生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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<法燈>を失った「マサノブ教」の考察 (中村晃生) (4101)
日時:2014年06月04日 (水) 11時06分
名前:サーチャー

<光明掲示板>
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<法灯>を失った「マサノブ教」の考察@ (8797)
日時:2014年06月04日 (水) 10時38分
名前:中村晃生


<「法灯」を失った偽「生長の家」のマサノブ教団>


今やマサノブ氏によって骨抜きにされたイエスマンだらけの旧「生長の家」教団には、「独
裁者」マサノブ氏を批判する人間は一人もいません。みな「自分の首」を守る方が、「法
を守る」よりも大事と思っているからであります。


前稿で論証しましたように、現在の「独裁者」マサノブ「総裁」の下、完全に異質なマサ
ノブ教団と化した旧「生長の家」には、谷口雅春先生の「法灯」は存在しません。それは
正式に最高裁判所が認定したように「生長の家社会福祉事業団」に帰属するのであります
――そして「護法の戦い」でガッチリと手を組んでいる私たち「学ぶ会」の方にこそある
のです。


<マサノブ教団に「法灯」が無いとするならば、その「法灯継承者」とは一体何者なのか?>


だけどそのような事情は「百も承知」しているはずのマサノブ氏は、相変わらず鉄面皮に
も「法灯継承者」を偽称しています。


これって一体何なのでしょうか??


彼は一体、谷口雅春先生の「法灯」の何を継承しているというのでしょうか?


何も「法灯」を継承していないとするならば、今後何を――「法灯」として<作り上げて
>行こう――とするのでしょうか?


疑問は広がる一方であります。


こうした疑問を踏まえ、これからの論稿は、「法灯」を失った自称「法灯継承者」および
彼の指導下にあるマサノブ教団が、一体何を「継承」して行こうとしているのかについて
考えて見たいと思います。それを追及することで私たち真の「生長の家」信仰者からみれ
ば、非常に奇異に見える「大自然崇拝教」の本質が見えてくるのではないか――と、考え
るからであります。


<果たしてマサノブ氏は「法灯継承者」を名乗る資格があるのか?>


前講で、私は――「法灯継承者」はマサノブ氏が勝手に「自称」しているだけであること
を――論じました。


でも「法灯継承者」を名乗る以上は、その人間は形式面では、「法灯継承者」としての3
条件を備えていなければなりません。そしてそのうちの、特に最後の「嫡嫡相承」の部分
が一番重要になります。

つまり、


1)文字通り「法灯」つまり「生長の家」の「教え」を守り、

2)これをそのまま変えることなく「相承する」つまり後世に継いで行く、


ということが絶対に条件として必要なわけです。


とくに禅宗では師匠から受け継いだ「法灯」つまり「教え」そのものを、少しも変えるこ
となく継承して後世に伝えて行くことが必須要件であります。「嫡嫡相承」とは、一つの
器から、もう一つの器まで、教えの中身を「一滴も減らしも増やしもせずに受け継ぐ」と
いう意味です。


ここが重要なポイントなのです。


マサノブ氏のように「今の教え」だとかいって――勝手に自分の個人的な意見、思想を「教
え」の中に組み込み、それが「現代の真理」であるかのように信徒の皆さまに吹聴し、意
識的に洗脳しようとすることは――少しも師匠から受け継いだ「教え」を「嫡嫡相承」す
ることではありません。むしろ、神様の「教え」を一方的に汚す「悪魔の仕業」に過ぎま
せん。


彼の言うことが「法灯継承」だとするならば、「嫡嫡相承」つまり師匠から受け継いだ「教
え」そのものは濁った水(非真理)であふれて、清らかな水(真理)は外に押し出されて
しまっているのだと思います。


つまり彼は形式的に見ても、本来的な意味での、「生長の家」の「法灯継承者」では全く
ないのです。


それは実態面から見ても、一目瞭然です。


マサノブ氏は、「教え(法灯)」そのものの「生命の實相」を再版しないことで、「法」そ
のものを一般信徒の目からくらまし、誌友会などでの「生命の實相」の輪読会をすら禁じ
ているのです。これは総裁の立場を利用して意図的に「法灯」を信徒から隠す、あるいは
取り上げようとする行為以外の何物でもありません!!


