生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
トップページへ戻る
↓↓↓ 訪問者数 ↓↓↓
お盆を迎えるに当って、――特集先祖供養:「谷口雅春先生を学ぶ」誌8月号より転載――<第二部>幸福と繁栄の基礎――先祖供養@ A B (4774) |
- 日時:2014年08月13日 (水) 07時39分
名前:信徒連合
● アインシュタインが感動した親心
かつてアインシュタインが日本を訪問して感動したことの一つに「姥(うば)捨て山」の話があります。食糧事情の貧しかったその昔、日本のある地域では一定の年齢に達した老人は、口減らしのために山にすてられるという悲しい風習がありました。その頃の話です。
信濃の国の姥捨て山の麓に住むある若い農夫が、老いた母親を背負い捨てに行くことになりました。たとえ親思いの息子であっても村の掟(おきて)に背くことはできません。背けば家族は村におられなくなるからです。若い農夫は、母親を籠に乗せ姥捨て山へと向かいました。ところが、その道すがら背中に負われた母親がしきりに木の枝を折っては道々に捨てていくのです。これを見た若者は、「ひょっとして母親は山奥に捨てられる恐怖心に耐えかねて、この落とした枝をたどってまた家に帰ってくるつもりではないのか」と疑いました。「気丈な母親でもやはり最後は自分のことしか考えないのか」と少し蔑(さげす)むような目で見ていました。
そしてついに、息子は捨て場所と思(おぼ)しきところにやってきて、母親を背中から降ろし、別れを告げて帰ろうとしました。その時です。母親は息子の袖を捕まえてこう言ったのです。「いよいよこれがお前との一生のわかれじゃ。身体に気をつけるんだよ。ずい分山奥まで入ったから、お前が家に帰るのに道に迷って困るだろうと思って、わたしが来る道すがら、小枝を落として目印をしておいたから、それを頼りに、無事に家にかえるんだよ。そして立派に跡をついでおくれ」そう言って、母親は息子に手を合わせるのです。その母親の姿を見て若者は泣き崩れました。
こちらは母親を捨てているのに、母はこちらをこんなに憂いている。こんな母をどうして捨てられようか、息子は思わず、草むらに両手を着いて「どうかこの籠にお乗り下さい。これから我が家に御伴(おとも)して、一代の限りお仕えいたします」と言って、再び母を背負って山を降りたということです。日本には古くから次のような古歌が残っています。「奥山に 枝折る栞(しおり)は 誰(た)がためぞ 親を捨てんと いそぐ子のため」
生長の家の七つの光明宣言の中に「生命の糧は愛にして・・・」とありますが、私たちは、この母親に象徴される親心の愛情で、誰もがいのちを育(はぐく)まれてきました。もちろん、現象的にはそう思えないような側面があったかもしれません。しかしその奥には、こうした親心の愛情が満ちていたのです。八月のお盆には、ご先祖様を通じてこの親心の愛情のリレーによって、今、私たちが神の子として存在する事実に思いを致し、幸福と繁栄の基礎となる先祖供養の意義を学び、心からご先祖様に感謝、供養をいたしましょう。
-
|
|
お盆を迎えるに当って、――特集先祖供養:「谷口雅春先生を学ぶ」誌8月号より転載――<第二部>幸福と繁栄の基礎――先祖供養A (4785) |
- 日時:2014年08月14日 (木) 08時53分
名前:信徒連合
<喜びの先祖供養、Q&A>
質問、1 :
< 人間は肉体であり、死んですべて消えるならば、先祖供養の意味がないと思うのですが・・・?>
お答え :
「人間は肉体ではなく永遠生き通しの生命――
仮に人間は肉体であり死ねば全てが無になってしまうとするならば、ご先祖様も観念だけのものとなり、実質は何も無いのですから、供養する意味はなくなってしまうかもしれません。しかし、人間は永遠不滅なる生き通しの生命なのです。人間が亡くなり、この現象世界から消えても霊界ではご先祖様として存在し続けておられます。そのことは、霊界通信だけでなく、臨死体験者の言葉によっても証明されています。
● 八日市屋二三雄先生の臨死体験
