生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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生長の家「今昔物語」・霊界篇の再掲示<第十三話> (369) |
- 日時:2013年03月08日 (金) 10時34分
名前:信徒連合
生長の家「今昔物語」第五篇 霊界篇
第十三話(通算第255話) 他界への出生の実証(その二)
ひとたび死して蘇生せる人の体験
(「人間死んでも死なぬ」P.68−78)
<<其の適切な一例と云うべき米国の医師イルテェ博士の経験で、博士は大要次の如くに陳述している。
「最後の私の瞳は収縮し、意識は衰へ、音声は弱り、一般に重々しさの感じを覚えた。私は手足を広げようとして烈しく努力して見たが、結局のところ、両手を胸の上に交わして、硬くなった指を組み合わせると、忽ち全く無意識に陥ったのである。
「その時に看病していた医師は唯レインス博士一人だけであったが、後に博士にたずねて見ると、私の脈拍は四時間の間、一つの心臓の微動さへ示さずにじっとしていたそうである。枕元にいた人々は、私を死亡したものと思い、私の訃(ふ)は早くも近隣に伝達されて、村のお寺も弔いの鐘を撞(つ)き始めたそうである。
「レインス博士だけは、私の顔を見てかすかながら呼吸があるような心地がしたと云うので、全身の諸所に針を刺して見たが生命の反動は起こらなかったそうである。私自身は絶対に無意識で思考力も感覚も少しもないのであった。
「併し、やがて存在の意識が立ちもどった。私は今なお肉体中に止まっていることを感じたのであった。併し肉体と自分とは最早関係がないような気がした。・・・
「私は静かに考えて見た。そうして私は普通の言葉で云えば死んでいるが、然しこれ程明確に生きているのは初めてだと思った。私は今肉体をはなれようとして居るのだと感じた。
「私は魂が肉体を離れる状態を注意して見ようと思った。と、内部からとは思われないある力が私の全自我を振盪(しんとう)しはじめた。その有様は丁度揺籃で霊魂が肉体から分離するのだろうと思われた
「此の横の方向からの動揺が済むと、私は両足の裏に拇趾(おやゆび)から踵(かかと)のところまで、幾筋もの細い糸がたゆみなくビリビリ顫(ふる)へるような感じを覚えた。その音さえ聞こえたと思った。やがて私は足の方から頭部に向かって徐々に抜け出して行きつつあるのを感じた。腿(もも)のあたりまで抜け出した時、私は「サァお臀(しり)から下はこれで死んだ訳だ」と呟いた。
「腹および胸のところを通りぬけたことは私は覚えていない。が、全てが頭の中に集注してしまったように思われた時の記憶は明確である。実際私は『さあ俺は完全に頭に集まったな。これから間もなく肉体を離れるのだ』と省みて思ったことを記憶している。・・・私は頭蓋骨の縫合線から脱出した。・・・
「其の時わたしの枕元には二人の婦人が看護していた。女の膝と病床との間には私の通るだけの広さが空いていたが、私は今抜け出たばかりの身体に何物も着(つ)けていないので、婦人の前をとおるのを非常に恥ずかしく感じた。が、私はまだその時多少肉体に結びつけられていた。私はまだ管から離れてしまわないシャボン玉のような塩梅(あんばい)に、右や左にふらふらしていたのであった。
が、遂に私は肉体から離れて、軽く床の上に降りた。その時、私はもう普通の人と同じような姿かたちで床の上に立ち直った。尤も私自身は青い炎のように透明で、身体には何物も着ていなかった。
それゆえ私は病床の側の人々に視られるのをはずかしく思い、皆の視線を避けるために戸口の方へ忍びやかに進んだ。が、戸口の所へ行って見ると、私はもういつの間にか着物をつけていた。これならもう恥ずかしくはないと思って、皆のところへ帰ろうとした。と、私の左の肘(ひじ)は戸口に立っていた二人の男のうち、一人の腕と衝突した。が、驚いたことにはその人の腕は何らの抵抗もなしに私の肘の中を通過したのである。そして、中断された私の肘は何の苦痛もなしに、まるで空気で出来ていたもののように、次の瞬間には融合して原形に復(かえ)っていた。私はその人がこの衝突をどう感じたかしらと思って、周章(あわ)てて彼の顔を見た。が、彼は何の接触も感じたらしい様子もしなかった。彼は私の病床を見つめたまま、依然として佇(たたず)んでいるのであった。病床はと見ると、私の屍骸は私が努力して整えておいた通り、やや右方の姿勢を取って両足を真直ぐにならべ、両手を胸の上で交わして、はなはだしく青ざめた容色で横たわっていた。数日間鏡に向かわなかった私は、屍骸の顔の青さに自分ながら大いに驚かされた。併し屍骸の姿勢については整っているのを満足に思った。(つづく)
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