もっとも「今の教え」のマサノブ教団が最高裁まで法廷闘争を繰り広げた結果――「法灯」
の中核である聖典「生命の實相」と聖経「甘露の法雨」が、マサノブ教団ではなく社会福
祉事業団に帰属するとの最終判決が下された――ということは、「生長の家の大神」が「法
灯」そのものをお守りになられた訳です。


つまり形式的にも、実態的にも、マサノブ氏サイドは「法灯」を持たなくなり、したがっ
て真の意味での「法灯継承者」にはなり得なくなったことが明確になった訳で――このこ
とを、我々は先ず皆さんと共に確認したいと思うのです。
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<法灯>を失ったマサノブ教の考察A (4108)
日時:2014年06月05日 (木) 09時01分
名前:サーチャー


<光明掲示板>
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<法灯>を失ったマサノブ教の考察A (8823)
日時:2014年06月05日 (木) 04時52分
名前:中村晃生


<「法灯破壊者」に、「法灯継承者」を名乗る資格は無い>


マサノブ氏側は、「法灯」そのものを失って「持たない」だけではありません。最近は「独
裁者」としての総裁の「権力」をかさに、次々と意図的な「法灯の破壊行為」を敢行して
いるのであります。

それは少し列挙するだけでも――


・「人類光明化運動」を教団運動方針から外した、

・「鎮護国家」を長崎本山から外した(当然のことながら現教団も、最早「鎮護国家」は
 しない)、

・「森のオフィス」演壇の正面に飾るべき「実相」の御軸を意図的に外した、

・ある教化部では谷口雅春先生の写真そのものを外した、

・本来の「生長の家」のマークである「光輪卍十字架」のマークを全面的に隠し、フリー
 メーソン似の「鳩葉っぱ」のマークに代えた、


――などなど、「生長の家」本来の「法灯」の意識的な「破壊行為」を次々とやってのけ
ているのであります。


つまり彼は口先では「法灯継承者」を自称しながら、やっていることと言えば、その完全
な反対の「法灯破壊」行為そのものなのであります!


こうした行為のどこが「法灯継承者」なのでしょうか?

まさに「法灯破壊者」そのものではありませんか!

言うことと、やることが全くのアベコべ――こういう人間のことを、世間では一般的に「精
神異常者」あるいはそうでなければ、「詐欺師」と称するのではないかと思います。我々
は決して彼にだまされてはなりません!!



<法灯破壊行為は、「法灯」を裁判で失うことが間違いなくなってから激しくなった>


私は、マサノブ氏の「法灯破壊」行為が激しくなった、一つの転換点が裁判判決にあった
と考えています。東京地裁で、莫大な経費をかけて(と噂されています)高名な弁護士に
よる弁護団を組織し、いわば全力を挙げて何とか社会福祉事業団から「法灯」の2つの重
要聖典を奪い取ろうと試みたわけです。しかし、残念ながら日本は、法が「独裁者」によ
って恣意的に捻じ曲げられる「共産国家」ではありません。キチンとした「法治国家」で
あります。いかに高い金を支払ってお抱え弁護士の尻を叩いたところで、厳正な法の判断
は捻じ曲げることは出来ないのであります。


法学部出身の私は、マサノブ教団の「法律を無視」した強引な訴訟闘争の行く末は――「バ
カなことをやるな。法を無視しても勝つ訳がないのに」と考え、大体は見えていました。
つまり、この訴訟闘争そのものが、「世間の常識を知らない」マサノブ「独裁者」総裁の
ワガママ(金さえ使えば物事は何とでもなる)から引き起こされたものであり、その意味
で世の常識が勝つだろうと思ったのです。それでも我らがサイドの内田弁護士は、「孤軍
奮闘」しながらも、実に良く戦って頂きました。改めて「不法な教団」に果敢に立ち向か
った私の友人であった今は亡き社会福祉事業団の松下理事長と、公判を通して一人で戦っ
てくれた内田弁護士には、深甚の感謝を申し上げる次第であります。



