生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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<転載> 「マサノブ教団」全本部講師・地方講師必読の“真理の悟り”投稿文 <その六>  (4379)
日時:2014年07月02日 (水) 07時28分
名前:信徒連合






この様な素晴らしい「生長の家」真理の理解と解説の投稿文が見つかりました。他の掲示板でも転載されております。最初に見つけてくださった方に感謝申上げます。


「マサノブ教団」が依然として「生長の家」という看板を掲げている限り、そこに所属している本部の講師部長、本部講師、地方講師の皆さんは自分自身どの程度深く開祖・谷口雅春先生の本来の『御教え』という真理を理解しているかの尺度として、熟読して頂くに値する現代の「維摩居士」とでもなぞらえることの出来る内容であります。謹んで御紹介させて頂きます。

出所は、−−
http://56937977.at.webry.info/201406/article_6.html



////////////////////////////



< 転載:第六回 >



9/生長の家分裂崩壊問題の真因はどこに?

<< 作成日時 : 2014/06/23 23:08



 現在の三代目生長の家総裁になってからの方向性が、生長の家立教の使命とは真逆な方向に向かっていることについて、前回迄何回かに分けて書き込んできました。そんな中で、何故このような混乱した状態に生長の家がなってしまったのか、その奥底の原因について、自分自身思い当たることがありましたので、引き続き生長の家関連のこの問題について書き込むこととしました。今回もこの問題にご興味のない方はどうぞスルーしてください。


*************


 生長の家の説く真理は実に広大無辺です。ある評論家は、生長の家を「宗教のデパート」と評したほどです。生命の実相哲学によって、人間の本質が「神性・仏性」であることを説き示し、その哲学的宗教的把握を通して、世界の主要宗教・神話の真髄に流れる共通点を明らかにすることにより「万教帰一」を説き、さらに自然科学、哲学、心理学の本質にも穿ち入り、宇宙全体を貫いている「真理・法則」を矛盾なく解き明かす力を秘めています。故に、それぞれの人間が抱える様々な人生問題を、より高度に法則的、霊的、真理に基づく解決方法を見つけ出す事が可能となるため、人々の病気、人生苦、家庭問題、社会問題、広くは国家的問題さえも解決する力量を持ち得ているのです。


 生長の家の説く真理体系が余りにも広く深いためでしょうか、それを学ぶ一人一人の受け止め方、説き方、理解力が千差万別違って来るのは、致し方ないのかもしれません。ある人は治病や家庭問題解決に生長の家を利用し、ある人は経済問題解決に生長の家を利用し、またある人は自身の能力向上や企業経営に焦点を合わせて生長の家を利用しようとします。実際に真理を知り行ずれば当初の目的は達成されるでしょう。なぜなら宇宙の法則や心理学、精神科学の法則に準ずれば、心的原因が正されるようになり、「心の法則」(三界唯心所現)にしたがって、現象界に結果が現れるからです。どれも決して無駄ではないのですが、その部分だけの把握や実績をもって、「私は生長の家を理解し得た」と云い切ることはできないのは当然と言わねばなりません。


 創始者の谷口雅春師は、生長の家が20世紀末のこの時期、地球上に現れた根本的理由について、次のように説いています。かなり長くなりますが、大変重要な文章ですので、あえて引用させて頂きます。


 《すなわち塩椎(しほつち)というのは水(シ)と火(ホ)と土(ツチ)という陰陽ムスビの御働きによって一切を生みだすところの御働きを指すわけで、いよいよ第二の天之岩戸開きで天照大御神を現実世界に生み出して、地上に永久平和の世界を打ち建てるために、その産み出しの出口を浄化する働きをなさるのが「住吉大神」で、これは天照大御神御誕生の直前に出現し給うよう『古事記』に書かれているわけです。

 それから天孫降臨ということは、高天原に在(ましま)す天照大御神の孫――真子(まご)――マコトのミコトが地上に顕現するということで、親からかぞえて第三代目というような意味の孫じゃないのです。

 天照大御神そのままの霊がいよいよ天降って、瓊々杵尊(ににぎのみこと)として天降って来られる、つまり、幽の世界から顕の世界へ出現せられるということであります。その時に、下界が曇っていて地上が見えない。そこで瓊々杵尊は「ここに国ありや」と仰せられたら、「ここに国がありますから、天降りまして、お治め下さい」といって、現実世界に天孫をお導き遊ばしたのが、事勝国勝長狭(ことかつくにかつながさ)という神で、塩椎神の別名だと『日本書紀』に書かれているわけです。

