つけて破壊、解体してしまいましたが)、八ヶ岳の「森のオフィス」に移転した後、最近 のマサノブ教祖の「自然崇拝教」は、頭のおかしくなったマサノブ教祖の下、ますますお かしなことをし始めています。
その始まりが、昨年10月の「森のオフィス」の披露式典でした。
マサノブ教祖が挨拶している途中で、舞台後方の正面に掲げてあった「実相」の御軸をス ルスルと引き上げ、正面のガラス越しに一面の雑木林を現出させたのであります。おそら くこの演出は、建造物の設計段階――したがって数年前から――からマサノブ教祖が頭の 中で懸命に練ってきたものでありましょう。この光景を見た誰もが「何が起きたのか」と の疑問を持ち、一面の「雑木林」の出現に「アッ」と思ったのです。
その意味では、よく考えた「披露式典」だと思います。
「生長の家の大神」を――何とかないがしろにし、しかも念願の「自然崇拝教」を代わり に演出するにはどうしたらいいのか――の「演出」であります。もちろん、そんなことは マサノブ教祖個人では、考えられません。背後にいる黒幕の人物(?)などや設計者と、 事前に練りに練って打ち合わせをしたはずです。
その意味では確かに彼は――「生長の家」を谷口雅春先生が作った教団とは全く異なるも のに変質させようと意図する――邪悪な「確信犯」であると言えるでしょう。
つまり、「私の新しい教団では、拝礼対象を『実相』の掛け軸ではなく、『雑木林』にす るのだ」――との。その証拠に、彼は挨拶の最後で、何と「雑木林」に向かって一礼した のであります!!
しかしながら(この行為のどこが自称「生長の家の法灯継承者」がすることなのでしょう? これではまさに「法灯破壊者」ではないですか!)このような「奇怪な」行動を、多数の 来賓や衆人監視の中で堂々と行うのですから、やはり彼は気が狂っているのでしょう。少 なくとも正常な感覚ではとてもこんな可笑しなことはできません(でも彼自身にして見れ ば、谷口雅春先生の教団の儀式を「否定して乗り越えた」と、得意満面だったのかもしれ ません??)。
これだけでも衝撃的でしたが、今度は「生長の家」教団にとっては「聖地」とも言うべき 長崎本山の住吉大神の顕斎殿を、あろうことか土足で踏みにじったのであります!(もっ とも彼は「長崎本山は聖地でない」と以前から公言していましたので、彼の論理からして みれば驚きでも何でもない当然の帰結であり、新教団にしてみれば、当然の儀式だったの かもしれません。つまり聖地でなければ何でもありな訳です!)
この当日のことは、皆さんもよくご承知だとは思いますが、「実相」の御軸は布で隠され て見えなくし(これは現象肯定、実相否定のマサノブ教の思想を反映したものです)、「外 国人も登壇するから」といった屁理屈の下、顕斎殿の演壇にわざと来賓の人々を土足で登 壇させました。本来の「生長の家」であるならば、また「真実の」法灯継承者であるなら ば、顕斎殿には来賓も外国人も土足は脱がせて登壇させるべきであったでしょう。
しかし、マサノブ教祖は敢えて「生長の家」の大神をないがしろにするために、土足で登 壇させたのであります。これはマサノブ教が公然と――「生長の家」の権威と儀式に反旗 を翻した――という証拠であります!
この点を我々は、見逃してはいけないと考えます。マサノブ教は、今や――「生長の家」 の看板だけは捨てないで、完全に詐欺的な「反生長の家」教団と化してしまった――ので あります。
でも考えてみれば、この「反生長の家の演出」も意図的に事前に十分計算されたものであ りました。つまり一般信徒から見れば「聖地」であろうとも、敢えて皆を演壇に土足で上 がらせ、その神聖性を否定することで、自分への従属と、新教団の方針を信徒に広める格 好の場だったのです。
つまりは、従来の「生長の家」を否定し、「マサノブ教」が主人公であることを信徒の心 に植え付けるための「示威行為」を演出したかった訳です。
<カルトとは何か?>
何もない単なる「雑木林」に向かって拝礼したり、「実相」の御軸をワザワザ見えなくし たり――我々の目から見ても「どうもおかしい」「気が狂っている」としか思えないマサ ノブ教です。「生長の家」の教えから離れ、住吉大神のご加護から離れてしまったマサノ ブ教の「自然崇拝教」は、一体どっちの方向に行くのでありましょう?本掲示板投稿者の 皆さまが危惧されているように、「危険なカルト教団」の方向に向かっているのでしょう か?
そうした疑問を持った私は、カルト宗教に詳しい専門家の本を読んでみました。藤倉善郎 という方が、「カルト宗教取材したらこうだった」との本を書いています。彼は過去10年 以上も各種の「カルト教団」と言われる宗教を取材してきました。その道では、オ―ソリ ティな訳ですが、彼がカルトかどうかを判断する際の基準として、面白いことを書いてい ます。
>カルトが滑稽に見えるのは、彼らが一般的な常識(一般的な宗教観も含む)から、あま りにもかけ離れた論理と行動様式をとっているせいだろう。「普通」でないこと自体は悪 いことではない。しかし、なぜ「普通」でないのかを考えたときに、そこには社会性のな さや幼稚さが見出せる。そのことが、常識では理解できない構造で被害が発生する原因で はないだろうか。だとすれば、笑えるカルトほど危険であると言えるかもしれない<
確かに「一般的な常識(一般的な宗教観も含む)から、あまりにもかけ離れた論理と行動 様式をとっている」マサノブ教祖の「自然崇拝教団」は、「社会性のなさや幼稚さが見出 せる」のであります。藤倉氏の判断基準からすれば「マサノブ教」は、まさにカルトの範 ちゅうに入っているのです。
つまりカルト教団化しつつあるマサノブ教の教祖そのものがおかしくなっているのだとす れば、「おかしい」「気が狂っている」などと笑ってはいられないのかもしれないのです。 藤倉氏が言うように「そのことが、常識では理解できない構造で被害が発生する原因では ないだろうか。だとすれば、笑えるカルトほど危険であると言えるかもしれない」訳です から。
かつて白塗りのワゴン車に「スカラー波を跳ね返す」というグルグルマークのシールを貼 り付け、信者たちも白装束に身を包んだ「パナウェーブ研究所」なるカルト教団が林道を 占拠して立てこもった事件が起き、テレビを賑わせておりました。何の変哲もない「雑木 林」に向かって本気で礼拝するマサノブ教の「自然崇拝教」にも、そうしたとんでもない 宗教団体に発展する危険性があると予感させます。
もともとはマサノブ教祖の「個人幻想」から出発したマサノブ教ですが、迷いの道に入り 込んだ今、マサノブ教祖とマサノブ教そのものが、「生長の家の大神」の導きを受けない まま、聖経にいう「転倒妄想」の世界にさまよい込む危険性を感じるのです。
皆さんはどう思われますか? ========================================
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<偽物>の教えと、<本物>の教えとの違いの考察C (3933) |
- 日時:2014年05月06日 (火) 11時55分
名前:サーチャー
<光明掲示板> ======================================== <偽物>の教えと、<本物>の教えとの違いの考察C (7982) 日時:2014年05月06日 (火) 06時49分 名前:中村晃生
<谷口雅春先生が「生命の実相」の中で予告されていた「反生長の家」=マサノブ教>― ―そのT
この5月の「ゴールデン・ウィーク」の連休を前に、私はライフワークである本の執筆の 取材のため、4日間ほど関西地区を旅行しました。その中で、10年前に「学ぶ会」を立ち 上げた関西地区の同志の皆さま方と久しぶりに旧交を温め、会食、懇談する機会に恵まれ ました。
この10年間、谷口雅春先生の「教え」を守るために、マサノブ教と身命を賭して戦って 来た人たちです。いろいろと面白い話や苦労話も聞けました。その話の中で、今の「気が 狂ったような」マサノブ教の「変貌ぶり」に関しては――戦前の「生命の実相」第16巻 の復刻版である「古事記と日本の世界的使命」の本の中にヒントがあるかもしれない―― との示唆を頂いたのであります。
帰京後、私はさっそく先生のその書を読んでみて、ビックリしました。何と、そこには私 が長らく抱いていたマサノブ教に関する疑問の数々の回答の多くが、ズバリと書かれてい たのであります!