今は故人ですが、かつて福岡教区教化部長であった八日市屋二三雄先生は生前、肺炎で危篤状態となり無意識の状態が何日も続きました。その時、先生の霊魂は霊界に遊離せられ、三途の川を渡られたのです。向こう岸に亡くなられた父母や姉たちが迎えに来ておられ、先生は嬉しくなり、自分も早くあの岸に渡りたいと思ったら、もう向こう岸に立っていたのでした。するとお姉さんが「二三雄さん、あなたはまだ早い、直ぐ帰りなさい」とおっしゃった。「私も一緒に連れて行ってください。私は懸命に頼んだのですが、姉が邪険に私を突き飛ばしたのです。すると私の身体は元の岸に戻って、対岸にはもう誰の姿も見えません。その時、遠くの方から自分の名を呼ぶ声が聞えてきて、ふと気がつくと、私は蘇生したのです。だから私は亡くなっても、皆迎えに来てくれるから怖くない」とおっしゃたことがあります。この証言からもわかるように、人間は肉体が死んでも、次の境涯の霊界で修行をしているのです。
● 「肉体の死」地上の人生学校卒業
それでは、「肉体の死」とは一体何なのでしょう。尊師・谷口雅春先生は次のようにお諭しくださいます。
「地球生活は、魂の向上のための学校のようなものである。一定期間地上で色々のことを修行し勉強し、その環境条件の下(もと)に於いては、それ以上、その魂が吸収すべき勉学の要素がなくなれば、他の上級学校へ入学するために、今までの環境条件の学校から卒業して去るのである。それを仮に吾々は“死”と呼ぶのである。“死”という語が連想させるような、『生命の停止』とか『生命の中断』というようなものはないのである。端的に謂えば『死は無い』のである。“死”と見えるものは、生命の一つの学校から、他の学校へ進学するための卒業である」(『人生を支配する先祖供養』100頁)
「人間死ねばゴミになる」と言った人もありましたが、人間の“死”とは無になることではなく、地上の人生学校を卒業して、次の上級学校へ移ることなのです。だから、霊魂の向上のためには、供養が必要なのです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
質問、2 :
< 先祖供養はどうして必要なのですか?>
お答え@ : 先祖供養はご先祖様への報恩感謝行
私たちは神のいのちでありますが、自分の生命は父母にこれを享(う)け、父母の生命は祖父母にそれを享けてというように、ご先祖様を通して私たち神の子のいのちがこの地上に誕生する事ができたのです。だからご先祖様なくして自分という存在はなく、ご先祖様の一切の功績を背負って今ここに存在するのです。この厳粛なる事実は誰も否定する事は出来ません。この真実に目覚めれば、ご先祖様に報恩感謝の気持を起こさざるを得ません。その思いが供養となるのです。
お答えA : 先祖供養は幸福と繁栄への道
私たち神の子として、幸福になるためにこの地上に誕生しました。しかし、幸福の真理を知らないために不幸に苦しんでいる人もいます。その不幸から解放される道について、尊師・谷口雅春先生は、「“幸福の樹”の根幹につながりなさい」と諭されます。
「人間が幸福になるためには、幸福の源泉とつながらなければならないのである。日本語で幸福のことを“幸(さきはえ)”というのは、“先き延(は)え」が転じたのである。即ち『幸福の樹』が伸びて来るのは、幸福の樹の根幹があってそれが先へ延長して来たのだという意味である。幸福の樹の“根”になるのは、“神”であり、祖先である。幸福の樹の“幹”になるのが父母である。父母に感謝する気持になったとき、幸福の幹につながり、神と先祖に感謝する気持になったとき、幸福の根につながるのである」(『愛はかくして完成す』200p頁 父母と祖先につながれば、幸福が訪れるといわれるのですがそれでは一体どうすればよいのでしょうか。生長の家では、よく「父母への感謝は幸福の鍵」と言いますが、それを実践することです。この“父母”なる言葉には“先祖の霊”も含まれているということを、尊師・谷口雅春先生は次のように説かれます。
「生長の家の神示には『神に感謝しても父母(ちちはは)に感謝し得ないものは神の心にかなわぬ』と示されている。“父母”とある中には父母のそのまた父母である祖先の霊をも含むのである。吾々が、ここに神の生を享(う)けて地上に出現し得ているのは“諸々の祖先”を含む父母を通してであるから、祖先及び『父母に感謝せぬものは神の心にかなわぬ』と神が示し給うているのは当然のことである。・・・念じても、祈っても、神想観してすらも病気が治らないことがあるのは、祖先及び父母に対する感謝行が足りないのである。ここに霊界にい給う祖先霊に対して報恩感謝のための供養をすることが必要なのである」(『人間無病の原理』173~174頁)
お答えB : 先祖供養は先祖の神通力を増す
