生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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「天女山ヒルクライム」は、マサノブ君の「時局はぐらかし幻術」である! (5101)
日時:2014年09月11日 (木) 09時45分
名前:画龍点睛

合掌ありがとうございます。
マサノブ君は、8月14日以来開店休業の続いていた「枯れ松模様」を、実に25日振りに一日だけ開店したのでした。どんな品物が並べられたのかと覗いてみますと、何と自転車競技イベントである事を見て、何ともいえぬ違和感に襲われたのであります。遂に此処までマサノブ君が開祖・谷口雅春先生の偉大なる『御教え』を貶めてしまったとは! 本当に情けないことであります。いつものごとく、『生命の實相』の何処を読んでいるのか分からぬ「マサノブ教」狂信者の方々のコメントも3件ありましたが、的はずれの絶賛コメントでしかありません。いつものごとく「講評」させて頂きますが、考えて見ますと、最高位の総裁たるものが、無名の末端信徒の「講評」に甘んじなければならないとは、彼自身恥かしいとは感じないのでしょうか? 今や、マサノブ君は余りにも幼児性を曝け出しすぎておりますので、本流信徒の皆さんから叱り飛ばされているのであります。しかし、彼は『御教え』の真理を正しく理会できていないので全く反論できないで歯軋りしている状態であります。 それはさて置き、先ずは9・8「枯れ松模様」の概略を以下に転載いたします。



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「枯れ松模様」平成26年(2014年)9月 8日 =天女山ヒルクライム= (概略)

 日本全国の生長の家教化部や道場などにはすでに通知されているが、今年の10月下旬には、山梨県北杜市の生長の家“森の中のオフィス”を中心とした地域で、「自然の恵みフェスタ 2014」という行事が行われる。 これは、簡単に言えば秋の収穫祭である。ただし、作物の収穫だけでなく、芸術的収穫なども含んだ一種の文化祭のようなものになる予定だ。・・・ “生長の家の文化祭”のようなものとなる。さらに今回は、生長の家の行事としては異例と思われるスポーツ・イベントも行われる予定だ。これは「天女山ヒルクライム」という自転車競技で、オフィスの近くにある天女山(標高1,529m)の山頂まで上るタイムを競うものだ。 なぜスポーツ・イベントか? 「自然の恵みフェスタ 2014」という行事は、以下の4つの目的で行われる−− @私たちの肉体を含めた自然の恵みを実感しつつ、豊かな環境と農作物の収穫を神様に感謝する。A地域の人々などとの交流を通じて、日頃の感謝の気持を表す。 B生長の家が推奨するノーミート料理の意義とレシピを伝える。 C調理に炭や枝を利用するなどして生長の家の環境保全活動の一端を紹介する。・・・自然の恵みである農産物をいかに美味しく作っても、それを食べる肉体がなければ、「恵み」を体験することはできない。言い換えれば、私たちにとって農産物が恵みであるためには、肉体が必要なのである。・・・生長の家では「肉体はナイ」と説くことがあるが、この教えを誤って理解する人もいる。それは、「肉体はナイ」のだから、肉体の健不健にこだわることなく、暴飲暴食をしたり、喫煙にふけり、睡眠時間を極端に削り、あるいは不規則でいい加減な食事をすることも、人類光明化運動のためには一向差し支えないと考える場合だ。このような考えは、「生長の家の食事」という神示を読めば、まったくの誤りであることが了解される。そこには、「食事は、自己に宿る神に供え物を献ずる最も厳粛な儀式である」と明記されているからだ。この「自己に宿る神」が活躍するための最も重要な“道具”が、肉体である。これを清浄健全に保つことは、だから私たち信仰者の義務であると言っていい。・・・「自己に宿る神」とは欲望のことではない。欲望は、1つのものが満たされたら次のものを要求し、次のものが満たされたら、さらにその次を要求するというように、際限なく“他から奪う”感情である。これについては、『大自然讃歌』が明確な指針を与えてくれる−−欲望は肉体維持発展のための動力にして、生物共通の“炎”なり、“生命の炎”なり。(…中略…) 肉体は神性表現の道具に過ぎず、欲望もま神性表現の目的にかなう限り、神の栄光支える“生命の炎”なり。(…中略…) されば汝らよ、欲望の正しき制御を忘るべからず。欲望を神性表現の目的に従属させよ。 (…中略…) “生命の炎”を自在に統御し、 自己の内なる神の目的に活用せよ。 スポーツの良いところは、「肉体の欲望を制御しつつその機能を拡大する」という点だ。これを実現するためには、「肉体の欲望」を超えた目標−−精神的目標をもたねばならない。・・・訓練を続けていると、肉体は精神的目標の達成に積極的に協力するようになる。つまり、神性表現の道具として正しく機能し、機能拡大さえするようになる。このことが「自然の恵み」だと私は考える。・・・スポーツは、この「自然の恵み」を実感しつつ感謝することにつながる。では、なぜ自転車競技か? ・・・高原の空気を思う存分呼吸しながら、体に風を感じ、鳥の声を聞き、紅葉・黄葉を眺め、さらには自分の肉体の小ささ、微力さを思い知る……そういう体験は、登山やトレッキング、マラソンでも可能だ。が、自転車には実用性もある。競技が終わった後は、通勤、通学、買い物、サイクリングなどに使える。それは、“炭素ゼロ”のライフスタイルの一部となる。そんなこんなの理由から、今回の「天女山ヒルクライム」の自転車競技は開催されるのである。出発点の甲斐大泉駅(標高 1,158m)から、終着点の天女山山頂(標高 1,529m)までは4.6km で、自転車で走る距離としては大したものではない。・・・もちろん、「競走」など意識せずに、秋の山道を楽しむつもりの人は、競技の時間は2時間とたっぷりあるので、疲れたら自転車から降りて、天女山の自然を味わいながら、自転車を押しつつゆっくりと上ってほしい。 谷口 雅宣 