<解けた謎、疑問>
その疑問の第一は、「一体マサノブ教祖は、どんな神を礼拝しているのか」ということで ありました。
私は、これまで様々な角度からマサノブ教の謎めいた「御本尊」について論じ、検証して きました。でもマサノブ教祖は、自身のブログでこそ、観世音菩薩――ムスビの2神―― アメノミナカヌシの神――などと、次々と、ああでもないこうでもないと論じますが、依 然として一番大事な「御本尊」つまり礼拝の対象については明言していません。
宗教団体にとっては、最重要事項のはずですが、マサノブ教祖の「自然崇拝教」において は、よほど「明言できない存在」なのでしょう(笑)。
マサノブ教祖が「生長の家の大神」である「住吉大神」を毛嫌いし、ないがしろにしよう としてきたことは、原宿の教団本部に安置してあった「住吉大神」の御神像を、土足でも って作業員らに撤去させた、しかも撤去作業に教団の人間は一人として立ち会うことなく (わざと立ち会うなとの指令を出したとしか思われません)、移転されるのを聖経をあげ て見送ったのは「学ぶ会」の同志の皆さんだったのですから。
あまつさえ現在では、御神像の下には単なる「彫像」とだけ表示(何たる侮辱だろうか!!) して、八ヶ岳教団の敷地の庭にポツンと風雨に曝して放置したままにしていることで明ら かであります。つまり、彼は「生長の家の大神」に対する尊敬の念などは。爪の垢ほども 持ち合わせていないのであります!
でも、谷口雅春先生が戦前に書かれたこの本の中に、私のマサノブ教に対して抱いていた 疑問に対する回答がありました。そこには
>ユダヤの国魂神(くにたまのかみ)なるヤマタノオロチがその深謀遠慮を以て、「古事 記」の書かれたる時代以前より計画せるユダヤ民族の世界統一運動こそ、八稚女(やおと め)をのみほして、世界を「赤」一色で塗りつぶさんとの運動でありますから、地上にお けるユダヤ民族の世界統一の陰謀(あるいは無意識的なるその作謀を助ける行動)などは、 ユダヤ民族の守護神(国魂神)の傀儡(かいらい)となっているに過ぎません。そこで天 照大御神を祖神(おやがみ)として全世界より祖国として仰がるべき天爾惟神(てんにか んながら)の使命を有せる日本国の神々は、ユダヤ民族の守護神にとっては一大脅威であ りますから、まず、日本民族の守護神とユダヤ民族の守護神との間に戦(いくさ)が起こ るのであります(P161〜162)<
谷口雅春先生のこの本(戦前の「生命の実相」16巻)は、戦前に書かれたものでありま す。私も前に読んだ時には、「単なる戦前の世界情勢のことだろう」と軽く考え、さほど 気に止めませんでした。
でも今回、改めてこの部分を読んだ時――これは、今まさに我々が「戦っている」現在の 「マサノブ教」のことをおっしゃっている――ということに気が付きました!つまり、ユ ダヤ民族の守護神は「戦前」にだけ活動しているのではなく、「現代」にあっても活発に 活動していて(神の存在は時間を越えていますので、ある意味当然と言えば当然なのでし ょうが、我々が自身が時間の制約の中で生きているので、そのことに気が付かないのです。
つまり、「日本民族の守護神(生長の家の大神である住吉大神)とユダヤ民族の守護神(悪 神)との間には、現在ただ今でも「戦(いくさ。)」が起きていた訳です。ただ、それが ユダヤ民族の守護神(悪神)に憑依され、その傀儡となった現在のマサノブ教祖と「マサ ノブ教」であったことに皆さん(私も含め)気が付かなかったという訳です。だからこそ マサノブ教の「カルト化」を危惧していたのでありました。
<マサノブ教は、ユダヤ民族の守護神(国魂神)の傀儡(かいらい)だった>
ここに書かれた「ユダヤ民族の守護神(国魂神)の傀儡(かいらい)」とはまさに「反生 長の家」と化してしまった「自然崇拝教」を標榜するマサノブ教そのものなのです。
そう見てくると、<偽物の教え>のマサノブ教の陣営と、我々谷口雅春先生の<本物の教 え>を死守しようとする「学ぶ会」の陣営との戦いの「構図」が良く見えてきます。
また、なぜマサノブ教祖が「気がおかしい」と思えるほどに――「反日」「反天皇」「反 生長の家」なのか、なぜマサノブ教祖が左翼思想から脱却できないのか(「世界を「赤」 一色で塗りつぶさんとの運動でありますから」)、なぜ最近富にマサノブ教祖が「カルト 化」していると危惧されるような「おかしな」奇行をし、おかしな発言をするのか――な どの数々の疑問も氷解してきます。
つまり彼は、ユダヤ民族の守護神の「傀儡」つまりは「操り人形」に過ぎないので、問題 の発生源は、そして我々の本当の闘いの相手は、実はマサノブ教祖に憑依している「ユダ ヤ民族の守護神」(悪神)なのであります。
その点、谷口雅春先生はより詳細に、
>そして各民族の守護神は神としてのみ互いに優劣を決するのではなく、地上の権力の掌 握を狙っているのでありますから、地上の人間の行動は、天上の各守護神の思念の力によ ってその傀儡となり、人間自身で考えた行動の如く錯覚しながら、実はその意思(思い通 り動かすこと)の下に働いているのであります。しかも思念は、精神波動の類似(波長の 共鳴)によって感応するのですから、ユダヤ的なる思想をより多く有するものは、ユダヤ 民族の守護神の思念波動に左右されて、知らず知らずに日本に不利な行動をとりつつあり、 より多く日本主義的思想を有するものは日本民族の守護神の思念波動に左右せられて、知 らず知らずに日本に有利なる行動をとりつつあるのであります。地上を見ていれば、人間 と人間との葛藤でありますが、その本源を見れば、天の戦であり、ユダヤ民族の守護神と 日本民族の守護神との戦いなのであります(P162〜163)<
と解説しておられます。
「マサノブ教」そのものは、マサノブ教祖が独自の「人間至上主義」という概念のもとに 「自然」と「人間」と「神」の「大調和」を目指そうという宗教に「環境主義」を導入し た「文明論的な」画期的な宗教であると、彼は自認しているようであります。でも、それ も実は――「地上の人間の行動は、天上の各守護神の思念の力によってその傀儡となり、 人間自身で考えた行動の如く錯覚しながら、実はその意思(思い通り動かすこと)の下に 働いているのであります。しかも思念は、精神波動の類似(波長の共鳴)によって感応す るのですから、ユダヤ的なる思想をより多く有するものは、ユダヤ民族の守護神の思念波 動に左右されて、知らず知らずに日本に不利な行動をとりつつ」ある――だけのことであ ります。
つまり、これも特段、彼が考えだしたものではなく、その裏の「創作者」――彼の唯物論 的思考に合わせ、現代の環境保護論を巧みに混ぜ合わせた――は、ユダヤ教の守護神つま り悪神であったという訳です。