人間は永遠生き通しの生命ですが、肉体の五官の感覚だけではこの世界しか存在しないように思います。しかし霊界通信でもあきらかなように、この世界は霊界と密接に関わっているのです。尊師・谷口雅春先生は次のようにおっしゃいます。
「われわれ現実界の人間は、現実界だけで生活しているように思っているけれども、そうじゃないのですよ。祖先の霊魂の神通力が現実界のわれわれに影響して、思わぬ奇蹟が演じられたりする。現実界の人間は大した働きもしていないのに、非常に運よく行って、うまく事が運んだりする人があるでしょう、そういう人には祖先の霊の影響というものがあるのです。祖先の霊魂の影響で自分の肉体の病気は起ったり、あるいは肉体の病気が治ったりすることもある。ですから祖先の霊供養ということが非常に大切であります」(『神性開発・完全健康の原理』295頁)
このように先祖の霊魂が子孫に様々な影響をあたえるのです。一方、「子供の幸福を願わない親はいない」といわれるように、先祖も「子孫を護り、子孫の運命の向上」を願っておられます。しかし、祖先が持つ現在の神通力のままでは子孫を守り切れない事態が発生するやも知れません。そこでどうすればよいのか。尊師・谷口雅春先生は次の様に説かれるのです。
「霊界の祖先は、真理の言葉をおくってもらうことによって、魂が益々発達して神通力が増加するのであります。自分の神通力が増加してきましたら、祖先というものは、子供を守って、子孫を繁栄させてやりたい、子孫を健康にしてやりたいというのが其の念願なのですから、凡(あら)ゆる点において子孫が護られ、自然に病気も治るようになるのであります。(「白鳩」昭和49年2月号)
お答えC : 先祖供養は癒しを求めている先祖を救う
先祖の霊は、「霊界通信」でも明らかなように、子孫の運命に影響を及ぼしますが、子孫が不幸になるよう祟(たた)るということはありません。しかし、聖経『甘露の法雨』にある「病める霊あり、苦しめる霊」のように、生前の病念や悪念を霊界まで持ち越して、その記憶のままに苦しみ救いを求めている霊があります。そうした救いを求めている霊は、子孫の運命にもよき影響を及ぼしません。だから供養してその霊を救ってあげるとよいのです。尊師・谷口雅春先生は「一人の迷える霊魂を導くだけで原因不明の病気や不治の病気、それに家庭不和などが改善される場合があるのである。だから先祖とか親類縁者の祭祀(さいし)というものをおろそかにしてはならないのである」と説かれるのです。(『人生を支配する先祖供養』15頁)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
質問 3 :
< 生長の家では、具体的に先祖供養をどのようにするのですか? >
お答え :
先祖の御霊(みたま)に感謝の思いで霊牌(れいはい)を書き、聖経を読誦する」生長の家では、霊牌一枚一枚に心を込めてご先祖様の名前を記し、聖経『甘露の法雨』を読誦する生長の家独特の霊牌供養(れいはいくよう)をいたします。尊師・谷口雅春先生は、先祖供養について次のようにおっしゃっています。
「先祖供養とは祖先の霊魂を招霊し、感謝の法要的儀式をして真理のお経(生長の家では聖経『甘露の法雨』)を子孫の者又は同信の多数者によって朗読し、その経文に書かれてある『真理』を多数者のコトバの力によって祖先霊に念送するのである。肉体死後の霊魂は物質的食物は食さないけれども、真理の念送によって、真理を一層深く悟り、霊界に於いて一層の自由を得、神通力を発揮して子孫の報恩行事によって歓喜し満足し、子孫が“實相の完全円満さ”を現実界に引き出し易いようにしてくれるのである。それによって今まで、如何に手をつくしても治らなかった重症が、祖先供養によって治った実例が出て来ることになるのである」(『人間無病の原理』174〜175頁)
-

|
|
お盆を迎えるに当って、――特集先祖供養:「谷口雅春先生を学ぶ」誌8月号より転載――<第二部>幸福と繁栄の基礎――先祖供養B (4796) |
- 日時:2014年08月15日 (金) 09時50分
名前:信徒連合
体験談 @
先祖供養のお蔭で、奇蹟的に大事故から免れる! 埼玉・新井光代(66歳)
今から八年前の初夏に体験したことです。今だに奇蹟的に助かった、あの光景が目に焼きついており、ことある毎(ごと)にその情景が鮮明に蘇(よみがえ)ってまいります。当時、私は生長の家の三正行、神想観・聖経読誦・聖典拝読、そして愛行に全力を傾けていました。このみ教えのお蔭で、私自身が健康になり、子供達は立派に成長し、入院施設を備えた整形外科の経営も順調に業績を伸ばしていたからです。そして何よりも私は生長の家のみ教えが大好きで、その有り難さをひしひし実感していたためです。もう一瞬一瞬、「嬉しい! 楽しい! 有り難い!」と言う思いでした。
