生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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先祖供養軽視の社会的風潮を改善する事こそ宗教家の使命――開祖・谷口雅春先生の説かれた先祖供養および個別霊供養を学ぶ<第四回> <第五回> <第六回> (4855)
日時:2014年08月19日 (火) 08時25分
名前:信徒連合

テレビ番組で、現代人の40%近くは「墓地の菅理は子孫の責任ではない」とのアンケート調査の発表があったという。これはまことに憂うべき実態であります。荒廃した墓地は増加の一途をたどっています。常識では考えられない凄惨な事件が発生する事と先祖供養の軽視との社会風潮とは決して無関係ではありません。三代目・マサノブ総裁は講習会でも「先祖供養」等の霊と霊界・輪廻転生・過去世と現世と未来世にまたがる宇宙の法則としての因果律は一切説かないのです。彼は完全な唯物論者であります。悲惨な社会的事件を少なくしていく為にも「先祖供養」・「個別霊供養」はますます大切と考えられなければなりません。「マサノブ教団」の「今の教え」では説かない開祖・谷口雅春先生の「先祖供養」と「個別霊供養」をもう一度学び返しましょう。
「生長の家 今昔物語」から転載いたします。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



先祖供養、および個別霊の供養


<第四回>




(1) 開祖・谷口雅春先生による降霊会の記録 『生命の実相』第10巻・霊界篇下巻、第三章<悟らぬ霊魂を救う道>)

(会場:兵庫県住吉村・生長の家本部仮見真道場、昭和8年2月28日開催、霊媒:中村弘治医師、審神者(さにわ):今井楳軒(ばいけん)氏、立会人:開祖・谷口雅春先生他37名)


<<・・・・・・・・
中村――(執拗に)河村章一氏の霊魂に直接談話に出てもらってください。

モゴール――今井さん、かずうたを歌ってください。

中村――今井先生に「数歌(かずうた)」を歌って欲しいと申しています。

今井――よろしい。(今井氏「ひと、ふた、み、よ、いつ、むゆ、なな、や、ここの、たり、ももち、よろず」と緩(ゆる)やかに歌う。(この数歌は招霊の時、日本では古くから使われているものである。)

中村――河村氏の声がするようです。(一同、耳を澄ます。苦しそうな呻(うめ)き声がかすかに聞こえて漸次(ぜんじ)近づいて来る。)

谷口――河村さんですか。

声――(答えないでうめいている、呻き声だんだん近づく。)

谷口――苦しいのですか。どこがくるしいのです。

声――(呻きながら)胸が。(烈しく喘ぐ)

谷口――(河村氏は肝臓の病気で胸の病気ではなかったから、これは別だと思いながら)あなたは誰です?河村さんじゃないのですか。(声がしだいに城坂京子夫人と沢村正子夫人との側に近づいて来る。)

城坂――(突然発言する)わたしのお母さんのようです。

城坂――(あまりに真に迫って自分の亡母の臨終の声そのままなので)本当にわたしのお母さんです。わたしのお母さんです。(呻き声はますます近づいて城坂夫人のほとんど顔の上までくる。)

城坂――(谷口氏に呼びかけて)先生、どういってあげたらよろしいでしょう。母が苦しそうです。 --------母さま、京子です。

谷口――お母さんはなんという名でしたかな?

城坂――高橋むらと申しました。(間断なくちょうど城坂夫人の上の空中で病苦に喘(あえ)ぐ声が聞こえる。)

谷口――高橋むら-------どこが悪かったのですか。(ますます激しく病苦に喘ぐ声間断なくする。)

城坂――肺炎だったのです。あれ、あれ、母が苦しんでいます。(切実な泣訴のような声で)先生、どういってあげたらよろしいのですか?母を、母を救ってください。

谷口――高橋むらさん。あなたはまだ御自分が肉体をもって現実界にいるように思っていられますが、本当はあなたは今霊界にいるのですよ。もうあなたは肉体を脱して霊魂だけになっているのですよ。肉体が無いから肺臓も無い。肺臓がないから肺炎もない。だからあなたが肺炎で苦しいと思っているのは夢を見ているのですよ。今その夢を覚ましてあげる。(気合い)イユッ!もうあなたの肉体はあるという迷いは消えた。もうあなたは霊魂のみになっていられるのです。霊魂のみだから肉体の病気はない!!-------(空中から聞こえていた呻き声、急に安らかな息づかいになる。)

観衆の1――病気の苦しみが急に安らかになった!

観衆の2――本当に苦しみが消えたようですね。

観衆の3――不思議なものですねえ、本当に静かな楽そうな息づかいになった。

城坂――先生、ありがとうございます。

谷口――高橋むらさん、肉体のないあなたにはもう永久に肉体の苦しみは無い。肉体のことを思い煩うな。霊界にいるあなたには現実界の使命はすでに終ったのだ。現実世界のことに執着するにはおよばない神様が今、あなたを見守っていられる。神様が霊界においてよきように導いてくださる。神様の導きに従って霊界で修行を積み、いよいよ高きみ位にまであがられよ。

霊魂の声――ありがとうございます。(息づかいいよいよやすらかになる。)