我々の「尊師谷口雅春先生の教え、並びに祖国日本と天皇様を擁護する」との決意と行動 は、実に「住吉大神」を始めとする日本民族の守護神の皆さまの意思に基づいて行われ、 支えられている訳で、改めて――必ず勝つとの「必勝の信念」を抱いて――戦わねばなら ないと、感じる次第であります。
同志の皆さま、頑張りましょう! ========================================
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<偽物>の教えと<本物>の教えとの違いの考察D (3941) |
- 日時:2014年05月07日 (水) 10時59分
名前:サーチャー
<光明掲示板> ======================================== <偽物>の教えと<本物>の教えとの違いの考察D (8010) 日時:2014年05月07日 (水) 07時53分 名前:中村晃生
<谷口雅春先生が「生命の実相」の中で予告されていた「反生長の家」=マサノブ教>― ―そのU
<私が受けた親神様からの啓示>
マサノブ教祖が「ユダヤ民族の守護神の傀儡となって働いている」といった先生の御著書 の中の指摘を読んで、思い当ったことがあります。それは、過去に私が本掲示板で指摘し たこと――私に降りてきた親神様(住吉大神)からの啓示――と、この本の中に書かれて いることが、ピッタリと符合するということです。
数年前、どうしてもマサノブ教祖が何の神を崇拝しているのか分からなかった私は、毎朝 晩、祈念している親神様に、「マサノブ氏はどなたを拝んでいるのか教えて下さい」と祈 っていました。
彼が「生長の家総裁」を演じつつも、「住吉大神」を毛嫌いしていることは良く知ってい ました。でも、しからば何を拝んでいるのかは、何も彼が明らかにしないため、皆目見当 がつきませんでした。おそらくは何かの邪神――フリーメーソン系の悪魔かも――と、想 像してはいましたが・・・
それがある日突然、しかも白昼に「それはバール神である」とおごそかに、私の胸にドン と大きく鳴り響いた(バイブレーション)のであります。親神さまからの啓示、解答でし た。
声が聞こえた訳ではありませんでした。
しかし、体にグッと来るほどの激しい「響き」(バイブレーション)であり、神様からの 解答であることは間違いようがありません。
このような体験は、初めてでした。私は、良く「霊的なビジョン」を神様から頂くことは あります。それが夢の中の「明晰夢」であったり、神想観あるいは瞑想中であったり、白 昼の「幻視」であったりします。
でもこれらの現象は突然に起きるので、私が意図して経験するものではありません。私の 人生にとって必要な事件、事象起きる前に、突如として「現出する」のです。ですから私 は、神様からの「恩寵」として、時々こうした事象を経験させて頂いてはいますが、日常 的な霊能力を持っている訳ではなく、通常な意味での「霊能者」ではないと自認していま す。極めて普通の人間であります。
でも彼の礼拝の対象である「バール神」をたとえビジョンで見せられても、現在の私では それが何だか分からなかったでありましょう。神様は、私の霊的な進化度を良く御存じで、 やはりバイブレーションによる解答の方が適切でありました。
この啓示では、具体的な「神名」がお示し頂き、彼に誰が「憑依しているのか」が、良く 分かりました。でもマサノブ教祖が礼拝している(おそらくは憑依されているので、本人 にそうした自覚はないかもしれませんが)対象が、なぜオリエントの神でキリスト教では 悪魔視されている「バール神」なのか――は、私にもよく分かりませんでした。
啓示を受けた当時、この掲示板にも「一つの情報として受け取って下さい」と、「バール 神」のことは書きました。でもなぜマサノブ教祖に「バール神」が掛かっているのか、当 時はその必然的な理由も分からず、したがってその確信もあまり無かったのであります。
だからこそその後の私の論稿の中では、マサノブ氏に憑依していると思われる存在のこと を「バール神」とは書かずに、「神とは別の存在」あるいは「外国の悪神」と敢えて書い ていたのであります。
しかし――戦前に谷口雅春先生が書かれた本の中に明示されている[ユダヤ民族の守護神] (悪神)、つまり「バール神」が今日でも活発に行動しており、マサノブ教祖に憑依して いるのだ――と解釈すれば、両者の情報はピッタリと符合します。
私がこれまでも度々、本掲示板上で「マサノブ教の」存在に関して、「外国の悪神からの 日本の正神に対する攻撃である」といった判断を書かせて頂いていましたが、それが図ら ずも谷口雅春先生のご本によって証明されたと言っていいでありましょう。
それにマサノブ教祖の最近の様々な奇行――式典で国旗に一人だけ尻を向けた、雑木林に 深々と拝礼した――や、最近の暴走ブリ――顕斎殿に土足で登壇させる、「実相」の御軸 を隠す、式典から神道形式を外す――なども、その原因が良く分かって来るではありませ んか。
これらもマサノブ教祖自身の突然の精神錯乱的行為というよりも、後ろで操っている「ユ ダヤ民族の守護神」(悪神)がさせていたのです。
つまりは「森のオフィス」に移行して「革命」を完成させた「マサノブ教」に対して、「ユ ダヤ民族の守護神」(悪神)は――いよいよ敵である「生長の家」を無きものにする「総 仕上げ」を目論んでいる――と考えた方が正解だと思います。
まだまだ戦いはこれから本格化するでしょう。皆さん、我々は「生長の家の大神」である 住吉大神、つまり「日本民族の守護神」(正神)を背負っているのです。負ける訳にはい きません。共に頑張りましょう! ========================================
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<偽物>の教えと<本物>の教えの違いの考察E (3949) |
- 日時:2014年05月09日 (金) 00時11分
名前:サーチャー
<光明掲示板> ======================================== <偽物>の教えと<本物>の教えの違いの考察E (8042) 日時:2014年05月08日 (木) 05時01分 名前:中村晃生
<谷口雅春先生が「生命の実相」の中で予告されていた「反生長の家」=マサノブ教>― ―そのW
<バール神とは何か――古代オリエントで広く信仰されていた>
では、この「バール神」とは一体何ものでしょうか?