 そのようにして、住吉大神は、曇っている現実世界に太陽の御子を天降し導いて、地上に天照大御神の御光を持ち来たし、永久平和を現実世界へ生み出すための働きをしているわけであって、日本の國體というものが、如何なるものであるかということを、それの隠れている覆いを除いて現実の世界にあらわす、浄化の働きであり、実相を生み出すという働きをなさるという働きで、今、この御働きが続々進行中である。

 これこそが、生長の家出現の使命であるのです。政治局が生長の家の本部の機構にできたのもそのためです。

 いろいろの宗教が今まで現われているのは、その時代、その時代に応じて、宇宙の大神が、人類を救済せんがためにあらわれたのだけれども、いよいよ、今までのそういうような一宗一派的な、排他的な闘争的な働きでは、とても全人類を救うことはできない。

 このように飛行機が飛び、人工衛星が飛んで世界が縮小して、いよいよ地球みたいなものは、一家族になるより仕方がない。そういう時代になって来たものだから、ここに本当に、世界の人類は、一つの兄弟であるという実相をあらわして、世界に、永久平和の世を打ち建てる時機が来た。

 そこで、どうしても、そう云う世界を産み出すためには万教の神髄を礼拝して手をつなぐ、万教帰一にして、しかも日本の國體を明らかにする宗教が必要だという神の御意志で、そういう使命をもって今、生長の家へ現われているのであるというわけであります。

》昭和39年11月29日「實相研鑽会」谷口雅春先生の結語より(http://blog.zaq.ne.jp/sinseityounoierengou/article/1174/ のサイトから引用させていただきました。)


 これをお読みになれば、生長の家出現の人類的使命が理解できます。日本民族の祖先が直感力によって、宇宙の現象展開のメカニズムが如何なるものであって、具体的にどの様に現象世界に神々の世界が展開するのかということが、古事記の神話に書き記されているのであります。その神話の預言に示されている通り、実相世界(天照大御神)が地上に展開する直前に、宇宙浄化の働きとして住吉大神(生長の家)が現れ、世界中の迷いを浄化せしめる必要があるのです。生長の家の出現の使命は一点にそこにあると言わざるをえません。



 生長の家の出現の使命は、実相世界(天照大御神)の地上顕現のための直前の大浄化の働き(住吉大神の宇宙浄化の働き)であります。「生命の実相」哲学の「人間神の子」の真理をキーワードとして、世界中の宗教の真髄を解き明かし、一宗一派の宗派争いを根絶せしめる「人類光明化運動」の目的も、実にここにあります。


 では、実相世界とはどんな世界なのでしょうか? 日本国家の建国の理想とは如何なるものでしょうか? 次に谷口雅春師が昭和12年に記した文章を紐解いてみましょう。これも大変長くなりますが、師の率直なる気持ちを知る上で大変重要と思われますので、ご一読ください。


 《異常に地上の人間を尊敬する言葉を使うとき、その尊敬の言葉が周囲の反感をそそることになることがある。生長の家でも若し私を教組のように取扱わないで一個の文学者であると取扱って頂けたなら、生長の家は迷信だとか邪教だとか云われないで、もっと広く弘まったであろう。信ずる者があまり持ち上げるので、反動的に社会がその出る杭を打とうとするのだ。

 イエスを磔刑(はりつけ)にまで導いたのは弟子であった。それは必ずしも裏切者のユダのみがイエスを売ったのではない。弟子や信者たちの周囲を顧慮せぬ異常な尊敬の念がピラトやカヤバに不安の念を起こさしめ、ついにイエスを磔刑にまで導いたのである。西郷隆盛に城山で自刃せしめた者は、却って隆盛を信ずること篤きその家来であった。

 私は教組だとか聖師だとか云われるよりも、ただの哲学者で好い、文士で好い、私は自由人であり著述家である。私は宮崎邸の離れに同居させて頂いている一個の文筆業者である。私は一戸を構えていないので選挙権さえない人間である。併し私は哲学者としては、カント、フィヒテ、ヘーゲルに並べられても差し支えないところの哲学界に功績を残したとは思っている。

 私は『生長の家』と云う大いなる団体を作って、その主宰者となり、自分の団体の勢力を拡張したいとは思っていない。ただ私の心の中には国家あるのみであり、人類あるのみである。ここに私は『国家』と『人類』との二つを同格に並列せしめて語ったが、私にとっては『日本国家』と『人類』とは同格なのである。日本国家が栄えることによってのみ、人類は栄えるのである。