<始まる偽教団の「法灯」のにわか作り>


この重要な聖典、つまり事実上の「法灯」は、いみじくも「住吉大神」の「護法」の御働
きによって守られたわけですが、その結果、重大な事態に驚いたマサノブ教祖は、今度は
「偽教団」と化したマサノブ教の代わりの「偽聖典作り」に狂奔します。


――言わずと知れた「大自然惨禍経」と「観世音菩薩惨禍経」の2つの偽経であります。


さすがに「生命の實相」に代わる聖典は「にわか作り」では出来ません。しかし、彼の事
ですから、いずれ何かを作り出すのかもしれません。要注意ではあります。



<人々は宗教に何を求めるのか>


私は「宗教ゴッコ」と彼の教団作りを「揶揄」していますが、彼はそれに必死なって作り
出そうとしています。だが彼の本質的な問題点は――「宗教の何たるか」を知らない――
というところにあります。また人々が、宗教に何を求めているのか――も、分かっていま
せん。だからこそ、やたらと「外形」だけ「宗教めいた」ものを「作り出そう」とするの
です。またそれで事足りると思うのであります。


<大乗の教え>である「生長の家」は、言うまでもなく谷口雅春先生が、「人類光明化」
の大目標を掲げて始められた宗教であります。それは特定のセレブな人たちを対象にした
教えでもありません。世間一般の人々が悩み、それ故にお釈迦様が苦悩の末に求めようと
した「生、老、病、死」の四苦に、究極的な解決策と回答を与える、いわば画期的な「教
え」である、大衆向けの「教え」なのであります。


でも、マサノブ教では、始祖が残された膨大な「神様からのお諭し」を「今の時代に合わ
ない」との屁理屈の下に人々の目から隠ぺいしようとしているのです。自ら「法灯」を失
ったばかりか、さらに雅春先生の他の書籍まで大量に絶版にすることで意図的に隠ぺいし
て、彼は何の「生長の家」の「法灯」を「継承」しようというのでしょうか?


その答えは、3月11日に「森のオフィス」で挙行された「神・自然・人間の大調和祈念
祭」を見れば良く分かります。マサノブ氏の挨拶にはこうあります。

>そういう悪いトレンドは、まるで麻薬のように、やめたくてもやめられない一大潮流と
なっているように感じられるのです。これは、仏教的に言えば「悪業」であります。<

>人間至上主義を克服し、神への不信仰と自然破壊の流れを止め、さらには逆転して、自
然の働きをもっと回復していかねばなりません<


という訳です。しかし、皆さんここのどこに雅春先生の「教え」――「現象は無い」「実
相独在」――があるのでありましょうか?


「悪いトレンド」?

仏教で言う「悪業」?

「人間至上主義」?

「神への不信仰」と「自然破壊」?


いずれも耳慣れない言葉であり、マサノブ氏一流の「独自の思想」であることが分かりま
す。


つまり、彼は尊師の「唯神実相」の「教え」を伝えている訳ではなく、自分独自の物質人
間観から見た「環境現象論」を説いているだけなのです。ここには「生長の家」の「教え」
も「真理」も、したがって「法灯」も存在しないのです。


単なる環境論に基づいた「現象」と「信仰らしきもの」を無理矢理結びつけただけの「宗
教」=マサノブ教があるだけです。



<どうしても「お通夜」のような式典になってしまう>


このマサノブ教の特色は何かというと、教祖以下、信徒の末端に至るまで、明るさが全く
見られないことです。「自然災害を防ぐ」との大目標を掲げて、「神・自然・人間の調和
を図る」と、大見栄を図っているわりには、この式典を主宰している当のマサノブ氏自身
が、全然嬉しくないのです。だからマサノブ氏夫妻の執り行う式典は、どうしてもお通夜
のような「暗さ」が付きまといます。


これは基本的にどこかが、間違っているからです。その答えは――皆さんなら良く分かり
ますよね(笑)。
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<法灯>を失ったマサノブ教の考察B (4153)
日時:2014年06月07日 (土) 12時41分
名前:サーチャー


