生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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《連載!》「生長の家暗黒の30年史」を辿る…なぜ、谷口雅宣総裁を“確信犯”というのか?! (光明掲示板より転載) (4901) |
- 日時:2014年08月22日 (金) 14時45分
名前:神の子A
《連載!》「生長の家暗黒の30年史」を辿る…なぜ、谷口雅宣総裁を“確信犯”というのか?! (10351) 日時:2014年07月22日 (火) 19時02分 名前:破邪顕正
私は、谷口雅宣総裁について一貫して“確信犯”だと評してきました。
谷口雅宣総裁が教団に乗り込んできてからの30年は、まさしく谷口雅春先生の「教え」を換骨奪胎し、“今の教え”に塗り替えるための年月であったと思うからです。
この30年間に生じた様々な点と点を結び、それを一つの線とし、そして面にしていけば、それが自ずと明らかになるはずです。
それは、「生長の家」にとっては、谷口雅春先生の「教え」が消えていくのみならず、谷口雅春先生のご存在そのものが消し去られていく、まさしく「暗黒史」としか言いようのないそれでありました。
この「生長の家暗黒の30年史」を俯瞰することで、一人でも多くの信徒が、所謂“お孫様信仰”から目覚めていただければ、これにすぐる悦びはありません。
《谷口雅宣氏の思想と言動》
一言で言うならば、谷口雅春先生への反発が全ての根源であります。
それが具体的には、「占領憲法」の擁護=民主党支持となって表面化しているわけです。
今や「生長の家教団」は、単なる環境運動団体へと堕してしまい、教勢は衰退の一途を辿り、祖国・日本と全人類に対して何らの影響力も与え得ない非力な団体として存在しているに過ぎません。
こんな姿を谷口雅春先生がご覧になられたら何とお嘆きになられるだろうかと、本当に歯噛みするような思いでおります。
《いま生長の家に起きていること》
今、生長の家教団では、世界の宗教史における前代未聞のことが起きています。
教祖を封じ、教祖を否定し、教祖の『聖典』を絶版にし、教団を乗っ取り、そして、自分の「教え」に信徒を洗脳しているわけです。
「人類光明化運動・日本国実相顕現運動」を否定し、その上で、谷口雅宣総裁は自分が受け入れる部分だけで谷口雅春先生の教えを自己流に改竄して信徒に語っています。
たとえば「心の法則」は 心理学や精神世界分野での「心」から語り、「愛国」「日本」は最も受け入れない部分として、「天皇」を語らず、民主党を公然と支持し、国家否定のグローバリズムを語るわけです。
「朝日新聞」と同じく、自民党、安倍首相を憎しみをもって批判し、その反面、中国、韓国、北朝鮮、尖閣諸島、竹島、拉致問題については、未だに口をぬぐったままでいます。
《教えへの背信経緯》
○昭和58年…「生政連」解散(活動停止)(総裁は、当時、生長の家理事)
○昭和59年…「日本を守る国民会議」脱退(愛国運動からの事実上の撤退!谷口雅春先生はその前身である「日本を守る会」の結成において「生長の家の一つや二つを潰してもかまわない」とまで仰った!)
○昭和60年6月17日…谷口雅春先生ご昇天「實相無相光明宮大真理説授正思惟大聖師」
○昭和63年…谷口輝子先生、谷口清超先生、谷口恵美子先生の委任により、著作権は生長の家社会事業団にあるとの文化庁への「著作権登録原簿」に搭載される。
○平成元年…「両軸体制」スタート →このときに「神誌」という呼称が否定され「普及誌」となった。 →「普及誌」には、谷口雅春先生のご文章が殆ど掲載されないということになった。ここに谷口雅春先生の否定の萌芽を垣間見ることができる。(当時、生長の家副理事長)
○平成2年…『理想世界』誌上に「ネットワーク考」を連載し、大東亜戦争侵略論を展開する。(11月、副総裁になる)
○平成3年…「宇治盂蘭盆供養大祭精霊招魂神社大祭祝詞書き換え」 →書き換えたことの隠滅をはかるため『魂のふるさと―宇治』を絶版にする。
○平成4年…谷口雅春先生新刊発行停止、既刊書重版停止(「内容上の理由」32点)
○平成5年…「国際平和信仰運動」を提唱 →「日本国実相顕現運動」を否定するものとして打ち出す。そのスローガンが「国をこえ、民族をこえて」
○平成7年…「鳩のシンボルマーク」が制定される。 →「聖旗」の“光輪卍十字架”のマークが「ナチス」を連想させるという名の下に!