私もその後、本を読むなどして、「バール神」のことをいろいろ調べてみました。一つ分 かったことは、「バール神」はかつて古代オリエントでかなり広範囲に信仰されていた神 であったということです。古くは、紀元前1400年ごろに栄えた貿易国家の「ウガリット」 (シリア北部にあった)が、この「バール神」を信仰していたことが明らかになっていま す。この国家でアルファベットの原型が生み出されました。1928年に発見された「ウガ リット文書」の中に、「バール神」の記述が見出されるのです。この「バール神」は、頭 に牛の角を持つ「牛頭神」であり、「豊穣、多産、繁栄」の神でもありました。おそらく はオリエントの地において牛が耕作者としての偉大な働きをしていたためと思われます。
古代オリエントの最も優れた海洋民族と言われるフェニキア人も「バール神」を主神とし ていました。この人々がウガリットの文化を受け継ぎ、「バール神」をも広めていったよ うです。フェニキアの植民地であったカルタゴには有名なハンニバルという武将がいまし た。そのハンニバルは象に乗って軍隊をアルプス越えさせて、ローマに攻め込むのですが、 結局は戦いに敗れ、カルタゴは滅亡します。そのハンニバルの名前が「バール神に愛され し者」という意味だそうで、いかにこの「バール神」が人々の間で流布していたかが分か ります。
<キリスト教では「悪魔」と解釈されているバール神>
もっともユダヤ民族の宗教の中では、この「バール神」は敵視されています。旧約聖書の 中でも「バール神」の記述はいくつかありますが、いずれも良く書かれていません。主神 の「ヤ―ベ神」は、「わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の 家から導きだした者である。あなたはわたしのほかになにものをも神としてはならない」 と、出エジプトのリーダーであったモーゼに、このように命令しています(出エジプト記)。
また「列王紀」の中には、バール教が弾圧されたり、バール教の神官が皆殺しにされたと いうことが書かれています。つまり、ユダヤ教の中では「バール神」は排斥され、信者は 迫害されているのであります。
しかし、モーゼがシナイ山に登って主神の「ヤ―ベ神」(厳しい戒律の神ではありますが) から「十戒」の石板を頂いて、下界に降りてくるまで、ユダヤの民は待ち切れずに、身に 着けていた金の指輪やネックレスを集めて溶かし、黄金の雄牛像の「バール神」の像を作 って拝むのであります。
つまり、それだけ一般のユダヤの民衆の間には「バール神」への信仰が広まっていたこと が分かります。もっとも旧約聖書によれば、主神の「ヤ―ベ神」はこのことで怒り、拝ん でいた人々を罰するのでありますが・・・
<実は二重構造になっているユダヤの民族神。バール神はユダヤ民族の持つ「貪欲性」の 象徴>
一般にキリスト教では「バール神」は「悪魔」のことであるとされています。というのも、 主神の「ヤ―ベ神」が「他の神を拝んではならない」と排斥しているからです。そしてシ ナイ山のユダヤ人たちが、黄金の指輪やネックレスを集めたようにこの「バール神」が「貪 欲」を象徴しているとされているからです。
ユダヤ教の主神「ヤ―ベ神」からは敵視されているこの「バール神」ですが、実際には当 時から多くのユダヤ人から崇拝されていたことは、旧約聖書の記述の中でも明らかです。
一口に「ユダヤ人」と言っても実際には大きく分けて、信仰にはさほど熱心ではない「世 俗派ユダヤ人」と、信仰深い「正統派ユダヤ人」(オーソドックス・ジュウと呼ばれ、常 に黒い服上下を着用し、黒い帽子を被っているのですぐ分かります。ニューヨークのダイ ヤモンド商は、ほとんどこれらの人々です。また古都エルサレムでも「嘆きの壁」でしき りに祈っているこれらユダヤ人の姿を見受けることが出来ます)の2つが存在しています。
世界一般にユダヤ人が嫌われているのは、シェイクスピアの「ベニスの商人」の中に出て くるような「お金」のためには「血も涙もない」ような、いわば「守銭奴」としてのユダ ヤ人なのです。信仰にはさほど熱心ではない「守銭奴」のような「世俗派ユダヤ人」の場 合、本人が自覚しているか否かにかかわらず、このような「貪欲」な精神が「悪魔」を「憑 依」させてしまうのです。だから主神の「ヤ―ベ神」がいるにもかかわらず、邪神の「バ ール神」が力を持ってくる訳です。
谷口雅春先生が言及されている「世界統一の陰謀」を抱いている「ユダヤの守護神」とい う場合、私はそれは「ヤ―ベ神」というより、「バール神」なのだと判断しています。 つまり、日本民族の守護神(正神)を敵として「戦い」を挑み、しかも世界統一を目論む というのであれば、「戒律」の神であり、時として戒律を破った場合に「厳罰を」与えこ そするものの、それはユダヤ民族の主神である「ヤ―ベ神」とは考えにくいのです。
いわば「悪神」、「悪魔」としての「広い意味でのユダヤ民族(オリエント)の神」とい うのであれば、それはやはり「バール神」でありましょう。「世界の金融資本」を牛耳っ ているユダヤ人です。でもその「金の力で世界を支配しようとする心」は「貪欲」の悪神 である「バール神」に憑依されてしまうのです。ユダヤ人は、国家を滅ぼされた後、「流 浪の民族」となってしまったため、その後は「金の力」で世界を支配しようとしています。 実際、欧米の主要な国家は、事実上ユダヤ民族の金融資本家――ロックフェラーやロスチ ャイルドなどに代表される――によって牛耳られているといって過言ではないでしょう。
それに「フリーメーソン」や「イルミナティ」などの秘密結社がさらに政治的、文化的な 支配を目論んでいます。実際に、「フリーメーソン」や「イルミナティ」といったユダヤ 民族を中心とした世界統一のための世界的な「秘密結社」は、崇拝している神を明らかに していません。しかし、「悪魔崇拝」であるとの噂は昔から流れており、その意味からす るとやはり「バール神」を崇拝しているのではないかと想像されます。
<ウォール街にいるバール神>
それに関連して興味深いことですが、世界の金融資本の中心地(つまり「貪欲」の中心地) であるニューヨークのウォール街に大きな「突進する雄牛の像」が飾られていることです。 これは英語で「BULL」(証券用語で買い方、強気筋の意)を象徴して、証券取引の中 心地に置かれているのですが、ある意味、「貪欲な」人間の深層心理を反映しているとも 考えられます。つまり現代の「バール神」(ユダヤ民族の悪神)の像とも考えられると、 私は思います。
今日的観点から、谷口雅春先生がご指摘のような「世界統一」を目指す「ユダヤ民族の神」 を考えると、やはりそれは「金融資本」つまり「貪欲」を象徴する「バール神」のことを 指しているのだと考えられるのです。
そうだと仮定すると、「反日」「反天皇」「反生長の家」のマサノブ教団も「バール神」に 支配されているということで、2つの情報が一致する訳です。やはりマサノブ教は、ユダ ヤの悪神の「バール神」に支配されているのです! ========================================
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<偽物>の教えと<本物>の教えの違いの考察F (3951) |
- 日時:2014年05月09日 (金) 12時54分
名前:サーチャー
<光明掲示板> ======================================== <偽物>の教えと<本物>の教えの違いの考察F (8069) 日時:2014年05月09日 (金) 04時11分 名前:中村晃生
<谷口雅春先生が「生命の実相」の中で予告されていた「反生長の家」=マサノブ教>― ―そのV
<なぜマサノブ教祖は「今後神道形式を廃止する」と言うのか>
最近のマサノブ教祖の突然の「今後は神道形式を廃止する」との宣言に関しても、谷口雅 春先生のこの本の中で、分かりやすく示されております。
>かつてキリスト教が日本に輸入されて来た時に、彼ら牧師は神社に参拝するのは偶像崇 拝であるという名の下に、日本人の神社崇拝を排撃した。これなども実はユダヤ民族の守 護神の思念に牧師らが操られて、日本国民の良俗を廃せしめ、ユダヤの神を拝せしめ、日 本民族の守護神の神力の糧道を絶ち、ユダヤ神の神力の増大を謀ろうとしたのであって、 背後にユダヤ民族の守護神の陰謀が働いているのであります。