城坂――(息づかいの安らかな母の状態を見て)お母さん静かにお眠り遊ばせ。

谷口――高橋村さん決して現実世界に執着せられますな。霊魂は永遠の向上でありますぞ。神様は常にあなたを護っていられる。もう肉体のないあなたには病苦はないのですよ。たとい病苦というようなものが、なお微かに残っていましょうとも、それは肉体を持っていると思っていたときの精神的習慣にすぎないのですから、今後すみやかにその残りの苦しみも消えてゆきます。決して現実世界に執着せられますな。霊界には霊界の営みがある。霊魂は永遠の向上でありますぞ。どうぞ霊界で善き修行を積み、いよいよ高き霊界へ上がられよ。(霊魂の声、しだいに遠ざかって行く。)

木村氏の霊の声――今井さん、みたましずめをしてください。

中村――今井先生、みたま鎮めをしてあげてください。

今井――今の霊魂は何宗であったかな。

谷口――クリスチャンですよ。

今井――そうか。ふうむ。(考えて)よろしい。(厳かに)幽世(かくりよ)の大神憐(あわ)れみ給え、恵み給え。幽世(かくりよ)の大神憐(あわ)れみ給え、恵み給え。(気合い)ウーム!

声――(霊魂の声いよいよ遠ざかりつつ)ありがとう--------ありがとう。

今井――今の霊魂は救われていったよ。

城坂――本当にありがとうございました。母がこの席に出るとはまったく思いがけませんでした。今日は実は母が亡くなってから十七年目の祥月命日(しょうつきめいにち)なのです。

観衆の1――ほう十七年目の祥月命日ですか。出て来たはずですな。

城坂――十七年間もあの病苦のままで、知らずに手を下さずに放っておいたかと思うと本当に娘として申し訳ありません。
・・・・・・・・>>(P.144−148)




(2) 誌友・鈴木友二郎氏による降霊会の記録(『到彼岸の神示』帰幽の神示P.218−225)


臨終に何が起こるか


<<霊魂が肉体を脱出する際、高級霊は眼がさめたまま、スウーッと出て行って、霊魂自身が自分の肉体を上から見下ろして、「ああ、自分の皮袋はあんあ格好でひっくり返っているなあ、あの僕の外套(がいとう)もう少し上手に畳(たた)んでおけばよかったのに」などと思うこともあるのですけれども、それ程高級でない霊魂は意識を失って人事不省の状態で肉体を脱出します。

高級というのは、何度も生まれ変って、魂がみがかれている成熟せる霊魂のことであります。肉体人間でも成熟して老齢に入っているものは、あんまり熟睡しなくてもいいのであります。幼いものほど余計眠るわけです。赤ん坊などは、魂が幼くて成熟しておらんから、長時間眠る。段々大人になるに従って睡眠は少なくてすむようになるのであります。

霊魂もやっぱり同じ事であります。意識が完全に目覚めたままで、死体を抜け出るのは、高級の霊魂だけれども、まだ幼い霊魂は、(註・幼いというのは、その肉体は大人になっておっても、魂がまだ何度も生まれ変っておらぬ、生まれ変りの回数の少ないのを幼いというのです)そういう霊魂は断末魔の苦しみで人事不省に陥ったまま霊界へ行くのです。霊界へ往(い)って先輩の諸霊にいろいろと世話してもらって意識を回復して目をひらくと、潜水服を脱いだ潜水夫がやはり、水中と同じように眼がみえると同じように周囲が見えるのです。そして、死の直前の病気の時のその記憶が出て来るのです。

その霊魂は肉体を抜け出た時は人事不省になっていて知らないのですから、自分が肉体を抜け出たという事を知らないのです。「死んだら何(なん)にも判らなくなる」と思っておった人の霊魂が、ハッと霊界で目が覚めて、そして何でも見えたり、記憶が蘇生(よみがえ)ったりしますと、その霊魂は、「自分は肉体のままで生きとった」と思うのです。それが多いのであります。霊媒に霊魂を呼び出して研究してみますと、亡霊の80%位は自分の魂が肉体を脱して、肉体は焼場で灰にされていながら、肉体のままで生きていると思っているのが多いのであります。

 上海(シャンハイ)の生長の家支部をしておられた鈴木友二郎という人の息子がそうでありました。なんでも船のマストの上から水上に墜落(ついらく)して死に、葬式も済み、父の家が移転した後、その霊魂が目覚めて父の友二郎さんを訪問したという話であります。>>(P.218−220)




物理的心霊現象について


<<或る日鈴木友二郎さんの息子さんが船のマストから水上に墜落して、目をまわして、ショックで死んでしまったのでした。友二郎さんは非常に悲しんで丁寧に葬式をして葬ったのでありました。そのころ青島(ちんたお)に藤倉夫人という生長の家の誌友で、物理的心霊現象の霊媒になれる婦人があったのです。その物理的心霊現象になれる婦人が上海に立ち寄った時に鈴木友二郎さんは霊媒に自分の息子を呼びだしたのです。

藤倉夫人というのは非常に物理的心霊現象に堪能な霊媒で、シャツなんかが、両手をしばられたままでシャツだけが脱げるのです。上衣はそのまま脱がないで、シャツだけ脱ぐのですから、むつかしいのです。手品ぢゃないのであります。シャツを破ってぬぐのならむつかしい事はないのだけれども、現象界の吾々には物質はあるように見えているけれども、こういう実験によって、「物質」というのは本質的には「無い」のであって、斯うして霊界の人間にとっては、「物質」を「無」として取扱うことができるのだということが実際に実験できるのであります。

