生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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献労の意義ありや <谷口貴康氏ブログ>  (4860)
日時:2014年08月19日 (火) 20時30分
名前:サーチャー


<トキ掲示板(本流対策室/5)>

8963 :トンチンカン:2014/08/19(火) 19:27:16 ID:itK3HnHY

マサノブ爺さんへの<意見具申>か・・・


<谷口貴康氏ブログ>   献労の意義ありや  2014/8/19(火) 午後 4:06
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 私達がかつて奉職し生活していた長崎の総本山では、住吉本宮ご造営前の開墾時代より
今日まで数十年にわたり、農作業や森林管理などを日が暮れるまで行う献労農事という練
成部門があり初期のころは総務を先頭に職員のほぼ全員がその作業にあたっていた。


 谷口雅春先生のご指示で作物は出来うる限り無農薬としたため、それに満足な土作りは
何年もかかる大変な労作であった。出来上がった作物は神前に毎日捧げれ、その残りは練
成会に来られる人のために炊事場の係りの人へと運ばれた。


 太い木がはえてしまった山の休耕田を再び開墾して米作りも行った。その米は神饌米と
して奉納されそののち全国の教区に分けられた。自分たちで作った作物が神饌作物となり
そののち人のお役に立っている事が何よりの喜びとなり手の豆が潰れても誰もが労を厭わ
なかった。練成ではたくさんの奇跡がそこから生まれた。


 さて、最近家庭菜園を作る人が増えてきた。それは良い事だと思う。都会育ちの人がど
れほど農家の人達が苦労して作物を作りそれによって「助け合って生活しているか」を知
る機会となる。農家が60円で出荷するキャベツの苗を100円で買ってしまう人もいる
がそれは趣味の範囲ならご愛嬌だ。


私の勤めていた団体が最近八ヶ岳山麓で野菜などを作り始めているらしい。それはそれで
結構だが、何のために作物を作るのかが今一つ良く分からない。


 自然とともに生きることの大切さを生活で実践するモデルとなるという事らしいが、農
作業は全国の農家で古代から行われている。私達が長崎で「献労」していたのは「神に捧
げる」「人に捧げる」事を主として意義のあるものであった。


自給自足の生活をするわけでもないらしい。都会と同じ潤沢なサラリーをもらいながら家
庭菜園を少し大きくした程度の作物づくりでは目的が攫めない。モデルとなるとは一体ど
のような事なのだろう。その生活様式は国民が等しく行う事の出来る可能性があるのであ
ろうか。少なくとも一割の人が「給料をもらいながら農作業をする」という夢がかなう世
界がどこにあるのであろうか。


「神に捧げ人に捧げ互いを潤す」という農業の原点はすでに各地で日常の営みと


祭りとして行われている。その団体においてはすでに長崎で数十年前から続き「献労の意
義」として伝えられている。自分たちのいただいている給料はいかなる思い(願い)の集
積であるかを考えてほしい。「聖使命会」の使命とは何か。


 日本国の實相顕現。天皇陛下を中心とした理想国を御守りすることを鎮護国家という。
それが住吉の大神のお働きでありそれを行動化する事が使命ではなかったのか。世界平和
の基(もとい)となるものが日本国(ひのもと)であると師から教えられたのではないの
か。各自が熟考し振り返る秋となってほしい。
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・『私の勤めていた団体が最近八ヶ岳山麓で野菜などを作り始めているらしい。それはそ
 れで結構だが、何のために作物を作るのかが今一つ良く分からない』・・


・『自給自足の生活をするわけでもないらしい。都会と同じ潤沢なサラリーをもらいなが
 ら家庭菜園を少し大きくした程度の作物づくりでは目的が攫めない。モデルとなるとは
 一体どのような事なのだろう。その生活様式は国民が等しく行う事の出来る可能性があ
 るのであろうか』・・


・『自分たちのいただいている給料はいかなる思い(願い)の集積であるかを考えてほし
 い。「聖使命会」の使命とは何か』・・



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