生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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『寝言はやめてください』・・と、復興G氏が 正論 を述べています (409)
日時:2013年03月11日 (月) 00時44分
名前:サーチャー

<トキ掲示板(Web誌友会 板/2)>
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534 :復興G:2013/03/10(日) 20:56:46 ID:AB6RqYXc

さて、生長の家教団の行方はどうなるのでしょうか。

生長の家は、神の人類救済運動として神が始められた運動であるならば、このまま衰退の一途をたどって消えて行くはずはないと、私は思います。いかなる困難も、乗りこえられないような障礙を神が与え給うはずはない。しかし、人間の知恵才覚では乗りこえることができないような困難を与えられているのかも知れない、と思います。

私は、昨年11月、総本山での相愛会「ブロック教区連合会長会議資料」をコピーで入手しました。それには、「連合会長の使命と役割」として、
  (前略)

 [2]相愛会員の使命感の高揚
この運動に対する燃えるような使命感を教区幹部、会員に点火することであります。具体的には、使命感をもって運動に喜んで参画し、創意工夫をして進展する相愛会運動を展開する幹部、会員を陸続と輩出することであります。

 [3]ビジョンの設定
そのために、わくわくするような自教区のビジョン(長期・中期・短期)を打ち出し、会員幹部と常に共有することであります。
  (後略)

というようなことが書いてありました。さて、はたしてそれができるでしょうか。

私は、上記のことは絵空事、夢の中の寝言のようなものだと思います。今の運動に、「燃えるような使命感」など湧いてくるわけはない。総裁から「汝ら、罪の子人間よ、地球上の害獣よ」と責められ、「日本は侵略国である」と裁かれ、
>「日本の建国は世界に類例がないほど珍しく、古典に書かれた建国の理想は他国にない独特のものであるから、この理想を推し進めていけば、世界平和に貢献することができる」という意味のことが書いてありました。しかし、これは論理が混乱していて間違った考え方だと私は思います。特殊で、他に類例がないということ自体には、それほど価値はないのです。社会に受け入れられない特殊性や比類のなさは、かえって社会に有害です。単にウイルス作成の技術が優れているだけでは、犯罪者になることもある。<(建国記念の日式典での総裁あいさつ)

とおとしめられて、「わくわくするような自教区のビジョン」なんていうのも、出てくるわけがない。強いて「わくわくするようなビジョン」というなら、それは、“本流”の人たちと和解し、共に手を繋ぎ肩を抱き合って神の国の実現、日本の実相顕現に一つ心で協力しあう姿、ということになる。

「万教帰一」と言いながら、生長の家の同士が分派をつくり争いあっていて、何が使命感ですか、何がわくわくするビジョンですか。寝言はやめてください、と言いたいです。
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“復興G氏”の言われている、『「万教帰一」と言いながら、生長の家の同士が分派をつくり争いあっていて、何が使命感ですか、何がわくわくするビジョンですか。寝言はやめてください、と言いたいです』・・は、全く同感であります。


マサノブ氏は、謙虚にこの言葉を聞くべきです。



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