<光明掲示板>
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<法灯>を失ったマサノブ教の考察B (8896)
日時:2014年06月07日 (土) 02時44分
名前:中村晃生


<「神のことも霊のことも良く分からない」奇妙な「法灯継承者」とは?>


自称「法灯継承者」のマサノブ氏のことで、傑作なことが一つあります。それは彼が講習
会などで、聴衆から事前に「神」あるいは「霊」などに関する質問を受けた場合に決まっ
て、「私はそういうことは良く分かりません」と堂々と回答を拒否することであります。


普通の講師ならば、多少は回答が分からなくても「生命の実相」などの聖典に書かれてい
る知識を元に、何らかの答えをするものですが、何しろ彼は「生長の家」の「総裁」であ
ります。キチンと返事をしなくとも彼を批判する人間は一人もいません。


だから彼は、全国を講演して歩くようになった副総裁に就任した時期以降、自分の分から
ない「神」や「霊」のことを勉強する、あるいは修業して知ろうとする努力――をしたこ
とはありません。で、結局はいまだに分からないのです。


でも「私は宗教家である」と、かねがね胸を張っているマサノブ氏のことです。その「宗
教家」にとって一番大事なこれらのことが分からなくて、一体どこが「宗教家」なのでし
ょうか??


かくして「宗教」のことが本当には分からない、年齢ばかり取って老いた、世にも奇妙な
「裸の王様」の「宗教家」が出来あがって行くのであります(笑)。「神」が分からない
ことは、ある意味――私は「信仰」が分からない――と言うのと同然であります。


<彼は何を知っているのか?>


では「信仰」が分かっていないマサノブ氏は、一体何について知っているのでしょう。
その知識がどこまで本物かは知りませんが、要は環境問題と朝日新聞に書いてあるような
「反日」思想については良く知っているようであります。


もちろん、マサノブ教に所属する人間は、本来が環境問題の専門家ではありませんし、環
境問題に詳しいはずがありません。したがって教団内では環境問題は彼の独壇場でありま
す。でもそんなことなら正直に「私は環境問題の専門家である」と、言えば良いと思うの
ですが、彼はそうしません。「生長の家」の肝心の「法灯」を失っても、あくまでも自分
は「法灯継承者」であり、「宗教家である」と、言い張るのです。


<それでも「法灯継承者」としての特権を振り回す>


これに関連して――なぜ彼が「法灯継承者」と言い張るのか――の理由を、本掲示板の中
で「破邪顕正」さんが指摘してくれたことがあります。それはマサノブ教団内で彼の支配
権を強めるためであったというのです。


>兵庫教区での講習会の「質疑応答」の中でマサノブ総裁はこう言ったそうです。

「(前略)真理をその時代にどう解釈すれば良いかは、自分勝手に解釈しないでほしい。
私もそうだが、そういう役目の人が教団にはいるので、その人達の判断に従ってほしい」


これがそのまま谷口雅宣総裁の言葉だということを前提として言わせていただくと、ここ
には一つの誤魔化しがあります。

「そういう役目の人が教団にはいるので、その人達の判断」

谷口雅宣総裁はこのように言ったそうですが、真理を解釈する人はただ一人、谷口雅宣総
裁のみであります。


「人達」と何か、真理を解釈する人が複数いるような言い方をしていますが、そんなのも
のは事実に反します。


現に、こういうことがありました。

谷口雅春先生のお書きになったものについては、この方の右に出る者はいないといわれる
ほど教えに詳しい方が、ずっと『生長の家』誌に連載されていたことがありました。

それがある日、突然、ストップしてしまいました。

谷口雅宣総裁が、「どんな資格があってこういうのを書いているんだ」と横槍を入れたか
らです。

谷口雅宣総裁という人は、そういう人なのです。

だからこそ、谷口雅宣総裁は、自分の説いているのが今の生長の家の教えだ、と豪語でき
るのです。<


つまり、今のマサノブ教団内で――絶対の権限を振るうためのいわば「魔法の杖」――が、
カリスマ性に欠けるため単なる「総裁」では権威が不足したマサノブ氏の、この「法灯継
承者」の称号であったわけです。