○平成11年…谷口雅宣氏総裁代行
○平成12年…ISO14001取得の提唱 →環境運動一本への傾向が始まる
○平成13年…「参議制度」が新設 →この規約改正によって、谷口雅宣総裁の独裁体制が確立する(教団完全支配)
○平成15年…“森の中のオフィス”構想の発表。 →“「神示」は注意して読め”の発言(ニューヨークの教修会にて)
○平成16年…「新教連」を教団から切り離す
○平成18年…総本山「鎮護国家特別誓願券」の書き換え。「鎮護国家」を外し「世界平和」に!
○平成19年…環境運動本格化
○平成20年…谷口清超総裁先生ご昇天。諡号に「大聖師」を入れる。「實相無相光明宮弘誓通達大慈意大聖師」。 →「大聖師」は谷口雅春先生のみ、という谷口清超先生のお考えを無視する!
○平成22年…「霊牌」焼却をやめ、燻炭化→「霊牌」のミイラ化。CO2削減のためと称する。
○平成23年…「総本山は聖地ではない」と発言(谷口雅春先生26年祭にて)
○平成24年…『大自然讃歌』『観世音菩薩讃歌』を発行(「聖経」代替物として)
○平成25年…「ご神像」の撤去、“森の中のオフィス”へ移転。
○平成26年…「原宿本部会館」の解体が始まる。
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《谷口雅宣総裁の「谷口家」縁者への弾圧の数々》 (10364) 日時:2014年07月23日 (水) 08時26分 名前:破邪顕正
谷口雅宣総裁という人は、実に器量が小さい人物であります。
それが象徴的に表れているのが、きょうだい、親類、縁者へのヒドイ仕打ちです。
とにかく、自分以外の者が目立つこと、いいポジションに就くことがユルセナイ人なのです。
○平成14年…荒地光泰氏(谷口雅春先生のひ孫)本部採用の取り消し。 谷口雅宣総裁一家以外の縁者が教団に入ることを嫌ったため。 この時から、「生長の家」を谷口家ではなく、「谷口雅宣総裁一家」の私物化にしたいとの思惑が明らかとなる。
○平成14年…宮澤潔先生の懲戒解雇。 谷口雅宣総裁は、宮澤先生のご存在を疎ましく思っていたことが明らかに。 それを如実に物語るのが『奇蹟を生ずる実相哲学(下)』の絶版である。 なぜ、(下)だけが絶版なのか。その「はしがき」に、谷口雅春先生と宮澤先生との深い結びつきを覗わせる内容が記されていたからである。 谷口雅宣総裁としては、宮澤先生が自らの「総裁」の座を脅かす、コワイ存在に思えたのだろう。
○平成16年…谷口貴康先生を退職に追い込む(総本山総務から宮城教区教化部長へと異動)。 退職時、わざわざ降格させて退職金を減らすよう画策。 その余りにも情け容赦ない仕打ちに、時の吉田理事長が反発して、吉田理事長判断でその画策は頓挫することとなったが、これが後々、吉田理事長の寿命を縮めることになったと言われている。
○平成16年…荒地浩靖理事を札幌教化部長へと異動させ、理事職からも降ろす。 こうして、谷口家の縁者で理事職につく者は一人もいなくなる。
○平成20年…谷口清超先生の通夜で、荒地浩靖先生、宮澤潔先生の出席を拒否。 また、この時、お二人を出席させようとした谷口恵美子先生に対して、谷口雅宣総裁は「アンタ」呼ばわりする。 こののち、谷口恵美子先生は、子供や孫と自由に会うことができなくなり、所謂、軟禁状態におかれ、あまつさえ、毎月、家賃等で100万円(うち40万円は家政婦)を徴収されることとなる。
○平成26年…谷口恵美子先生は「成年後見制度」を強要されて、通帳と実印とを取り上げられることに。 そして、この4月、谷口恵美子先生は軟禁状態のお山から高知の宮澤先生ご夫妻の元へと脱出される。
《『聖典』絶版とその背景にあるもの》 (10372) 日時:2014年07月23日 (水) 19時46分 名前:破邪顕正
何かにつけ、谷口雅宣総裁を擁護する人が、未だに明確な反論ができないでいるのが、谷口雅春先生の『聖典』に対する絶版処分であります。
本来であれば、この一つだけをとってみても、谷口雅宣総裁を擁護などできるものではないのです。
それほどまでに、重大なこの問題について、改めてその背景からここで整理しておきたいと思います。
(1)『聖典』絶版の前史