私の住んでいる羽生(はにゅう)地区では、毎月一日に先祖供養祭が執り行なわれていました。私が今、ここに存在するのはご先祖様のお蔭であるという感謝と、ご先祖様に導かれ守られているとの実感を味わうことが出来る先祖供養は素晴らしいものです。私は日々、ご先祖様に聖経読誦をするとともに、先祖供養祭のために、神想観の後、ご先祖様のお一人お一人に感謝しながら、毎月の手紙を書くような思いで、ご先祖様の御名を霊牌に書いておりました。おおよそ一回のみ祭りに120柱くらいの霊牌供養をします。
この月だけは、中旬にも埼玉の春日部というところで、教区主催の先祖供養祭が予定されていました。私は、祈りを込めて霊牌にご先祖の御名を書いているとその御霊様(みたまさま)と心が通じ合うような気持になり、とても清々(すがすが)しくなります。この月は一日の先祖供養祭と併せると、一月に250柱ほどを書いたことになり、いつになく嬉しくて霊的歓喜に包まれていました。
前日、友人の落合節子さんから電話がありました。明日、先祖供養祭でお会い出来ることを楽しみにしていたのですが、三日前、茄子(なす)の棘(とげ)が目に入り、目が充血して瞼(まぶた)が腫(は)れ、膿(うみ)まで出てきてとても痛いので明日は参加出来ないという趣旨の内容でした。その時、私は何の気なしに、「ご先祖様が護っていて下さるから大丈夫よ、きっといいことになるわ」と言って電話を切りました。翌朝、落合さんから電話があり、昨日とは違って、生き生きした元気な声です。「何かいいことでもあったの」と聞いてみると、落合さんは、嬉しそうに次のように言ったのです。「そうなの。今朝、ご仏壇の前で神想観、聖経読誦をしていると、目のあたりに涼しい神癒の風が吹いたの。気がついてみると、目の痛みや腫(は)れがすっかり消えたの」
それを聞いて、私は心の奥底まで光が灯ったように嬉しくなりました。八人乗りのランクルという大きな車に羽生地区の年輩の方々をお乗せして、ルンルン気分の法悦に浸りながら、春日部の先祖供養祭の会場に向かいました。教区主催の先祖供養祭が、心が浄化される清々しい雰囲気の中で厳粛に執り行われました。聖経読誦をしているとご先祖様が喜んで下さっているとの思いが沸々とこみ上げて着ました。ご先祖様のご守護に全托していれば、全て順調、大丈夫という思いにかられました。こうした霊的昂揚感の裡(うち)に先祖供養祭が終了し、そのまま信徒さんを乗せて帰る予定でした。
ところが、当時私は総連会長をしていたので、重要な会議があるからということで残らざるを得なくなり、連れて来た方々には先に帰っていただきました。その会議が終わると、もう夕方近くになっていたでしょうか。私は、春日部の近くにある、岩槻インターから高速道路に入って帰るつもりで、そちらの方面に向かって国道16号線を走っていました。途中、坂を上る大きな陸橋があり、その陸橋の頂上に達した地点で、私の車のボンネットから爆発音がし煙が立ち昇りはじめました。私は車を左側に寄せ停車致しました。後から分ったことですが、ラジエーターが腐蝕しそこから熱湯が噴出して煙が立ちこめて動かなくなったのでした。私は車から飛び出し、消防車を呼んでくれるように叫びました。しかし、交通量の多い中でその流れに沿って走っている車はなかなか止ってくれません。やがて私の車の異常に気づいた一台が路肩に寄って停車してくれました。
その時です。大変なことが起りました。停車する時にサイドブレーキを引きますが、突然の異常事態が発生したために、そのブレーキの引きが緩(ゆる)かったのでしょう。私の車は運転手がいないのに下り坂を降り始めたのです。最初は必死で車を止めようとしましたが、どうにもならず、呆然(ぼうぜん)と立ち尽くすしかありませんでした。下り坂の向こうには、大きな交差点が二ヵ所あります。二車線の道路ですから、車の交通量も半端ではないのです。大事故が起きてもおかしくない状況です。周りの人々は凍り付いた様子でした。私は、厳粛な先祖供養をしてきた帰りであり、ご先祖様の大きな御加護に包まれているはずであるから、悪いことなど起きる筈はないと「大丈夫、これでよくなる、實相完全円満」などと無意識の内に真理の言葉を唱えていました。
