生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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反・『御教え』・・・雅宣総裁語録と講評 <第二十一話> (415) |
- 日時:2013年03月11日 (月) 16時37分
名前:信徒連合
< 第二十一話 > 大東亜戦争は日本が起こした侵略戦争だった!?
(『理想世界』平成4年3月号・『信仰による平和の道』)
<<・生長の家としては、日本で「大東亜戦争」と呼んでいた戦争を<正しい戦争>とは考えていないのであります。(「信仰による平和の道」P.204)
・大東亜戦争は<迷い>であると自覚されたならば、あれは誤りであった・間違いであったと否定する(明らかに<侵略>であったと肯定する意)ことに躊躇してはならない。(「理想世界誌」・平成4年3月号)
・大東亜戦争がその悲惨極まりない人間同士の極限的争いの過程で「人間同士が殺し合う事は、如何なる理由によっても正しくない」と教えてくれたからと言っても、それは神が大東亜戦争を起こして人類にその事を教え給うたのではない。人間の自らの<迷い>が引き起こした愚かなる行為を、人間の中にある神性・仏性が「偽りなり、偽りなり」と否定しているのである。(「理想世界誌」・平成4年3月号)>>
(講評)
<大東亜戦争は日本が起こした侵略戦争であってアメリカ(連合国)がこれを阻止して打ち破った。>これが三代目・雅宣総裁の説く「今の教え」であります。
しかし、戦争には正しい戦争とか正しくない戦争とか考えるのはおかしのであります。開祖・谷口雅春先生は、次のように説かれていることを私達は心に銘記すべきであります。―――
* 第二次世界大戦において、多くの自己処罰も行われたが、多くは滅私奉公の尊い犠牲精神で神去りまして、高級天体へ移行した夥しい霊魂もあるのである。戦争はこうして人為と摂理と両方から起こるのであるから、人間がいくら努力して警戒して平和論を唱えても無くなるものではないのである。大東亜戦争は一方においては、<高級霊>が最後の滅私奉公の行動を通して、急激に霊魂の地上進化の最後の過程を終えて高級天体に移住する契機をつくったのである。(「神・真理を告げ給う」P.64−65)
* 戦争は、一人一人の自己処罰では足りない集団的自己処罰として起こる場合と、高級霊が「自己」を滅して「公」に殉ずるところの自己犠牲の行為を通して普通の生活状態では到底達し得ない急速度の霊魂の浄化を得んがために起こる場合があるが、たいていはその二つの原因が重複して起こるのである。従って、戦争には<低い霊魂>が互いに処罰し合う残虐な悲惨な所業が各地で行われるのであるが、また他方には、純潔な<高級霊>が理想のために「公」のために自己を犠牲にして「私」を顧みない崇高な精神の発露が行われるのである。前者の残虐な悲惨な面だけを説く人もあるが、高級崇高な自己犠牲を行う<場>として戦場が選ばれたということを看過ごすのは片手落ちである。(「神・真理を告げ給う」)
*日本の国難を救わんとして献身を行った特攻隊その他の兵士達をすべて侵略に協力した者として攻撃する人もあるけれども、<結果>ばかりによって論ずべきではない。一粒の麦となって同胞愛のために生命を捨てんと挺身した兵士達をば十字架にかかったキリストのように傷ましくも仰ぎ見るのである。(「新生の書」)
*開祖・谷口雅春先生は「古事記と日本国の世界的使命」において・・・・
「歴史というものは一体何であるかといいますと、現象世界に実相が如何に投影し表現されて来るかという事のその現れ方、即ち実相が現れる場合の作用・反作用という風なものを追うて並べてゆくことによって、その民族に如何ように実相が現れ、実相が現れんとするに当たって、如何に反作用を起こし自壊作用を起こしたかを知り、それをずっと時間内に貫いて観て、そこに実相が如何なる相を以って現れるかを知る事によって大宇宙における日本国の位置およびその将来性を知り、現在自分が国家構成の一員として及び個人として如何に生くべきか、将来この世界は如何に発展して行くべきものであるかと言うことをはっきりさせるためのものが歴史の研究であります。」(『古事記と日本国の世界的使命』P4−5)
とにかく、三代目・雅宣総裁は開祖・谷口雅春先生の御著書を読んでいない。読んでも自分の価値観に合わないところは絶対に採り上げないのであります。このことは信徒に本来の開祖・谷口雅春先生の正しい御教えを伝えないと云う事になるのであります。しかし、それが三代目・雅宣総裁の元々の目的なのであります。三代目・雅宣総裁は<後世の者が後世の価値観で以って過去の歴史を一方的に批判するのは誤り。実相顕現の課程として観、其処から将来への学びをすること>と云う事、および<霊的方面の事が判らないこと>、故に、現象的な左翼的な上っ面な考察の狭い範囲でしか思考できないのであります。
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