なぜ、神社の神々を拝することを偶像崇拝の名の下に礼拝せしめなくなったならば、その ことが日本民族の守護神の神力の糧道を絶ち、日本民族の守護神の力を弱めることになる かと申しますと、
@神社に祭祀されている神々は、諸皇族方の御霊魂は申すまでもなく、おおむね古来日本 神国のために功労のあった忠臣傑士の英霊であって日本を守る守護神となっていられるか らであります。
Aさらに心霊学上より申せば、霊魂は物質的食物を食しては力を増さず、礼拝者の愛と崇 敬の念波を食してその神通力を増すのであるから、一朝、日本国民が誤れるキリスト教牧 師の示唆に従い神社拝礼の良俗をやめてしまいますと、日本民族の守護神の神通力は薄れ、 従ってその守護の力は微弱となって、地上日本もその影響を受け、外国からの侮りを受け ても如何ともしがたくなるのであります。(P163〜164)<
このご文章を読みますと、マサノブ教祖が「偶像崇拝の名の下に」住吉大神のご神像を礼 拝することを止めさせ、同じ理由の下に「実相」の御軸も礼拝の対象にさせないように隠 ぺいしてしまったと推定することができます。つまり、「日本民族の守護神の神力の糧道 を絶ち、ユダヤ神の神力の増大を謀ろうとしたのであって、背後にユダヤ民族の守護神の 陰謀が働いている」と、考えられるのです。
そこで、極めて突然で奇異に聞こえるマサノブ教祖の「神道形式撤廃宣言」でありますが、 「神道の形式」を止めるということは、「生長の家」教団がこれまで準拠していた――神 道の神様、つまり住吉大神に対する礼拝や礼拝行為をも止める――ことを意味します。こ れからの「マサノブ教」の行事では、先般の式典でマサノブ教祖夫妻が着ていたような黒 と白の礼服(?)と、何だか分からないがやたらと長たらしい歌などを、挙げるのであり ましょう。ますます奇妙奇天烈な教団になって行くと思われます。
しかし、これは明らかに――「生長の家」の信仰形態を破壊する――との宣言であり、「法 灯の継承」とは正反対の「法灯の破壊」行為であります。
つまりマサノブ教が、最早――背後にユダヤ民族の守護神の陰謀が働いている――「反生 長の家」教団となってしまったと、捉える必要があるでしょう。そしてマサノブ教祖は最 近ますますあらぬ方向に暴走しているようです。
最近の本掲示板にも、
>生長の家「総裁」ともあろう方が、天孫降臨されたのは神武天皇だったと言い、その上、 今年の紀元節の式典は欠席。また今回の幹部研鑚会では、「日本のご皇室が韓国から来た」 とまで言い出す始末<
と書き込まれてありましたが、ますますもってユダヤの悪神の憑依の度合いが強くなった のではないかと危惧されます・・・
<マサノブ教にいる人々の精神もユダヤ民族の悪神に次第に侵されて行く>
しかし、問題はマサノブ教祖夫妻の「精神異常」だけに留まりません。マサノブ教団は、 今や「全面的に」ユダヤ民族の守護神(悪神)の軍門に下ってしまったと考えるべきであ ります。ということは、本掲示板の中で皆さまが最近ご指摘のように。マサノブ教団に残 っている人々の精神が、次第におかしくなっているのです。――「自然惨禍経」を毎日読 んで精神に異常をきたした人がいる、かつては明るかった人の顔が暗くなった、少しでも マサノブ教の批判をすると狂ったようにヒステリックに反論してくる――といった、これ までの「生長の家」では考えられないような様々な「異常な」現象が、現れてくるという のも、うなずけます。
つまり、マサノブ教に残っていると、次第にユダヤの守護神(悪神)に人間の精神までも が侵されて行きます。そして次第にマサノブ教祖の言うことが正しいのだと「洗脳」され て、その人たちまでが「反日」「反天皇」「反生長の家」――谷口雅春先生がお説きにな った教えとは正反対に――なって行くのです。それが「マサノブ教団」に憑依したユダヤ 民族の悪神の狙いであり、思惑なのであります。 ========================================
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<偽物>の教えと<本物>の教えの違いの考察G (3956) |
- 日時:2014年05月10日 (土) 09時07分
名前:サーチャー
<光明掲示板> ======================================== <偽物>の教えと<本物>の教えの違いの考察G (8102) 日時:2014年05月10日 (土) 05時40分 名前:中村晃生
<谷口雅春先生が「生命の実相」の中で予告されていた「反生長の家」=マサノブ教>― ―そのX
<マサノブ教団のマーク=「鳩葉っぱ」の謎>
マサノブ教団が最早、ユダヤ民族の悪神(バール神)の「操り人形」になってしまった― ―と考えると、マサノブ教に対する様々な疑問が氷解してきます
「学ぶ会」の多くの皆さんから出されていたこのマサノブ教団の「鳩葉っぱ」のマークへ の疑問――何だかフリーメーソンの「目玉」に良く似ている――もその一つです。
このマーク自体は、従来の「光輪卍十字架」の「万教帰一」を現した「生長の家」本来の マークを、マサノブ総裁が「ナチスのハーケンクロイツに似ている」との屁理屈をつけて 使わなくし、その代わりに「生長の家」の新マークとして外国人のアイデアを公募で採用 した(ということになっています)ものであります。でも、古くからの多くの信徒の皆さ んからは、「何だかドル紙幣の裏面にあるピラミッドの目玉(悪魔ルシフェルの目とも言 われている)に良く似ている」と、悪評フンプンでした。
言わずと知れた「鳩葉っぱ」のマークであります。
このマークを見ると、楕円形の外枠の中に地球があり、その前に鳩が木の葉っぱを咥えて います。マサノブ教が主唱している実態の無い「世界平和信仰運動??」(そもそも左翼 が良く使う「平和運動」を冠したこの運動は、一体何をしているんでしょうね?)を現し ているものと思われます。でも、確かにこの外枠と地球は、ドル紙幣の裏に描かれたピラ ミッドの中の「ルシフェルの目」に良く似ているのです。外枠が三角か楕円かの違いだけ です。
世界的な秘密結社である「フリーメーソン」は、俗に「悪魔信仰」であると噂されていま す。謎めいた結社であり、実態がハッキリしないのです。私もいろいろと文献を調べて見 ましたが、礼拝対象もハッキリしません。あるいは問題の「バール神」なのかもしれませ ん。
いずれにせよ、この「鳩葉っぱ」のマークは、マサノブ教祖の「潜在意識」を色濃く反映 しているマークであることは事実でしょう。その意味では「ユダヤ民族の悪神」をかたど ったといっても、あながち間違いとは言えないと思います。
立教当初、谷口雅春先生が「生長の家」を象徴するマークを作りたいと思われ、その構想 を当時帝展の審査員であった山根八春氏に話され、図案化してもらったもので、七種類位 の図案の中から、谷口雅春先生が手直しの助言をされて出来上がったものが、これまでの 「生長の家」のマークの「光輪卍十字架」であります。
本来の「生長の家」のマークは実にうつくしいものです。このマークの中には、太陽・月 ・地球・青人草(人類)が現され宇宙全体が表現され、また神道・仏教・基督教を表し、 「万教帰一」を表現しています。実に深い意義を秘めた印であります。
このマークが地上に現れてくるのには、不思議な物語があります。この点に関し、我々が 学生時代の青年会長であられた仙道泰先生がこのように書かれております。
>それは昭和九年頃のことであった。大阪に熱心な生長の家の信徒で、生長の家誌友連合 会の会長をしていた門脇観次郎という人がいた。この人は当時の神戸高等商船学校の教授 で、田中智学について日蓮主義を学び、熱烈な「法華経」の信仰をもっていた。
入信前は慢性中耳炎、慢性胃病、神経痛を患っていたが、『生命の実相』を拝読して病 がすべて消えたのである。と同時に『法華経』の意味が一層詳しく判った。特に普門品第 二十五にある観世音菩薩の功徳が詳しくわかり、観音信仰をして、自宅に観世音菩薩を祀 っていたことについて不退転の堅信を得られた。
