生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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教団統治機能を失った理事・参議の責任を追及せよ! (4317) |
- 日時:2014年06月26日 (木) 18時39分
名前:怒れる信徒代表
「信徒連合」さんの<「生長の家解体・特報>の全十回連続投稿記事が完了した御様子なので、小生の意見を追加させて頂きます。
中村晃生氏が「<法灯>を失ったマサノブ教の考察D」 http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=1758 に於いて<「法灯破壊者」の独裁を許すな――マサノブ教は、オリンパス事件を想起させる>に続いて <「生長の家」にも「企業統治」を復活をさせよ!>の中で次のごとく書かれています。
<< 偽物ではあるものの、「法灯継承者である」との権威を振りかざして「独栽権」をほしいままに行使しているマサノブ「総裁」ですが、「法灯破壊」を繰り返すマサノブ教団にあってこそ「企業統治」が問われるべきであると、私は信じています。もしもこのようなことが、世界の他国――それがキリスト教であろうが、イスラム教であろうが――で行われでもされるならば、その人物は「信仰破壊者」として信者全員から大非難を浴びるでしょうし、バッシングを受けて追放されることは間違いありません。そして「法灯継承」とは正反対の「法灯破壊」行為しかしていないマサノブ教祖をこそ、「生長の家」教団から「追放」すべきなのであります。いわば宗教団体の「企業統治」の復活――こそ、今の「生長の家」に求められることなのではないでしょうか? >>
「トキ掲示板」の「トキ管理人」氏は、このごろマサノブ君に対して相当辛口の意見の投稿も為されていますが、< 現在のマサノブ暴君体制を招いたのは、「生長の家」の運営組織にその根本原因があったのだ > と言う意味の主張をなされ、相変らずのマサノブ君擁護と温存を図ろうという意図がミエミエであります。
マサノブ君の暴君的独裁体制を招いたのは、開祖・谷口雅春先生のオマゴサマとしてのアンタッチャブルな特権を最大限利用して、「生長の家教規」の改悪を重ねた宗教者としては最低の人間性(神性隠蔽)を持つマサノブ君に諸悪の根元があるのであります。そして、マサノブ君が「生長の家」組織を思うがままに完全なる親衛隊組織として運営すると共に、その絶対的独裁権力を駆使(悪用)して、諫言するものや本来の『御教え』を第一とする者を教団外へ追放してしまったのであります。
ここに於いて、宗教教団の「企業統治」機能はまったく働かなくなってしまったのであります。しかし、我々の考えなければならない事は、一挙に「教団統治」機能が働かなくなったわけではなく、マサノブ君が副総裁になって、自らの独裁体制に向かって当時のイソベ理事長を抱きこんで動き始めた頃は、まだまだマサノブ独裁化を防ぐ為の「教団統治機能」を働かせる余地は十分にあったのであります。即ち、当時の理事・参議達が私心を捨て辞表を懐にマサノブ独裁化への道を防いでいたならば今日の様な状態にはならなかったのではなかろうかと思うものであります。
当時の理事・参議(ただし、イソベ君を除く)の人達は、その時点ではまさか如何にマサノブ君といえども、“衆生救済”という宗教本来の目的を放棄したり、神殿としての『生命の實相』や『甘露の法雨』を放棄したり、鎮護国家を捨てたり、『實相』の代わりに“雑木林”を大自然の神として真面目な顔で頭をさげたり、「御神像」を引き摺り下ろしたり、さらに先輩信徒の信仰の結晶で原宿本部会館を3億円の浄財を使って解体工事を行い、環境問題という時流コトバを隠れ蓑にして宗教貴族の道楽としての大規模超豪華ログハウス「森のオフィス」を浄財150億円を掛けて造るといった事柄は、到底予想だにしなかったことであったでしょう。
だから、当時の理事参議の最高幹部の皆さんは、開祖・谷口雅春先生のお孫さまとしての遠慮があり、「谷口家に対しては弓を引けない」と言う想いからあからさまにマサノブ降ろしの行動は採られなかったとも考えられます。しかし、マサノブ独裁体制が完成し、本来の『御教え』の根幹をさえ否定する「今の教え」が公然と闊歩する世になり、開祖・谷口雅春先生ご創始の「生長の家」潰しが誰の目から見ても明らかになった時点においても、理事参議たちは、マサノブ君に諫言をする事は身の破滅を招くと俗世間並みに判断して、マサノブ君の所業を“見ざる、言わざる、聞かざる”の三猿主義に徹しきるようになって来たものと外部からは見えるのであります。その間においても理事参議ではない本部講師や教化部長は身を挺して諫言をされたのですが、すべてマサノブ独裁の人事権の発動によって左遷、退職に追いやられたのであります。