 『生長の家』で説く『實相』は、既往の仏教者の大多数が誤って『實相すなわち空なり』と説いたような『空』ではない。『實相』とは空気のような、エーテルのような空しき無常の存在ではない。實相とは無限荘厳の組織体である。だから實相が顕現するとは、無限荘厳の組織体がこの世界に顕現しなければならない。そしてヘーゲルも云ったように『国家は最高の組織体である』が故に、完全なる国家の顕現が、實相の顕現であるのである。

 而して世界にありとあらゆる国家組織体のうち、日本国家“のみ”が最高完全の組織体である。<その理由は、その中心(すめろぎ)が万古不易(ばんこふえき)永遠に続いているからである。外国の国家のように中心定まらず、時々交代するようでは最高完全の組織体とはいいがたい>。それ故『日本国家』は神の理念の最高顕現であり、無限荘厳の實相の顕現であるのである。

 而して『日本国家』が広がり行くことは實相の顕現がひろがり行くことになる。『日本国家』のために尽くすことは『人類』のために尽くすことになる。人ややもすれば『国家』的立場は一つの執着の立場であり、人類的立場は一層高き普遍平等的立場であると思いたがろうとするのであるが、日本国家に於いてのみ、国家的立場は人類的立場と完全に一致するのである。国家的立場と家族的立場とは悉く『まこと』(實相)の一つに於いて一致する、これが生長の家の光明思想である。》(「明窓浄机」草創篇・昭和五年〜十二年 P.257−258より)


 実に含蓄ある言葉であります。ここに師の生長の家立教の発願の原点を見ることができましょう。師には微塵も私利私欲が感じられないのです。全てを「国家」と「人類」に捧げきる姿勢が感じ取れて、清々しい思いを受けるのは、小生一人でありましょうか。


 《實相とは無限荘厳の組織体である。だから實相が顕現するとは、無限荘厳の組織体がこの世界に顕現しなければならない。そしてヘーゲルも云ったように『国家は最高の組織体である』が故に、完全なる国家の顕現が、實相の顕現であるのである。》とありますように、「実相世界」とは無限荘厳の組織体なのであります。同時に永遠性を持った中心帰一の世界であります。


 無限荘厳の実相世界が、永遠性を持った中心帰一世界であり、その最高完全なる現象国家への顕現が唯一日本であることについて、次のように明記されているのです。《世界にありとあらゆる国家組織体のうち、日本国家“のみ”が最高完全の組織体である。<その理由は、その中心(すめろぎ)が万古不易(ばんこふえき)永遠に続いているからである。外国の国家のように中心定まらず、時々交代するようでは最高完全の組織体とはいいがたい>。それ故『日本国家』は神の理念の最高顕現であり、無限荘厳の實相の顕現であるのである。》


 谷口雅春師が生長の家を立教せしめたところの究極の意義がどこにあるのか、もはや以上の説明で明らかでありましょう。「実相世界の最高顕現たる日本国家の理念、即ち天皇(すめらぎ)に中心帰一する真理国家の世界的使命実現」という遠大なる理想を現象世界に顕現するために、生長の家が出現したのであります。その理想実現、即ち実相世界の地上への顕現のためには、まず「迷い」を悉く払拭せしめねばならないのです。それが宇宙浄化であり、それが住吉大神の宇宙浄化の御働きであり、生長の家の使命であります。その浄化は正しく実相を指し示す「潮満の珠(しおみつのたま)」(肯定の言葉)と、迷いを否定する「潮干の珠(しおひるのたま)」(否定の言葉)によって達成されるのであります。


 この生長の家の根本理念から遠ざかる程度に応じて、生長の家の教団はその存在意義が薄れ、その根本理念を忘れる程度に応じて、浮き草の如く、漂い始めるのです。生長の家は、実相世界の遠大なる理念の展開として現れたのです。生長の家組織に提供されるインスピレーションとエネルギーの源泉は、実相世界(神界)に直結せる「理念の根」を通して供給されていました。しかしながら、「理念の根」を忘れ去り断絶した現在においては、実相世界からのインスピレーションとエネルギーは閉ざされ、衰退と分裂と崩壊の一途を辿るしかないのであります。


 これを打開する方法はただ一つ、「潮干の珠(否定の言葉)」を使って、組織と吾々自身に潜む「迷い」の観念を徹底的に否定し去り、実相世界の無限荘厳なる姿を「潮満の珠(肯定の言葉)」を使って明らかにするより外はないのです。この現象世界は「三界唯心所現」「心の法則」の展開せる世界であり、心の投影が現象世界に映し出される仕組みになっているからであります。そして、現象世界を現し出す最後の責任者は、全ての人間一人一人にあるのです。一人一人の想念、言葉の力が、この現象世界を現し出すが故に、「迷い」の否定と、「実相」の肯定を駆使する必要があるのです。