なるほど、これなら彼がどんなに他人から批判され、バカにされようとも、「私は法灯継
承者」である――と鉄面皮に言い続ける理由が、納得出来るではありませんか!!
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<法灯>を失ったマサノブ教の考察C (4166)
日時:2014年06月08日 (日) 09時34分
名前:サーチャー


<光明掲示板>
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<法灯>を失ったマサノブ教の考察C (8928)
日時:2014年06月08日 (日) 08時58分
名前:中村晃生


<真理の「つまみ食い」しか出来なくなったマサノブ教>


裁判で「法灯」を失い、したがって「生長の家」の「教え」の中核である「生命の實相」
を公的に使えなくなったマサノブ教(旧生長の家教団)では、信徒の皆さんを指導する場
合に、何を根拠に指導したら良いのか?どこまで発言して指導すれば、マサノブ教祖の怒
りをこうむらないですむのか?など、「右を見たり、左を見たり」しながら行っているよ
うであります。


破邪顕正さんが書いておられますが、福岡の我らが「桃の實会」の安東先生の講演会に危
機感を抱いた福岡県教化部の矢野教化部長が、機関紙「大光明」の中で、

>脅しが効かないと見るや、今度は、矢野教化部長自ら、「中心帰一、中心帰一」を連呼
し始めました。

件の文章というのがまさしくそれです。


所謂、「人類光明化運動指針」第九条をもってきて、「谷口雅宣総裁に中心帰一せよ」と
いうわけです。


…「生長の家大神―総裁・副総裁−御教。この三つを結び貫く神意の展開が、光明化運動
の不動の中心である事を、生長の家人たるものは一瞬たりとも忘れてはならない。」


この「第九条」を恰も“葵の御紋”のように持ち出す人に、いつも感じることですが、だ
ったら、「第五条」も言わないとおかしいのではありませんか。

こういうところは、所謂、「護憲派」の論理と瓜二つです。<


ちなみに「第五条」というのは、

>生長の家の各員は、人間神の子の自覚が、日本民族が悠久の昔より世々代々承け継ぎ語
り継いで来た「命」の自覚にほかならず、生長の家立教の使命が同時に日本建国の理念の
現成にほかならない事を明らかにすべきである。

日本民族は存在の窮極を、一切のものの生成の根源たる普遍的絶対者を、天之御中主神と
して把握し、その「中(みなか)」への帰一とその「中」の展開、即ち宇宙普遍原理の地上的
顕現を日本国家形成の理念とし、天津日嗣とはこの理念のさながらなる継承以外にはなく、
天皇の権威は権力をもって思うがままにこの国を支配する権利にあるのではなく、この理
念の継承実現にまします事、従って天皇を中心と仰ぐ日本国家の発展は、天皇の人民支配
の手段としての国家の発展と云うが如き専制的な性格のものでは微塵もなく、宇宙真理、
即ち神意の地上顕現の至純至高の形体としての日本国家の発展である事、これが日本神話
の理念であり日本民族の理想であり日本建国の精神である。

この真理現成の大まつりごとに、神の子として命として自己の責任としてまつろひ奉る事
が実相の成就である事を明らかにすべきである。単に自分の祖国たるのみの理由にて日本
を愛するのではなく、東洋と西洋との中間に位して一切を生かす大乗の真理国家たる事が
日本の理念であるからこそこの国の団体を鑚仰してやまず、この国の神の子国民として生
を享けしめられた所以の深さに感涙し、わが一身もわが家庭もわが生活もすべてこの理念
現成に捧げられてはじめて存在の意義を持ち得るものなることを、各自互に明確に自覚し
合い、その行動の根拠となし合うべきである。<


という実に深甚なる「生長の家」の「縦の真理」(今のマサノブ教では全く教えられてお
りません)のことであります。


<完全な「教え」のないところには、完全な「救い」は出現しない>


「生長の家」の教えは、「横の真理」だけを教えてもそれでは「生長の家」の「家」は出
現しません。「縦の教え」を教え、実践してこそ、縦、横が交差した本当の「生長の家」
が出現し、「本物の救い」――個人の救済から国家、世界の救済へと至る――が顕現する
のであります。


