生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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反・『御教え』・・・雅宣総裁語録と講評 <第二十六話> (475) |
- 日時:2013年03月16日 (土) 09時08分
名前:信徒連合
< 第二十六話 > 腹ごしらえが終れば、いよいよ被災地脱出である!!
(新潟中越地震遭遇記・平成16年10月24−25日)
<<腹ごしらえが終れば、いよいよ被災地脱出である。・・・MAX山彦の先頭車両に飛び乗った。その席で私はこの文章を書き始めた。隣の席で、妻は両親への頼りを書き始めた>>
(講評)
上記の「新潟・中越地震遭遇記」の正式タイトルは“旅人の被災”であります。
この文章の一大特徴は、被災した現地の信徒たちへの心配心は何も書かれていず、現地の教化部へも行かず、心配したことは宿泊ホテルへ持って来ていた自分のパソコンがテーブルから落ちて壊れなかったかどうかという事のみ。
そして、翌日の講習会を生長の家講習会史上の初中止の決定を自分で下すや、最初に考えたことは、出来るだけ早く被災地を脱出することであった。
民間会社の社長が出張先で大地震に出遭った場合は、現地の社員の被災状況と現地工場、支店、営業所の被災状況をまず把握しその救助と復興に陣頭指揮を執るのが常識であります。
然るに、わが三代目・雅宣・純子両総裁は自己の安全と東京へ向かって脱出することしか頭になかった。現地の被災信徒への慮(おもんばか)りもない極めて冷淡な学者先生・評論家・ルポライターに徹した三代目・雅宣・純子両総裁でございました。
現在この夫婦は揃いも揃って信徒の浄財を財源としてセレブ生活に浸っており、旦那は一日9時間以上のパソコンお宅の引きこもり、夫人は朝・昼食の写真付き日記の公開と市民教養講座へ通い、月2〜3回の「講習会」出張という名目での“小旅行”を連れ添って楽しんで教勢低下等どこ吹く風、と終身雇用の総裁の椅子の保証の下で優雅な人生を茶坊主に取り囲まれて過ごしておられるのであります。
しかし、これは“噴火山上の舞踏”にしか過ぎないのであります。
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