生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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6・8「枯れ松模様」<自由と不自由C>・・・せっかく獲得した「独裁権力」という“自由”が今や最大の“不自由”となったマサノブ君 (4222)
日時:2014年06月15日 (日) 19時04分
名前:公平なる観察者




一週間以上たってマサノブ君はブログを漸く更新しました。本流復活側の追及に気持は穏やかでなく、しかし相手が組織会員ではないが組織会員以上の『御教え』把握の筋金入りの正式信徒であるため、マサノブ君の左翼唯物論では太刀打ちできず、自由放任しておかざるを得ないのであります。「マサノブ教団」内には今やマサノブ君を超える人材はいなくなりました。しかし、本流掲示板にはマサノブ君を越える人財は豊富であります。



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6月 8日 = 自由と不自由 (4) = (要旨)

<< 積極的な人生の歩み方は、どうすれば実現するか・・・まず確認したいことは、「不自由の中から自由が生まれる」ということである。・・・復習すると、自由とは単なる可能性ではなく、実際に何かをする自由である。しかし、「○○をする自由」を実現するためには、「○○以外のこと」はできないという不自由を同時に認めなければならない。・・・つまり、「○○をする」自由は、それ以外の数多くのことができないという圧倒的な不自由と同時にある。だから私は、先に「不自由の中から自由が生まれる」と書いたのである。これを簡単に言えば、コーヒーを飲んでいるときは、トマトジュースも牛乳もビールもウイスキーも同時には飲めないということだ。・・・「努力さえすれば何ごとも成し遂げられる」それが、主観的自由を自ら創り出す積極的な生き方につながるからだ。・・・自宅とオフィスの標高差は100メートルほどあり、オフィスの方が標高が高る。・・・昨年秋の段階では、私は最後の上り坂を完走できず、自転車から降り、車体を押して歩いた。しかし、これにめげずに自転車通勤を続けていると、歩く距離はしだいに短くなり、やがてノンストップ通勤が実現した。、「自分は本当に無限力か!」と一瞬思ったほどだ。もちろん、この考え方は実相と現象を混同していて間違っている。が、実感としては両者を混同しそうなほど、感激したのである。オフィスへのノンストップ・ヒルクライムが実現した後は、さらにそれより高地にある県立「まきば公園」を目指すようになった。標高差はさらに100メートルほどあるが、これはさほどの苦労や苦痛をともなわずに実現した。・・・河井継之助記念館のパンフレットにあった「苦しいことに耐えなければ、何ごとも成し遂げられない」という言葉を、――「苦しいことに耐えれば、何ごとも成し遂げられる」と読み替えて、密かに喜んでいるのである。・・・私がまきば公園で感じる達成感と爽快感は、努力のすえ獲得した自由の感覚だと思う。これまで不可能だったことが、可能になったのだ。・・・このようにして、自由は不自由から生まれるのである。この考えが理解できれば、私たちはいつ、どんな時でも、“自由への道”を歩んでいると言えるのである。それがたとい、人から強制された不自由であっても、「強制された」という考え方を変えてしまえば、不自由はそのまま自由になる。 谷口 雅宣>>



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<講評>


@ とにかく、マサノブ君の比喩はいつも適切ではないのである。IQ指数(肉体人間知)優秀と自負してはばからないのであるならば、もっと適切な解説をしては?と申上げたい。かつての「迷い」の解説のときにも、食堂での注文時の単なる“思案”を、人生上の迷い、求道途上に於ける迷いと同一線上において解説したり、今回はまた、「自由と不自由」の解説において<コーヒーを飲んでいるときは、トマトジュースも牛乳もビールもウイスキーも同時には飲めない>という比喩を使うなど全くお話にならないのである。