また、私たちの運動が「縦の真理」を宣命するからこそ、強力な護国の神である「住吉大
神」の救済力が発現するのであります。


マサノブ教で採り上げているようなほんの表面的な「横の真理」――日時計主義や心の法
則、四無量心――などを「つまみ食い」して実践してみても、全相的な「生長の家」の救
済は出現しないのです。


これは「理屈」ではありません。「事実」なのです。私たちは個々の体験を以て実感、実
証して行く以外にないのであります。


そこらへんを、私たちは心に銘記しなければならないと思うのです。
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<法灯>を失ったマサノブ教の考察D  (4171)
日時:2014年06月09日 (月) 15時08分
名前:サーチャー


<光明掲示板>
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<法灯>を失ったマサノブ教の考察D (8959)
日時:2014年06月09日 (月) 06時17分
名前:中村晃生


<「法灯破壊者」の独裁を許すな――マサノブ教は、オリンパス事件を想起させる>


マサノブ氏の自称「法灯継承者」発言と、それに基くマサノブ教団の独裁権の行使は――
イエスマンだらけの大手光学器メーカー、オリンパスの取締役会が、英国人社長であり、
同社の<不正を正そうとした>マイケル・ウッドワード氏をそうさせまいとして追い出し
た「追放劇」――を連想させます。


外国人ではあるものの(いや、それだからこそ)「企業統治」の常識の下、同社の「不正」
を正そうとしたウッドワード氏は、逆に取締役会からは「内部告発者」的な扱いを受け、
不当に「追放」されたものでありました。


いわば社内の不正を正そうとする人間を、会長のイエスマンたちが――大勢の意向に沿わ
ない「異分子」として排除した――わけですが、これは谷口雅春先生の「御教え」をない
がしろにしようとするマサノブ氏に抵抗した幹部――理事、教化部長など――に対し、内
規を自分の都合のいいように改悪」して、次々と「追い出して」いったマサノブ「総裁」
のやりくちに良く似ています。


オリンパス社は、その後、マスコミおよび株主、投資家などから世界的にゴウゴウたる非
難を浴び、株価は半分に暴落するに至りました。結局は長年にわたる巨額赤字の「不正を
隠ぺいしようとした」として、ウッドワード氏を追い出した同社の会長兼CEOらが、「責
任を取って」辞任させられる事態にまで発展したのであります。


今や「企業統治」――つまり社内的にも社外的(株主、投資家たち)にも公平、公正な企
業運営を行うこと――は、世界的に常識となっているのであります。そのため日本国政府
も最近では、「責任ある機関投資家の諸原則」を正式に導入しようとして、こうした問題
が起きないように「企業統治」を徹底させようとしています。


<「生長の家」にも「企業統治」を復活をさせよ!>


偽物ではあるものの、「法灯継承者である」との権威を振りかざして「独栽権」をほしい
ままに行使しているマサノブ「総裁」ですが、「法灯破壊」を繰り返すマサノブ教団にあ
ってこそ「企業統治」が問われるべきであると、私は信じています。


もしもこのようなことが、世界の他国――それがキリスト教であろうが、イスラム教であ
ろうが――で行われでもされるならば、その人物は「信仰破壊者」として信者全員から大
非難を浴びるでしょうし、バッシングを受けて追放されることは間違いありません。


そして「法灯継承」とは正反対の「法灯破壊」行為しかしていないマサノブ教祖をこそ、
「生長の家」教団から「追放」すべきなのであります。


いわば宗教団体の「企業統治」の復活――こそ、今の「生長の家」に求められることなの
ではないでしょうか?
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<法灯>を失ったマサノブ教の考察E (4195)
日時:2014年06月10日 (火) 22時28分
名前:サーチャー


<光明掲示板>
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<法灯>を失ったマサノブ教の考察E (9014)
日時:2014年06月10日 (火) 14時40分
名前:中村晃生


