生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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「マサノブ教」つれづれ草 NO.46 NO.47 NO.48 NO.49 NO.50 (超辛口、されど世間から見ればまだまだ甘い) (5055) |
- 日時:2014年09月04日 (木) 09時38分
名前:八ヶ岳自然居士
< われわれ一般信徒には、マサノブ君の頭の構造が異常としか思えないのだ!>
一昨日「著名人? 総裁フェースブック」で公開された「森のオフィス」職員寮の写真を見て、マサノブ君の異常な頭の構造について改めて唖然としたのは小生ばかりでなあるまいと思った次第である。これが職員寮! 豪邸じゃないか! マサノブという金持ちボンボン・当世風の宗教貴族の道楽事業そのものだ。<屋根にはソーラーパネル、室内はオール電化、暖房はペレット・ストーブ、そして電気自動車用の充電施設も完備>これこそマサノブ君の自己顕示の発露だ。
信徒からの反発が完全に予測できないのだろうか? 反発を予想しながら、敢えて写真公開に踏み切ったのは、彼の独裁権力の誇示だけのためであるのだ。なんと幼稚な思考である事よ! この様な豪邸を信徒の浄財を湯水のごとく使って、たやすく立ててしまうとは! “蕩尽”という言葉がマサノブ君にとってはピッタリだ。
更に、“職員寮”というこれ等の豪邸は、近代建築家屋だ。その思想は「人間至上主義」そのものではないか? また職員寮の豪邸街を俯瞰したパノラマ写真を見ると森林地域を開発造成したことは一目瞭然! 自論の「自然との共生」とやらは何処へ行った? 自然破壊ではないのか? まさに「言行不一致」の典型的証拠がまた一つ増えた。
理事・参議は何をしている?! 牧野尚一本部講師の曰く、「とても快適に過ごさせていただいております。ありがとうございます。」 そして、別の女性狂信者は言う。「原宿の本部(過去)に執着していた方達又賛同された方達の何人が、この素晴らしいオフィスと住居の姿を想像されたでしょうか? 構想され、夢を実現された総裁先生と協力された純子先生には、畏敬と感謝の念で一杯です。」全く狂っているとしか言いようがない。我々の云う事に腹を立てたなら反論されたし! こちらは十分に諸君等の主張を論破せる準備万端である。
第一、マサノブ教団の信徒さんが、CO2=ゼロ運動を一所懸命やったとしても、外国からの観光客呼び込みで、航空機が増便されているのだから、焼け石に水だ。マサノブ君の「反・原発」で火力発電所がフル稼働だ。大量のCO2が吐き出される。共産中国の経済発展に比例して、共産中国のCO2排出は増加の一途だ。共産中国軍の領空侵犯とそれに対抗してのわが航空自衛隊のスクランブル発進は増える一方、CO2は大量発生、この様な状況下での「マサノブ教団」信徒のCO2=ゼロへの努力など何の効果もない。この様なことが分からずして「浄財」を湯水のごとく使うマサノブ君は、IQ指数(肉体的知能指数)は如何に高くても、本当の智慧が全くないのである。この様な人間は“真性バカ”と言うそうだが、マサノブ君はその一人なのだ。「マサノブ教団」の皆さん、本当の“賢者”になって下されや!!
