生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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開祖・谷口雅春先生の直接指導録 <その10> =神想観と精神統一= (416) |
- 日時:2013年03月11日 (月) 16時46分
名前:信徒連合
開祖・谷口雅春先生の直接指導録 <その10>
=神想観と精神統一=
『生命の實相』第15巻・人生問答篇(P.100)
大川(兄):
その「神想観」の奥義を、一般に頒布される聖典『生命の實相』になんらの会費も伝授料もとらないで、ただ書き流してある。そこが「生長の家」の実に尊いところだと森本さんもおっしゃっていました。これはもっと弘がるべき性質のものです。わたしは「江間式心身鍛錬法」を習ったことがありましたが、すばらしい額とられました。それに「生長の家」の「神想観」は印刷の実費だけしかとられない。実に尊いことですなあ。
谷口:
「神想観」は神がわたしに“ただ”で授けてくだすったのですから、わたしもまた“ただ”でお取り次ぎするほかはないのです。
神のものは神にかえせですなあ。
お礼をしたい人は神さまの道をひろめてお礼をするほかに仕方がないでしょう。
精神統一の手段ならばほかにもある、「神想観」は必ずしも精神が統一しなくともよいのです。
精神統一するに越したことはないが、招神歌(かみよびうた)で神を招(よ)ぶのですから、精神が統一しなくともただあの形式どおりにおやりになれば神徳(おかげ)が得られるのです。
精神統一ができなければ神徳(おかげ)が得られないだろうという心がじゃまになっては、かえって神徳(おかげ)が得られないことになる。
本当は、神徳(おかげ)を得ているのだけれども、<気がつかないから現われない>。
おかげは得ている。われわれはただ気がつけばよいのです。
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