生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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三代目(自称)総裁・マサノブ君への公開質問状――宗教家を自称する貴君に7月26日に起きた「長崎佐世保殺人事件」に関しての見解を問う! (4639)
日時:2014年07月30日 (水) 19時29分
名前:画龍点睛




合掌、ありがとうございます。
今回は、敢えてマサノブ君に宗教家としての立場からの見解を、公開質問状という形で問いたいと思うものであります。貴君は“マサノブ君”という書き方に腹を立てるでしょうが、私は3年程前までは「総裁・谷口雅宣先生」と敬意をもって尊称して来たのであります。しかし、貴君の自作自演の“ウソの法燈継承”を始め、『御教え』否定と「生長の家」つぶしの言動がますます膨れ上がるに伴い、「三代目・谷口雅宣総裁」へと変更し、その後「自分は仰がれる立場」、「信徒は下層の人間」と『御教え』に反逆する発言をなし、生長の家立教の原点を捨て、聖典・聖経も捨て去り、左翼唯物論の「今の教え」一辺倒となり、義兄実弟の方々を追放し、実母の恵美子先生までも軟禁同様の状態に置いて、更に実印預金通帳まで取り上げて返還にも応じず、――この様な所業を為す人は“宗教家”を名乗るには相応しくなく、「生長の家」総裁の資格などとっくに喪失せるものなりと判断し、最近では他の投稿者にならって敢えて「マサノブ君」と敬称ナシで呼んでいるのであります。



さて、一応形の上では貴君は「生長の家総裁」であり宗教家となっているのでありますから、先だって長崎県佐世保市で起きた女子高校生の友人殺害事件に関して、宗教家「生長の家総裁」としての見解を問いたいと思うのであります。



@ この特殊異常なる凄惨猟奇的事件に関する一般マスコミの報道と見解は次のようであります。

* 「ネコを解剖したことがあり、人間でもやってみたかった」という趣旨の供述をしていることが29日、捜査関係者の話で分かった。」 (時事通信)

* 「事件と大きな落差…少女の心に何があったのか。成績が良く、スポーツに熱心な一面もあり、事件の凄惨(せいさん)さとの落差は大きい。警察の取り調べに「理路整然と素直に答えている」という。(読売新聞)

* 長崎県佐世保市の事件は、2004年に同市で起きた小6女児殺害事件を機に、命の教育を実践したり見守り活動を行ったりしてきた人たちにも、重い課題を突きつけた。「自分たちの取り組みは正しかったのか」と悩みながら、子供たちの命を守るための方法を模索している。(読売新聞)

* 「命の教育」届かず、長崎の教育関係者に衝撃――長崎県佐世保市で起きた高校1年の女子生徒が同級生を殺害した事件。長崎の教育関係者に与えた衝撃は計りしれません。「教育の中で一生懸命、命の大切さとか訴えてきてたのに、こういう事件が起こってしまった」(高校の校長)TBS系(JNN)

* 2004年の事件以来、県や佐世保市の教育委員会では、地域や保護者も一体となり、「いのちを大切にする教育」を続けてきました。「いのちを大切にし、笑顔で生きていきます」・「友達に優しくします」。

 佐世保市の事件から10年。事件があった大久保小学校でも、先月、「いのちを見つめる集会」が開かれたばかりでした。「指導が子どもたちの心に届いていなかったのかなという悔しさ。特に道徳の授業を充実させて、生徒たちの心に届くように命の大切さを訴えてきた」(高校の会見)



A 宗教家を自称するマサノブ君への質問

イ、先ず、この事件を宗教家としてどう見ているのか、その見解を問う。

ロ、次に、普通の人間の常識では考えられないようなこの事件を起した女子高生の異常行動の第一原因(根本的原因)とは何か、についての宗教家としての見解を問う。

ハ、更に、この様な凄惨猟奇的な凶悪事件を今後とも少しでも減るようにするには、どのような対策が必要であるか、についての貴君の宗教家としての見解を問う。


注: 次にような見解ではダメである事をマサノブ君に前以って言っておきます。

1、「警察庁発表の凶悪犯罪統計によれば、年々凶悪犯罪は減少傾向であります。昔に比べれば平和な世の中になって行っています」(過去の講習会での信徒からの質問に対する回答)

2、「『心の闇』――継母、継父と言う関係、それに、もっと、深い、深層心理の中にある、先祖や、前世の関係。彼女の『心の闇』が、消えたら、自分から手にかけた、友達の女子高生へ、懺悔する、気持ちや、心も、湧いてくるでしょう。加害者や被害者及び関係者のご家族のお心が供に、救われますよう、御祈りいたしましょう。」(マサノブ君のこれまでの思考傾向から考えられる予想回答)