中村燦先生の『大東亜戦争への道』や高橋史朗先生の本、そして蔡焜燦先生の『台湾人と日本精神』が「日本教文社」から出版されなくなる。
もちろん、愛国運動が嫌いな谷口雅宣総裁の横槍が入ったからである。
これによって、外部愛国派の書籍を発刊することで、確たる地位を占めていた「日本教文社」の出版界における評判はがた落ちとなってしまった。
(2)谷口雅春先生の『聖典』の弾圧の経緯
@平成4年…谷口雅春先生の『新刊書』停止
平成4年7月15日、渋谷東急インでの取締役会(中島省治、鈴木卓朗、宮本三男、永井光延、辻信行、谷口雅宣、三浦晃太郎、磯部和男の8名) →谷口雅春先生の『聖典』はもう古いからとの理由で、今後、一切の新刊聖典の発行を止める。
A平成4年前後から…絶版リストの作成に基づき、次々に重版ストップ32点。
Bそれ以降…谷口雅春先生の新刊聖典の発行は無し。
※例外1点として「谷口清超編纂『大聖師御講義「続々甘露の法雨」』」(平成5年)があるが、それとても、わざわざ、谷口雅春先生の御講義であるにもかかわらず、「谷口清超編纂」としなければ発刊できなかったのである。
(3)『生命の實相』に対する弾圧
@「日本教文社」では、何回か『生命の實相』をリニューアルして発刊すべきとの提案がなされたが、それもすべて谷口雅宣総裁によって握りつぶされた。
A谷口雅宣総裁の『生命の實相』への消極的態度
○ある教化部長が、講習会の前講で『生命の實相』の素晴らしさを取り上げたところ、その教化部長に対して、谷口雅宣総裁は苦々しい顔で「『生命の實相』だけが聖典ではない」と言い、『生命の實相』を持ち上げないように釘を刺した。
○講習会の幹部会で、ある教化部長が『生命の實相』をテキストとした勉強会に力を入れていると報告すると、後日、谷口雅宣総裁はそれを批判するメールを送った。これをきっかけにして、『生命の實相』をテキストとした誌友会がどんどん姿を消すことになる。
(4)「日本教文社」の現在
『聖典』の発刊はゼロ。昨年の新刊は「日めくり」や日記などの3点のみ。
《谷口雅宣総裁の裁判好きの証拠》 (10385) 日時:2014年07月24日 (木) 09時19分 名前:破邪顕正 谷口雅宣総裁は法学部出身であることが自慢のようです。
だからでしょうか、谷口雅宣総裁が乗り込んできてからというもの、やたらと裁判が増えています。
裁判にかかる費用は、みんな信徒の“浄財”です。
信徒の皆さんは、“徳積み”の一環という思いで献資されているのだと思いますが、果たして、裁判費用が“徳積み”と言えるのかどうか、一連の裁判の内容を見て、ぜひ、ご一考いただければと思う次第です。
@平成13年…蔡焜燦先生の『台湾人と日本精神』を「日本教文社」が一方的に回収する方針を出したことにより裁判となる。
A平成14年…宮澤潔先生の退職金支払い問題で裁判となる(退職を認めず、解雇して退職金を支払わず)。
B平成14年…宮澤先生がご指導されていた「オーストラリア」の独立に伴う裁判訴訟 →この裁判に、教団は約5億円もの巨費を投じた!
C『生命の實相』等の著作権をめぐる裁判
<裁判経緯>
1.発端
「日本教文社」より昭和57年に発行した『初版革表紙『生命の實相』復刻版』の奥付の著作権表示がいつしか改竄され、印税も著作権者である「生長の家社会事業団」に支払われなくなっていたことが発覚。 生長の家社会事業団がその表記の復原と印税未払いの支払を求める。
2.拒否
「日本教文社」はこれを拒否。『生命の實相』の著作権は生長の家社会事業団にはなく、よって印税は支払わない、との驚くべき回答。
3.提訴
「生長の家社会事業団」は交渉を重ねたが、遂に「日本教文社」からは誠意ある回答を得られず、平成21年、万やむなく東京地方裁判所に提訴。
4.契約解除
事ここに及んで、「社会事業団」は「日本教文社」との出版契約をすべて解除。
5.逆提訴
「生長の家教団本部」と「日本教文社」は、反省することなく、逆にこの提訴に対抗。強引に『生命の實相』の「著作権」と「出版権」を主張して、「社会事業団」と「光明思想社」を東京地裁に提訴。さらに「光明思想社」から発刊された『古事記と日本国の世界的使命』の出版差止を求める。
