生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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仮想・緊急鳩首会議!――マサノブ・イソベ・ユキシマ三首脳 (6862)
日時:2015年05月05日 (火) 12時24分
名前:怒れる信徒δ


大型連休中の「森のオフィス」、その5月某日、八ヶ岳のマサノブ総裁邸へ緊急呼び出しを告げられたイソベ若頭とユキシマ金庫番、マサノブ組長の緊急呼び出しを断ることも出来ず、シブシブ重い足を運んで行った。あたりは新緑で気分爽快が普通なのだが、イソベ若頭とユキシマ金庫番はとにかく憂鬱な日々の毎日であった。4月末の相・白・青の全国幹部研修会は、造反分子の質問攻めに遭うと覚悟していたが、例の岡講師の罷免強行による脅しが相当効果を発揮したらしく、何とか無事に乗り切れたのであった。しかし、掲示板による「別派・マサノブ教」に対する追求は一向に勢いが衰えず、神経的にイライラが昂じて、このままでは何時、重篤なる情緒不安定の診断が下されるかもしれない状態であった。うつむき加減にトボトボと歩いてゆく初老の男が二人、何処から見ても“理事長・副理事長”には見えぬ哀れにして寂しげなる風体である。やがて総裁邸に到着して応接室に通された。



組長(総裁): 

急に呼び出しを掛けて相済まぬ。実は、君たちも知ってのとおり、われわれは今完全な守勢に立たされている。本当に完全な逆風なのだ。オレも強がりを通しているが、実は神経的に参っているのだ。これは、今日の10時58分に「掲示板」に載った書き込みだが、オレに反発している今の信徒は実にケシカラヌ! 此処にプリントアウトして置いたので、まずこれを読んでくれ。全く馬鹿にしてやがる!



若頭(理事長):――

ユキシマ、チョット読んでくれ!



金庫番(副理事長):――

ハイ、かしこまりました・・・
<< 「トンデモ総裁」が、≪偽善宗教家≫である所以は・・『敗訴が確定的』であるのに、、「最高裁」まで <裁判> を続けること・・高額な『弁護士費用』に、信徒の浄財をジャブジャブ使って平然としているのです。そして、次から次へと<裁判>を継続しているのです。マサノブ爺さんの『面子』なのか、「総裁の座」に居座る為の『時間稼ぎ』なのか・・『大調和の神示』を説きながら、「母親・ご兄弟」との≪大不調和≫を演じているのです。普通の「人間」としての ≪感性≫ が疑われるのです。(狂っている・・?)でも、「人間」以外の 『動物』やら『自然』との<大調和>には熱心なフリをしているのです。『人間神の子』、、ではなくて、『人間悪者』論がトンデモ総裁の思考なのでしょうか?「トキ掲示板(本流対策室/6)318 :トンチンカン:2015/05/03(日) 10:58:46 ID:r6TJQSCM>>



組長(総裁): 

今日は何でも言って好いぞ、今日はオレに逆らって言っても粛清なんかはしないぞ。安心して何でも言ってくれ。まず、感想を聞かせてもらおうか、イソベ、お前から言ってくれ。



若頭(理事長): 

言論戦では現在の掲示板の論客の方が上です。逆から言えば、われわれ「マサノブ教団」には、本流の論客に太刀打ちできる逸材は、一人も居なくなったのですから・・・出来る優秀な人材は既に離れて辞めて行ったのですからいたし方がないのです。教化部長の人材にも適任者がなくなり、本部講師も全員「寄らば大樹」ってことで保身に汲々として、また地方講師も先生ごっごという肩書きに酔っているだけで、古参信徒や求道心の強い一般信徒の質問にはシドロモドロと言う体たらく、正直言って私めも苦悩しているところなんです。ユキシマは現状をどう分析しているのか、言ってみたまえ。



金庫番(副理事長): 