 この実験が誰にでも出来たらいいのですけれども、それは特殊の霊がやるのであります。これは霊がそのシャツを一遍霊界に引き込むのだということであります。一ぺん霊界に引き込んで、霊界でそのシャツを霊的流動体として取扱って自由に脱ぎ去り、それを物質界にもどして霊界からまた現実界に出してきてその実験会場へ抛(ほう)り出すのであって、物質界に於いて物質のままで、上着をを着たままでシャツを脱げといったとて脱げないのであります。そのシャツを霊界へ引き抜いていって霊的にそれを処置し、そしてそれを霊界から現実界に再び出すのです。それだから上に着ている着物そのままで、シャツだけが脱げるのです。だから、現実界と霊界とは自由に交通できているのであります。>>(P.220−221)




生きていると思っている死者の霊


<<兎も角、藤倉夫人はそういう事をやる霊媒でありました。その人が、上海(シャンハイ)にやって来たので、鈴木友二郎さんはその藤倉霊媒に、自分の死んだ息子を呼び出してもらったのです。すると息子の霊が、藤倉夫人の身体に憑(かか)って出て来た。父の友二郎さんが、「お前もう死んでいるんだよ」と言うと、「いや、私はこの通り生きている」と、その息子が言うのです。「私はね、船のマストから墜落してから一時人事不省になっていたが直きに目が覚めて、それからお父さんの家に帰ったんだよ。」彼は“直きに目が覚めた”と思っているけれども、昏睡状態の間は心が働かないから、本人にとっては時間が“ない”のです。だから、何ヶ月間も霊界に眠っておっても意識を恢復(かいふく)したときには直きに目が覚めたと思うのであります。息子の霊は続けて言いました。

 「そして目が覚めて、お父さんの家に帰ったら、お父さんの家ね、空家になって戸が閉まっておった。それでお父さんは死んだんだなあーと僕は思っていたのです。お父さんはまだ生きていたんですか、それなら何処に往(い)ってたんです」と言うのです。その息子の霊は、自分の肉体が死んでいるのに、逆にお父さんの方が死んでしまって、それで家が空家になっておったと言うのです。

多くの霊魂の中には、自分が人事不省になっている間に肉体を火葬に附して既に肉体が“ない”ことを知らない霊魂があるのです。そこで鈴木友二郎さんは、「そんな事あるもんか、わしはこの通り生きているのだよ。あの頃わしはあの家を引っ越して今の此の家へ移って来ていたんだよ。お前は死んでいるんだよ、この通りお前の葬式のときの写真があるだろう」と言って葬式の写真を見せて説明すると、「いや、僕は生きている。この通り死んでなどおらん。」こう言って藤倉夫人の身体を慄(ふる)わして“生きている”ことを主張するのです。「お前男じゃないか、その身体を自分の身体だと思っているけどさ、その乳房をさわって見い」と鈴木友二郎さんは言います。藤倉夫人は女ですから乳房が大きいのです。息子の霊は、それを自分の身体の如く触りながら、「ほう乳房があるな」と言う訳なんです。それでその息子はようやく、自分の肉体は死んで、今は霊魂だけで生きていて、藤倉夫人の女性の肉体を使って話しているのだと納得したと言うのであります。

「お前はどうして此処へ来ることができたのか」と訊(き)きますと、「この藤倉夫人の坊ちゃんが高い所におって黄金色の後光が射している。その坊ちゃんなかなか素晴らしい、その坊ちゃんが此処へ行けと言うから、僕は此処に来たんだよ」と言っているのです。>>(P.222−224)




幼くして死せる人間の霊が高級霊である実例


<<藤倉夫人の坊ちゃんというのは四歳で死んだのでした。幼くして現実界を去る霊魂は概(おおむ)ね地上生活を卒業したところの高級霊でありますが、これなどはその一つの例証であります。その坊ちゃんの霊は高い所におって、その霊体からは黄金色の光を放ってお母さん(藤倉夫人)を守護していたのであります。着衣のままで下衣(したぎ)を抜き取るなどのいろいろの現象を起すのは、この高級霊に配属されたその方面に才能ある霊がするらしいのであります。

 こういう実例によって、霊というものは霊界に行って意識がめざめても、肉体を有(も)ったままで目が覚めたと思っている霊魂がたくさんあって、そのために、肉体の生活圏――物質世界に執着していて、霊界の行くべきところへ行くことができない――所謂(いわゆる)「浮かべない霊」が沢山あるのであります。そういう霊は、「もう私は肉体ぢゃなかった、私は肉体の時代は終って霊魂だけになったんだ」という事を知るのが悟りの第一歩であって、自分は既に物質世界に属しないと知ると、物質に執着しなくなるのであります。現実界のものに執着しなくなると、霊的修養に励むことができるようになり、霊の向上――霊的進歩が得られるという事になるのであります。>>(P>224−225)





先祖供養軽視の社会的風潮を改善する事こそ宗教家の使命――開祖・谷口雅春先生の説かれた先祖供養および個別霊供養を学ぶ<第五回> (4867)
日時:2014年08月20日 (水) 07時28分
名前:信徒連合




先祖供養、および個別霊の供養


<第五回>





降霊実験会後記(1)(『生命の実相』第10巻・霊界篇下巻(P.152−155)