 そこで重要になることですが、実相の「無限荘厳なる姿」をイメージするといってもあまりにも抽象的過ぎるのであります。やはり実相世界が如何なる世界であるかということを、もっと具体的に知る必要があるのです。でなければ、さらに現象世界は混沌として収集がつかなくなるのです。《『生長の家』で説く『實相』は、既往の仏教者の大多数が誤って『實相すなわち空なり』と説いたような『空』ではない。『實相』とは空気のような、エーテルのような空しき無常の存在ではない。實相とは無限荘厳の組織体である。》と書かれています。「実相すなわち空なり」と説いている間は、心の展開としてこの現象世界も空々漠々なる混沌とした世界とならざるを得ないのです。実相世界が中心帰一の無限荘厳の組織体であることを明確にし得た時、心の反映としてこの現象世界が整ってくるのです。


 日本民族は大昔から、神様の世界(実相世界)が中心帰一の永遠の世界であることを知っていたがために、民族の心の顕現として、天壌無窮の天皇を中心とした国家を形成し得たのです。日本以外の世界の国々では、民族が描く理想のイメージが、明確に実相世界の中心帰一且つ永遠性を発見し得ていなかったがため、その心の反映として、国家も永遠性のない、中心が曖昧且つ、変遷する不完全な国家を形成するしかなかったのであります。その結果として日本は世界に類を見ない平和で安定した豊かな国家が作られていることは、もはや世界中の注目の的でありましょう。何故日本国家と日本民族が、理想的な社会性、民族性を持っているのか、その根底に天皇国日本の国家作りがあることを、今後全世界の人々が知ることになるでありましょう。


 つまり、明確に「天壌無窮なる天皇国日本」というイメージに、集中することが極めて重要であるということであります。実相世界(神の世界)の中心帰一と永遠性を「迷い」の闇で覆いかぶせる程度に応じて、心の反映として自動的に不完全、不調和、争い、混沌の世界とならざるを得ないのは、仕方がないことといえましょう。吾々日本民族は、祖先が最も大切にして来た「天皇国日本」を、さらに大切にし、さらに明確に実相世界の完全な世界を現象世界に顕現せんがために、努力すべきであります。それこそが、日本のみならず全世界が平和になる基本となるのです。



 このように谷口雅春師の説いたところの、生長の家の理念はまさしく日本建国の理念と全く同じであることが理解できるのであります。この素晴らしい生長の家の理念、即ち日本建国の理念を吾々生長の家に縁ある一人一人が大切にすべきであります。現在三代目総裁が生長の家立教の理念とは全く反した方向に進めている現状を見るに、多くの関係者は悲しみと憤慨の念を禁じ得ない事でしょう。小生もその一人であります。


 問題の発端が、三代目総裁の信仰姿勢にあることは疑いの余地もありません。しかしながら、心の法則を知る者にとって、それだけでは済まされないことでもあるのです。三界は唯心の所現であります。総ては我より出でて我に返るのであります。環境は心の展開であります。現象世界で自分自身が見聞きするものは、たとえ相手があるにせよ、それを引き寄せた奥底の原因は、自分自身にあるのです。


 雅春師が亡くなった後、生長の家の指導者、幹部、信徒誌友は、いったいどれほど「天皇国日本」の実相顕現を大切にしてきたでしょうか? 勿論片時もその祈りと実践を忘れなかった方々もおられたことでしょう。小生は残念ながら、それほどまで大切にしてきたとは、恥ずかしながら言い切る事はできません。今振り返ってみるに反省しきり、心が痛みます。周囲の人々を思い返し、教団の様々な運動を思い起こすに、明確なる「天皇国日本」の実相顕現の思いと行動がどれほど徹底していたか、疑問です。


 結局は、私を含め生長の家を愛する一人一人の心の反映として、現在の教団の姿となって現れたと云いうるのではないでしょうか。その意味で観察するならば、現在の生長の家組織の分裂、衰退、崩壊の原因を作ったのは、私を含め吾々生長の家人だったということになります。その観点で観察する時、誠に申し訳ない想いでいっぱいになります。