<迷走するマサノブ教はどこへ行く?>


「法灯」を失った旧・「生長の家」のマサノブ教団は、どこに行くのでしょう?「生長の
家の大神」とは全く関係ないところでマサノブ氏が、思いつくままに「ご本尊」や「教理」
を作り上げ、それを有難く押し頂くイエスマンの皆さん――何やら滑稽な風景ではありま
す。


マサノブ氏の思想、行動は、「思いつき」そのものですから、「ご本尊」や「教理」にし
ても一貫性がありません。ブログにも「ご本尊」らしきものをアレコレ持ち出しています
が、未だに本当は「雑木林」の「何」に向かって祈っているのか、その肝心な「ご本尊」
となると明らかにしません。


いや実は、明らかにできないのではないでしょうか。


本人は「自然」なるもの、そのものに対して祈っているつもりなのでしょうが――実際は
本人自身も、自分が何に対して、どんな神(?)に対して祈っているのか分からない――
というところが、真相ではないでしょうか。


これはマサノブ教の「教理」の柱となる「神・自然・人間の大調和」をするための環境運
動に関しても言えます。気候変動の原因となる炭酸ガスの排出を削減するため、この間ま
では、各県の教化部の屋根にソーラーパネルを貼っていたと思ったら、今度は宇治別格本
山の近くにメガソーラーの設置だとか・・・


すでに、この件に関しては、多くの本掲示板の皆さまが投稿されていますので、私は、さ
らに口を差し挟みません。


でも、私たちは、なぜマサノブ総裁が今更このような<突拍子もない提案>をしたのかを、
良く考えて見る必要があるような気がします。


メガソーラーは、信仰とは本来無関係なのではないでしょうか?単なるマサノブ教祖の「趣
味」と言ってしまえば、それだけですが。宗教団体は、人々の心を救うことが大事なので
あって、メガソーラーを設置することではありません。やはり所詮、マサノブ氏は、宗教
家ではなく、単なる環境運動活動家に過ぎないのだと思います。


「神・自然・人間の大調和」と、仰々しい式典を挙行しても、参加するのは「森のオフィ
ス」の職員だけ。信徒はそっちのけで、マスターベ−ション的な式典をやって一体何にな
るの?と、聞きたいところです。


<閉鎖空間の中で「闇」は自己拡大する>


マサノブ教団は、「生長の家」の「法灯」を失って以降、ますます迷走している感がしま
す。それはそうでしょう。「生長の家の大神」である正神の「住吉大神」をないがしろに
して、正しい道を歩めるはずがないではないですか!


私の感じでは、マサノブ教団は<理論的にも、実態としても宗教団体としては破たんして
いるのではないか>と思えるのです。このままでは、マサノブ教はますます「闇の世界」
に迷い込んで行くのではないでしょうか。


このような「宗教団体」としての体をなさなくなったマサノブ教団が「生き残る道」を模
索して、最近では残存信徒の皆さんに向けて「地球が滅亡する」と、トンデモナイことを
言いふらしているようです。まさに末期症状を呈しているような気がします。


でも「独裁者」のマサノブ教祖の下では誰も反対を言えません。マサノブ教は、批判には
一切耳を貸さない。逆にマサノブ教祖がすること、言うことは何でもヨイショする<閉鎖
集団>と化してしまったのではないでしょうか。


こうした闇の中にいる<閉鎖集団>の怖いところは、「闇」が自己拡大することです。つ
まり、信徒を恐怖に陥れると、恐怖が恐怖を呼んで「暴走」することです。


<闇から脱却する道>


「生長の家」では「闇には光をもって相対せよ!」と教えていますが、それも「生命の實
相」と聖経「甘露の法雨」あってのことです。マサノブ教では、肝心の「法灯」が失われ
て存在しないため、「闇」を消す「光」が無いのです。


この「地球が滅亡する」とのトンデモナイ話も、どこがトンデモナイのかを説明してあげ
なければ、恐怖におののいている人々を救うことはできません。


そこで、今後の論稿では――果たして本当に地球は滅亡するのか――について私が経験し
た様々な宗教での説き方も踏まえ、私の見解を披歴して見たいと思います。
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