<<この霊媒の物理的心霊現象においての特徴ともいうべきは、城坂京子氏の母堂の霊魂が招霊もしないのに出現して救われたことであります。そしてその空中談話も、特に選んでその遺児たる城坂京子氏自身の左耳の真上に、そして沢村正子氏の右耳の真近に出現して聞かれたのであります。それでこの二人はその母堂の声を最も真近に、実にその人の臨終の側に侍するがごとく明瞭に聞いたのであって、他の人たちには、大変遠くにいるように聞こえた。これは直接談話が空中に浮揚せるメガホンの口を、城坂京子氏の左耳を特に選んでそれに近寄せて話されたので、メガホンの口の真近にいる人には、電話の受話器に耳を当てたように明瞭にきこえたが、メガホンの口に遠き位置にいる人には、電話の話が受話器に遠い所にいる人に対するように聞こえがわるかったのであります。ともかく、城坂京子氏は自分の左耳元一尺と隔たらない空中に、臨終の母堂の苦しみ、その切なさ、そのままをきいたので、覚えず、「お母さん、京子です」とさけんだのだといっていられました。

 城坂京子氏の述懐によれば氏の母堂は、まだ死ぬとは思わず、遺児のことを思い煩いつつ、病(やまい)急に重(おも)りて霊界に移られたので、まだ他界せる自覚が無かったのは当然であろうとのことでありました。これによっても、まさに霊界へ移って行こうとする刹那(せつな)の霊魂にとって、いかに正しい引導をわたすということが必要であるかがわかるでありましょう。

引導の渡し方が悪ければ、修行のたらぬまだ未発達の霊魂にとっては霊界へ移転せる自覚がなく、したがって霊界にて依然として病的肉体を維持せる意識をつづけ、その念に従って幽体に病苦をあらわして、この実験において城坂京子氏の母堂が死後十七年間病苦を継続せるごとく、永く霊界において病苦を継続しなければならないのであります。

 では、こういうふうに霊媒を通じて霊魂に話しかけないと、迷っている霊魂は救われないものだろうかというと必ずしもそうではないのであります。城坂京子氏の母堂の霊魂にとっては、今日ああして現界の人から話しかけられて真理を悟る機縁が熟したのですが、他の霊魂にとっては、霊界における先輩の諸霊たちに諭(さと)されて真理を悟る場合もありうるのです。

霊媒というものはそう多数あるものではありませんし、霊媒の存在すら知らぬ人も多い。霊媒を通さなければ人間の霊魂が真理を教えられることが出来ないとしたならば、人間はほとんど救われないということになりますが、そんなものではないのであります。

迷える霊魂は霊界の先輩から直接に導かれることもあり、現実界の人間から霊媒を通して、または通さずに導かれることもあります。この実験に立ち会われた有元氏の父の霊魂などは、有元氏自身が霊媒も何もなしに、私の勧めた方法により直接父の霊魂を呼び出して、毎日仏前で『生命の実相』を説いて聞かせることにしたら霊界の父が真理を悟って救われたのであります。有元氏は次のように言っていられます。

「子が親の霊を招びだすのですもの、その親の霊が出て来ないということはありませんよ。私は糖尿病にかかって神経痛を併発してどうしても治らない。今井先生の使う女医の霊媒にも頼んで、禍(わざわ)いしている数個の霊魂を処分しましたがそれでも治らない。それで最後に『生長の家』に来ますと、わたしの親父の霊魂が霊界でまだ依然として肉体をもっているように信じ、その信念に従って私の父は霊界へいっても、まだ糖尿病を持続しているのであるから、その父の霊魂を招び出して『肉体は本来無いから、病気も本来無い』という真理を説いて聞かせてやれといわれましたので、毎日父の名を呼んでは、その真理を説いて聞かし『生命の実相』を読んできかすことにしましたら、霊界の父の糖尿病が治ってしまった。

そのためにその糖尿病の念波を自分に送らなくなり、自分の糖尿病も治ってしまったのです。どうして父の霊魂の糖尿病が治ったということがわかるかといいますと、実は私の父は糖尿病に神経痛を併発して死んだので、その父の霊魂がなんとかしてすくわれたいと思って、糖尿病の念波を送ってくるためでしょう。

念波の影響で私と私の弟が“同時に糖尿病になっていたのです”。それでもし父から発する糖尿病の念波でわれわれに病気が起こっていたものならば、霊界にいる父の糖尿病がなおったら、私の糖尿病と弟の糖尿病とが同時に治るはずである。ところが、今日東京から大橋という親類の者が来て聴きますと、“弟の糖尿病も治っているんですよ”。その証拠人として明日はその大橋を道場へ伴れて来ますがね。当時わたしは自分の糖尿病が治った時、人から病気のことを尋ねられると、『糖尿病は治りすぎましたよ』という言葉が口癖のように何心なく口から飛び出してくるのでした。ところが言葉の力は不思議なものですね。実際『治りすぎていた』のでして、わたしが治っただけではなく、霊界にいる父と私の弟と三人一緒に治ったのですからねえ。」>>(P.152−155)





降霊実験会後記(2)(『生命の実相』第10巻・霊界篇下巻(P.155−159)


<<これは元慶大教授有元新太郎氏の述懐談でありますが、有元氏の場合と同様に、霊界で迷える霊魂の悩みを解くと現実界の人間が二人同時に、同じ病気が癒った実例がほかにもあります。その人は大阪高商を卒業して、熊本の某会社に勤務していられるかたでしたが、ある時商用で大阪へ来られたついでに、甲子園へ野球を見に行かれた。野球が終って帰ろうとすると、多勢の観覧者が一度にドッと同一の道に溢れて、身動きもできないように互い互いの身体がギッシリ押しつめられたのです。その時この人は「このまま身動きができないように押し込まれたらどんなになるだろう」とフト思った・この考えはホンの瞬間的にこの人の頭をかすめただけでありましたが、それ以来いかなる乗り物に乗っても、この乗り物の扉がこのまま開かなかったら自分はどうなるだろうかという恐怖心が起こって、いても立ってもいられない。