今、若頭が「本流の論客に太刀打ちできる逸材が居なくなった」と言われたが、私めからみると、逸材はいるんだけれども、寄って立つ「現教団」の思想的基盤が脆弱な為、つまり「現教団」が開祖・谷口雅春先生の「生長の家」継承の“正統性”を根本から欠いているから、「本流復活」側に太刀打ちできない致命的弱点を持っているからです。そこのところを「本流」側から突かれると言い返せなくなるのです。



組長(総裁): 

歯に衣を着せないでハッキリと云いたまえ。今日はお前たちの忌憚のない話を聞こうじゃないか。具体的に言ってみたまえ。安心して言い給え。降格や年俸2000万円(?)の年俸カットの心配等は今日はしなくていいんだぞ。



金庫番(副理事長): 

承知いたしております。われわれ3人は一蓮托生と覚えておりますから。「現教団」の致命的アキレス腱は何かといえば、――

1、 組長が、先代から正式な「法燈継承」の認可を受けていない、ということ。それを「掲示板」の記事で知る人が次第次第に多くなっている。

2、 だから「本流」側は、「自作自演の法燈継承祭」とか「自称の法燈継承者」とか言っていますが、論理的には「本流」側の方が筋が通っている。

3、 組長は、真理を時代とともに変化しない中心部分と時代とともに変化していく周縁部分とに二分しましたが、「本流」側の「時代と共に変化するものは真理とは言わない」の主張には反論は出来ません。そのとおりです。組長の説かれる「今の教え」では、人間=神の子ではなくて、人間至上主義を実践している100%神性隠蔽された状態の現象の人間が強調され過ぎ、その神性隠蔽については触れられていない為に、「本流」側から「今の教え」は「人間=罪の子」を説いていると見られている。そして、『實相』の額をカーテンで遮蔽して、雑木林を大自然に見立てて礼拝する。「今の教え」は大自然礼拝の原始宗教に逆戻りした、と一般信徒に誤解を与えている。式典に於ける土足登壇にも信徒の組長(総裁)への抵抗感が根強い。こう言った点を突いてくる「本流」側には残念ながらわれわれは反論出来ない。

4、 「今の教え」では、教規違反、つまり@ 教規第2条違反(『生命の實相』の破棄)、A 教規第5条違反(『大調和神示』の解釈のマチガイ)、B 教規第6条違反(本尊を『實相』から『大自然』に実質変更)は「本流」の指摘とおりで、これまた反駁でません。さらに、「本流」側の言葉で言う“焚書坑儒”もそのとおりで反駁しようにも出来ないのです。

5、 一番あたまが痛いのが、組長(総裁)の「大調和」の話に対して、「本流」側から即座に、「それでは義兄や実弟との調和はどうなっているのだ。実母の軟禁同然のことはどうなっているのだ。組長(総裁)みずからが言行不一致だぞ」、と突っこまれる。「説教強盗」とか「偽善宗教家」との声も信徒間で確実に拡がっています。包装紙と中身とが全然違う「生長の家」――「看板返せ!」と言われても返す言葉がないのです。全く反論は出来ないです。そして、「ユキシマ!何故、総裁に諫言せぬ?それでよく副理事長が務まるなー。タマシイを悪魔総裁に売り渡したイソベと同じではないか!と、副理事長としての責任を追及される。私は金庫番だけ気楽にやっていけるのではありません。正直、ノイローゼがひどくなって来ています。

6、最近「本流」信徒たちは、組長の言った言葉「自衛隊は人殺し集団だ!」を捉えて、「今の教え」はサヨクだと言っていますが、私もサヨクと看做されるのは非常に苦しいのです。私めは未だ真理の理会がまだまだですから到底「本流」の論客には歯が立たないのです。いたし方ありません。

7、ところで、組長はやはり「生長の家」をつぶしてしまうお積りですか? 「本流」の連中はそのように言って信じ込んで吹聴しているらしいのですが・・・



組長(総裁): 