6.完全勝訴
平成23年3月4日、東京地方裁判所において、当然ながら、「社会事業団」と「光明思想社の完全勝訴の判決。
控訴→平成24年1月31日、東京高裁(知的財産高等裁判所)、宗教法人「生長の家」と「株式会社日本教文社」のすべての訴えがことごとく棄却。全面勝訴。
上告→平成25年5月27日、最高裁の勝訴判決。
7.判決の意味
『生命の實相』、「聖経」等の著作権は「公益財団法人生長の家社会事業団」にあることを内外に知らしめた。その著作権者との出版独占契約を結んでいる「光明思想社」の事業も同時に認められた。
<その後の裁判訴訟>
最高裁で判決が出たにもかかわらず、教団側はそれに納得せず、その後も引き続き裁判が係争中。
@「日本教文社」が「社会事業団」と「光明思想社」を提訴(事業団の契約解除は無効、蒸し返し訴訟) …東京地裁勝訴→「日本教文社」控訴、現在高裁で係争中
A「社会事業団」が「世界聖典普及協会」を提訴(「甘露の法雨」テープの印税未払) …東京地裁は著作権を社会事業団に認める判決→普及協会控訴、現在高裁で係争中
B「社会事業団」が「本部」と「教文社」を提訴(お守りと『生命の教育』の発行停止) …現在、東京地裁で係争中
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《谷口雅春先生の「教え」はこのように歪められた!》 (4902) |
- 日時:2014年08月22日 (金) 14時46分
名前:神の子A
《谷口雅春先生の「教え」はこのように歪められた!》 (10409) 日時:2014年07月25日 (金) 10時14分 名前:破邪顕正
言うまでもなく、宗教にとって「教え」こそがいのちであります。
ところが、その最も大事な「教え」を谷口雅宣総裁は勝手に歪めてしまったのであります。
「生長の家」という看板を見て、以前と同じものが売られているだろうと思って買ったら、全く別のものだった…となったら、それは“詐欺”というものでしょう。
それと同様のことを谷口雅宣総裁は現にやっているのです。
谷口雅春先生の「教え」とは似て非なるものを説いていることを、私は決して看過してはならないと思うものであります。
谷口雅宣総裁が教団に乗り込んできてから、どんなに「教え」が歪められてしまったか!
それをここに整理してご紹介することにいたします。
【“今の教え”という考え方】
谷口雅宣総裁の考え方が如実に表れていると思うのが、“今の教え”というそれであります。
“今の教え”ということは、とりもなおさず“古い教え”があるということを前提にしております。
実は、それこそが、谷口雅宣総裁のホンネなのです。
そのことは、谷口雅春先生の『新刊聖典』を発行しない理由でも述べられました。
とても重要なことなので、もう一度、引いておきます。
>@平成4年…谷口雅春先生の『新刊書』停止
平成4年7月15日、渋谷東急インでの取締役会(中島省治、鈴木卓朗、宮本三男、永井光延、辻信行、谷口雅宣、三浦晃太郎、磯部和男の8名) →谷口雅春先生の『聖典』はもう古いからとの理由で、今後、一切の新刊聖典の発行を止める。<
この「取締役会」で暗躍したのが、言うまでも無く、「谷口雅宣、三浦晃太郎、磯部和男」の3氏であります。
「日本教文社」の社外取締役でしかない3氏が、裏で示し合わせて、谷口雅春先生の『新刊書』の停止へともっていったのです。
ここに谷口雅宣総裁がいなかったら、絶対に、この決定はありえないはずのものでありました。
つまり、今から思えば、このときに、「日本教文社」は、この社外取締役3氏によって乗っ取られ、骨抜きにされ、魂までをも奪われてしまい、その社会的使命を終えたのです。
先の「株主総会」は、その残骸を見せ付けられているに過ぎません。
この「日本教文社」の惨状こそが、実は明日の「生長の家教団」なのです。
谷口雅宣総裁が乗り込むと、そうなってしまうのだということを、心ある信徒は、しっかりと心に留めなければなりません。
そのすべての根本因が、これなのです。
“谷口雅春先生の『聖典』はもう古い”
谷口雅春先生を冒涜する、これ以上の表現はありません!
これが如何に「真理」にも反しているか!