その状態はだんだんひどくなって、ある時、社用のため、自動車で数里の道をドライブされたが、その時も「このまま、この自動車の扉が開かなかったら」と思うと、とてもそのまま継続して自動車に乗っていることができないで、社用を果たさずに自動車を中途で下りられたくらいでありました。「こんなことでは会社の仕事にも差し支える、それにこの正月休みには郷里の東京へぜひ帰らねばならない。数里の道でも自動車を中途で下りねばならぬほどであるから、熊本から東京までも汽車に耐えうることは誠におぼつかない。なんとか治らないものだろうか」という相談を九州からわたしの所へよこされました。

私はその相談の手紙を見ると、「これはこの人の親類に浮かんでいない霊魂があって、その霊魂が現在、幽界の暗い所に幽閉せられている。その幽閉せられていることがとても耐え難い感じであるので、誰か自分を救ってくれるものはないであろうかと思って、最も親しい人にその幽閉恐怖の念波をおくっているのだ」ということが直覚されましたから、そのことを返事に書いて

「ともかく、正坐合掌して精神を統一し、自分にわざわいしている霊魂よ」と呼びかけ、こう呼びかけると必ず感応して出て来るものでありますから、その霊魂があなたの眼にみえなくともそこにきているのであるから、その霊魂にいい聞かせるつもりで「東京へ帰郷したらよくお前の霊魂をしらべて必ずお前の救われるように努力するから、東京へ行くまでの汽車の中で騒がないようにしてくれ」と低声(小声)で力強い声でいいきかしておいて東京へ発(た)ちなさい。おそらく東京へ着くまでは大丈夫でしょう。東京へ着いたら親類縁者で、あなたに縁の深そうな者で迷っているような霊魂は無いかしらべて、もし迷っているような霊魂があれば墓参をして霊魂の悟りのために『生命の實相』を読んであげなさい。もしわたしのいうことが疑わしかったら、九段の靖国神社裏に東京心霊相談所というのがあって、毎月十日から三日間、霊媒で有名な中西りか女史が出張していて、心霊科学研究会の浅野和三郎氏がその霊媒に立ち会って、どんな霊魂があなたに障(さわ)りをしているか審判(さにわ)をしてくれるから、東京心霊研究所へ行って私の鑑定と一致するか試してごらんなさいと薦(すす)めておいたのであります。

すると一月の中旬、その方が東京からの帰り途(みち)であるといって生長の家へ立ち寄られて話されましたのによりますと、「ちょうど、東京へ帰って調べてみると、先生のおっしゃったような親類の霊魂があった」というわけです。この質問者は、幼少より父母を失って叔父(おじ)の家で姉弟とも養われていたのですから、その叔父の息子すなわち従兄(いとこ)とは大変親しい間柄であった。ところがこの従兄が親と意見が合わないというので、親の家を飛び出して流浪しているうちに肺結核にかかったのですが、親不孝で勝手に家を飛び出して血統(ちすじ)にもない肺病になるようなものは関(かま)いつけないというので、看病にもいってやらず、そのまま病が重(おも)って死んだのですが、祭りもろくろくしてないというような事情になっていましたので、その従兄が他界しても行く所へも行けず、誰かにすがりつきたいような気持ちでいるということはありそうなことであります。

はたしてしからば現界にいたとき最も親しかった人間――すなわち幼児から一緒に育ったこの誌友姉弟に頼って、なんとかして救われたいと思うにちがいないのですが、不思議なことには、この誌友が上京して姉に会ってみられると、その姉もこの誌友と同様乗り物恐怖症を患っていて、電車や汽車などに乗って、車掌が扉を閉めるのを見ると、たまらなく幽閉の恐怖を感ずるようになっていたそうであります。

すなわちこれは霊界の暗い所に幽閉されている従兄から放送された幽閉恐怖症の念波が、地上に残っている最も親しい従姉弟(いとこ)同士に同時に感受されてきたためにちがいないので、もし、これが本当ならばこの霊界に幽閉されていると思われる霊魂が、人からお経を誦(あ)げてもらうとかお供養してもらうとかして、その霊魂が救われた暁には、幽閉恐怖の念波を現実界のこの姉弟(ふたり)に送らなくなるから、この二人は同時に幽閉恐怖症から救われねばならないはずです。ところがこの誌友が、わたしの指示したとおりにこの霊魂を供養した時、この二人の乗り物恐怖症がほとんど全部治ってしまったのでありました。これはこの誌友が来られての実話なのですから間違いはないのであります。


 この実例でもわかる通り『生命の實相』を読んでなお、完全に治せざる医療不治の慢性病が家族中にある場合には、祖先の霊魂中、霊界においてなお悟らず、生前の病苦を継続せる者よりの哀願の念波の感応せる場合が多いのでありますから、祖先を祭祀せる仏壇、お厨子(ずし)などの前にて「某々(なになに)家先祖代々親族九族一切の諸霊よ、庶幾(こいねがわ)くは『生命の實相』の功徳により霊界にて悟りを開きて無限向上の道に入り給へ」と念じて後、聖経『甘露の法雨』、聖経『天使の言葉』、聖経『続々甘露の法雨』を毎日かわる代わる朗読し、『生命の實相』の「實相篇」、「光明篇」および「教典篇」を順次読経のつもりにて朗読せられれば、霊界の先祖縁者の苦悩消え、現界の病人も治る例が多いのであります。>>(P.155−159)