ユキシマ、お前にはまだまだ純真なところが残っているね。自分に負けている。かく言うオレもこの頃では相当イライラしている自分を感じている。しかし、オレはそのような自分に負けてはならぬと言い聞かせ、その弱さを乗り切ろうと思ってお前たちと話をする必要を感じて召集を掛けたのだ。オレもイソベもユキシマも全員、イライラが昂じて弱気になったり、自己嫌悪になって居ては駄目なんだ。ここ一番、踏ん張らねば人生の敗残者となるから、今日の会議でお互い、強気の意思統一を図っておきたいんだ。オレは再び弱気な自己とは訣別する覚悟を決めたのだ。現象世界を生き切り、人並以上の人生目標を達成するには、純粋とか正直一点張りではだめだよ。オレの生涯の夢は“独裁者”になって、意のままに振舞える“環境”に身を置くことだったのだ。そのためには、左手に権力を握り、右手に金を持つことだ。これを実現すれば、そのおこぼれに預ろうと、寄らば大樹の保身第一主義者どもが集まってくる。反発を覚える正義漢は去っていく。去らなければ権力を使って追い出すだけだ。霊界からも同様の考えをもつ所謂、権力の亡者・金銭欲の亡者が多数応援に駆けつける。自分達の出来なかった夢をオレに託して成し遂げようと強力な執着の念を送り続ける。かくして今のオレは、そのような想念の厚い壁で保護されている。したがって、この世の寿命も彼らの強力な執着の応援念波で普通人よりも長生き出来る自信を得たのだ。そう簡単にくたばらないぞ。「悪盛んなれば、勢い天に勝つ」の本当の意味は此処なんだ。オレの余生はあと30年から40年は太丈夫保障されているし、終身総裁で生きて行くのだ。「本流」側はオレが一刻も早くくたばるのを望んでいるが、そうは問屋が卸すものか! 教団内でオレに歯向かえる人間なんて誰も居ない。全権力は、ピラミッドの頂点に居るオレに集中している構造に作り変えたのだ。そして、その権力を持ったということは、教団資産、公称1000億円はオレの自由に使えると云う事なんだ。独裁者の自由を満喫する為には、忠実に働いてくれる親衛隊が必要だ。何もかも一人で企画立案、実現までやるとすると時間の自由がなくなるからだ。オレは、オレのヒラメキに応じて指示を出すだけ、細部の計画、実行、完成は親衛隊の仕事だ。その代わり、親衛隊にはその責任度合いに応じて、世間から見れば破格の年俸を与える。ギブ&テイクだ。うるさい「本流」どもはこれを「栄養価の高いニンジン」と称しているがね。寄付金で成り立つ宗教団体の有難いところだ。とにかくキレイゴトだけでは現象世界は思う存分に生きられぬ。「偽善宗教家」結構!、「売り家と書く三代目」も結構、「毒食らわば皿までも」結構、結構、コケコッコー。「生長の家」を実質的につぶして、オレが死ぬまで「生長の家」の看板だけは思う存分利用する。そして、開祖の爺さんを凌いでその上に昇り、独裁権力者の醍醐味を味わって死ぬ。最高の生き方、死に方ではないか。オレの美学だ。お前たちも、腹を固めて「本流」の追求を馬耳東風に聞き流せば、5年耐えれば1億円の収入が得られる。10年耐えれば2億円、若頭と金庫番の定年は75歳だから、あと2〜3億円は貯金が増え、余生は悠々自適だ。ただ、「本流」の追求は厳しいから、ときどきはイライラが昂じて爆発寸前まで行くことがあるが、これを如何に克服できるかにわれわれの腹の据わり方の強さと程度がかかっているだけだ。そうだろう? イソベ!