「真理」に今も昔もない、「久遠の今」こそが谷口雅春先生のお説きになられたことであります。
…竜宮海とはウミの底である、「創造の根底」にある世界とは現象のよってもってあらわれる根元の世界である。換言すれば実相の浄土である。目無堅間の小船とは、時間の目盛無く空間無く堅くつまりたる小なる一点である。換言すれば、無時間・無空間の世界、時空を超越し、そこより時空生まるる一点(久遠の今此処)に乗るとき衆宝あまねく充つる竜宮海に入ることができるのである。「無字透関」である。「無」を超えてさらに実相地に透関するときそこに竜宮海すなわち、無限供給の極楽浄土を実現することができるのである。この無限供給の極楽世界に入る方法を教えたまう神が塩槌神である。そして竜宮海は極楽にして住み吉きがゆえに住吉世界ともいい、住吉世界の本尊を住吉大神と申し上げるのである。(『生命の實相』第37巻「幸福篇上」二月十一日より)
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《谷口雅春先生の「教え」はこのように歪められた!A》 (4903) |
- 日時:2014年08月22日 (金) 14時47分
名前:神の子A
《谷口雅春先生の「教え」はこのように歪められた!A》 (10516) 日時:2014年07月28日 (月) 08時47分 名前:破邪顕正
かつての「生長の家栄える会」のスローガンには、“国とともに栄え”というのがありましたが、谷口雅宣総裁はその精神を削り取り、“国を超え、民族を超え”を教団のスローガンにしてしまいました。
しかし、谷口雅春先生の本当の「教え」は、“国を生かし、民族を生かし”なのであります。
因みに、『第ニ青年の書』を繙いてみてください(159頁)。
谷口雅春先生は、はっきりとこう仰っておられます。
…「神の前には国境はない」というのは一つの概念であって、本当は国境があるのであります。大体神様の世界が全然空であり無であり、空気のようにしきりも何にもないものだという物の考え方は抽象概念であって、実相を知る考え方ではないのであります。神様の世界にはやっぱり日本民族もあり、アメリカの民族もあれば、インド民族もある。皆おのおのその民族の個性もあれば使命も多少特色づけられているのであって、民族にも、個人にも個性がある。普遍にして個性があるのが実相なのです。決して人類という一般概念だけが神様の世界にあるというのではないのであります。
「トキ」さん、著作権の問題が本質の問題ではないのです! (10557) 日時:2014年07月29日 (火) 08時33分 名前:破邪顕正
「トキ」さんが、こういう投稿をしています。
>8874 : トキ 2014/07/28(月)
(前略)ところで、著作権関係でも問題があったみたいですが、こうなったら、この著作権だけでも「和解」を考えたらどうでしょうか? 著作権の争いで本が出せないというのは残念です。今、谷口雅春先生のご文章の著作権は生長の家社会事業団がお持ちの分と、推定ですが、谷口恵美子先生がお持ちの分があります。今後の事は不明ですが、現在、谷口恵美子先生の財産は教団側が凍結している、という情報もあります。これがいつまで続くのか、不明です。<
こういう投稿を読む限り、「トキ」さんは、まだ、ことの本質が見えていないようです。
それとも、「和解派」としては、その立場上、見えていても見えていないフリをするしかないということなのでしょうか?
何度も申し上げて気がひけるのですが、「著作権の争いで本が出せない」のが本質の問題ではないのです。
はじめに、谷口雅春先生の『聖典』は出さない!
すべては、ここから始まるのです!
これは、特筆すべき重要なことですので、再度、ここに引かせていただきます。
…(2)谷口雅春先生の『聖典』の弾圧の経緯
@平成4年…谷口雅春先生の『新刊書』停止
平成4年7月15日、渋谷東急インでの取締役会(中島省治、鈴木卓朗、宮本三男、永井光延、辻信行、谷口雅宣、三浦晃太郎、磯部和男の8名)
→谷口雅春先生の『聖典』はもう古いからとの理由で、今後、一切の新刊聖典の発行を止める。
A平成4年前後から…絶版リストの作成に基づき、次々に重版ストップ32点。
Bそれ以降…谷口雅春先生の新刊聖典の発行は無し。
※例外1点として「谷口清超編纂『大聖師御講義「続々甘露の法雨」』」(平成5年)があるが、それとても、わざわざ、谷口雅春先生の御講義であるにもかかわらず、「谷口清超編纂」としなければ発刊できなかったのである。<
「トキ」さん、いいですか。
谷口雅宣総裁は、“谷口雅春先生の『聖典』はもう古い”という理由で絶版にし、また『新刊書』の発刊も禁じたのです。
著作権云々の話じゃないのです。
谷口雅宣総裁のこの考えこそが、すべてのすべてなのです。
これでどうして「和解」がありえるのですか?
私は、一貫してそれを問うているのですよ。
谷口雅宣総裁の「考え方」をそのままにした「和解」などありえない! (10565) 日時:2014年07月29日 (火) 17時11分 名前:破邪顕正
「トキ」さんが、更にこう書いております。
>8881 : トキ 2014/07/29(火) (前略) あの文章は、早速、破邪顕正様からお叱りを受けました。でも、平たく読めば、「根本的な和解は無理でも、せめて著作権の問題だけでも手打ちをしてください。信徒はみんな迷惑をしているのです。」<
「トキ」さん、「平たく」読んではならないと思ったから、敢えて苦言を呈しているのです。
「根本的な和解は無理でも」
この考え方が私には、ありえないと申し上げているのです。
>“谷口雅春先生の『聖典』はもう古い”
こういう考え方をする人を、谷口雅春先生の創始なされた生長の家の「総裁」にしておいていいのか?
私は、これを素通りした、そこに頬かむりした「和解」などありえないということを一貫して申し上げているのです。
つまり、「トキ」さんに、私は、この谷口雅宣総裁の考え方を「よし」と思うのか、そこを問うているのです。
「信徒はみんな迷惑をしている」
それを言うのであれば、谷口雅宣総裁の考え方にこそ、心ある信徒は耐えられない思いをしている、迷惑しているのです!