ある日、神想観をして「生長の家の神様の相(すがた)を拝ましてください」と、熱心 に精神統一しているとき、空中に観世音菩薩像がポッカリと現れた。この時、これは自分 の妄想が描いた幻かもしれない、或いは自分が『法華経』を信仰し観世音菩薩を祀ってい るので、観世音菩薩が出てこられたのかも知れぬ、それとも或いは本当に生長の家の神様 かも知れぬと、三つの解釈の仕方をした。その頃、谷口雅春先生は、阪神間の住吉村にお られた。門脇氏は住吉村に先生を訪ねて、意見を求めた。
谷口雅春先生は「生長の家の神示には、神は姿形なきものである。本来姿形なきもので あるが、相手を済度する為に相手に随って色々に現れる。観世音菩薩といっても本来姿は なく、世の中の音を観じてその音の姿に応じて三十三身に身を変じて衆生を救われるのだ から、生長の家の神様が姿形 がないといわれるのと同じでしょう」と話された。
門脇観次郎氏が、観世音菩薩のお姿を見てから三年のちに生長の家のバッジができあが ったのです<
この印は当時の「生長の家」信徒のバッジになり、旗となり、「生長の家」のシンボルと して使用され、信徒の誇りでした。このバッジを胸につけ、世界を歩き見知らぬ人々と朋 になることもありました。またこのバッジを胸につけ、あるいは車につけて災難から免れ た人もあります。
このような「生長の家の大神」であらせられる「住吉大神」の神力のあるマークを、今や マサノブ教団では「教団でのみ使用する」と称して、実際には一般信徒の目から隠してし まった――狡猾なマサノブ教祖一流の本来の「生長の家」教団の抹殺行為の一つ――ので あります。
我々の戦いも、偽教団の「悪魔信仰」のフリーメーソン似の「鳩葉っぱ」のマークから、 「本来の生長の家」の「光輪卍十字架」のマークへと「元に戻す」まで、まだまだ続けな ければならないのです。 ========================================
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<偽物>の教えと<本物>の教えとの違いの考察H (3958) |
- 日時:2014年05月11日 (日) 09時23分
名前:サーチャー
<光明掲示板> ======================================== <偽物>の教えと<本物>の教えとの違いの考察H (8128) 日時:2014年05月11日 (日) 07時50分 名前:中村晃生
<谷口雅春先生が「生命の実相」の中で予告されていた「反生長の家」=マサノブ教>― ―そのY
<マサノブ教団が、本部を「原宿」から「八ヶ岳」へ移転した本当の理由>
マサノブ教祖は、八ヶ岳への「森のオフィス」の移転の理由を、これまでも「森の中に行 く」といった本の中で、いろいろと書いています。私は本掲示板の中で、これらの「理由」 と称するものを、一つ一つ検証しましたが、どうしても根拠が今一つ「不明確」でハッキ リしませんでした。
要は自分の居る八ヶ岳の「山荘」に近いから――という「便宜的な」、「功利的な」理由 しか見出せなかったのであります。
つまり、敢えて「人類」のいない不便な八ヶ岳に移転しなければならない「積極的な理由」 は見出せませんでした。だから私は、この八ヶ岳へのマサノブ教団に移転には――必然性 の見出せない、何か非自然な、「おかしな」もの――を今日に至るまで感じていたのであ ります。
彼はその後、自分のブログの中でもヤレ「文明の転換」であるとか、ヤレ「生長の家」の 「40年の変革」であるとか、何だかんだといつものように、いろいろ屁理屈を述べて正 当化しようとしてきました。
だが、谷口雅春先生の戦前版の「生命の実相」の中に指摘されているように実際には―― マサノブ教祖が、ユダヤ民族の悪神「バール神」の「操り人形」となっている――と解釈 するならば、もう一つの八ヶ岳移転の「真の理由」が見えてくると思います。
つまり、原宿本部のロケーションが、余りにも日本の護国の守護神(明治神宮)の霊的バ リヤ―に近かったため、マサノブ教祖に憑依したユダヤの悪神が、苦しんで忌避した―― というものです。そこでわざわざ「森のオフィス」という国際本部を作らせ、マサノブ教 祖とマサノブ教団ごとまるまる八ヶ岳に「移転」させたということなのです。さすが、八 ヶ岳にまで逃げ込めば、ユダヤの悪神も日本の神々の「護国の」バリヤ―で苦しめられる こともなく、自由に行動し、やりたいままにマサノブ教祖夫婦を操ることが出来るでしょ う。
今や八ヶ岳の地は、ユダヤの悪神が、「本来の生長の家」を潰す活動を展開する「本拠地」 と化してしまったということです。だからこそマサノブ教団での最近の気が狂ったような 悪事の数々――
長崎本山の顕斎殿を土足で踏みにじる、
「実相」の御軸を隠して見えなくする、
今後は「神道形式」を廃すると宣言する
――なども「バール神」に憑依されたマサノブ教祖が、次々と「本来の生長の家」潰し工 作を考え出し、発令するのです。今後ともこうした「破壊工作」は、さらに激しさを増す と見た方がいいでしょう。
そう見てくると、やはり「原宿」が「日本の守護神の護国のバリヤ―で囲まれている」と いう理由こそ、ユダヤの悪神にしてみれば、原宿から「逃げ出す」一番大きな原因だった ような気がします。
<護国の神を祀る「靖国神社」と「明治神宮」の間にはさまれて、ユダヤの悪神は苦しか った?>
というのも、「原宿本部」を巡る日本民族の「護国の守護神」の霊的なバリヤ―は、「明 治神宮」だけではないからです。日本民族の最大の護国霊団の霊的バリヤ―とも言えるも のが、大東亜戦争で亡くなった300万人の護国の英霊を祭祀する「靖国神社」であります。 この2つの強力な霊的バリヤ―に挟撃された形のユダヤの悪神は、原宿でマサノブ氏とい う格好の「標的」に狙いをつけて憑依したものの、かなり苦しかったのではないでしょう か。
だからこそ、マサノブ教祖に何だかんだと「理屈に合わない理由」をつけさせて、護国の 神々の力が及ばない遥か八ヶ岳の「森のオフィス」に強制的に移転させたのだと、私は思 います。
八ヶ岳移転後の初めての冬に「記録的な豪雪」に見舞われたマサノブ教団ですが、今ごろ になって、「我に帰った」マサノブ教祖は、「何でこんな不便な、寒い、雪の多い、土地 に引っ越してきたのだろうか」――と改めて悔いているのかもしれません。
少なくとも、マサノブ教祖が自身のブログの中で「負け惜しみ」的に書いているような「雪 の中の幸福者」――などといったノーテンキなことは、本当は考えていないのではないで しょうか?実際にはマサノブ夫婦共々、悪神に操作された可哀そうな「操り人形夫婦」な のかもしれません?? ========================================
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<偽物>の教えと、<本物>の教えとの違いの考察I (3960) |
- 日時:2014年05月12日 (月) 10時56分
名前:サーチャー
<光明掲示板> ======================================== <偽物>の教えと、<本物>の教えとの違いの考察I (8157) 日時:2014年05月12日 (月) 05時40分 名前:中村晃生
<「お孫さん」信仰について。マサノブ教祖とは一体いかなる人物か?>――そのT
――私の体験的谷口マサノブ論――
今やマサノブ教団が残存信徒を惹きつけておく最大の「売り」が「・・・それでも、マサ ノブ総裁は谷口雅春先生のお孫さんだから、間違いはないのです!」とヒステリックに主 張する――問答無用の「お孫さん」信仰(特に「白鳩会」で顕著)――のようです。とは いうものの、そう主張する当の信徒の皆さんには、マサノブ教祖の実際の姿、つまり彼の 「実像」は全く教えられていません。皆さん教団が作り上げた「虚像」しか知らないので す。
「生長の家」教団の創始者谷口雅春先生の「孫」ということだけで、教団の3代目「総裁」 となり、「法灯継承者」を自称してはいるものの、やっていることと言えば、「生長の家」 の「破壊工作」を次々と実行している――この許すべからざる「鬼子」とも言うべきマサ ノブ教祖という人物は、一体いかなる人間なのでしょうか?
