生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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谷口雅宣総裁は、谷口雅春先生のみならず谷口清超先生の教えにも反していた!(光明掲示板より転載) (4424)
日時:2014年07月04日 (金) 18時20分
名前:神の子A

谷口雅宣総裁は、谷口雅春先生のみならず谷口清超先生の教えにも反していた!NEW (9729)
日時:2014年07月04日 (金) 18時17分
名前:破邪顕正

ここに、谷口清超先生がお書きになった『生長の家の信仰について』というご著書があります。

その中にこのようなご文章があります。

>ここで言う「普通の国」とは、「自分の国を護るための軍隊を持ちたい」というような意味で、今は軍隊≠ナはなくて、自衛隊≠ニ呼ばれる自己防衛だけが憲法第九条でゆるされている国という訳だ。つまり他の国が侵略されたり、テロ組織の脅威に苦しんでいる時、自衛でない≠ニいうわけで、助けに行けない不自由さ≠ェあると思うからだろう。
 しかし個人では、友人が殺されかかったり、危険な状態の時には、いくらでも助けることの出来る「正当防衛」の権利がある。…従って少なくとも「同盟国」間では国家としても、許されるべきが当然だというのである。これが集団的自衛権≠ニ言われていて、それが可能なのが「普通の国」だというのである。(『前掲書』199〜201頁)

ここにも示されているように、「普通の国」になるというのが、今回の集団的自衛権≠フ行使容認の背景にある考え方であります。

これに反対する谷口雅宣総裁は、日本がどうして「普通の国」になってはいけないかをきちんと説明する必要があると私は考えるものであります。




集団的自衛権とは国連憲章で認められた権利である。 (4434)
日時:2014年07月05日 (土) 10時02分
名前:神の子A

集団的自衛権とは国連憲章第51条で認められた権利である。

とりわけ日本においてはこの権利が重要になってくる。

日米同盟において、「私の国は守って下さいよ。しかしそちらが攻撃されても私はしりませんよ。」というわけにはゆかない。

これは人間同士でも当たり前のことである。

朝日新聞などの左翼系新聞は、「海外での戦争への道を開く」とのキャンペーンを貼っているが、

当たり前の事を当たり前にするだけであり、戦争抑止力も働く。

とりわけ、米国が第三国から攻撃を受けた際、中立を守るかどうかの決定権は日本側にあるわけで、

集団的自衛権の行使を認めたからといって、何でもかんでも米国に加担しなければならないと言うわけではない。

今回の閣議決定でも、その行使の条件が盛り込まれていたはずである。

反対に集団的自衛権の行使を認めない国は国際社会では信用されない。

雅宣氏をはじめとする左翼陣営の主張は、国際社会の常識を知らない、実に単純な思考の持ち主と言えるであろう。

光明掲示板より転載 (4441)
日時:2014年07月05日 (土) 13時59分
名前:神の子A

谷口清超先生は、「集団的自衛権」の行使容認に賛成されていたという決定的証拠!NEW (9754)
日時:2014年07月05日 (土) 13時36分
名前:破邪顕正

「トキ」さんグループには、正直、係わり合いたくないので、無視しようかなと一旦は思いましたが、こんなことまで言われたら、流石に一言、言っておくべきかなと思い、ここに投稿する次第です。

>2086 : 「訊」 2014/07/05(土) 12:22:47 ID:???

>>2085神の子さん

>>>・・・・・訊けサンここで理解してはいけませんよ、
p200三行目…助けに行けない"不自由さ"があると思うからだろう。それを受けて p201四行目不自由を克服したものとして…それが可能なのが【普通の國」だというのである。
これは清超先生の見解でなく、集団的自衛権をすべきと云う人の心を想像したものであり、真意は、その後の『しかしながら』に籠められている。破邪さんのものは読んでないので、どうとらえているか知りませんが、『しかしながら』は前のものを否定している。 <<<
 わお、的確なご指摘をありがとうございます。これは要するに「破邪サンで」すが、清超先生の見解の「一部のみを紹介された」・・・・・・ってことですね?
 ・・・・・ホントだとしたら、悪質ですね。
 ・・・・・ああ、破邪サン。
 ・・・・・なお、破邪サンですが、「その種の引用の常習者」です。以前も榎本恵吾先生のご主張を、わざわざ一部載せずに引用≠ウれました。榎本先生が後半に否定した内容を、載せずに前段ダケ載せられたのです。しかも、引用された「わずか一行先に否定の文があった」んですから、かなり手が込んでました(笑)。『弟子像』のような本はあまり出回ってませんから、まあ、「やりたい放題」なんでしょうかね。私のような榎本マニアでもナイ限り、気づきませんよ、アレは(笑)・・・・・話を戻します。

 いやホント、的確なご指摘をありがとうございます。破邪サンですが、清超先生の見解の「一部のみを紹介」・・・・・・されたってことですね?ホントだとしたら、悪質ですね(笑)。私は同御著書を有してイナイため確認の仕様がありませんけども、「ホントだとしたら、悪質ですね破邪サン」とだけ述べて、終わりにしたいと思います。「そんな事ばっかりされていると、信用がなくなりますよ」と。<


一部引用はいけないそうなので、とりあえず、全文、載せました。

その上で、はっきりと言わせていただきます。

谷口清超先生は、はるか以前から、「集団的自衛権」の行使容認に賛成されていたのです!