《谷口雅春先生の「教え」はこのように歪められた!B》 (10591) 日時:2014年07月30日 (水) 19時22分 名前:破邪顕正
“谷口雅春先生の『聖典』はもう古い”
すべての問題の背景には、谷口雅宣総裁のこの考え方が横たわっています。
そして、それから派生したのが、『生命の實相』を軽視した、この発言であります。
…『生命の實相』だけが聖典ではない!
こういう発言をするということは、実は、『生命の實相』を軽視している以上に、「神示」をも軽視しているということなのです。
だから、「神示」について説かれている『神ひとに語り給ふ』を平気で絶版に処することもできるのです。
如何に、『生命の實相』が大事な根本聖典であるか!
「神示」から紐解くことにいたします。
○「声字即実相の神示」
>吾が第一の神殿は既に成れり。名付けて『生命の實相』と云う。…吾れに神殿は不要であると嘗て示したことがあろう。吾れは道(ことば)であるから、吾が道(ことば)を語るところに吾が神殿は築かれる。吾が道(ことば)を載せた『生命の實相』こそ吾が神殿である。『生命の實相』は吾が本体であり、無形の『生命の實相』を形にあらわしたのが『生命の實相』の本である。
○「上求菩提・下化衆生の神示」
>第一の神殿は聖典『生命の實相』であって智慧の神殿である。第二の神殿は愛の神殿 であって、神が愛であり、愛は癒やす力であることを知らす『見真道場(いのちのゆには)』である。智慧と愛と両(ふた)つの神殿が『生長の家』に揃えば全世界の地上天国建設の心柱が出来るのである。
○「『いのちのゆには』の神示」
>仮相を実相だと重い誤り、皆が苦しんでいるのが可哀想であるから、さきには智慧の光で迷(まよい)を照破するために、聖典『生命の實相』を造らせたのである。
《谷口雅春先生の「教え」はこのように歪められた!C》 (10650) 日時:2014年08月01日 (金) 08時56分 名前:破邪顕正
今回の「教修会」のメインテーマは「ノーミート」にあったようですが、これとても、結局は、CO2削減、環境保護の観点から述べられているに過ぎません。
以前、私は、これを“皮肉”って「風が吹けば…」式論理だと、こう書かせていただきました。
…ノーミート料理にすると家畜が減る。家畜が減るということは、そのための穀物が少なくてすむ。そうなれば森林の伐採がなくなる(“森の中のオフィス”では森を伐採しましたけどね…)。CO2も減る。温暖化を防ぐことができる。また家畜が減ればそれだけ穀物を人に回すことが出来、発展途上国の飢餓問題を解決できる。飢餓が戦争の原因だから、飢餓がなくなれば平和になる。
しかし、「ノーミート」を言うのであれば、宗教上の「殺生」という大問題に触れなければならないと思うのです。
谷口雅春先生であれば、絶対に、そう説かれるはずであります。
事実、谷口雅春先生は、『実相研鑚2』において「殺生・不殺生は『形』の問題ではない」と題して、こう仰っておられます(79頁)。
>徳島県の…宍喰という所を通りましたが、そこは弘法大師が諸方へ行って人を救けたお礼に、猪の肉を料理して持ってきて「食べて下さい」と言われて食べたというところで、そのとき弘法大師の食べた肉は、もう「猪」じゃなかった。…だから山伏から「お前は肉を食った破戒の僧だ」と言われて、弘法大師が「自分は肉を食ったことがない。お前が肉を食ったのだろう。吐き出してみたら判る」と言って互いに吐き出したものを見ると、弘法大師が吐き出したものの中には、肉は一片もなかった。ところが現実には猪を食べないで肉食をとがめていた山伏が吐き出したものを見ると、猪の肉片が出て来たという話がある。これは、山伏が、殺生を認めて肉食を悪いとして、その「悪」を自分の心の中にとりいれていたから、心に摂取した「肉食」が肉片となって、吐き出した中へ出て来たと解釈できるのです。すべてこれらの事は自分の心が「何をとりいれるか」ということに根本的な問題があるのです。「殺生」という事を自分の心にとりいれるか、「感謝報恩」ということを自分の心にとりいれるか。「人類救済のエネルギー」としてそれをとりいれるかです。一休和尚が魚を食べて「お前は俺の中に入れば救われるんだ」と言われたのは、魚の救われた生命≠自己の内にとりいれられたわけでしょう。…そういうわけで、殺生・不殺生の問題は「形」の問題ではなく、心の問題であり、根本的に、その人自身が仏になることが一番殺生がないわけであります。
このような宗教的観点のない、まさしく唯物論から「ノーミート」を説かれることに、言い様の無い空しさを痛感するのは決して私一人ではないと思うものであります。
《谷口雅春先生の「教え」はこのように歪められた!D》 (10693) 日時:2014年08月02日 (土) 17時35分 名前:破邪顕正
谷口雅宣総裁は、谷口雅春先生を心から慕う人を“原理主義者”だとして、教団から放逐してしまいました。
『生命の實相』を熱心に拝読していると、組織幹部から「そんな本ばかりを読んでいると、原理主義になるわよ」と蔑まれるような雰囲気までつくりあげてしまいました。
「生長の家創始者=教え親」を慕うことが、さも悪いことかのようにレッテル張りした谷口雅宣総裁には、ぜひ、『ヨハネ伝講義』の「はしがき」を読んでもらいたいものであります。