<註・コメント>


* 特に、個別霊供養について

上記、開祖・谷口雅春先生のご文章中、先祖供養(先祖代々親族縁族九族の供養)の他に特定の「個別霊」供養のことが説かれていることに注意しておかねばなりません。「個別霊供養」が必要なときとは、――

(1)上記の<『生命の實相』を読んでなお、完全に治せざる医療不治の慢性病が自分または家族の中にある場合>であり、

(2)医療を受けても難治、不治の病気以外の問題、すなわち、結婚・離婚・家庭内不調和および暴力・対外的人間関係・子供の登校拒否・引き篭もり等々、一般常識による努力だけでは解決困難な場合には、霊界の近親者の不成仏霊の存在によるケースが考えられます。

その問題に関連の不成仏霊が確定できる場合はその特定の不成仏霊魂を招霊して“一定期間”の「個別霊供養」をして差し上げることであります。

しかし、その問題に関連ある不成仏霊魂が誰であるか分からないときは、上記の御文章にある如く、<「ともかく、正坐合掌して精神を統一し、何某にわざわいしている霊魂よ」と呼びかけ、こう呼びかけると必ず感応して出て来るものでありますから、その霊魂があなたの眼にみえなくともそこにきているのであるから、その霊魂にいい聞かせるつもりで

「庶幾(こいねがわ)くは『生命の實相』の功徳により霊界にて悟りを開きて無限向上の道に入り給へ」と念じて後、聖経『甘露の法雨』、聖経『天使の言葉』、聖経『続々甘露の法雨』を毎日かわる代わる朗読し、『生命の實相』の「實相篇」、「光明篇」および「教典篇」を順次読経のつもりにて朗読>してその不成仏霊魂を悟りに導いてあげ、高き霊層へと昇られるよう祈念して差し上げる事であります。







先祖供養軽視の社会的風潮を改善する事こそ宗教家の使命――開祖・谷口雅春先生の説かれた先祖供養および個別霊供養を学ぶ<第六回> (4882)
日時:2014年08月21日 (木) 08時09分
名前:信徒連合



先祖供養、および個別霊の供養


<第六回>




特に、中絶児供養について(1)(『霊供養入門』(P.214−226)


自然流産と人工流産

<<自然流産は、その宿っている霊魂が、子宮内における体験を意識的に経験してそれを卒業し、もう再びその体験を継続する必要のない場合に、その霊魂が母体から去るのであるから、何ら不自然なことはないのであるけれども、人工流産は、せっかく生まれ変わる必要を感じて受胎してきた霊魂を強制的に霊界に復帰させるのであるから、これは大変な霊魂にたいする冒涜(ぼうとく)であり、大いなる罪を重ねることになるのである。それは恰(あたか)も、大学へ首尾よく入学した学生が勉強の最中に、本人の過ちにもよらず、本人の意思にもよらず、強制退学を強行させられるようなものであって、その霊魂は非常なショックを受けるのである。>>(P.214)



小児麻痺と人口流産児の霊との関係

<<人間は突如として殺される場合、その霊魂は、その殺害時の苦痛その他のショックによって、目を廻して人事不省に陥るのである。そして霊界に移行して後もその無意識状態はある期間つづく。その期間の長短はその霊魂の発達の程度によるのであって一様ではないのである。高級の霊魂ほどその無意識状態は短く、速く目覚める。未発達の霊魂は永く無意識状態を続ける。さて霊魂が霊界に於いて目を覚ましたとき(意識を回復したとき)すぐ思い出すのは死の直前の状態である。胎児が殺されて堕胎(だたい)せしめられた場合、彼の霊魂が霊界で目覚めると、自分が子宮の中で羊水(ようすい)の中に浮いていた状態を思いだすのである。そして自分がまだ胎児であって、手足が充分動かない状態であることを思い出す。

霊界は心で思った通りの状態が、唯心所現的に出現するので、彼の意識的体験としてはそのような状態を具体的事実として体験するのである。しかし、母の胎内にいた時とは何だか状態が異なるのである。彼は誰かに救われたいと思う。誰かに縋(すが)りつきたいと思う。その思いが放送されて、それを不幸にして受信して受像した子供(または大人の場合も稀にある)は、水子(みずご)のような姿を自己の上に受像再現して、手脚が充分きかぬ、頭脳も明瞭でない小児麻痺的症状を呈することになるのである。人工流産児の供養によって、小児麻痺の治った例が起こるのは、その病気の背後にある流産児の霊が、聖経読誦の功徳によって悟りを開いて正常状態になり、その病的症状を放送受像させなくなるからである。生長の家の宇治別格本山に人工流産児供養塔が建立され、同様の霊魂を合祀(ごうし)して以来、小児麻痺患者が減ったのは事実である。>>(P.215−216)・

<(註・コメント)にもかかわらず、第三代目・谷口雅宣先生は人工流産児供養はすべての場合に効果があると云う事は出来ないとして、一部の対策とはなっても確実なものではないと懐疑的に考えられており、霊魂の事は現代社会の理性に反するとして信じておられないのであります。従って、第三代目・谷口雅宣先生は実際的には唯物論者であることがわかるのであります。>