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「マサノブ教」つれづれ草 NO.47 (超辛口、されど世間から見ればまだまだ甘い) (5064) |
- 日時:2014年09月05日 (金) 09時07分
名前:八ヶ岳自然居士
< 最大の過激なるものを見誤ること勿れ! >
小生は、生長の家各種「掲示板」を毎日楽しみにして読んでいる一人であるが、この「新本流復活掲示板」が結構一番“過激”的内容が多いようである。ということは、掲示板の存在目的をマサノブ(自称)総裁を「生長の家」教団の“獅子身中の虫”として、「今の教え」を虚説なりとして、無の世界へ追放して行こうとの一点に集注して書き込んでいる人達が多いと思われるのだ。その切っ先が他の掲示板よりも鋭さの点において勝っているからして“閲覧者”諸賢には一番“過激”的な掲示板と映っているのだと思えるのだ。
これと対称的なのが、真偽のほどは分からぬが、マサノブ君の温存と擁護を目的に本流対策を目的に存在している「トキ掲示板」である。表面的にはマサノブ君に対して是々非々主義的なさまざまな意見歓迎と唱って居るようだが、焦点が定まらず、故に“井戸端会議”とか“お喋りサロン”とか“長屋談議”とか評価され、所詮は、詰まるところマサノブ擁護と温存に導いて行っているようだ。ただし、「本流」からの出張投稿もかなりあるので、それによって盛り上がる時もある。
まあ、それぞれが特色をもって掲示板が盛り上がれば、益々マサノブ君の「言行不一致」振りと、ニセ宗教家の実態が明らかになり、如何に独裁権力を誇示するマサノブ君といえども、この頃では全くの四面楚歌・孤立無援に追い込まれて来ていることは確かだ。マサノブ君のみならず、「マサノブ教団」の本部役員も<最近、本部の職員、とくに役職者と会うと、結構やつれた顔をしています。>と書かれているほどだ。これは明らかに掲示板効果の一端を表わしていると言える。
小生は思うのだが、この「新本流復活掲示板」が最も“過激”、あるいは過激すぎると言う人もあるが、見落としてはいけないことは、この「新本流復活掲示板」以上に“超過激”な存在がある事を閲覧者の皆様は見落とさないようにしなければならない。<最高の過激的存在とは、「マサノブ君」その人である>事を忘れてはならないのである。マサノブ君の“超過激性”に比べれば「新本流復活掲示板」の所謂“過激性”など赤子の類であると言える。開祖・谷口雅春先生のすべてを消し、『御教え』の根こそぎ抹殺を企て、着々と独裁権力を背景にやりたい放題、常識では考えられない破壊と暴虐を遂行しつつあるマサノブ君が最大の“過激的存在物”であるのだ。
本当に、開祖・谷口雅春先生の『御教え』復活を望むものならば、(悪い表現かも知れぬが)マサノブ追放を唯一最大の目的として、その一点に集注して、あらゆる方面から、マサノブ君の“神性隠蔽”を突き上げ、「今の教え」の非真理性をあきらかにして、本来の無の世界に追いやらねばならないのだ。それでないと、『本流』としての掲示板の存在目的がなくなるのだ。マサノブ君は“ヤワ”なボンボンと見限っては駄目だ。普通の肉体頭脳知に勝れている者だと甘く見てはいけないのだ。他の投稿者の意見にあるごとく彼は暗黒霊界から憑依して来た巨大悪霊と一体となっているとの認識が大切なのだ。だから、常識を絶するごとき「破壊と蕩尽」そして、“紳士面”を装いながら「暴虐」の限りを尽くしている。
「泣いて馬謖を斬る」、「不動明王の剣と縄」の覚悟が「本流掲示板」に求められているのだ。投稿趣味や単なるウップン晴らし、お喋りサロン的雰囲気の場であってはいけない。もっともっと多少の過激性は現在必要な時であるのだ。マサノブ君は金と権力を失うまいと私心に執着している。彼には失うものが多い。それに比し、われわれには私心なく失うべきものは何もない。何の遠慮も要らないのだ。虚の存在・最大の過激破壊者としてのマサノブ(自称)総裁追放に向け、これのみに一点集中すべき時は今なのだ! 暴虐・暴走列車「マサノブ号」を放置しておいてはいけないのだ!!