>真の「キリスト教会」とは名称や看板に「キリスト教会」と書かれていることではなく、キリストの福音を間違いなく伝える教会のことでなければならない。私は、あらゆるキリスト教会に属する人たちが、信者も宣教師をも、引っくるめて、この『ヨハネ伝講義』により、本当にキリストの生命に触れることができ、キリストよりも大いなる業をなすことができることになり、まことの「キリスト教会」としてその人類救済の使命を全うせられんことを希望するものである。 私は、本書を校正しながら、磔(はりつけ)に釘(つ)けられて後復活したキリストが、ペテロと食事を共にしたのち、「汝この者どもに勝りて我を愛するか」と三度繰返してたずねられる処に至って滂沱として涙せずにはいられなかった。「わが汝を愛する事はなんじ知り給う」とペテロが答えると、イエスは「わが羊をやしなえ。……われに従え」と仰せられているのである。名称がキリスト教徒であるばかりでなく真にイエスの魂に触れ、イエスに従う者のみが真にクリスチャンであるのである。<
「生長の家教団」にいるから生長の家の信徒と言われるのではなくて、真に谷口雅春先生の魂に触れ、谷口雅春先生に従う者みのが真の生長の家信徒であります!
谷口雅宣総裁“確信犯”論も決してガセではありませんよ (10906) 日時:2014年08月08日 (金) 08時30分 名前:破邪顕正
「トキ」掲示板に、「志恩」さんがこんな投稿をしています。
>8906 : 志恩 2014/08/04(月)
(前略)貴康先生、 恵美子先生の お幸せになられた ご近況をお知らせ下さいまして、誠に有り難うございます。心から感謝申し上げます。… 恵美子先生が お山で ご不自由にさせられていた事柄や、理不尽な目に お遭いになっていた事柄は、光明掲示板に、大部 以前より、時折 書き込まれていたことでございますが、真偽のほどはわからなかったのですけれど、全部、ほんとうのことだったなんて、それを知りまして、驚愕致しております。<
もとより、ネットの情報というものは、玉石混交であります。
とりわけ、谷口恵美子先生に関するものは、事が事だけに、絶対にそれは「石」であってはならないと思っておりました。
それだけに、今回、こうして、「志恩」さんも“驚愕”するような事実として満天下に晒されたことを大変、ありがたく思っております。
これで、少しは、「光明掲示板」の信用度も増したのではないかと思う次第です。
その驥尾に付して言わせてもらえば、谷口雅宣総裁の一連の“確信犯”論も決してガセではない、“石”ではない、それ相応の事実に照らして組み立てられた論であります。
心ある読者諸賢のご参考にしていただければと念願するばかりです。
《谷口雅春先生の「教え」はこのように歪められた!E》NEW (11402) 日時:2014年08月22日 (金) 12時20分 名前:破邪顕正 谷口雅宣総裁が、「占領憲法」を擁護する、護憲論者であることが明々白々となったことは、とても重要であります。
なぜと言って、もはや、それだけをとってみても、“法燈”を継承する資格なし、と断ずることができるからであります。
それは、以下の谷口雅春先生のお言葉を読めば一目瞭然でありましょう。
…現行の「日本国憲法」を評価するならば、それはマイナス点しか与えることが出来ない。それは日本国の伝統を故意に破壊して、日本国を東洋の一弱小国に留めおいて再起不能の状態に継続する目的のために、戦争直後の占領軍が表面は、自由と平和との美名の下に、美辞麗句を列べて作文した憲法であるからである。謂わば当時の占領軍が「将来、日本国が決して強国とならないように」という呪詛(のろい)の精神≠籠めてめて起草したものであるからである。 わたしは嘗て憲法論≠書いたときに、ある少年が毛糸のジャケツを着るといつも倒れて怪我をする、あまり、それが不思議なので、誰がそのジャケツを編んだのか遡って追及してみると、当時の女中が奥さんに叱られて、腹を立てながら、ナニクソと抵抗心を掻(か)き立てながらその家の子供のために、毛糸のジャケツを編んだのだとわかったという挿話を書いたことがある。その少年がそのジャケツを着るのは、どんなに表面の形は立派に編まれているにせよ、それは単に物質の織物を着るのではなく、女中の呪いの精神≠着ることなのである。従ってその少年は、その呪いの精神のこもっているジャケツを着るたびに躓いたりして倒れて怪我をするのである。日本人が、占領軍が日本弱体化の呪いの精神≠籠めて書いた「日本国憲法」をその美辞麗句のゆえに遵奉して生活するときは、その麗句の中に宿っている日本弱体化の精神を国民が着て生活することになるから、あの憲法に忠実に生活しようとするならば国民は常に政府を被告として、対立的に騒乱や訴訟を起したくなるのである。(「明窓浄机」、『生長の家』昭和52年8月号)
当然、谷口雅宣総裁は、この呪いの精神≠ェ占領憲法に籠められていることを知っているはずです。
知っていて、なおかつ、これを擁護するというのですから、私に言わせれば、谷口雅宣総裁は日本が躓くことを望んでいるとしか思えないのであります。
谷口雅宣総裁が「朝日新聞」を推奨するのもむべなるかな!