谷口清超先生のご著書『新しいチャンスのとき』(平成14年4月15日初版)に「自衛の行為」というご文章があります。

>吾々は軍隊や病院や警察や裁判所をなくせなどと主張はしない。それどころかこのような役割を荷う人々に「感謝しよう」というのである。勿論中には個人的に誤った行為に陥る人もいることは、官吏や政治家や教師や宗教家にも迷った人々がいて、フラチな行動をとり、中にはサリンという毒物をまいたテロ犯まで出したりして裁判にかけられている人々もいる。だからといって、軍や官吏、政治家、宗教家、教師、医師が全て悪だ、けしからんなどということはないのである。
 そのような訳で国際連合も必要だし、同盟国も必要であり、国家には自衛権があり、同盟国間には集団自衛権があるのも当り前である。(『前掲書』82頁)

『聖使命新聞』(平成13年11月号)の第一面には、こういう見出しが出ています。

“総裁先生が機関誌一月号で テロへの自衛権行使をご肯定”

そこに出て来る文章を引いておきます。

>生長の家総裁、谷口清超先生は、機関誌平成十四年一月号の『新しいチャンスの時』と題するご文章の中で、米国での「同時中枢爆破テロ」とそれに伴う「世界的な戦争状態=vに触れられている。(中略)テロに対する米国の対応が無差別殺害・破壊に対する集団的自衛権の行使であること、同盟国に危害が加えられれば吾が国もこれを防衛するのが当然の権利であるとして「集団的自衛権の行使」を支持されている。

もう一つ、証拠をあげましょう。

これも『聖使命新聞』で平成8年1日号です。

その第一面には、こういう見出しが踊っています。

“国家の生得的な権利 集団的自衛権にご言及 総裁先生 機関誌九月号で”

そこにはこう書いてあります。

>生長の家総裁、谷口清超先生は機関誌九月号に掲載のお原稿の中で、「集団的自衛権」にご言及。「日本国も生得的には自衛権≠ェあり、(中略)その自衛権≠ヘ当然集団的自衛権≠煌ワむものである。一国だけで自衛する≠ニいう自己限定は、どこにもありえないし、実行不可能」「国家としても、自国の防衛は自国の防衛力だけに限る必要もなく、当然同盟国間の集団自衛権もありえることになる」と集団的自衛権の正当性を強調されている。さらに先生は「当然日米という同盟国は(同盟国である以上)集団して防衛するのが正当である。それをどうしてハッキリと表現し、しっかりした防衛のガイド・ラインを作りえないのか」とご批判。「同盟国側の兵隊のいのちは救助せずに、自国の人のいのちだけは救ってもらおうというのは、まさに愛の欠乏症状であり、あつかましさの極地」と断じられている。「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)の見直し論議が高まる中、先生が集団的自衛権についてのご見解を示されたことの意義は大きい。<

以上、引用させていただきましたが、もし、谷口清超先生がご存命で、今回の安倍首相の決断を目の当たりにされていたら、何と仰るでしょうか?

少なくとも、谷口雅宣総裁のように、憲法軽視で「法の支配」を言うなかれ≠ネどという戯けたことは絶対に仰らなかっただろうと私は確信するものであります。

改めて、谷口雅宣総裁は、谷口清超先生の教えにも反していると強調しておきたいと思います。



光明掲示板より転載2 (4442)
日時:2014年07月05日 (土) 16時16分
名前:神の子A

皆さん、どう考えますか?NEW (9756)
日時:2014年07月05日 (土) 15時11分
名前:破邪顕正
こういうご質問が提出されました。

>現総裁が「集団的自衛権までも否定した御文章」があらば、どうぞ、ご提示ください

私は、これを読んで、「???」と思ってしまいました。

7月 3日の総裁のブログ記事は、「集団的自衛権」に反対する文章ではなかったのでしょうか?

この質問者には、「集団的自衛権までも否定した御文章」じゃないと読解できたとでもいうのでしょうか?

もう、ここまでくれば、「読解力」の問題ですから、そういう方と関わりあいたくないと思っても何ら不思議ではないと思うものであります。

因みに、今回のブログ記事の冒頭の部分を引いておきます。

>憲法軽視で「法の支配」を言うなかれ

 安倍晋三首相は7月1日の閣議で、戦後の歴代内閣が、現憲法下では禁止されていると解釈してきた集団的自衛権の行使を、一定の条件では認められるという解釈の変更をした。これによって今後、法整備が進めば、日本への直接攻撃がなくても、他国への攻撃によって自衛隊が武力を行使する道が開けることとなる。当然のことながら、自衛隊が武力行使をすれば、行使された相手は日本を攻撃する法的理由をもつこととなる。だから、他国の始めた戦争に日本が参加する可能性が従来よりも高くなる。安倍首相はこのことを「抑止力が強まる」と表現しているが、同じことを別の表現で言っているだけだ。ある種の国は、武力を使うための足枷が多くある国に対しては、チョッカイを出しやすいが、すぐにでも武力を使う用意のある国には、チョッカイを出しにくいということだ。日本は自衛隊発足後60年の今日まで前者の国だったが、これからは後者の方向へ動き出すことになる。<

これを読んで、谷口雅宣総裁は「集団的自衛権」に反対してはいない、と言い切れる人がはたして、何人、いるでしょうか…?

だって、谷口雅宣総裁はこれに反対だったからこそ、わざわざ、こんなブログ記事を書いたのではないのですか?

却って、逆にこの質問者には、こう聞きたいくらいです。

>現総裁が、谷口清超先生と同様に、はっきりと「集団的自衛権の行使容認を支持した御文章」があらば、どうぞ、ご提示ください

お答えを楽しみに待っておりますよ。

あれば、の話ですがね。




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