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「マサノブ教」つれづれ草 NO.48 (超辛口、されど世間から見ればまだまだ甘い) (5067) |
- 日時:2014年09月06日 (土) 06時16分
名前:八ヶ岳自然居士
< 本流復活信徒の共通的想いとは・・・ >
「マサノブ教団」に未だに在籍している信徒は、表現は悪いが分かりやすく表現すれば「数だけの集団」と言える。第一『生命の實相』全巻読破した人は極めて少ないのではないか? 地方講師の人たちでも全巻読破していない人が多いのだ。開祖・谷口雅春先生の時代の地方講師達は、『生命の實相』全巻読破が受験推薦のための最低条件であったのだ。一般信徒の人たちも全巻読破した人達は少なく、病悩苦から救われた体験と感激から、あるいは開祖・谷口雅春先生の御講習会に誘われ、その光明の雰囲気に引き付けられ、地元誌友会に出席するようになり毎月の講師の講話を楽しみにし、そこで付き合い仲間を見出して生長の家家族となった信徒さんが大部分であったのだ。
『生命の實相』全巻読破し、本当の求道の道に進む人は少なかった。したがって、三代目のマサノブ(自称)総裁の「これが、現代という時代の<今の教えです>」といわれれば「そうだね」とあっさり納得してしまう。何しろ「法燈を継承したオマゴサマだからね!」とニセ者とも知らずに「中心帰一よ!」といわれて付いて行く。真の「生長の家」の『御教え』がわかっていないのだから仕方がない。
一方、「マサノブ教団」を脱退し、「本流」グループに身を投じた信徒の人達は、『生命の實相』全巻読破した比率は、「マサノブ教団」残存信徒に較べれば格段の差があるのだ。しかも、開祖・谷口雅春先生の『御教え』が潜在意識の底まで信念化している人達がほとんどである。この様な「本流復活」を嘱望する信徒の人たちの霊魂進化の位置するところは、その幅も広いのであるが、その「共通的想い」と言うものに於いては全員一致していると考えて間違いはないのだ。その「共通的想い」とはどのようなものであろうか? 小生の考えは以下のとおりである。――
@ 開祖・谷口雅春先生の「生長の家」の『御教え』は、宇宙最高・世界最高の教えであるとの堅い自信と信念の想い。
A 人類の歴史上最高のこの『御教え』そのものが、自己の生活のバックボーンとなっており、自己人生のバックボーンとして信念的に確立されているとの想い。
B 開祖・谷口雅春先生の『御教え』は、全人類の「至宝」であるとの想い。
C 全人類の「至宝」なるが故、未来永劫、絶対的に伝え遺さねばという極めて信念的な強き想い。
D 開祖・谷口雅春先生の『御教え』は、個人の救済(個人の成仏)のみならず、国家をも救う(国家の成仏)教えであるとの強き信念的想い。
E したがって、小さな個人的信仰の域を超えて、国家の政治、経済、教育に大きな影響力を与える規模にまで「正統・生長の家」教団を再復活せしめなければと言う情熱の想い。具体的には「真理国家」建設への想いである。
この様な熱き信念に裏づけられているのが、「正統・生長の家」集団である。小生は斯くのごとく思うのである。
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「マサノブ教」つれづれ草 NO.49 (超辛口、されど世間から見ればまだまだ甘い) (5075) |
- 日時:2014年09月07日 (日) 08時47分
名前:八ヶ岳自然居士
< 常識では到底理解できない「最高首脳者会議」メンバーの心と行動 >
末端信徒からみれば「マサノブ教団」の方針に関する事柄の最終決定は、「最高者会議」で決定されているようである。しかし、“会議”とは名前だけで、その実態はマサノブという独裁者の個人的な人生目標を達成する計画事項を提案して、そのまま了承させる承認機関であるようだ。マサノブ君にしてみれば、信徒達から独裁者と言う目で見られるのを避けるために“会議”で検討して協議の結果決定されたものと言うカモフラージを装っているだけなのである。