そういう思想を持った谷口雅宣総裁によって、谷口雅春先生の教えが汚されることに耐えられない!
それが、私の今の立ち位置を固めさせたということであります。
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《谷口雅春先生の「教え」はこのように歪められた!F》 (4915) |
- 日時:2014年08月23日 (土) 11時01分
名前:神の子A
《谷口雅春先生の「教え」はこのように歪められた!F》NEW (11430) 日時:2014年08月23日 (土) 10時04分 名前:破邪顕正 心ある信徒をして、谷口雅宣総裁は思想的におかしいぞ、これは問題だぞと思わしめた、その最初のきっかけは、言うまでもなく、「大東亜戦争侵略論」にあります。
「侵略行為を行った」のは日本で、それを排除したのはアメリカであるという、この驚くべき、というよりは恥ずべき谷口雅宣総裁の論を見たときには、正直、唖然として言葉もありませんでした。
まさか、こういうことを谷口雅春先生のお孫さんから聞かされるとは想像だにしておりませんでした。
だって、そういうことを言う人は、「生長の家を去れ!」というのが、谷口雅春先生のお言葉であったからです。
>人間の高さは身長によって測らるべきものではない。魂の高さによって測らるべきものである。戦後に於ける現代の弊は、魂の高さを見る眼を失って、物質の量によってその価値を量(はか)ろうとすることにある。動機の純粋と無我神聖の魂の高さによって、特攻隊の勇士の死≠フ価値を量ろうとしないで、敗戦という結果によってその死≠フ価値をはかって犬死≠セなどと不謹慎なる語を発する愚か者もある。物質の富を追い求めて東西に奔走しながら死にのぞんで、魂に、何の純潔さももたず、その追い求めた富すらも冥途へ持って行くことができない者こそ本当に犬死ではないか。青年はよろしく魂の価値をもとめて、純粋に理想を追って行動しなければならない。… 人格の高さというのは、その人がどれだけ三次元的低次の生活から超越して、霊的次元の世界に生きているかということによって量られるのである。 肉体は破壊することができるけれども、魂の高さは破壊することができないのである。特攻隊の兵士の肉体は破壊したかも知れないけれども、かれらの愛国精神は国家の理想を護るために散華して、日本国家の理想と一つになったのである。 日本国家の理想とは何であるか。それは「宇宙の理想」と一つのものである。「宇宙の理想」とは釈尊の説く金波羅華の世界であり、キリストの祈りである「みこころの天に成れる世界」である。日本国を侵略国≠ニ誣いる者は何者ぞ。去れ!!日本国は世界の救世主たる使命を帯ぶ。(『聖なる理想・国家・国民』15頁)
谷口雅春先生の教えに「中心帰一」するのであれば、「日本国を侵略国≠ニ誣いる者は何者ぞ。去れ!!」に従わなければなりません。
黒河内元理事長などは、かの著作権裁判において、大東亜戦争は侵略戦争であったというのが生長の家の見解です、と裁判所で明言したわけですから、当然、生長の家を去らないといけないわけです。
同様に、今の“八ヶ岳教団”の講師試験では、侵略戦争と書かないと合格しないシステムになっているのですから、当然、それに合格した今の講師たちもまた教団を去らないといけないということになります。
ところが、今や、侵略戦争を言う人が教団を支配し、そうではないと言った人が講師を剥奪され、教団から追いやられる始末。
残るべき人が去り、本来ならば去らなければならない人が教団に居座る…。
これでも、生長の家は変質していないとどうして言えましょう。
何度もいって恐縮ですが、もはや今の生長の家は、谷口雅春先生の生長の家にあらず、全くの別物だということを思い知らなければなりません。
谷口雅宣総裁に支配された“八ヶ岳教団”こそが、別派なりと断ずる所以です。
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