生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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迷いはどこから来るか?・・・必死に逃げるマサノブ氏!! (50)
日時:2013年02月18日 (月) 23時16分
名前:サーチャー

平成19年7月15日の埼玉教区での講習会において、受講者からの質問に答えるコーナーで、マサノブ(副)総裁は『迷いは自由から来る。レストランのメニューを見て迷いませんか?』・・なんて回答しておりました。

「画龍点睛」氏がその点を問いただすと、「初心者」は逃げること、逃げること・・・




傍流掲示板(「まじめな話」の板 )
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405 :神の子様:2013/02/05(火) 18:31:22
ますます、“迷う”雅宣総裁! (6178) 日時:2013年02月02日 (土) 10時32分
名前:画龍点睛

合掌、ありがとうございます。
「初心者=雅宣総裁」は、難解な哲学論争?には長けているように見えますが、宗教的な事柄や霊的な事柄に関しては、全く理解できていないのであります。またもや、大閑な彼は
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「トキ掲示版」<ひとり言版>
2246 :初心者:2013/02/01(金) 13:13:31 >>2234
「迷いは自由からくる」。雅春先生もこのように説いておられたのでは?神は完全なる人間を創った。しかし人間に自由をあたえた。それは迷うこともできる自由だった。神は、人間に自由をあたえれば迷うということもご存じであった。こういうことを雅春先生はいっておられたとおもいますが、わたしの思い違いでしょうか。実相哲学の本質とは、神がいったんは完全な人間を創っておきながら、なぜ迷う方向に人間を仕向けたか、ということにあるとわたしは考えますが、いかがお考えですか? 完全なる実相世界を創っておきながら、神はなぜそれで終わりにされなかったのか、この謎を解くのが実相哲学の本質であるとわたしは考えます。

2247 :初心者:2013/02/01(金) 13:29:37
神が完全なる実相世界を創られたにしても、そのことに必然性は感じられないので、それはわたしにとってどうでもいい問題なのです。神が人間を迷うようにと仕向けられたことには必然性があるとおもわれるので、このことがわたしにとってのただひとつの問題となっています。
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「初心者=雅宣総裁」は上記のように「神がいったんは完全な人間を創っておきながら、なぜ迷う方向に人間を仕向けたか、神が人間を迷うようにと仕向けられたことには必然性がある」と論じているのであります。しかし、このような論理展開を雅宣総裁がなしていること自体が『生命の實相』を熟読していない事を暴露しているのであります。この様な論理展開は完全に間違っているのであります。

實相哲学の本質では、神は完全であり、<迷う方向へ仕向けた神>などは決して実在ではないのであります。また、迷う方向へ仕向けられた人間などは本来ないのであります。<神が人間を迷うようにと仕向けられたことには必然性がある>なんて言うこと自体、雅宣総裁自体が迷いの穴に落ち込んでいることの証明であり、足が地に着いていない完全なセレブ学者の迷言であるのであります。
(つづく)

406 :神の子様:2013/02/05(火) 18:32:04 (つづき)
『生命の實相』を読めば、「迷いは、何処から?」と考える人は、迷いが実在であるということを前提にしているからこの様な疑問が生じてくるのである。迷いは何処からも来ません。本来、無いからである。無いものの出所を幾ら追及しても永遠にその出所はわからないのであるとハッキリと書かれているではありませんか! 

比喩的にいうならば、楽屋(實相世界)にいる名優が、色々な衣裳を身につけて舞台(現象世界)に出て、時には迷ったようなセリフを述べ、迷い人のような役を演じているようなもので、再び楽屋(實相世界)に戻れば、決して迷ったことのない、これからも迷うことも無い完全円満な名優(實相人間)に戻る、この實相人間こそが本当に実在する「神の子人間」であるということなのであります。

故に、雅宣総裁の<神が完全なる実相世界を創られたにしても、そのことに必然性は感じられないので、それはわたしにとってどうでもいい問題なのです。神が人間を迷うようにと仕向けられたことには必然性があるとおもわれるので、このことがわたしにとってのただひとつの問題となっています。> という事などは、信仰する者、道を求める求道者にとっては、単なるセレブ族の夢、幻の世界での言葉の遊び、大閑人の“世迷い言”にしか過ぎないのであります。