若頭(理事長): 

そうですね。ワシは30年ほど前に既にタマシイを組長(総裁)に売って、将来の理事長の椅子と高額年俸の約束を交わした男です。今のワシは「本流」のキツイ責任追求には、腹が立って仕方がない時もある。反論できぬ自分に無性に腹が立つ時だってある。いっそのこと若頭(理事長)を辞めようと弱気になった事もある。しかし、大して能のない自分を厚遇してくれた組長(総裁)への恩義もあるし、タマシイ売って此処まで来たからには最早後戻りは出来ない。徹底したワルになってやろう、と今再びワシは腹を括った。進むも地獄、退くも地獄だ。完全な自己嫌悪に陥ることも暫しだ。その時には完全な“無念無想”の境地に入ることにしているんです。神想観は“有念有想”だが、逆に“完全な無念無想”の境地に入ることを心がけて居る。“無念無想”になると、今のワシの心境に相応しい波長を持った霊界の権力と金力への執着霊が取り付いてくる。この結果、「本流」のワシへの批判や非難はなんとも思わなくなる。彼らの応援の霊力をヒシヒシと実際に感じる。そして、組長(総裁)からの指示をそのまま下の理事や参議の担当者に命じてやらせるだけで、理事長の椅子に定年まで座っていられるのだ。正直言って、毎年2000万円以上を稼げるこんな楽な“お仕事”は鉄のワラジを履いて探しても他にはないのだよ、ユキシマ! 余り四角四面に考えるなよ。「俺たちの常識は世間の非常識、世間の常識はオレたちの非常識」でいいんだよ。クヨクヨせず元気だしなよ。俺たちは一蓮托生、“毒喰らわば皿までも”の血判を押したも同然の仲間じゃないかい。此処まで来ればもう後戻りは出来ないのだぞ。



組長(総裁): 

ユキシマ、お前は金庫番だぞ。これからお前の重要性が益々必要とされるのだ。このことだけはよく自覚して置くのだ。お前は、ひょっとすると、「本流」で書かれているように宗教家が信徒の浄財といわれる金を元手に株で利ザヤを稼ぐことは悪いことだと良心の呵責を感じているのかい? ん?



金庫番(副理事長): 

私めは、教団の財務担当として、単年度黒字化への財務運営の努力をしていますが、やはり、一般会社と違って、信徒から集めた浄財を元手にして株式や証券の運用で利ざやを稼ぐことには躊躇しないわけにはいきませんです。宗教の世界ではすべきではないと思っているのですが、現在の教勢急落に伴い毎年、大きな赤字を埋めるためには、手元資金を生かして利ザヤ稼ぎで補うのが一番手っ取り早いわけです。教団の借入金は殆んど無きに等しき状態ですから、資金繰り倒産の危険性は全然ありません。いつでも固定資産を換金、または担保にいれて借金すればよいわけですから。ですが、私めも、一応宗教団体の役員ですから、信徒の浄財をこんな方面に使って良いものかと良心の呵責に苛まれることもしばしばです。この点をいつも突いてくる「本流」の矢面に自分はいつまで耐えられることかと思っているのです。



組長(総裁): 

何を気弱なことを言っているのだ。ユキシマ! 自分に負けてどうするのだ。お前を拾ってやったのはこのオレだぞ。「本流」のいう宗教貴族の今の優雅な生活を送れるのも、お前の前歴の経験を買ってやったからなのだぞ。お前は迷っている。そんな迷いは無い、と思え。「あらざる物を有りと思うが故に、迷う」のだ。お前の迷いなんて本来ないのだ。今、お前が直面している教団赤字の穴埋めを利ザヤ稼ぎで埋める。アレコレ考えずにこのこと一筋に突き進めば良いのだ。お前なら出来るとオレは思っている。ある程度の投資資金は与えてあるはずだ。まあ、今はアベノミクスで株価も回復したのだから、年間20億円くらいの配当収入と売買の利ザヤ稼ぎを達成する事が今のお前の使命なんだ。「本流」の追求などは犬の遠吠えと思えば良い。オレは、「生長の家」教団の解体を目指しているトンデモない解体屋とか、教団資産を蕩尽し尽くすトンデモない悪魔のように「本流」は評しているが、オレの当面の目標は、教団の“縮小均衡”だ。そのため、贅肉を落す。つまり、教化部や練成道場を整理して、総本山や宇治も換金化して最後は「森のオフィス」一ヶ所だけあれば十分だ。つまり、固定費を極力少なくして損益分岐点を下げる。オレの総裁就任時には信徒数を半減させることを目標に掲げ、今日ではこの目標は期待以上に達成した。これからは更に信徒数が減るように仕掛けていき、最後は1000人位で丁度よいと思っている。そうすれば組織の維持管理費も僅少となり、教団運営が非常にやりやすくなる。ことは、予定通りに運んでいるが、外野席がウルサすぎる。もとより、外野席「本流」のオレに対する信徒の不満煽り立ては承知してきたが、この頃では如何なオレでもイライラするほどに激しい。どう思うかね、イソベ?