A <コーヒーを飲んでいるときは、トマトジュースも牛乳もビールもウイスキーも同時には飲めない不自由> こんなことを“不自由”なんて感じる人は殆んどいないであろう。複数の飲み物の中から自分の意志でコーヒーを選んだのだから、後はそのコーヒーの味をユッタリした気分で味わうのが普通人なのだ。
その時に、<トマトジュースも牛乳もビールもウイスキーも同時には飲めない>なんてなんと不自由なことだろうと考える人間は<机上の空論>の世界で生きる閑なセレブ族しかいないであろう。


B マサノブ君は、マウンテンバイク(極めて高価な?)に乗って自宅から彼の職場である「森のオフィス」の防弾ガラス入り?の総裁室まで標高差100メートルの昇り下りの坂道をノンストップで走破できるようになり、さらに100メートル高い場所にある「まきば公園」まで<苦労や苦痛を伴わず>に走破した、と書き<「努力さえすれば何ごとも成し遂げられる」それが、主観的自由を自ら創り出す積極的な生き方につながる>と自己賞賛を為す。


C 「苦しいことに耐えれば、何ごとも成し遂げられる」――この言葉は光明思想のコトバではない。『御教え』によれば「困難に戯れよ」ではなかったのか? しかし、マサノブ君が<苦しいことに耐えれば>というのも無理はないのである。彼は、副総裁就任以来、「生長の家教規」や「諸規則」を自分に全権力が集注するように改訂(改悪)に改訂(改悪)を重ね、その間には相当な周囲の抵抗と重圧を耐え忍ばなければならなかった。その周囲の抵抗と重圧を彼は人並みはずれた稀有なる性格――比類なき横車押之介――でもって今までへこたれることなく完走して来たのである。<私が総裁の椅子で感じる達成感と爽快感は、努力のすえ獲得した自由の感覚だと思う。これまで不可能だったことが、可能になったのだ。> マウンテンバイク通勤の完走で感じた達成感とマサノブ君の心の奥底にある無意識的感情とは確実に連動していたに違いないのである。


D かくして、マサノブ君は、今や「マサノブ教団」内では総裁の椅子に座って完全自由を獲得し、独裁権力を思う存分振るっているのである。しかし、彼の完全自由は現在段々に不自由さが増してきているのである。マサノブ君の獲得した完全自由とは独裁権力行使の自由であった。その独裁権力を終生保って行くためには、反対者を粛清しなければならない。意に沿わぬ教義を入れ替えなければならぬ。これが彼が今まで為してきたマサノブ流の“焚書坑儒”である。更に彼の独裁権力、「生長の家」乗っ取りに抵抗を示す「本流復活」を叫ぶ声は今や全国的に広がって行っているのだ。


E もう、此処までくれば所謂『ゴルゴ13』の世界だ。総裁室は防弾ガラスを張り、講習会ではボディーガードを付け、自らは防塵チョッキ?を着込んで講話とおぼしき話をする。どう考えても現在のマサノブ君は我々の様な完全自由を味わうことは出来ないであろう。精神的に極めて不自由な世界に住んでいることになる。イエスマンと思っていた理事参議たちもいつクーデターを起さないとも限らない。正義の自覚を取り戻したイソベ君たちによって、ある日突然、一室に押し込められ辞表を書かされないとは誰が断言できようか? あれやこれやでマサノブ君は精神的にきわめて不安定で、「歴史上において殆んどの独裁者は中途挫折し倒されていく」この言葉が常にマサノブ君の脳裡を去来する毎日である。


F マサノブ君、現在君は「自由と不自由」などと閑人の空論を論じている時ではないのである。君自身が現在の精神的不自由な境遇を抜け出すことが第一である。それは速やかに、教勢低落の全責任を自覚して総裁を辞職し、教団を去っていくことなのだ。君はこの辞職と退去の事をじぶんで説教しているではないか! 曰く、<私たちはいつ、どんな時でも、“自由への道”を歩んでいると言えるのである。それがたとい、人から強制された不自由(注・辞職と退去)であっても、「強制された」という考え方を変えてしまえば、不自由(注・辞職と退去)はそのまま自由になる>と。







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