私たち、信仰する者、道を求める求道者にとって大切な事柄は、聖経『甘露の法雨』にある如く、
< 物質の奥に、肉体の奥に、霊妙極まりなく完全なる存在あり。これこそ神によって造られたる儘の完全なる『汝そのもの』にして、常住健康永遠不滅成る『生命』なり。汝ら今こそ物質を超越して、汝自身の『生命』の實相を把握せよ。> 
という言葉にしたがって、神想観の中に於いて、このコトバ通りの自己の實相を感情的にありありとジィーッと“観じ感じ”続けることなのであります。

どう考えても、雅宣総裁は、宗教家でもなければ、真剣なる求道者ではありません。彼の適職はやはり小理屈専門の小学者であります。宗教界に在籍していることは彼にとって苦痛そのものであります。(ホントにお可哀相!) 10億円ともいわれる個人蓄財もスイス銀行にある様子、宗教界を去り、早く自由の身になるのが余生を健康に生きて行くためにも一番よいのであります。
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必死に逃げる「初心者=マサノブ」氏!!
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407 :初心者:2013/02/05(火) 19:54:33 >>405 >>406

「いったんは完全な人間を創っておきながら」というのは、わたしの考えではなく、「生長の家的にはこのよう考えるだろう」ということですよ。このことがおわかりではなかったようです。生長家の教えのなかの、神が完全な人間を創ったとされる部分にかぎって、わたしはこれを批判し、異論をとなえているのはあきらかでありましょうに。

もういちどいいますが、生長の家的にはこのように考えなければならないだろう、ということを述べただけであって、わたしの考えとはまったく無関係のことがらを述べたにすぎません。わたしは「神が完全な人間を創った」とは考えておりません。

しかもわたしは、おりにふれて、すべては仮想の世界の出来事だと述べておりますよ。「迷いが実在だ」とする考えが、いったいどこから出てくるというのでしょう。生長の家の人の考えることはわかりませんねえ。じつに不思議です。

それに、わたしの考えのなかで「迷い」という概念を用いる必要はありませんので、とうぜんのことながら、「迷いは何処から?」と問う必要もありません。初心者があたかも「迷いは何処から?」と問うているかのごとき表現をもちいてわたしを批判しておられるようでありますが、自分の尺度だけでものを考えようとする人は、どうしても使いなれた表現を用いたがるということでありましょうね。他山の石とするしかありませんでしょう。

なんにしても、なぜかこういうことにだけは食いついてきますね。書き込みの長さから察するに、無意味で的外れな批判にずいぶんと多くの時間と労力をおかけになられたようです。

わたしが総裁でなかったら、この壮大な無駄遣いを、いったいどうやって納得なさるおつもりなのでしょう。
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旧約聖書的理解 (55)
日時:2013年02月19日 (火) 04時01分
名前:野の百合の花

だいたい谷口雅宣は青山学院からアメリカ時代に掛けて旧約聖書の影響を受けたと思われます。

旧約聖書では、神は自由奔放の人間を作った事に嘆かれた、そしてノアの箱船でアブラハム他正直者達や動物を助けられたのですが、所詮人間は動物と同類の神様の間違いの産物なのです。

ですから人間は罪の子としてこの世を送らなければならず、谷口雅春先生のお悟りである「人間神の子」の教えが理解出来ないのです。

唯物思想を護国の神剣で切り刻む事を本義とする、長崎総本山は唯物主観の雅宣にとっては地獄に等しい場所であるから「長崎総本山は聖地ではない」と言い放ったのです。

迷いは無い!! (72)
日時:2013年02月19日 (火) 22時53分
名前:ソウヨネ

「迷いは自由からくる」。雅春先生もこのように説いておられたのでは?・・・・誰ですか、こんなことを言うのは???


雅春先生はそんなこと言っておりません!!

私が聞いているのは、「迷いは無い。無いものはどこからも来ないんだよ」です。

総裁だからこその発言? (143)
日時:2013年02月23日 (土) 10時35分
名前:サーチャー

必死に逃げる「初心者=マサノブ」氏!!    <ポイントを抜き出してみました>
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407 :初心者:2013/02/05(火) 19:54:33 >>405 >>406

