生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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本当の信仰 (4747)
日時:2014年08月10日 (日) 18時20分
名前:沖縄

 生長の家を離れてから、1年経ちました。あまりにも、違う、谷口雅春先生の教えとは違う教えに、何年も祖母の代からやってきた生長の家をやめ、学○会に入会しました。確かに、谷口雅春先生の生命の実相、真理、甘露の法雨をふまえての、教えなのですが、何かが違うような気がして、考えさせられているところです。
 魂の向上、真理を学ぶのに、肩書きや何かが必要なのかなと。
 生命の実相も40巻があるのに、やはり、社会事業団の新しい生命の実相を買わなくてはいけないのか、また、新しく元本部講師や元教化部長が、新しく講義にこられますが、なぜ、もっと、早くに、教団がおかしければ、辞めなかったのか、私達、下の信徒はおかしいとおもいながらも、わからないこともありますが、元本部講師や教化部長は、雅宣氏がおかしいと思っていても、そこにいたのですよね。おかしいことを、是正するためといっても、何年もそこにいられることは、苦しいとおもいますが、やはり生活もあったと思われます。また、肩書き、下記の水戸黄門様も言われたように、先生と言われ、私が助けたのだという名誉欲、そういうものが、あったのではないかと思われるのです。
 私達一般信徒は、信仰しながら、この現象の仕事をしています。そして、人類光明化のためにと、働いたお金を浄財としてさせていただいています。
 でも、本当の信仰、人類光明化でないものなら、汗水流して、働いたお金を浄財としていいのかと時折考えてしまうのです。

 生長の家の本部講師、教化部長は、やはり保身のために、雅宣氏から、学○会へと移り、そして、仕事や名誉欲を満足させているようにみえてならないのです。
 本当に、自我を放棄し、人類のためを思うなら、違う仕事をしながらでも、信仰に人を導くものではないかと考えてしまうこともあります。
 私は下部の信徒なのでわかりません。でも、この一連の状況をみると、そのように感じられてしまうのです。確かに、光明化運動は大変なことで、別の仕事しながらは難しいと思います。
 しかし、おかしいと思いながら、生活のために、そのおかしいところにいて、今度は、いられる場所ができた、元本部講師、もと教化部長という肩書きはもちながら、ここで、講義ができたというようなものを感じると、お話なんて、ききたくないと思ってしまうのです。
 本当の信仰の指導者は、自我をなくし、真の救いをしていくものなのではと、下の信仰者としては思ってしまうのです。
 生長の家を辞め、今は、学○会に聖使命をさせていただいていますが、時々わからなくなってしまうのです。聖使命をしていくことも疑問に思ってしまうこともあります。
 しかし、家族は、聖使命をしていくことは、(あたえよ、さらば、あたえられん)で、昔からやっていることだからと、毎月やっております。雅宣氏の、道楽につかわれるのであるならば、本当の人類光明化のためと、していますが、私としては、祈りをして人のお役にたつことを、自分なりにしていくことでも、神様の御心にかなうのではないかと、いつも、悩み考えさせられています。
 今、現象界の、生長の家、そして、周りの組織、には、中心というものがないような気がしてなりません。
 本当に、自我をなくし、肩書きも名誉も無しに先生という仕事がなくなれば、違う仕事をしながらでも純粋に真理のみに生きていくことって大切ですよね。
 聖使命は、必要なのでしょうか? ほんとうに人類光明化に役立てる場所は、他にあるのでしょうか?
 生長の家が、雅宣氏となってから、全てが、目茶目茶になったように感じます。中心がないとはこういうことだと感じさせられます。全てが、誰が中心かがわからなくなります。だからといって、雅宣氏の間違った教えに中心帰一なんてしたくはないです。だからこそ、純粋に信仰のみに真理のみに生きる人達が大事だとおもうのです。

 生長の家をやめて、他に移った方、また、そのままの方、聖使命はどうされていますか?教えていただけたらと思っています。

 組織は大きくなっていくと、現象に振り回されて純粋な信仰にいきにくい、谷口雅春先生も、大きくなると、汚くなりやすいと本に書いてあったように思います。
 いつも、現象に左右されない信仰をしていきたいものですね。

 聖使命、むずかしいです

聖使命 (4751)
日時:2014年08月10日 (日) 21時22分
名前:沖縄 A

聖使命をしていくことに疑問を思われるなら、止められたらどうでしょう。
止めたとて罰が当たるわけでもないと思いますよ。
疑問に思われるのならです。



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