生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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「子記事」のままでは目立たない。 「親記事」へ昇格、 『遥かなる追憶」 (4718) |
- 日時:2014年08月08日 (金) 16時43分
名前:怒れる信徒 某
遥 か な る 追 憶!
=こんな総裁は、もう要らない!=
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1358853467/8911
▼ 私が30年以上前に感じた恐怖感というのは当たっていたのかもしれない。 彼・マサノブ君は高校の中途から生長の家から徐々に疎遠となり、大学練成では後ろで脚を伸ばし、講師の話など聞こうともしない。子供ならまだしも、いい大人である。それがそのまま大きくなった。
▼ それがそのへんの社長ならまだしも、宗教の大きな組織の長である。これは 裸の王様になってしまったのであろう。反対に 可哀想な気さえしてしまう。同情だけはしないが、こんな宗教家になろうとは 誰が予想したであろうか。
▼ 私達青年会時代には こういう谷口雅宣総裁という具像が 形となり少しは現れていた。生長の家に入社した 雅宣総裁を見たときに 多くの生長の家青年会同志は 辞めていってしまった。
▼ ああ!私もこうした生長の家を辞めようと思ったことがなかったが、雅宣総裁は 嫌だった。多くの同志も 雅宣総裁は 大嫌いだった。
▼ 10人中8人までが 雅宣総裁を 批判していた。そうして 次々と 生長の家信徒がへり、今では私の所属した青年会も20年前になくなり、相愛会も実質の活動しているところは 一つである。7箇所もあった相愛会も一つである。青年会も7箇所あったが、今はない。
▼ もう来るべきところまで来たなと思う。何が「環境」であろうか?
▼ それより 兄弟や父母に 感謝することが 大切であろう。
▼ そんな基本を 教えなければならない総裁は、これでも 総裁職 にしがみつくだろう。
平成26年8月8日 本当の「生長の家」を伝え遺す信徒
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