B 最後に、私の見解を申し述べさせて頂きます。


イ、 マスコミの論調やマスコミが伝える所謂、専門家の見解は「明確な原因は判らない」とか「心の闇である」とか「世の中がオカシイからだ」と云ったことに終始しているようであります。私の考えは、「戦後教育の肉体中心、物質中心の唯物論教育」によって心の人間形成、人格形成がなされてこなかった。「教育勅語」は廃止せられ、社会道徳の基本すら分からない人間が大量輩出されたのであります。「心の教育」・「人間教育」と、何かあると評論家や学者やマスコミのコメンテーターは言いますが、其の際には「心とは何か」・「人間とは何か」と言う肝心な点を掘り下げずに、現象意識や現象の肉体人間を“与件”としてそれらの人達は自論を展開し、方法論を展開します。つまり、唯物的現象論の範囲の中での「心の教育」であり、「人間教育」であります。「道徳教育」・「宗教教育」といっても“霊魂”・“霊界”・“因果応報”・“輪廻転生”と云った「霊の世界」へ踏み込むこと、そのような言葉を使うことは暗黙の禁忌事項となっているのであります。戦前では当たり前の言葉であった「報恩」とか「無私」とか「徳積み」と言う言葉も禁忌用語のように見受けられます。隔靴掻痒のアプローチであり、確信へは踏み込めないのであります。「霊」の問題に触れない理由をマサノブ君は「宗教界において、霊とか霊界に関していろいろな見解があって、未だに合意がなされていないから、生長の家に於いてもこの問題は取り上げません」と講習会で言っているのであります。


ロ、この様な唯物論教育偏重の下に教育せられた場合には、其の人は霊的に観るならば如何なる常態に置かれるでしょうか? 一言で言うならば「霊的バリア」の薄い人間となり、高級霊の守護力が弱く、半面、霊界の迷霊(不成仏霊)からの影響を受け易いようになり、時には凶悪霊が憑依してくることにもなります。従って、大抵の凶悪犯罪事件は“憑依現象”であるといえるのであります。この憑依現象は、アタマの良し悪し(IQ指数の高さ)などとは無関係であります。戦後は肉体唯物論教育全盛と共に、核家族化に伴い、神棚やお仏壇のある家庭の比率は低くなり、「死ねば全てがなくなる」と信じている人達の割合が多くなる一方であります。一方、霊界における不成仏霊は増える一方で、そのような不成仏霊の“救われたい”という霊界からの想念に「霊的バリア」の薄い人達は強い影響を受けることになるのであります。


ハ、「霊的バリア」を高めること、――このことが現代人のなすべき第一のことであります。そのためには、先ず「真の自己確立」であります。これが「神想観」の励行であります。「神想観」の継続によって「神の子人間」の自覚が深まり、類でないものは反発するという「心の法則」によって霊界からの悪想念の影響下には入らない自己確立が出来ていくのであります。更に、「産土の神」の参拝や「先祖供養」を毎日励行するようにして、霊界の高級霊の加護が強まり、先祖供養によって先祖霊の加護が強まると共に、自分の家庭に関連する霊界の不成仏霊が聖経『甘露の法雨』の真理の言葉の力によって、霊界まで継続していた病悩苦の観念(意識)から解放されて霊的救済が成し遂げられることになります。この様な霊的救済体験を持つ人達は生長の家の信徒さんの中には実にたくさんいらっしゃると思うのであります。私もその一人であって、体験上から言っても絶対的に間違いのないことであります。開祖・谷口雅春先生の『生命の實相』・『人生を支配する先祖供養』を読み、教えられたとおりに実行すれば良いのであります。


ニ、今や、宗教家や宗教団体は、今回の長崎佐世保事件について、それは戦後の肉体と物質(お金)を極端なまでに優先尊重する唯物論教育の積み重ねられた弊害の結果の事件であり、その根本的解決策、すなわちこの様な凶悪事件の発生を将来に亘って可能な限り起らないようにするためには、唯物論の範囲内だけでの「心の教育」や「人間教育」や「道徳教育」では不可能であり、どうしても霊と霊界まで含めた「霊的教育」の必要性を社会に訴えて出なければならないのであります。と同時に、「霊的バリア」を厚くすることの意味での「先祖供養」の重要性をも日本社会全体に普及して行くようにしなければならないのであります。大多数の日本の家庭が「人間の本質」を自覚し、毎日の「先祖供養」をそれぞれの家庭が実践励行するようになれば、社会的殺人事件・傷害事件・自殺・離婚・ニート・難病奇病は確実に減って行く事は間違いないと断言できるのであります。


ホ、自称・総裁マサノブ君、以上は私の「生長の家」の『御教え』を学んだ信徒の一人としての80年近い今生の実際の人生体験を踏まえた上での見解であります。では、貴君の上記 イ〜ハ の3っつの公開質問に答えてください。全信徒は期待して待っていることと思います。「自分は人間救済を放棄したのである。地球救済こそ吾が使命なのだ!」とは言わせませんぞ! それならば、宗教家「生長の家」総裁を自称にしろ名乗れないですぞ! それなれば、直ちに総裁辞職し、教団退去を勧告するものであります。 再合掌







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