ある奇病の治った話


<<流産児の霊魂の状態が、その霊波の放送を受けたために、流産児の羊水中にある状態を再現した不思議な病人の実話がある。
 彼は、満州にいたとき重い腎臓炎にかかって医療によって治ったのであるが、その予後に不思議な症状にとりつかれた。彼は、就眠中に非常に多量の盗汗(ねあせ)をかいて夜は三度位ビショ濡れになった寝間着を取り換えなければならないのであった。満州の医者に相談しても原因不明で治療の見込みがないので、彼は日本へ帰ることにした。

途中、大連を通過した際、当時大連に和田敬三という人が主宰している生長の家の大連支部へ立ち寄って話を聞き革表紙の『生命の實相』一冊を頒(わ)けて貰って船の中で読み日本へ帰ったら、真っ先に生長の家本部へ立ち寄って直接指導を受けたいと思って来たのだった。本部で流産児を祀(まつ)る形式や方法をきいて宿舎へ帰り、奉書(ほうしょ)の紙に流産児の名前を書いて宿舎の床の間に祀って、聖経『甘露の法雨』を二回、流産児の霊の悟りのために読誦して眠りについた。いつも三回も夜半に目覚めて寝間着を取り換えるのに、その夜にかぎって久し振りに朝までグッスリ眠ることができた。そして寝間着を取り換えようと思って見ると、少しもその寝間着が汗で濡れていないのであった。

それきり彼のこの奇病は治ったのであったが、これは霊界で目覚めた流産児の霊が羊水の中に浸りながらいる状態を生前の記憶が甦って再生し、その水浸しの状態を霊波によって放送し、それを父親である彼が受像して、父親自身が恰も、羊水の中になお浸っている状態を再現して、全身ビショ濡れになっていたのであった。

 以上は自然流産児の場合の胎児の霊魂の話であるが、人工流産児の場合は、堕胎用器具による外傷的または薬剤による障害を加えられた結果、死して半産するのである。そして肉体を脱出する直前の記憶をもって人事不省状態に入った霊魂は、霊界で目ざめると、その直前の記憶が意識によみがえる。「意識の状態」そのものがその霊魂が霊界で体験する「彼自身の状態」であるから、記憶に甦ったところの堕胎用機械による傷害苦痛(又は薬剤の刺激による苦痛)が、彼自身の霊界に於ける苦痛として継続するのである。例えばナイフで咽喉を突いて自殺した霊魂が、霊界で意識を恢復すると、霊界でいつまでも咽喉をついて苦しむ状態が再現して苦しむのである。

それと同じく霊界で目覚めた堕胎児の霊魂は、堕胎器具で脳骨を突き刺して引き出したとすれば、悩骨に器具が突き刺された状態を意識の体験として霊界で具象化して、長くその苦痛を持続しつつ苦しむことになるのである。母親たる者、自分の胎児がそのような苦痛を霊界で永く継続するとしたら、甘んじて人工流産の手術を受け得る勇気が出るであろうか。>>(P.216−219)




特に、中絶児供養について(2)(『霊供養入門』(P.219−226)


驚くべき日本の“優生保護法”(現・母体保護法)

<<最近婦人のノイローゼ患者が殖えているということであるが、そのような患者が救われたいというので精神指導を受けるべく訪問して来た場合に「あなたは人口流産したことがあるでしょう」というと大抵当るのである。それほど人工流産は日本の若い女性の間に蔓延しつつある悪習慣となっているのである。何しろ、毎年正規の届出のあった人工流産数が最近では六十万人前後であり、未届け者がその倍数もあるというのであるから、毎年約百二十万人の胎児が闇から闇に葬られているのである。こんな悲惨なことを放置してもよいものだろうか。

妊婦の中には、腹の中の子供が可愛くて仕方がないので堕(おろ)したくないのだけれども、夫や姑が「堕(おろ)せ、堕せ」と勧めるので、その勧めに抵抗し得ないで堕す女性も沢山あるということである。それは、現行の優生保護法が、「一人の医師がその婦人を診察して、この人が子供を産んだら経済上に困難を来たすと判断した場合には堕してもよい」ということを規定しているからである。医師が婦人の肉体を診断するのではなく経済状態を診断して合法的に堕胎(だたい)するというのだから、日本の法律も随分堕落したものだとおもうのである。これが果たして実際に優生の目的にかなうのだろうか。>>(P.219−220)



子供の非行の背景にある“流産児の怨念”

<<人工の場合も、自然の場合も、流産児の霊がまだ救われずに迷っていると、その迷っている念波が現実界に送られてきて、近親者や子供にひっかかることがある。すると子供が脱線したり、非行化することになる。特に、人工流産の場合は、中絶児の霊魂はそのお母さんや親を憎んでいる事が多いので、憎しみの念や、恨みの念を送ってくるのである。

 これは何故かというと、前述したように、人間がこの地上に生まれて来るのは、自分で生まれようと思って来るのではない。生まれかわりを続けている生命に対して、神様が「この霊魂は今度はこの両親のあいだに生まれ変わらせてあげて、地球上のいろいろの経験を積ませ、魂を向上させてあげよう」とお考えになるのである。人間は、この神様の御心をうけて母親のお胎(なか)へ宿って来るのである。しかし、それを親の都合で、経済上の理由とか、世間を欺(あざむ)くために殺して出してしまう。すると霊魂にとっては、地上に生まれて来て、魂を磨かれ、より高い段階にまで向上しようと思っていても、それが妨げられるので、非常に憤慨する。