 私も少なからず現総裁に対して批判の記事を書き始めています。そのことは客観的に見ても間違ってはいないと信ずるからです。しかしながら、同時に小生自身の過去の不徹底を知る時、現総裁に対する批判だけでは済まされないことを知るのです。「大調和の神示」に「汝ら天地一切のものと和解せよ 天地一切のものとの和解が成立するとき 天地一切のものは汝の味方である 天地一切のものが汝の味方となるとき 天地の万物何物も汝を害することは出来ぬ 汝が何物かに傷つけられたり黴菌や悪霊に冒されたりするのは汝が天地一切のものと和解していない証拠であるから省みて和解せよ」とあります。また「天地万物と和解せよとは 天地万物に感謝せよとの意味である」と・・・・。


 このような混乱と衰退が現象世界に展開するのは、「和解していない」からでありましょう。つきつめれば「感謝していない」からであります。では何に対してどのように感謝すべきでありましょうか? 愛する生長の家と自分で云いながら、本当に生長の家を愛していたのでしょうか? 「愛する」とは「一体になる」ということであります。生長の家と一体になるということは、生長の家立教の根本理念を愛し、一体となるということでありましょう。つまり、「天皇国日本」の実相顕現という立教の使命を愛し、一体となるということに尽きるのではないでしょうか? 


 少なくとも小生に限っては、その理念をいい加減な気持ちで遠ざけていたことを皆様に暴露いたします。そこに「迷い」の闇を蔓延させる真因があったことは否定できません。その結果として、現在の生長の家の姿が私の目の前に現れたのであります。原因の一端を担ったのは小生自身であったことを、否定することはもはやできません。


 その過去の自分自身の不徹底な姿、生長の家に対する愛のない姿勢、「天皇国日本」に対する不純な姿勢を目の当たりに見せてくれたのが、三代目総裁であったのではないでしょうか。そう観る時、初めて「大調和の神示」の「和解」と「感謝」に辿り着ける気がします。現象世界は心の法則で成り立っており、「因果眩まさず」であります。自身の心の影が現在の生長の家の姿であります。

 実に申し訳ない限りであります。


 此の度の問題を通して、一体自分は何を学ぼうとしているのでしょうか? 相手(環境)の中に潜む「迷い」を見いだしました。同時にそれの真因が自分自身の過去の心の中にあったことも見いだしました。それを教えてくれた現在の生長の家教団に対しても、観世音菩薩として感謝することができました。その次が問題です。その結果として自分は何をすべきなのか? もう答えは一つしかありません。生長の家立教の使命であるところの「天皇国日本」の実相顕現について、さらに明確に学び、言葉を以て綴って行くことです。私なりに、生長の家に対する御恩返しを始めることにいたします。それは取りも直さず「天皇国日本」の実相顕現という大理想の実現であります。


 きっと、此の度のような絶体絶命の大問題が小生の前に現れなければ、愚鈍な小生はいつまでも気付かずに眠り続けていたに相違ありません。


 それを教えて下さった雅宣先生、ありがとうございます。やっとこの問題に感謝ができました。この宇宙に感謝できないものは一つもないことを、又学ばせていただきました。そして、一切の責任は自身にあったことも・・・。

 感謝合掌





<補足> @ 「至上者の自覚」と「心の法則(三界唯心所現)」について (4380)
日時:2014年07月02日 (水) 07時42分
名前:信徒連合




本日転載させていただきました上記御文章の中で、「自身の心の影が現在の生長の家の姿であります。」とあります。この御文章は執筆者のまことに深き悟境から発せられた御言葉でありまして、「至上者の自覚」そのものからの御言葉であります。だから、この御文章の執筆者はつづいて「此の度のような絶体絶命の大問題が小生の前に現れなければ、愚鈍な小生はいつまでも気付かずに眠り続けていたに相違ありません。それを教えて下さった雅宣先生、ありがとうございます。やっとこの問題に感謝ができました。この宇宙に感謝できないものは一つもないことを、又学ばせていただきました。そして、一切の責任は自身にあったことも・・・。」と書かれているのであります。この<雅宣先生=観世音菩薩>としての深き和解の感謝と至上者の自覚から、この執筆者の方は次の如き自己の使命をあらためて深く認識されたのであります。



<< その結果として自分は何をすべきなのか? もう答えは一つしかありません。生長の家立教の使命であるところの「天皇国日本」の実相顕現について、さらに明確に学び、言葉を以て綴って行くことです。私なりに、生長の家に対する御恩返しを始めることにいたします。それは取りも直さず「天皇国日本」の実相顕現という大理想の実現であります。>>



これ等の“至上者の自覚”に深く透徹された悟りの御境地から発せられた執筆者の御言葉を、未だこの「至上者の自覚」に達し得ざる生半可な人達が、「そら見ろ、本流の人間は雅宣先生を批判ばかりしているが、お前たちの目に映っている雅宣先生の姿は、本流側の人間の心の反映なのだ。改めるべきは本流側の人間の雅宣先生に対する見る目なのだ!」というならば、この見方は全くの見当違いだといわなければならないのであります。