メンバーは、理事長・副理事長・以下の全理事参議と教化部長クラスの面々であろう。このメンバー達は、全くのイエスマンという自主的判断力を失っている者のようである。マサノブ君という独裁者の個人的人生目標、言うなれば個人的道楽に反対意見や修正意見を言おうものなら、次に待っているものは、降格・減給・左遷・依願退職であるからだ。だから、「最高首脳者会議」のメンバーは、真剣に考えようとはせずに、ただただイエスマンに徹しきり、定年の日が早く来ることを一日千秋の思いで待ち焦がれているのだろう。そのかわり超高給というエサだけは、イエスマンとしての我慢料として毎日保証されているのだ。
しかし、問題は彼ら「最高首脳者」達は、いやしくも開祖・谷口雅春先生御創始の「生長の家」の『御教え』をそれなりに身につけた者たちである。「人間は神の子であり、自己人生の主人公である」と言うことを皆知ってはいる。しかし彼らは、いざ自分自身の問題となると全員が「言行不一致」となってしまっているのだ。ちなみに言えば、「言行不一致」の元祖は、他ならぬマサノブ君だ。皆それを“保身”のために見習っているのだ。ということは、「人生の主人公」を放棄し、タマシイを独裁者マサノブに売り渡した蔑むべき卑怯な者どもである。この時点で、彼らは自ら「最高首脳者会議」のメンバーの資格を完全に失ったといえるのだ。「神の子」の境涯から「精神的奴隷」の境涯へ転落してしまったのだ。最も卑怯な人生の生き方である。
彼ら「最高首脳者」達の心的状態は、普通の常識では考えられないレベルにまで低下してしまっている。彼らは超高給の魅力に負けてひたすら耐えて定年を迎えることだけを考えてはいるが、そのうち何人かは、マサノブ君に完全洗脳されて、マサノブ絶賛者となって完全に自己を見失っていることさえ気付かぬものがあるようだ。普通の常識では、教勢低下や急激な信徒脱落をみて、これは「最高首脳者」たち自分達の責任なのだと感ずるのに、彼らにはその責任の自覚が全くない。雑木林に向かって深々と礼拝している自分が情けないとも感じていないようだ。「大自然惨禍」を読まされてもこれが自然災害の多発に結びついているとは思っていないようだ。一人一人の救済を行なっても、肝心の地球が環境悪化で死の星となればお終いだ。だから環境問題が最優先事項なのだ、と真面目な顔でマサノブ君に賛同している自分の愚かさに気が付かないようだ。この様なことは完全に「人生の主人公」の自覚喪失に他ならない。
真の日本人は、信念を曲げてまで生き長らえる道は選ばない。マサノブ君は、いまや「破壊と蕩尽」の帝王となった。開祖反逆と「生長の家」の完全解体と教団全資産の実質的自己財産化を図っている。真理の道を歩むか、それとも、5年で1億円?(イソベ理事長・ユキシマ副理事長)、5年で7千万円?(理事・参議)、5年で5000万円?(教化部長)と言う高給待遇に甘んじてタマシイを売ってセレブ生活を楽しむか? 現在、「マサノブ教団」に残っている最高首脳者たちは、前者の道を捨て、後者の道を選んだ者達なのだ。本当に自分が情けない人間だとは思わないのか?
聞く所によると、一般職員でも、マサノブ総裁の冷徹な性格に耐え切れず、真理に生きる道を選び、退職挨拶のために雅宣総裁の前に立ったときには、「この野郎!、この際思い切りブン殴ってやろうか!」との強い衝動に駆られると言う。これでこそ正常な感覚なのだ。この様な一般職員以下の心しか持ち合わせぬ全く日本精神を喪失した「最高首脳者」達の心の中は常識では判断が出来ないのだ。、彼らは、精神的な意味においては人生の敗北者であり敗残者であり、腐りきった魂にまで成り下がってしまったのだ。霊界移行後も反省の念に心を苛まれ続けるであろう。本当に現在の教団、マサノブ教団は全く腐った宗教団体に成り果てた。「最高首脳者会議」のメンバーが結束して、独裁者マサノブを座敷牢に閉じ込め、総裁辞職・教団退去を承認させればよいのだが、そんな勇気すら一人として持ち合わせていないのか?