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<講評>



@ 本来の『御教え』の言葉の中に、< 肉体は乗馬、霊としての人間がその騎手 >と言う言葉があるのであります。吾々が学校で教えられた「健全な肉体に健全な精神が宿る」というのはマチガイであって、「健全な精神があって、肉体も健全になる」というのが正しいのであります。「三界唯心所現の理」から観ればこれが正しいのであります。今回のマサノブ君の自転車競技は本来の『御教え』の逆を行くものであり、彼は色々と尤もらしい理由付けをしておりますが、その思考法は唯物論思考(肉体中心思考)であります。



A 「マサノブ教」においては、霊的真理による衆生救済は不必要と明言されたのであります。人間の病悩苦を解決するには“病院へ行け”と明言されており、宗教界の救済対象は地球そのものであり、都会中心の文明を捨て、田舎へ移り住み、自然との共生思想を広めて、<神・自然・人間の大調和>の新文明を築き上げるという、足が地に着いていない夢遊病者の世迷いごとを、小理屈をこね回して正当化しようとしているのであります。大勢の信徒の皆さんは、マサノブ君の言葉巧みな小理屈の矛盾に気づかず、宗教貴族の閑人の戯言の本質を見抜けず、何時の間にやら洗脳されてしまっているのであります。



B 「肉体は乗馬、霊としての人間がその騎手」であり、「健全な精神があって、肉体も健全になる」のでありますから、先ず第一に為すことは、「霊としての人間」の確立であります。「霊としての人間の確立」の出来るところは宗教と信仰の世界であり、宗教団体の第一の使命はこの「霊としての人間」の確立であります。にも拘らず、三代目のマサノブ君は「霊としての人間」の確立を放棄してしまったのであります。具体的には、『生命の實相』の放棄、「神想観」を「現象観」に言葉巧みに変更し、『實相』額を隠蔽し、現象肉体人間の「神性隠蔽」には一切触れず、「人間至上主義」が人間の本質、つまり、「人間は神の子ではなく、罪の子である」と言う意識へと信徒を誘導・洗脳して来たのであります。



C 現代の唯物論世界の混迷を見る時、プロとしての人類光明化の使命を生きる本部職員(理事・参議・教化部長・一般本部職員)は、全生活を「霊的真理普及」に挺身しなければならないのであります。嘗て開祖・谷口雅春先生は「自分には時間がほしいだけです」と言われたのであります。まさに宗教者、求道者そのものの御自覚でした。それに引き替え、マサノブ君をはじめプロの教団職員たちは、高給待遇の宗教貴族らしく、八ヶ岳の自然の中で閑人道楽の物見遊山生活を送り、スポーツイベントに嬉々として興じているとは! 天下の「生長の家」もここまで落ちぶれたとは、実に情けない次第であります。