開祖・谷口雅春先生の『御教え』を学んだ我々の忘れてはならない事は、『生命の實相』第14巻「和解の倫理」に書かれている<虚説に対してはあくまでも戦い、人に対してはどこまでも実相を見て許す。>と云うことであります。そしてまた<虚説を許さないことをもって、和解と寛容の徳が無いように思うのは間違いであります。 また、虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。>ということであります。



私達は、「至上者の自覚」に立って初めて雅宣総裁を観世音菩薩として礼拝できるのであります。「心の法則」(三界唯心所現)にしたがって、現象界に結果が現れるという絶対的真理を会得できるのであります。この「至上者の自覚」に立てば、雅宣総裁の神性隠蔽の状態にある雅宣総裁の神の子の實相顕現をなさしめて上げる為に、雅宣総裁の説く迷いの教え(虚説)の非真理性を根本から徹底的に明らかにしてさし上げなければという思いと行動が出てくるのであります。『生命の實相』に書かれてある通り、<虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。>という事になります。



真の生長の家の信徒であるならば、この「至上者の自覚」に立つことを目指し、この「至上者の自覚」から正しく「心の法則」(三界唯心所現)を悟り、雅宣総裁の神の子の神性を礼拝し、その神性隠蔽からの解放のために「マサノブ教」といわれるに至った「虚説」の非真理性を徹底的に墔破して上げなければならないのであります。



自分が生長の家信徒として「至上者の自覚」から観て、間違いない行動を取っているかどうかの判断基準は、この転載御文章の執筆者と同じく<その結果として自分は何をすべきなのか? もう答えは一つしかありません。生長の家立教の使命であるところの「天皇国日本」の実相顕現について、さらに明確に学び、言葉を以て綴って行くことです。私なりに、生長の家に対する御恩返しを始めることにいたします。それは取りも直さず「天皇国日本」の実相顕現という大理想の実現であります。>と言う事を信徒一人一人が自分の言葉と行動を以て自信を持って言えるかどうかにかかっているのであります。




信徒連合様の御説とご紹介文に涙 (4383)
日時:2014年07月02日 (水) 11時32分
名前:涙

信徒連合様
ありがとうございます。
素晴らしい御文章の御紹介に心から感謝申し上げます。
又、「<補足> @ 「至上者の自覚」と「心の法則(三界唯心所現)」について」の御説、涙ながらに読ませていただきました。その通りだと存じます。
今後とも御指導、よろしくお願い申し上げます。

<補足> A 「心の法則(三界唯心所現)」と大規模災害・戦争等にたいする現象的対処について (4390)
日時:2014年07月02日 (水) 18時02分
名前:信徒連合




上記転載御文章のごとく、<< 「心の法則」(三界唯心所現)にしたがって、現象界に結果が現れる、そして、現象世界を現し出す最後の責任者は、全ての人間一人一人にある。一人一人の想念、言葉の力が、この現象世界を現し出すが故に、「迷い」の否定と、「実相」の肯定を駆使する必要があるのです。>>



この絶対的真理は絶対的に正しいのであります。故に、徹底的な「至上者の自覚」の悟境に到達された大覚者や大聖者は現象世界の悲惨な事件や不幸な人生を送る人たちをも全て自己の自覚の至らなさの故として更なる精進と救済に邁進されるのであります。



しかし、「至上者の自覚」を持たない人達が圧倒的に多いこの現象世界において起って来る大規模災害や戦争などの悲惨な出来事は、「心の法則」(三界唯心所現)から見ればどのように理解すればよろしいのでしょうか? それを“業の自懐現象”として評論家風に冷たく突き放して見ているだけではいけないと思います。



『生命の實相』第1巻第四章<心の世界に於ける運命の形成>の中で、開祖・谷口雅春先生は次のごとく説かれております。


@ 世界の事件は物質世界に出てくるまでに、「物質とは違う世界」で既に形造られている。それは「心の世界」とか「念の世界」とかいうものだと断定しなければならない。

A 「念の世界」で出来上がる事件も、宇宙に満ちているいろいろな生物の心の働きの組み合わせにしたがって、時々刻々作られてゆく。大きなあらすじの事件は、多くの念の働きを成立要素として細かい事件よりも早く、いわばむしろ、多数の「念」の多数決で決まって行くのでありますが、それとて「進行中」のものであって出来上がってしまったものではありませんから、ある事件を起こしている「念の要素」の変化によって、またその事件は変わってゆくのであります。此処にわれわれの運命を支配し得る自由があるのであります。