車はゆっくりと坂を下りて行きました。不思議な事に露見にとめている車と外側斜線のバンバン走っている車の、その間を私の車はうまく通り抜けて下って行くのです。そして最初の交差点に差し掛かりました。ところが信号は青、そのまま車は下っていきます。次の交差点。これもまた信号は青、事故を起こすことなく通り過ぎ、道がカーブになっている、その路肩のところにポンポンと二度ほどバウンドしてようやく車は止まりました。今でもその光景が目に浮かぶのですが、道路が見える限り私の車が下って行く車線の先には一台の車も走っていませんでした。そして二ヵ所の信号は青、まるで神様、ご先祖様が道路を開けて青信号にして用意して下さっているかのようで、大変感動しました。一瞬のタイミングで大事故を免れたのです。事情聴取で駆けつけて来られた警察官も「大事故になってもおかしくない状況でした。これはもう奇蹟だ!」と云われました。
考えて見れば、会議に残ったことがまずご先祖様のお導きでした。もしご年配の方々を乗せたままでこんな事態になっていたら、あまりのショックで脳溢血などの病人が出ていたかもしれません。また数日後には、私の息子がこの車で柔道の試合で仲間を乗せて行く予定でした。ところが今、車の故障が起きたので修理することが出来ましたが、息子の運転の時故障していたら、試合に間に合わなかったというような事態が発生したかも知れなかったのです。もう何から何まで、全て本当にご先祖様に守られていたのです。
私はこの体験を通して、ご先祖様のお導きを一層確信するようになり、先祖供養の重大性が心に沁(し)みました。
体験談A
<ご先祖様に導かれ、祝福されて結婚!> 千葉・海蔵祐果(23歳)
私は生まれながらに生長の家の家庭で育ちました。私が初めて一人で生長の家の行事に参加したのは中高生春の練成会でした。中一の時で、とても感動しました。それは人間は神の子、言葉の力で運命を変えることを学び、浄心行を通じて両親の深い愛に気づき、心から感謝することが出来たからです。生長の家のみ教えが大好きになり、練成会には毎回参加するようになりました。練成会を通して私が学んだことは両親、ご先祖様への感謝、天皇国日本の素晴らしさ、人間神の子の三つです。私はそのお蔭で、ご先祖様が築かれてきた日本が大好きになり、使命感が芽生え、生き甲斐を感ずるようになりました。
私は小さい頃から演劇が好きで、舞台女優を夢見ていました。高校卒業後は演劇学校に通い、劇団にも入り、客席から見ていた憧れの女優さんとも共演する事が出来て、私の夢は叶いました。そうしている中に、私は「谷口雅春先生を学ぶ会」に出会い、次第に舞台はやりつくしたという満足感が湧いてきました。そして「舞台の上で輝くよりも、日常生活という舞台の上でもっと輝いていたい」と強く思うようになったのです。
それで劇団をやめ、以前からアルバイトをしていた洋服店で準社員となって働きました。精神的にも時間の面でも余裕が生まれ、「学ぶ会」の行事にも一層参加出来るようになりました。平成24年の秋、私は伊勢愛国練成会に参加しました。生まれてはじめて、伊勢神宮に参拝し、神々しい雰囲気の中で魂が浄められました。そこで夫である雅之さんと神縁をいただいたのです。お付き合いをはじめて最初のうちは、神想観や聖典読誦の中で縁あればと祈っていました。すると結婚式まで一年半、トントン拍子に結婚のお話が進んでいきました。まるでご先祖様が私たちの結婚を祝福して下さっているかのように感じました「私はしあわせだな。神様、ご先祖様に感謝だなあ」と思い、真理を学び、一層先祖供養にも励んでいました。
しかし、一方で、「人生、楽あれば苦あり」という言葉があるように、これだけ幸せなのだから、これから何か自分に試練が待っているのではないかと恐怖するようになりました。このように悩んでいると、母が谷口雅春先生のある文章を見せてくれました。「生長の家の人生観では『苦難はない、病気もない、いっさいの悩みはない』こう申します。こう申しますと疲れている人も起き上がり、悩んでいる人も元気が出て病気の人も続々恢復いたします」と書いてありました。それで私は「苦難はない、病気はない、一切の悩みはない」という言葉を紙に書き、毎日の先祖供養、聖経読誦とともに何度も何度も唱えました。そうしていくうちに、未来に対しての不安や恐怖は消え、取り越し苦労もしなくなりました。私は五月に結婚し、夫の両親と暮らしています。毎日笑いの絶えない楽しい日々を贈っています。これも神様やご先祖様のお導きであると感謝しています。
-

|
|