D 開祖・谷口雅春先生は常々おっしゃられていたことは、「戦後、各地に『体育館』は出来たが、『心育館』は何処にもない」と言う言葉でありました。戦後発達したのはまさに「肉体民主主義」でありました。GHQ(占領軍総司令部)の対日政策は、彼の「ウォーギルトインフォメーションプログラム」に盛り込まれたように、質実剛健を旨とする日本精神・大和魂を日本国民の心から如何にして弱体化させるかにあったのであります。そのために、侵略戦争観、自虐史観、戦争贖罪意識を定着化させ、3S政策の奨励であったのでした。体育振興はこの3S政策の一つであったのでした。体育振興そのものは悪いことではありませんが、「肉体は乗馬、霊としての人間がその騎手」にある「霊としての人間」作りが怠られ、乗る馬だけを強くする事が優先されたのであります。余りにも体育重視の結果、日本国民の精神性は退化を来したのであります。その弊害は今日の日本社会のあらゆるところにその影を落としてしまったのであります。



E 今回のマサノブ君の「自転車競技」の取り入れは、「霊としての人間作り」を止めて、“乗馬”に当る肉体の鍛錬を第一にすると言う意味に於いては、日本国民精神の弱体化を狙ったGHQ方針と軌を一にするものであり、信徒をして左翼唯物現象論へと無意識的に洗脳・誘導する目的が秘められていると思わなければならないのであります。マサノブ君はこれまでの彼の足跡を見るに付け、日本が大嫌い、愛国心とか日本精神とか大和魂という言葉を非常に嫌うのであります。マサノブ君の目的は、「生長の家」解体、「日本国家」解体であり、この方針は「西欧エシュタブリッシュメント」の方針とは不思議にも一致していることがわかるのであります。



F 平成の大国難は、「元寇の再来」の危険性であります。マサノブ君はこの「元寇の再来」の危険性にはなぜか触れないのであります。信徒がそのようなことを考えないように、信徒の眼を別の方向へ向けさせる。丁度、共産中国が自国民の政府への反感を尖閣諸島領有権主張の方向に向けさせているように、であります。何処に反らせてたのか? それが環境問題であり自然との共生運動であり、更に具体化して今回の「天女山ヒルクライム」と称する体力作りのための自転車競技大会であります。マサノブ君は「生長の家」信徒が愛国心や日本精神の方へ眼を向けないよう、GHQの日本国民の精神的骨抜き政策と同じく、「マサノブ教団」に於いても、スポーツ振興策をそれなりの理由をつけて始めたわけであります。<「自己に宿る神」が活躍するための最も重要な“道具”が、肉体である。これを清浄健全に保つ>、これがマサノブ君の「時局はぐらかし幻術」であります。GHQの日本国民愚民化政策と同じく、“マサノブ教団愚信徒化政策”であります。(マサノブ君は、今まで共産中国の対日政策に物言いを付けたことはないのであります。このことは、日本が共産中国に併呑されされるのを待ち望んでいるからであります。われわれ信徒としては、この点を見落としてはならないのであります。)



G マサノブ君の思考は、「肉体が健康になれば、健全な精神を持った人間形成が出来る」と言う「肉主霊従」・「物主心従」思想であります。「霊主肉従」・「心主物従」とは対極の思想であります。ここに、彼の根本的誤りがあります。講習会では「三界唯心」と解きながら、彼の唱える環境対策は、物的環境対策――つまり根本原因からの改善対策ではなく、単なる“膏薬貼り対策”であり、更に言えば、環境改善を名目にしての信徒の浄財を浪費しての道楽を楽しんでいるだけであります。早朝神想観、30人以上の集会禁止でCO2排出の抑制を主張する一方で、CO2大量発生の飛行機で小旅行付き講習会出張、そして、今回の「自転車競技」での参加者の吐き出すCO2の増加――これは決してマサノブ君の書いているような“炭素ゼロ”のライフスタイルの一部とは成り得ないのであります。、マサノブ君は真面目に環境対策など考えていないことがわかるのであります。宗教貴族の特権で、道楽という事業慾を満たす為に信徒の浄財を蕩尽し尽くして人生を思い残しのないようにする事だけを考えている、そのための心にもない屁理屈的美辞麗句に惑わされてはならないのであります。