あくまでも狡猾極まるマサノブ君は、人間心理の最大弱点を突いた旗本懐柔策をとったのであります。それは“鼻先のニンジン政策”でありました。理事参議という最親衛隊には魅力溢れる超高額の年俸保障という人事給与政策で懐柔し、教化部長には年俸1000万円〜1200万円、理事参議には年俸1300万円〜1500万円、理事長・副理事長には年俸1600万円〜2000万円(以上、推定額)支給して、マサノブ批判の口を封じ、本来の『御教え』復活への“牙”を抜いたのであります。身を挺して“義”をつらぬくか、あるいは超高額年俸とセレブ生活を優先する“魂”を売る道を選ばせるかを迫り、かくして現在の教団最高幹部たるイソベ理事長・ユキシマ副理事長・オオツカ参議長を筆頭に全理事参議の諸君は、われわれ末端信徒から見れば、お金と地位のために信仰者としての“魂”を売った最低の輩、日本人としての高潔な魂を捨てた反日的日本人、開祖・谷口雅春先生への御恩を仇で返した宗教者・信仰者にあるまじき恩知らずの輩となりはててしまっているのであります。
その結果が現在の「教勢」の急落現象となって現れ、「聖使命会員」の集団脱退を招いているのであります。然るに、マサノブ君は、これ等の教勢急落現象には何の責任も感じることなく<講習会は小旅行・マウンテンバイクで爽やかな高原の朝を駆け抜け牧場公園で一休み・箱庭の畑で野菜作り・・・>と云ったまさに優雅な宗教貴族生活、そしてジュンコ君もお弁当作りと八ヶ岳の自然との共生を楽しむ毎日・・・信徒の浄財あってこその毎日の生活に対する感謝の気持など微塵もなし・・・マサノブ君にしては、「生長の家」つぶしという本来の目的に着々と進んでいるのだから、「教化部の統廃合」もすべて想定内で計画は順調という考えであります。
自分の会社を潰すことを目的にして経営している経営者は此の世では考えられないのであります。その考えられないことが現教団では起きているのであります。民間企業ならば社長はじめ副社長・専務・常務の経営執行役員は総辞職であります。しかしマサノブ君の現教団では、逆に社長はじめ全執行役員が全員、赤字経営の転落の責任を何ら感じることなく、ノホホンと信徒の浄財から支給される毎月の超高額収入(月給)で優雅な宗教貴族生活を送っているのであります。民間企業ならこんな経営陣は全員退職金没収そして追放であります。
イソベ理事長、ユキシマ副理事長、オオツカ参議長および全理事参議の「生長の家」最高幹部役員の諸君達、諸君たちは本当に卑怯な到底「生長の家」信徒とは呼べない人たちである。毎月、信徒の浄財から超高給を貰いながら、沈み行く「生長の家」丸に対して何らの沈没回避対策も打とうとせず、徒にマサノブ船長の顔色を伺い三猿主義に徹し切っている。それでも「生長の家」信徒といえるか? “義”を重んじる大和魂を超高給というニンジンと引き替えに売り渡してしまった最低の人間と追及されても何も感じないのか? 此処まで一般の末端信徒から最低の評価を突きつけられても何も感じないのか? 諸君等は自分自身がまことに情けない人間、信仰者としての範疇にさえ入らない人間とまで言われてもぜんぜん無感情なのか?
今までは、掲示板に於いてはマサノブ君の「生長の家」つぶしだけに焦点が当てられて、理事参議の責任まで言及する事は殆んど無かったと言ってよいのである。しかしここまでマサノブ君による「生長の家」潰しが進んできた裏には理事参議の無責任性があるのである。理事参議諸君はこの無責任性つまり「教団統治」責任を放棄して来たのだ。諸君等は言うであろう。現在の「生長の家」教規のマサノブ独裁体制の下では何も出来ぬ、と。しかし、それは己の地位と超高額年俸を護る為の言い訳に過ぎないのである。
イソベ理事長、ユキシマ副理事長、オオツカ参議長および全理事参議の諸君! マサノブ総裁辞去・教団外退去・開祖の「本来の『御教え』復活」を目指して、辞表を懐にして立ち上がればマサノブ独裁体制は打ち破れるのだ! これが出来なければ理事参議の肩書きは無価値だ! そして、お金のために“魂”を売った最低の人間(宗教者・信仰者)という評価(業果)を背負って霊界へ旅立たざるを得ないであろう。
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