B 「念の世界」にまだ事件があるうちに、修正(ただ)しておいたら、災難が災難にならず、不幸が不幸にならず、病気が病気にならずに「物質世界」にあらわれて来るのであります。

C しかし、多勢の「念(こころ)の総合的力」で強くきまってしまった事件、たとえば災難は、われわれが如何に精神統一をして、その反対の思念をしましても、その事件を起らなくさせるということは出来ないのであります。そういう場合には、われわれ自身の心がその災難の渦中にひきつけられないような健全な信念をもっていさえすれば、災難は起りましても、「類でないものは反発する」という心の法則によりまして、たとい災難を受くべきもののみがその災難の渦中に巻き込まれましても、自分は、その災難の渦の外へ放りだされることになるのであります。関東大震火災のような大事変は一人の人間の念(こころ)の向き方を変えるだけではそれを起らないようにとどめることは出来ないけれども、念(こころ)の向き方が、その当時幸運の方へ吸い付くようになっている人は、あの震災に遭ってちっとも不幸になりようがない。

D ある事が「念(こころ)の世界」に起ってしまった以上は、その映しである「物質世界」にその事件は必然的に起って来るのであります。これはとても避けられない。これを避けるには「念(こころ)の世界」に自分の好まない事件をぜんぜん起らせないようにするほかはない。

E 「類でないものは反発する!」これこそ我々が悪運を避ける唯一の法則であります。この修養の根本原則とは、「自己が神の子であって、自己の生命は神の霊である」との事実に目覚めることであります。神我一体の真理がいよいよ深く心の底に目覚めて、心全体が照り輝くようになりますと、「類をもって集まる」の心の法則によってどんな時にも明るい運命ばかりが自分に吸い寄せられて来るようになるのであります。確信は「念(こころ)の世界」における運命のひな形で、この世の出来事はすべて、このひな形のとおりに出てくるのであって、悪い確信を持てば運命は悪くなり、善い確信を持てば運命が善くなることは免れがたい事実なのであります。



この様な現象世界の真理を説き、世間常識を導いてゆくのが宗教家の役目なのであります。しかし、マサノブ(自称)総裁は、風水害や地震や火山の爆発は全て人間の念(こころ)とが関係のない“自然の現象”であって、それによって被害を受ける人達は、その自然現象に対する平素からの物質的手段に於ける“備え”を怠っていたのだと「マサノブ教」では説いているのであります。地球環境の悪化も無軌道の乱開発をしたこととそれによるCO2の増加によるものだとする“唯物論”による説明と対策を説くばかりで、「念」の世界からその根本原因と対策を全く説かないのであります。これでは自称にしろ法燈継承と三代目総裁失格であります。一日も早く辞職して教団外へ立ち去るのが人類全体にとっては最大の利益のひとつとなるのであります。





<補足> B 日本の軍備・尖閣竹島問題と「心の法則(三界唯心所現)」について (4392)
日時:2014年07月03日 (木) 01時04分
名前:信徒連合




<< 「心の法則」(三界唯心所現)にしたがって、現象界に結果が現れる、そして、現象世界を現し出す最後の責任者は、全ての人間一人一人にある。一人一人の想念、言葉の力が、この現象世界を現し出すが故に、「迷い」の否定と、「実相」の肯定を駆使する必要があるのです。>>


この現象顕現の法則の絶対的真理性を、この転載投稿文の執筆者のごとき「至上者の自覚」からではなく、生半可な理解の下で解釈し、マサノブ(自称)総裁の「生長の家」破壊の姿は信徒の心の映しだ、マサノブ君を批判する前にそのように見ている信徒自らの心を反省して和解せよ!と主張する信徒の人達が「マサノブ教団」には存在しているのであります。.「トキ掲示板」にはそのような投稿者が複数存在しています。



この理屈を引き伸ばして考えるならば、マサノブ総裁の現状の姿は信徒の心の写し、日本領土の尖閣諸島の侵奪を企てている中国共産党の習近平主席も、同じく日本領土の竹島を占領して離さない韓国大統領も、皆、侵略思想を持つ?日本国民の心の反映なのだから、中共や韓国を批判する事はマチガイで、彼らの實相を礼拝して、彼らをケシカラヌ国と見ている日本人が先ず反省して自分の心の中の“中共や韓国ケシカラヌ”という自分自身の思いと和解する事が第一になすべきことで、国家防衛軍の自衛隊の増強や集団的自衛権の容認等はマチガイである、という「マサノブ教」の信徒さんもかなり存在すると思われるのであります。