・「いったんは完全な人間を創っておきながら」というのは、わたしの考えではなく、「生長の家的にはこのよう考えるだろう」ということですよ。

・生長家の教えのなかの、神が完全な人間を創ったとされる部分にかぎって、わたしはこれを批判し、異論をとなえているのはあきらかでありましょうに。

・生長の家的にはこのように考えなければならないだろう、ということを述べただけであって、わたしの考えとはまったく無関係のことがらを述べたにすぎません。

・わたしは「神が完全な人間を創った」とは考えておりません。

・しかもわたしは、おりにふれて、すべては仮想の世界の出来事だと述べておりますよ。

・「迷いが実在だ」とする考えが、いったいどこから出てくるというのでしょう。

・わたしの考えのなかで「迷い」という概念を用いる必要はありませんので、とうぜんのことながら、「迷いは何処から?」と問う必要もありません。

・初心者があたかも「迷いは何処から?」と問うているかのごとき表現をもちいてわたしを批判しておられるようでありますが、

・なんにしても、なぜかこういうことにだけは食いついてきますね。書き込みの長さから察するに、無意味で的外れな批判にずいぶんと多くの時間と労力をおかけになられたようです。

・わたしが総裁でなかったら、この壮大な無駄遣いを、いったいどうやって納得なさるおつもりなのでしょう。
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如何でしょうか?

『わたしの考えではない』 『生長の家的にはこのよう考えるだろう』  『述べたにすぎません』  『いったいどこから出てくるというのでしょう』

必死に防戦している感じがしますよね。


最後の『わたしが総裁でなかったら、この壮大な無駄遣いを、いったいどうやって納得なさるおつもりなのでしょう』・・をどの様に感じますか?

総裁だからこその 発言 ではありませんか??

マサノブ教祖ご愛用の<手法> (211)
日時:2013年02月26日 (火) 17時28分
名前:サーチャー

これですね、マサノブ氏の“逃げの手法”は?



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マサノブ教祖ご愛用の<手法> (12121)  日時:2012年08月05日 (日) 23時08分
名前:イ○○理事長

『論争になったら、質問には逆に質問で返す、これが鉄則であります。』


これこそ、マサノブ教祖ご愛用の <手法> であります!!

回答に窮すると、「その定義は?」「その定義を述べて下さい」..なんて回答が返ってきます。 これなのですね...
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マサノブ氏もお料理写真を? (333)
日時:2013年03月06日 (水) 12時36分
名前:サーチャー

お料理写真は、奥様の専売特許ではなかった?

お得意の“絵手紙”に専念していると思っていたら、今度は“料理写真”です。


周囲の <抵抗の強さ> に 迷い・迷い ながら、その矛先を・・・・・



<生長の家総裁 facebook 平成25年3月5日>
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昨日、子供2人を招いて、遅ればせながら雛祭りのディナーをいただきました。女性陣のためのはずなのですが、妻も娘も立ち働き、私と息子は「食べる人」でした。
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これはご自分が撮った写真でしょうから、<お肉料理>は隠して(?)ありますよ!!


<迷い>に迷う、トンチンカン? (984)
日時:2013年05月05日 (日) 13時15分
名前:サーチャー

<トキ掲示板(WEB誌友会)>
931 :トンチンカン:2013/05/05(日) 03:59:58 ID:nFgY2khg

<迷い>に迷う、トンチンカン?


*「ローストチキン」が食べたいな〜〜

・マサノブ教では「ノーミート運動」が盛んなんだよ!!

*そうかい、それじゃ「ローストチキン」は食べない方がイイのかい?

・マサノブご夫婦は「ノーミート」だとのことだよ!!

*それはないでしょ? 写真に「ローストチキン」が写っていたよ?

・あれは、ご子息用なのよ!! マサノブご夫婦は「ノーミート」だってことなの? そのうちに、「ノーミートの定義」なんて出てくるかもよ??

*でも「ローストチキン」美味しそうだな〜〜  食べようか? やめようか? ... 迷うな〜〜 

・マサノブ教では、それを <迷い> というんだよ!!

*エエ? 本当かい?

・以前に埼玉の講習会で、「レストランのメニューを見て迷いませんか?これ迷いですよね?」..とマサノブ氏が言っていたんだよ・・・

*それも、迷いなのかい?

・そう言ったんだよ、マサノブ氏が...

*そんなのは、単なる<選択>の問題じゃないのかい? これって指させば決まるじゃないですか?

・う〜ん 成る程... 自分で解決出来ないで、悶々としているのが<迷い>だね・・

・それとね、「<迷い>の裏側に<自由>がある」なんてことも言っていたんだ、どう思う?

*「<迷い>はナイ」・・と教えられたよ!! 雅春先生に・・・

・いやいやマサノブ教では、<迷い>は有るんだ、<自由>の裏側なんだ。

*だったら<迷い>を無くするためには、<自由>を無くさなければならいの?

・そこが理解できないんだよ!!

*君が理解出来ないことを、トンチンカンが分かるはずがないじゃないですか・・・






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