生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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<特報>  雅宣総裁の新戦略か?・・・ (430)
日時:2013年03月12日 (火) 17時56分
名前:公平なる観察者



本流信徒の皆さん、どうも雅宣総裁は「トキ掲示板」で新戦略を開始したように感じられます。本流信徒の方々の追求努力で雅宣総裁は難しい哲学用語を使った「初心者」なる人物による『御教え』批判が書けなくなり姿を消したようであります。しかし、今度は雅宣総裁自身を称賛し、共感を感じさせる持ち上げ方をする投稿文が現われました。




雅宣総裁を称賛する投稿文より抜粋:――
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/l50
(記事NO.540−541他)


(「元青年会員です」氏、他数氏の記事より)


* この「自然と人間の大調和を観ずる祈り」は、私には雅宣総裁の偽らざる本心と感じられます。

* この総裁の祈りは人間の良心というものを痛く痛く感ずる。

* 雅宣総裁は、生長の家を悟る以前の現象世界の問題に苦しみ続けられた、若き日の谷口雅春先生に似ていらっしゃる。

* ご自分を責めていらっしゃる人間谷口雅宣の良心を感ずる。人間誰しもが心深くに持っている、深い苦悩を感ずるのです。

* 「自然と人間の大調和を観ずる祈り」には、雅宣総裁の人間としての良心がある、それは、谷口雅春先生の良心にも通ずるものだ。このような雅宣総裁をいただいたことには、神の深慮というべきものがあるかもしれません。

* 「生長の家に内在する迷いが、雅宣総裁を通して顕在化している」

* 「谷口雅春先生に残る迷いが、雅宣総裁を通して顕在化している」

* 「谷口雅春先生の求道を支えた良心が、雅宣総裁を通して顕在化している」

* 谷口雅春先生の、危機を叫ぶ痛々しい魂が、雅宣総裁を通して現れている。

* 雅宣総裁の強烈なまでの痛々しい祈りには人間の良心が流れているのを感じざるを得ません。人類や生命への深い愛情が流れている。ここに実相を見ます。仏の慈悲のこころを見ます。どんな深い迷いに見えようとも、その奥に神のみこころが流れているのを感じます。それは、実に実に尊く、美しい心です。

* 私たちは見るべきです。永遠に変わらざる生長の家を。そこには人類普遍の良心が流れています。それは谷口雅春―谷口清超―谷口雅宣を貫く心ではありませんか?

* 現在の雅宣先生は、大悟を得る前のお悩みの状態だと拝察しています。

* 雅宣先生は純粋な方だし、知識も豊富な方ですから、ご自分なりの理想を実現しようと思われていた。

* 総裁は大通智勝如来のような人だと思いました。光がすぐそこにあるのに目を閉じている人のようです。

* 総裁の迷いは、私の迷いでした。それは、過去の残像で、もう迷いは消えました。美しい大調和の天国が、現象世界にも今、現れつつあるんだ!私は、ただ喜べばいいんだ!喜ぶしかないんだ!ありがとうございます!



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これでは余りにも称賛しすぎなので、バランスを取るため、一方において多少ブレーキを掛け更に信徒の皆さんの共感共鳴あるいは同情を引くような次の様な表現が挿入されています。


* 残念ながら、雅宣総裁の真理の言葉には、谷口雅春先生のごとき喜びが感じられません。

* 残念ながら、それは生長の家総裁としては問題があるかもしれません。

* 谷口雅春先生の人間的な迷いの部分や理知的な部分、あるいは批判精神が雅宣総裁へと伝わり、宗教的霊感や宗教的直感は伝わらなかった、というのが事実ではないか

* 雅宣総裁が、その深き苦悩から光明思想へと飛躍すれば良いのですが、それは今世では難しいかもしれません。

* 雅宣総裁は、残念ながらまだ、自然破壊する人類の問題をご自身の問題として、十分には引き受けきれていない。

* CO2削減という物質レベルで解決しようとしていること自体に、本質に触れ得ていない。

* 現在の生長の家の状態を考えると、谷口雅宣先生が強い非難を受けるのはとても残念ですが、仕方がないと思います。



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<疑問点>


@ 雅宣総裁に本当に“良心”なんてあるのか? <自然と人間の大調和>をいう前に<義兄・実弟の方々との大調和>はどうするのか? 開祖・谷口雅春先生の御著書の絶版をどう説明するのか? 雅宣総裁には“良心”なんて現在に於いてはないのである。


A 雅宣総裁は、果たして自分を責めるような純粋な人間性を持っているといえるか? 雅宣総裁は独裁者になる事を夢見てきた人間で、今や冷酷なる独裁専制教主となっている。純粋な自責観念の強い人間は決して冷酷な独裁者とはなれないではないか。


B 雅宣総裁は、<大悟を得る前のお悩みの状態>とは決していえない。雅宣総裁は理屈の世界でのみ真理に到達できると考えていますので、一躍超入實相世界へは入れない人間であり、大閑をパソコン相手に過ごすだけで、真剣な求道心のかけらもありません。お釈迦様のようにセレブ生活をサラリと捨て、八ヶ岳の深い森で庵を結んで徹底的「神想観」の行に入るのなら別でしょうが・・・。


C 雅宣総裁の實相直視を語り、雅宣総裁の迷いの姿は自分の責任であると自覚する投稿者の態度はこの上なく真理に徹して崇高であるように見える。しかし、これまでどれほど多くの實相直視の「神想観」を続けて来た心の綺麗な純粋な信徒の方々がおられた事か! しかしそのような人たちは、雅宣総裁の實相顕現を祈るだけで、生長の家教団の實相顕現に為の具体的行動に欠けていたのです。祈りには實相を顕現するための行動が伴なわなければならない。それは具体的には「雅宣総裁更迭」の行動であります。雅宣総裁の擁護と温存につながっている是々非々主義的な生ぬるい論議では雅宣総裁を益々のさばらせるだけです。


D 異常の如く考えてきますと、「トキ掲示板」の投稿記事は雅宣総裁にとっては“自己弁護”、他の数名の投稿記事も徹底的追及には腰砕け、擁護部分が半分はあり、全体としては必死に雅宣総裁を弁護し擁護しています。だから、「元青年会員です」氏はイコール雅宣総裁自身ではなかろうか?との観測も流れ出しています。本流信徒の皆様、ここしばらく「元青年会員です」氏とその擁護者の書き込みに特段の注意を払いましょう!






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