その点をまずしっかり把握しておかなければ、きちんとしたマサノブ教批判も出来ないと 考えます。しかし、私は過去様々な場面で、このマサノブという人物と接しています。も ちろん彼の人間像の一部の相に過ぎませんが、それでも皆さんの判断の一助になればと思 い、私の「体験的マサノブ論」を敢えて皆さんに披歴してみたいと思います。
私は昭和22年の生まれで、いわゆる「団塊世代」の一員であります。谷口マサノブ氏よ り4歳年上であります。私の両親は、教団が始まって間もない昭和8年に入信した熱心な 「生長の家」信徒であり、外務省の役人をしていた父親が、昭和31年にニューヨークの 領事として赴任した後、当地で誌友会を開催し、そんなご縁で教団からは「海外二重光輪 賞」も頂いております。つまり、私が生まれた時には既に両親は入信していたわけで、私 はいわゆる「生長の家二世」です。私が御教えに熱心になり始めたのは、高校受験で「受 からない」と言われていた都立日比谷高校に、母親と原宿の教団本部へ毎朝、早朝神想観 へ通い、見事合格して以降のことでした。
生高連活動は、高校2年生から始めます。その後、教団本部で毎日曜日に「生命学園」と いう日曜学校があり、こちらにも4歳下の弟と通い始めるのです。そこにやはり来ていた のが谷口雅春先生の「お孫さん」たち(住んでいた「御山」から本部は歩いて行ける距離 にありました)でした。長男のマサノブ氏も当時はまだ真面目に通っていたのを覚えてい ます。
<思想的に左翼に転向する>
でも生高連やその後の生学連などの学生活動に良く来ていたのは、専ら長女の方で、男性 の方は長男も次男も現れませんでした。マサノブ氏は青山学院に通っていました。でも、 漏れ伝わって来る彼の噂から、そんな彼の将来を私たちの同志は「何か文学カブレしてい るらしい」「3代目は大丈夫なのか?」などと心配しながら話ししていたものです。
当時の大学は、各地で新左翼の過激派が、学園紛争を起こしていました。大概の大学では、 学内から一般学生をロックアウトし、彼らの革命的な「解放区」となっていました。警察 権力が中に入れないため、学中は過激派学生が支配しており、彼らはヘルメットと角棒で 武装して警戒するというような極めて危険な状態が日常化していました。青山学院もご多 分に漏れず、同様に左翼学生が学園を席けんしていました。学園の壁には有刺鉄線が張ら れ、一時ロックアウトされた状態だったことを覚えています。私たち生学連の同志たちは、 それぞれの大学で学園正常化のための闘いを、左翼学生との間でそれこそ「生命の危険」 を感じながらも日夜演じていたのです。
それだけに、まさか愛国学生の中心であった「生長の家」教団の谷口先生の「お孫さん」 であるマサノブ氏が、大学時代に左翼思想にカブレしていたとは(後で知ったことですが) 当時としては想像もつきませんでした。
おそらくはお父様もお母様も、思想的には全く正反対の立場に「転向」してしまった「鬼 子」のマサノブ氏の事には、わが子であれ相当に心を痛めたことでありましょう。
彼が何時から「おじいちゃん」に反発し、「生長の家」の思想に反発するようになったの か――彼は教団内で権力を握って副総裁になってからは一貫して「日本は侵略戦争をした」 と「反日」「反天皇」の左翼的な言辞を行っています――は、彼の大学時代のことを知ら ないので(なにしろ大学時代には、我々のところには全く顔を見せませんでしたので)、 良く分かりませんが、高校から大学にかけてのこの頃であったのでしょう。
先般、この掲示板で――村上正邦議員が防衛庁長官に就任した時、その知らせを聞いたマ サノブ氏が、自衛隊のことを「殺人集団」と呼んでいた――との書き込みがありましたが、 「殺人集団」という表現は、当時の過激派左翼が好んで使っていた左翼用語で、教団に 奉職してからも彼の思想、彼のメンタリティは、左翼学生の頃と「根本的に変わらなかっ た」ことを示しています。
もちろん、彼の左翼思想は今でも変わっていません。つまり自称「法灯継承者」と言い、 形だけは「生長の家総裁」になってから以降も、彼の思想は「生長の家」の思想とは相容 れない「反日」「反天皇」思想であります。つまり彼には、思想的な「改心」は今日に至 るまで起きていないのです――だからこそ「赤い」ユダヤ民族の「悪神」つまり「バール 神」に憑依されることになったのでしょう。 ========================================
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<偽物>の教えと<本物>の教えとの違いの考察J (3961) |
- 日時:2014年05月13日 (火) 14時18分
名前:サーチャー
<光明掲示板> ======================================== <偽物>の教えと<本物>の教えとの違いの考察J (8181) 日時:2014年05月13日 (火) 05時44分 名前:中村晃生
<「お孫さん信仰」について。マサノブ教祖とは一体いかなる人物か?>――そのU
――私の体験的谷口マサノブ論――
<産経新聞記者にさせてもらうも、政治部記者になれず「社会的な」挫折を経験する>
今から思うと、彼の心がねじれた「原因」がもう一つあります。それは彼が「社会的な挫折」を経験した――せっかく産経新聞の記者のなったのに、目指していた「政治部記者」になれなかったこと です。
当時、「生長の家」の推薦議員として参議院で活躍していた玉置和郎先生が、教団の意向を受けて「お孫さん」であるマサノブ氏の留学から帰国した後の就職活動に奔走します。すなわちマサノブ氏念願の新聞記者――産経新聞への就職――であります。
玉置先生が動いてマサノブ氏が同社に就職できたことは、私たち事情通の間ではいわば「公然の秘密」でありました。確か当時、教団側が相当部数の産経新聞の購読を同社からしたはずで、そのことが「マサノブ氏の就職と関係がある」と、噂されたものです。
彼が入社して間もない頃、私は玉置先生の秘書から参議院議員を目指していた村上正邦先生から、当時いた青森市まで電話を頂き、「マサノブ君が産経に入ったので、新聞記者の経験談の話をして貰えないか」との要請を受けました。
当時、私は読売新聞記者で青森支局に勤務していました。いうなれば私が新聞記者としての先輩に当たるから――との配慮であったのでしょう。
彼とは東京の料亭で会って会食をし、いろいろ話をしたことを覚えています。彼は横浜支局に配属され、新聞記者としての「ヨチヨチ歩き」を始めたころでした。もっともその当時の彼は、新聞社での新しい仕事に意欲を燃やしていたのでしょう。まだ従順な一面を覗かしていたものです。
