生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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「アレッ、まだいたの?」、、、冷酷なるマサノブ爺さんの「ひと言」 (4631) |
- 日時:2014年07月29日 (火) 08時42分
名前:サーチャー
<光明掲示板> ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 《驚愕の新事実!》「アレッ、まだいたの?」谷口雅宣総裁のこの一言で… (10417) 日時:2014年07月25日 (金) 13時20分 名前:破邪顕正
谷口雅宣総裁の本質は、自分が気に入らないとなると、途端に左遷させる…そういうとこ ろにあります。
これは、最近、新たにわかった事実であります。
「(株)光明思想社」の白水社長は、「日本教文社」の第二編集部次長の職にありました。
白水社長の肝いりで発刊されたのが蔡焜燦先生の『台湾人と日本精神』であり、また『私 の日本憲法論』の編纂にも大きく寄与し、それは「編者はしがき」にその名が掲載されて いることからもわかります。
当然、谷口雅宣総裁がこれを気に入るはずがありません。
白水社長は、谷口雅宣総裁の工作によって、営業部課長へと左遷降格となります。
つまり、本の編集から体よく外されたわけです。
その期間、何と7年。
そして、7年が経過したとき、突然、「世界聖典普及協会」への出向が発令されます。
この余りの理不尽な辞令に(それというのも「内規」に出向規定がなかったからです!)、 白水社長は敢然として戦い、この辞令を反故にすることに成功します。
しかし、「日本教文社」は、これにまた腹をたてて、白水社長を、フォークリフトで本を 運ぶ業務へと更なる左遷人事を行います。
今回、新たにわかったのは、なぜ、急に「内規」にもない出向辞令が突然、降りたのかと いうことであります。
白水社長も、これまで知らなかった驚愕の新事実とは?
「日本教文社」の社員から、白水社長がまだ教文社にいると知った谷口雅宣総裁のこの一 言でありました。
「アレッ、まだいたの?」
これを聞いて、早速、「日本教文社」の幹部が動いたというわけです。
白水社長を教文社においておくことは、谷口雅宣総裁の意に反している、だから追い出せ、 というわけです。
これを見ても、如何に、教文社が、谷口雅宣総裁の顔色ばかりをうかがう会社に成り果て ていたかが、わかります。
谷口雅宣総裁の独裁の前に、みんな畏怖、恐縮するばかりであったのです。
でも、今から思えば、そういう経緯があったからこそ、白水社長は「日本教文社」に見切 りをつけ、新たに「(株)光明思想社」を立ち上げたわけで、改めて、人生、何が幸いする かわからない、誠にも無駄なものは一つもないのだ、ということを実感いたします。
「(株)光明思想社」の生みの親、育ての親は、まさしく谷口雅宣総裁であります。
谷口雅宣総裁、心から感謝申し上げます!
ありがとうございます! ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
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