生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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生長の家「今昔物語」・霊界篇の再掲示 <第十二話> (355) |
- 日時:2013年03月07日 (木) 09時13分
名前:信徒連合
生長の家「今昔物語」第五篇 霊界篇
第十二話(通算第254話) 他界への出生の実証(その一)
死の瞬間を透視せる実験
(「人間死んでも死なぬ」P.65−68)
<<1919年フランス学士賞を受けたセブラユー博士の『心霊界の実証』には次のごときことがのべられてある。―――
『私の透視力は親しく死者の枕頭で、死の現象について心霊的および生理的研究を行うのに好都合でした。死者はしばしば私の医療を受けた事のある六十歳くらいの老婆でした。いよいよ死ぬ時機がやって来た時、私の身体は幸いにも達者で、私は自分の透視力を充分応用する事が出来ました。
・・・しばらくして、患者の頭の周囲には輝きを帯びた雰囲気が集まってきました。頭部を囲(めぐ)る雲状の雰囲気からは、更に頭が出来てその形は次第にはっきりした形になりました。最初は見るのも眩(まぶ)しいくらいに光り輝いていましたが、このガス状態の頭の形は凝結するに従って光輝ある雰囲気を失ってきました。・・・
こうして私が透視力でこの時起こりつつある心霊現象を見ていますと、室内の人々は物質の眼で臨終の痛苦と悲歎(ひたん)とを眺めていましたが、それはその真相を誤解したものに過ぎません。
それらの苦痛の悲痛も要するに生き生きとした霊的理智体が肉体から離別する現象に過ぎなかったのです。肉体から抜け出た霊魂すなわち理智体は屍骸の頸(くび)の部分と直角を保って頭上に起立していました・・・
そこで私は死は霊魂の再生に過ぎないとの確信を獲(え)ました。霊魂は死を通して<下級の状態>から<上級の状態>に移るのです。実際、霊魂が他界に生まれるのは赤ん坊がこの世に生まれるのと何もかも一致しています。臍の緒(へそのお)に当るべき霊線さえも、さきに言った通り完備しているのです。
霊線は暫時、霊肉両種類の有機体を連絡していました。その際わたしは嘗て予想すらしなかった新事実を認めました。すなわち、繋いでいた霊線が切れるや否や、霊的流動体の一小部分が肉体に還ったのです。この還流した霊的流動体は屍体の各部に浸透して、暫時の間、屍骸の腐敗分解を防止するらしく思われます。
一方、屍体から抜け出した流動質の有機体の新しく出来上がった形は、大体肉体に似通っていました。
この霊魂体の内面的心理状態は如何なるものであるか、私としては知る事は出来ませんが、その態度で見ると、屍骸の周囲に泣き悲しんでいる人々に対しては心を痛める様子もなく、むしろ意外に感ずるような有様でした。彼女は周囲の人々が事実の真相について無智であることを憐れむもののようでした。』
透視と云うものが必ずしも信頼し得べきものでないことは、勿論われわれも熟知している。しかし、上記のような観察の価値は疑う事は出来ない。多年確実の定評を博したすぐれた透視家のこの種の証言を無価値と見るのは寧ろ頑迷だと云うべきである。また上記の描写は又多数の他の人々の観察と一致するので、真の光景を明らかにしたと解すべきである。
しかし、吾々の提示し得る証拠は透視家のみに限ってはいない。ひとたび死んで又甦った人々の陳述も亦他界の生活を描写して、しかも透視家の観察と符号しているのである。
ひとたび冥界への境を超えた後、再び現世に帰った人があの世の状態はこうであったと物語る事は往々あることであるが、特にその人が炯眼(けいがん)な学者などである時は、その証言は更に価値を増して来るものである。>>
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