そして復讐的にイタズラをする霊魂も出てくるわけである。こういう霊魂は、“念波操縦”とでもいうべき方法で地上に怨みの念波を送り、これに影響されて子供が親に反抗したり、勉強しなくなったり、あるいは非行グループの中に入って、親がどんなに注意しても非行を重ねる――というような現象が起こってくることになるのである。

 このような場合は、流産した霊魂に名前をつけて、祀ってあげることが必要である。流産児に名前をつけるのは、霊界でも名前のない霊は、今まで名前がなかったので、呼ばれても悟りようがなかったし、いろいろと不都合が生じるからである。現象界でも名前がなければ、例えば学校で先生に呼ばれないなど、人と人とのコミュニケーションが断絶して孤立化してしまう。これと同じように、霊界でも無名の霊は孤立して霊的生長の機会を失ってしまうので、流産児にも必ず名前をつけて、位牌にはその名前を書いて、「あなたには今後こう云う名前を付けて呼びますから、その時、必ず祭壇にお出でください。」と申し上げる。「すると、私は『甘露の法雨』を読誦して差し上げますから聖経の真意をよく汲み取りて悟りを開いて霊の向上に資してください」と、このように聖経読誦の理由を申し上げることが大切である。

すると、今まで名前がなかったので聖経読誦を聴聞する機会を失っていたのが、真理を聴聞する機会を得て霊が向上し、グレていた自分の子供が、正気にもどり、さらに優良児に変わってしまうような実例も沢山出てくる訳になるのである。>>(224−226)




特に、中絶児供養について(3)(『霊供養入門』(P.220−224)


舞踏病が治った話

<<「舞踏病」というのは、患者がじっとしていようと思っていても、手が踊りを踊るように動いたり、自分の頭をたたいたりしてしまう病気であるが、霊供養によってこの舞踏病が治った例もあるのである。

 これは九州の小学校で校長をしていた竹下氏の体験である。竹下氏は或る日、生長の家で舞踏病が治った実話を聞いて、「舞踏病というのは面白い病気だ。私も一つ、そういう病気を治してみたいな」と思っていたそうである。するとやがて、竹下氏のいる生長の家の支部へ実際に四十歳ぐらいの舞踏病の人がやってきて、「先生、これを直してほしい」と言うのである。竹下氏の聞いていた舞踏病の治験例は、患者が自分の親に非常な反抗心をもっていて「親を殴ろう」と思っても、実際には親は殴れないので、じっとその気持を抑えていた人の話であった。その人は「殴りたい」という気持を抑えていたら、手がひとりでに動き出したというのである。そこでその人の心を「親に感謝する心」に導いたところ、舞踏病は治ってしまったのであった。

 竹下氏はそのことを思い出して、今度の人もやはり親に反抗して「殴ろう」などと考えているかもしれないと思って、「親への感謝」を起させるような指導をしたが、それでも治らなかったのである。そこでよくよく考えてみると、竹下氏は、そういう場合、自分が動かそうと思わないでも手足が動くような場合は、霊の世界から遠隔操縦されていることがあると教えられていたことを思い出した。そこで、「あんた、誰か知っている人に、迷っている霊魂、あんたを思いつめておったりして、そして死んだひと。そんな人はいないのですか?」と聞いた。すると、「私は青年の時代に、ある女性と恋愛して、そして結婚したいと思ったけれども、そういう田舎ではね、家柄とか何とかいうのがやかましくて、そして結婚できないで、悲しく別れた。別れてから、その女性が気がついたら妊娠していた」というのである。 これは戦前の話で、戦後の民主主義の時代では、こういうような未婚女性の妊娠を恥ずかしいと思わない人が多いけれども、戦前の封建的時代で、しかも田舎では、そういう“父(てて)なし子”を孕(はら)むということは大変なことだったのである。

 そこでこの人が続けるには、「その女性は結局、涙をのんで海に身を投じて死んじゃったんです。それはね、死ぬ時には、私のことを思いつめておったとおもいます」というわけなのである。
 そこで竹下氏は言った。「それじゃね、その霊魂の位牌をこしらえて、それで腹の中にいた子供にも名前をつけてあげましょう。今ここでは、仮に紙で位牌をこしらえてあげるから、私と一緒にこの『甘露の法雨』をよみましょう」。

『甘露の法雨』の読誦を二人で始めたのである。竹下氏が前に座り、その後ろに舞踏病の人がすわった。すると、『甘露の法雨』の終わりの方の「人間」という項まで読み進むと、竹下氏の後ろの方で突然、バタッと人の倒れる音がした。それっきり、舞踏病の人の声はしなくなってしまった。竹下氏が読み終わって後ろを見ると、その人はその場に死んだように倒れているというのである。竹下氏は「これ、どうしたらよかろう」と困惑してしまった。

 その時、竹下氏は私の書いた『耶蘇(耶蘇)伝』(イエス・キリストの生涯を戯曲に書いた作品。『生命の實相』第32巻収録)のことを思い出したというのである。その中には、ある人が癲癇(てんかん)で倒れているのをキリストが見て、「起きよ!」とおっしゃると、その人がムクムクと起き上がるという場面がある。その箇所を思い出した竹下氏は「イエスのまねをしてやれ」と思い、意識を失って倒れている舞踏病の患者に向かって、「起きよ!」と言った。すると、その人はムクムクと起き上がってきて、もうそれきり舞踏病が治ってしまったのであった。>>(P.220−224)












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