民主党・共産党支持の左翼主義者と公にも目されているマサノブ(自称)総裁も、中共や韓国の日本領土侵略思想を持つこれらの国々には極めて寛容な態度で彼らの思想的非の指摘は一切していないのであります。


わが日本国家の再軍備については、現状分析する限りは、第二の善として必要であると、開祖・谷口雅春先生は下記のごとく指摘されていることを忘れてはなりません。



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「新講『甘露の法雨』解釈」P.87には、“第二の善”として、日本の再軍備の必要性について開祖・谷口雅春先生は説かれているのであります。――

<< このことは日本の再軍備の問題でも同じ事であります。・・・實相世界の「一切の生物處を得て争ふものなき」状態があらわれたならそんなものは要らん筈だと言へるのであります。しかし、現代の日本人が果たしてそれだけの精神的力量叉は高い心境に達しているかという事が問題なのです。即ち「凡(およ)そ此の世界は神の世界であって敵は無いのである」という事を、日本人の大多数が深く信じそれを実践する事が出来るかというと、まだまだ遠しと言わねばなりません。・・・實相の世界には戦争はなく、平和であるけれども、その實相の状態をあらはすだけの平和な心境がなければ、他国から攻めて来たときには防ぐだけの武器というものは備へて置かねばならんということになる訳です。これは“最高”の善ではないけれども、心境がまだ至らない時の防衛の為には必要な“第二の善”であると言うほかはない。その意味に於いて現代の日本國には自衛隊とか国防軍を備えておかなければならないのは止むを得ないのであります。>>



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左翼主義者のいう観念的平和論はマチガイであり、マサノブ君のように「鎮護国家」を棄て、軍備増強せず「世界平和」を観念的に希求するだけでは平和は来たらず、逆に侵略を招くだけであります。日本国土の地政学的位置、及びその地政学的位置の依って来るところの日本国家の世界史的・霊的使命を深く自覚し、日本国民全体の想念を、< その實相の状態をあらはすだけの平和な心境 > へと霊的レベルアップをはかることこそ現代日本に生きる宗教家の役割であります。この点においても「マサノブ教」の内容は、生半可な「心の法則」(三界唯心所現)の理解の仕方であるといわなければなりません。唯物的左翼主義思想者の理解のレベルはその程度のものでありまして、この極めて峻厳なる「三界唯心所現」の真理の深く正しき把握と応用展開に心をいたさねばならないと考えます。




<補足> C  まとめ (4399)
日時:2014年07月03日 (木) 11時51分
名前:信徒連合




最後に<補足>のマトメをさせて頂きますと、――


@ 峻厳かつ深遠なる「心の法則(三界唯心所現)」についての、「至上者の自覚」に基づかない生半可な理解で以て、明確な「生長の家」つぶしの目的をもって事を進めているマサノブ(自称)総裁の「破壊と蕩尽」の姿を、信徒の心の反映だと見る主張はマチガイであります。


A 「和解」の倫理に関して大切なことは、< 虚説に対してはあくまでも戦い、人に対してはどこまでも実相を見て許す。> と云うことであります。すなわち「破壊と蕩尽」と言う神性隠蔽されたマサノブ君といえども、その實相は完全円満な神の子様でありますので、神性隠蔽された「破壊と蕩尽」の姿を非実在と否定して、彼の實相を礼拝するのでありますが、彼の抱く唯物左翼思想と「生長の家」解体思想は、本来の『御教え』を換骨奪胎した非真理の“虚説”として放逐しなければならないのであります。


B マサノブ(自称)総裁の“虚説”をいつまでも野放しにする事は、本当の真理を求めて今生の地球世界に転生してこられた人達の求道と救済の妨げとなりますので、マサノブ君自体がいつまでも神性隠蔽を続けるならば信徒側からも総裁辞職の要求を出されても仕方がありません。


C 神の子人間は、その本来性としての無限の可能性を実現(實相顕現)していく為に、地球を含む宇宙のあらゆる天体を自己自身の個生命の霊魂進化の場として輪廻転生して行く事は、『生命の實相』第9巻2頁や『神 真理を告げ給う』66頁に書かれていることであります。「心の法則(三界唯心所現)」は、自己自身の霊的進化向上のための法則として理解・活用することが第一であって、虚説を述べる神性隠蔽された人物の擁護と弁護の為に利用するものではないのであります。あくまでも「至上者の自覚」を目指しての「心の法則(三界唯心所現)」であり、生半可な自覚段階でのマサノブ(自称)総裁擁護手段としてはならないのであります。(完)






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