しかし、彼はわずか数年で産経新聞を止めます。私も当時の事情は分かりませんが、何か自分の気に入らないことがあったのだと思います。
<本当は、政治部記者から政治家になりたかった?>
その後、私は原宿の「生長の家」本部で、彼と何回か会ったことがあります。その都度、彼は私に声を掛けてきました。そして聞くことは決まって「政治部に入られましたか?」でした。私が、政治部記者になることを目標としていたことを彼が知っていたからです。 その都度、「いやまだだ」と答えていましたが、なぜそのことばかり聞くのかが理解できず、よほど彼も「政治部記者にまだご執心なんだな」と、考えたことがありました。
彼が教団に入って数年経った頃、私は新聞記者を辞めて、伯父の田中六助代議士(当時、大平内閣の官房長官だでした)の大臣秘書官になりました。その当時、長崎の本山に田中六助先生と、大きな行事に参加するため、一緒に参詣したことがありました。
会場で、私の姿を見かけたマサノブ氏は、ツカツカと私に近寄って来るなり突然、「玉置は嘘つきだ!」と、大きな声で言い放ったのであります。余りにも唐突な言葉に、私はビックリし、一体何のことを彼が話そうとしているのか、良く理解できませんでした。
ただ玉置先生は、彼にしてみれば「大恩人」のはずです。その「大恩人」のことを口汚く罵るとは、「何というヤツだ」という感じを持ったことは確かです。ただ、その悪口が、実は彼が産経新聞社で一介の記者から「政治部記者」になり損ねたためであった――というのは、後日知ったことです。
今、考えればおそらく玉置先生は彼に――「君も頑張れば、数年で政治部に入れるよ」――ぐらいのリップサービスをしたのかもしれません(政治家が支援者を喜ばすために良く使う手です。もちろん、悪気はないのですが・・・)。
でもマサノブ氏は、それを本気に受け止め、同社内で自分が期待していたような「政治部記者」になれなかったため、「嘘つき!」発言が出たものと思われます。しかし、これは彼が「世間知らず」のために出た発言です。産経新聞の場合も変わらないと思いますが、「政治部記者」は選りすぐりのエリート記者しかなれません。いかに谷口雅春先生の「孫」であろうが、社内でそれなりの評価を得ないでいきなり「政治部記者」にはなれないのです。私の場合も青森支局での6年間の地道な地方部記者生活(これを我々は「ドサ回り」と呼んでいました)を経て初めて「政治部記者」になれるのです(もちろん優秀であることが条件です)。
その後、彼の周辺の人物から聞いたところでは、マサノブ氏は一時期、本気で「政治部記者」になり、ゆくゆくは「政治家」になりたかったとか・・・その意味で言えば、彼は相当に「権力志向」の強い人物なのでしょう。やはり、「宗教家」には初めから向かなかったのかもしれません。
<教団に入って権力を握る喜びを味わう。デモーニッシュな権力者に変身>
その見果てぬ夢を「生長の家」教団に入って叶えようと、「お孫さん」の特権を振りかざし始めるのです。その後のことは皆さんも良く御承知のことと思います。
一つだけ、教団本部に入ってからのエピソードを披歴します。それは彼が教団本部に入って間もないころ、当時彼は本部2階に新たに勤務していました。そこはもともと教団の「基礎文化研究所」が置かれ、山口先生が所長でおられました。山口先生は、実に気さくな方で、我々生学連OBにも快く対応して下さり、そのため私たちは、ちょくちょく本や資料などを拝見に研究所を訪れたものです(当時はここが生長の家関連図書の図書館のようになっていました)。ところがマサノブ氏がここに入所してから、雰囲気がガラリと変わったのです。
ある時、いつものように研究所の中に入ると、「関係の無い人は中に入らないで下さい」と、彼からえらい剣幕で怒鳴られてしまいました。あれだけ私を見ると「中村さん」と、愛想よくしていた人間が「変われば変わるものだ」と、ビックリしました。政治家になろうとのどす黒い野望を抱いていたマサノブ氏のことです。教団内で一部でも権力を握った瞬間に、彼はデモーニッシュな「権力者」へと「豹変」したのであります(でもつくづく彼は政治家にならなくて良かったと思います。彼のような性格なら、必ずや何らかの問題やスキャンダルを起こしたことでしょう)。
<ワガママを発揮。宗教団体にいてあくまでも事務職だけの仕事>
でも彼は、教団内の仕事と言えば、私の知る限りでしていたのは、「信仰」とは関係のない事務的な仕事だけでした。いつ見ても、事務員と共にパソコンをたたいていました。 何をしているのかと人に聞くと、信徒さんの登録をパソコンでするのだとか。自分の好きなパソコンだけを叩いて給料を貰えるのですから、「気楽な稼業」だったでしょうが、それにしても、およそ宗教的な仕事はしていないように見受けられたのです。要するに、自分の気に入った仕事しかしていないように見受けられました。それこそ「お孫さん」の特権をフルに発揮して、ワガママを通したのでしょう。「こんなことで3代目はいいのか」との我々の心配をよそに・・・
<信仰的な修業をしていないとどうなるか>
当然、宗教団体ですから、彼はいずれ、ある程度の宗教的な修練なり、教育なりが施されるもの――と我々は思っていました。でもその後、宗教的な修業をしたという話はついぞ一度も聞きません。結局、彼は「事務屋」ではあっても「宗教家」ではないのです。 「生長の家」についても、ごく表面的な「知識」だけはあっても、「宗教」で一番大事な信仰面での「回向」や「回心」は無かったように思えます。
つまり、彼は反日左翼の唯物論者のまま、教団の「権力」だけを握ってしまったのです。 したがって環境問題を中心とした彼の講習会は、気の抜けた風船のようなもので、誰も真剣に聞いておらず、人間を動員しても谷口雅春先生がお説きになった「真理」の話はほとんどありません(これで何が「法灯継承者」なのでしょう!)。したがって、次回から誰
も二度と来てくれない――という状態。これが今日の信仰団体としての「生長の家」の悲劇の始まりです。それでいて彼の書く本の中では「私は宗教家ですから」と堂々と胸を張るのですから、なんとも困ったものです(笑)。
<次回からはマサノブ教祖がマインド・コントロールのために使っている彼の特殊な「用語」の問題を論じたいと考えています。多少、調査研究の時間も要します。また論稿が蓄積するまで、しばし休みますので、よろしく> ========================================
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