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「マサノブ教」つれづれ草 NO.50 (超辛口、されど世間から見ればまだまだ甘い) (5081) |
- 日時:2014年09月08日 (月) 07時29分
名前:八ヶ岳自然居士
< 衆生救済を説かないマサノブ君は、宗教家と名乗るべきではない! >
現・「マサノブ教」に於いては、本部講師自らが、茶坊主発言として「衆生救済は放棄した」と明言しているのだ。さすが、マサノブ君は其処までの明言は避けてはいるが、彼は直轄の「トキ掲示板」に於いて、「初心者」と言う名前でこの衆生救済の放棄を明言しているのだ。
曰く、「みなさま方は、雅春先生が書かれた文字に執着し、いつまでたっても、その書かれた文字に救いを見いだそうとしておられるように感じられます。先生の教えによって実現された救済は、奴隷状態を居心地のよいものへと変えただけである。いかに快適な奴隷生活を実現するか。生長の家では、このことだけが考えられてきたとおもわざるを得ない。新興宗教は、成熟した宗教となるために、「病気治し」を第一とする時期をすでに脱したとも考えております。これが教えの絶対化やイデオロギー化の温床となる可能性さえあります」と、書いているのである。
分かりやすく平易に言えば、『生命の實相』と言う書物に救いを求めることを、“奴隷状態”に身を落すことだとマサノブ君は言う。つまり、『生命の實相』と言う本の奴隷になっているのだ、と云っているのである。そして、『生命の實相』の真理によって救われることを、“居心地のよい状態になる”事であり、更に深い真理を求めて『生命の實相』を熟読・心読・霊読していく限り、『生命の實相』と言う本の奴隷状態は依然として続くのだ、と云っているのだ。そして、マサノブ君の結論としては、宗教による救済の時期は過去のものとすべきで、宗教も衆生救済を超えて新しい文明を創造していくべき時代に入ったのだ、と言っているのである。
この「初心者」の発言の通りに「マサノブ教団」は動いて行っているのだ。そして、「自然との共生」(実はマサノブ君の個人的道楽)と言う彼流の“新文明”に酔っているのである。しかし、マサノブ君の言う「自然との共生」の新文明たるや、信徒の浄財の存在があって始めて成り立っているのだ。だから、<金に困らぬ宗教貴族の道楽文明>がその本質と言えるのである。信徒は言葉巧みに、マサノブという宗教貴族に誑かされていることに気がつかねばならない。
永遠不死なる個生命としての人間が、その霊魂進化のためにこの地球という霊魂修業道場に舞い降りた場合、その霊魂進化修行の過程に於いては、病悩苦は必然的に履修科目として課せられるのである。その病悩苦の苦しみに物的手段の面から援助の手を差し延べるのが政治の役割である。そして、その病悩苦の依って来たる第一原因である「神の子人間」の「神性隠蔽」を悟らしめ、解放させる役目を為すのが宗教の役目なのである。この宗教本来の存在目的をマサノブ君は理解できないのだ。彼の脳は唯物志向の脳構造をなしており、霊的志向の脳構造ではないのだ。霊的方面から個生命の進化の援助をなすのが宗教の受け持ち分野であるのに。
それを放棄して、「新文明の創造」なんていうのは、“閑人の戯言”にしか過ぎない。マサノブ君は「四無量心」を強調するが、その相手は“人類”という抽象概念の人間にしか過ぎない。具体的な家族・兄弟・一般衆生などを対象とするものではない。全くの抽象世界の中で自己陶酔しているのがマサノブ君なのだ。彼は言う。「病気になれば病院へ行きなさい。宗教や信仰の目的は病気治しではなく、“環境保護”や“自然との共生”に依る地球生命の救済なのだ、と。
しかし、現代医学は如何に進歩したにしても、次々と新しい病気は発生し、医学では治療不可能な病気の発生も続いているのが現状である。この様な場合、開祖・谷口雅春先生の『御教え』に依って完治した病気の事例も枚挙にいとまがない。「生長の家」信徒の膨大な体験談がそれを示している。
今後とも宗教による衆生救済の役割は益々大となるのである。物的手段に依る救済の及ばざる分野は大きくなって行く。そんなことは無視して、マサノブ君は宗教による救済の時代は終わったとこれからも言い続けるのであろうか? 仮にマサノブ君本人、もしくは家族の者が、現代医学では治療不可能と診断された難病・奇病に罹った時に、人間は肉体ではないのだ、永遠の生命である。個人の病気のことなどには構ってはいられないのだ。地球生命の救済こそが第一だ、と家族の難病・奇病をほったらかしに出来るほど冷徹さに徹しきれるだろうか? 甚だ疑問である。否、こんな常識人の疑問など彼には通じぬであろう。何しろマサノブ君はわれわれ常識人の思考範囲では考えられぬほどの異常性格思考の人間であるのだから・・・
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