生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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生長の家「今昔物語」・霊界篇の再掲示 <第十四話> (383) |
- 日時:2013年03月09日 (土) 09時02分
名前:信徒連合
生長の家「今昔物語」第五篇 霊界篇
第十四話(通算第256話)
他界への出生の実証(その三)
(つづき) 「私は屍骸の周囲に腰かけ、若しくは立っている数人を認めた。二人の婦人が屍骸の左側に跪いて泣いている様子も見えた。その二人が私の妻と妹とであったことは後になって知りえたのであるが、その瞬間には個別の人格の意識はなかった。妻も姉妹も朋友も全てが同じように感じられた。
「やがて私は永世(かぎりなきいのち)の確実であることを示すために、人々の注意を引いてみたいと思った。私は皆の真中に立って喜ばしげに挨拶し、右手をもって敬礼した。併し誰もそれに気がつかなかった。私は可笑しくて堪らなくなって突然大声で笑い始めた。『これなら聞こえるだろう。』と、私は思ったが彼らは依然として屍骸に眼を向けたまま私には気がつかなかった。
「皆は肉眼で見るので、心霊を観取し得ないので、屍骸を私だと思って一心に見詰めているが、それは真相を誤解している。屍(しかばね)は私ではないのだ。私は此処にいる。以前よりも遥かに生き生きとしている――
こう思いながら私は屋外へ歩み出した。開いている戸を通過する時には顔を俯向けて足場をさがし、閾(しきい)をこえ、階段を降り、そうして街道へと出て往った。
「あたりの光景を見まわすと、私としてはその時ほどにハッキリとものを見たことはなかった。土の赤さも雨上がりの水溜りも見えた。私は長旅に出かけて行く人のような懐かしさで周囲をながめた。私は自分の丈(たけ)の高さが以前の肉体よりも高くなっていることを知って嬉しく思った。私は肉体にいたころには、常に自分の丈の低いことを引け目に思っていたのである。『さあ此の新生涯では何事も思い通りになるのだ』と私は心の中で思った。
「着物も私の高くなった身体に至極適当したもので、私はそれが自分に着せられていることを意外に思った。服地はスコッチ織の一種で、贅沢ではないが、小奇麗なものであった。『好い心地だなあ』と私は呟いた。然も数分前までは私は大病でいたんだ。これが私があれ程怖れていた死と呼ぶ変化であろうか。万事はすんだのだ。そして私にはいのちも思想も充ち満ちていた。これまでこんなに精神のハッキリしたことはなかった。何と云う幸福な状態だろう。最早病気も死亡もないのだ。私は喜びにみち溢れて雀躍(こおど)りしながら、又しても自分の姿と衣服とに見とれた。
「ふと、私は自分の上衣の背中に細い線があるのを見た。『どうしたんだ。自分の背中が見えるなんて。』こう思って私は又しても上衣の背中から両脚を踵(かかと)に到るまで見返した。手を顔に当ててさぐると両眼はたしかに当たり前の位置にある。『して見ると私は梟(ふくろう)のように真後ろに顔を振り向けることができるのだろうか』と思って、私はやって見たが出来なかった。そこで私は私の肉眼がまだ物を見る力をもっているのかも知れぬと思い、屍骸の方へ振り返った。屍骸は半ば開いている戸口を通して正面(まとも)に見ていたが、私は蜘蛛の巣のような一本の細い糸が私の肩の後ろと屍骸の頭の付け根とをかすかに連絡して居るのを見た。
「なるほど、あの糸で私はまだ自分の肉眼は使用し得るのだと結論してから、私は道路を歩み出した。が、数歩も歩くと意識を失ってしまった。
「気がついて見ると私は身体の両側を誰かの両手で支えられながら宙に軽く浮動していた。その両手の持ち主は私の後ろ側にいるものらしく、迅速にしかし快く私を前方へと推し進めているのであった。やがて私は四十五度以上の勾配をもってのぼる、狭い、併しよくしつらへられた通路の入り口に軽々と運ばれた。遠方を眺めると空および雲は生前の高さと同一である。下方を見ると鬱蒼たる森林が瞰下(みおろ)される。そうしてそれらの森林の頂も雲ほど遠いのだと私は思った。(つづく)
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