H 「肉体が健康になれば、健全な精神を持った人間形成が出来る」と言うマサノブ君の主張の誤りは、次ぎのような点に置いても現われているのであります。彼は「森のオフィス」の職員用トレーニングジムで、肉体を鍛えていると思われるのでありますが、真剣な求道心を持たず、『生命の實相』を熟読して自己霊魂の進化向上をはかる気持がないからこそ、常に利己的行動中心の人間となって、異常行動をとって恬として恥じないマサノブという人間が出来上ったのであります。常識人以下の行動の例――「旅人の被災」の行動、お通夜の席での暴言行動、自作自演の「法燈継承」、実母・恵美子先生の軟禁のよる情報遮断や実印と預金通帳の取り上げ、原宿本の建物の解体強行・・・これらは決して健全な精神を持った人間の出来る事ではないのであります。また、世界チャンピオンになったスポーツ選手が社会的事件を起すことも多くあります。このことは一般的に言えば、人間の霊性開発を怠っての肉体の鍛錬は、必ずしも健全な精神を持った人間となれるとは限らないと云うことになります。そうすると順序としては「霊性開発」による健全な人間形成が先である事が正しい考え方である、と言うことになるのであります。



I では、「正統・生長の家」から言えば、――

イ 「天女山ヒルクライム」より「神性開発練成会」を優先すべきであります。

ロ 生命の實相哲学をバックボーンにした、将来の日本を背負う人財育成の為の「生長の家総合学園」の建設を優先すべきであります。

ハ 身土不二の真理に基づく日本農業振興を目指して、生命の實相哲学をバックボーンにした「生長の家農業法人」の全国的展開(私見)を優先すべきであります。

以上のごとき方面に信徒の浄財は使われるべきであります。マサノブ君の個人的道楽事業や利ザヤ稼ぎの株式投資(投機)には使われてはならないのであります。



J 最後に、今ひとつのマサノブ君の根本的間違いを指摘しておきます。彼は言う、<< 生長の家では「肉体はナイ」と説くことがあるが、この教えを誤って理解する人もいる。それは、「肉体はナイ」のだから、肉体の健不健にこだわることなく、暴飲暴食をしたり、喫煙にふけり、睡眠時間を極端に削り、あるいは不規則でいい加減な食事をすることも、人類光明化運動のためには一向差し支えないと考える場合だ。>>と。しかしこの様な真理の曲解をするのは、マサノブ君ただ一人である。まともな求道心を持つ信徒であればこんな解釈は誰一人としてする者はいない。“自然”にだけ感謝し、その他のものには和解と感謝の心を持っていないマサノブ君にして始めてできる解釈であります。明らかに信徒を侮辱し見下している解釈であります。全信徒に向かって謝罪すべきであります。この一事を取ってみても、マサノブ君は総裁としての資格はないのであります。全信徒挙ってマサノブ君を破門し、罷免・追放すべきであります。



三代目・マサノブ君の狙いは、明らかに開祖・谷口雅春先生御創始の「生長の家」の完全解体と地上よりの完全抹殺であります。それまでの期間に於いて、1000億円以上の教団資産を現金化して、ユキシマ金庫番を督励して、利ザヤ稼ぎに精を出し、「お孫さまの為さることに間違いはない」と洗脳した信徒達から『生長の家』看板を大いに利用して浄財を出させることにマサノブ君は自己人生の醍醐味を感じているのです。マサノブ君の宗教貴族としての蕩尽精神は、決してゆるされるものではないのであります。全信徒は、平成の大国難である<元寇の再来>に真剣な眼を向けなければなりません。今回の「天女山ヒルクライム」という名の自転車競技は、この様な<元寇の再来>から信徒の眼をはぐらかす為のマサノブ流幻術と考えなければならないのであります。再合掌



< 重要参照記事 >

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=91

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=89











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