若頭(理事長): 

確かに「本流」どもはヤカマシ過ぎます。ワシも腹が立ってムシャクシャするときも、増えてきました。しかし、如何せん、世間の一般常識からすれば「本流」の主張は最もな点が殆んどです。いち早く「本流」側はインターネットの活用に目をつけたのは流石です。それも、組長(総裁)の方針――幹部はインターネットに習熟せよ、との方針を逆手にとって、組長(総裁)批判を的確な投稿文で展開して、われわれ側の幹部たちに読ませてきたが、すべて尤もなことばかりで、われわれには反論できる能力ある人材も居りません。たとえ居ったにしても、反論すればするほどわれわれは不利になるだけです。なにしろ、「本流」側の立脚点は、本来の『御教え』である「唯神實相論」であって、その理論構成には全く隙がありません。それに対して、われわれの「今の教え」は、「本流」の使うコトバで言えば「左翼唯物現象論」で理論的には隙だらけです。マトモには対抗できないのです。勝負は始めからついているわけです。如何な組長(総裁)の優秀な脳味噌をもってしても、このごろでは何も書けなくなっており、「唐松模様」も開店休業期間が次第に長くなって来ております。ジュンコ姉(あね)さんのブログも、「本流」側から、「行ってきましたブログ」とか「お弁当ブログ」とか「幼稚園写真つき作文ブログ」とか冷やかされても、何も言い返せない状態です。一般的な常識的見方ではそのとおりなものですから。何とか「本流」に一矢報いたいと思っていますが、クヤシクて仕方ないが、ワシの実力では歯が全く立ちません。ユキシマ、どうかね、お前さんなら反論できるかね?



金庫番(副理事長): 

私めも「本流」の論客には勝ちたくても無理です。逆らえません。ただ、われわれに幸いとなっているのは、「生長の家」教団の中心は圧倒的に白鳩である事、しかもその白鳩たちも高齢者が多いため一般白鳩でパソコンを閲覧できる人は少ないことが幸いしています。白鳩幹部の「掲示板情報はデマだ」という言葉をそのまま信じていてくれる一般白鳩は断然多いわけで、更に一般白鳩は、「今の教え」の中味など余り深く考えずに、信仰仲間の付き合いを大事にしています。それと、少しづつではあるが開祖を知らない新会員は、組長(総裁)のいう「地球の命が第一」、「環境問題が第一」、「世界平和が第一」、「原発廃止」、「自然との大調和が大切」、「新文明の構築」という提唱課題には“時代相応”と感じて抵抗感が少ないと思います。それはそれとして、私めが危機意識を持つのは、「本流」側の「掲示板」が広く閲覧されて行くにつれて、「生長の家」の社会的評価が低くなる一方、教団幹部の出来の悪さが社会的認知確定事項となって行く事が気掛かりです。「本流」側の毎日更新されている一枚刷りのFAX原稿は実に要領よく「今の教え」の問題点がまとめられており、全国的にはこのFAX作戦の共鳴者も相当人数居ると思います。深く静かに「今の教え」の間違いの実態が拡散されて行き、世間から「生長の家」が忘れ去られて行く事は確実です。もう此処まで来たからには、「今の教え」から元の『御教え』に戻すことは不可能で、行く行くは、終身組長(総裁)は別として、われわれ二人は寂しく去っていかねばなりますまい。私めも再びもと住んでいた東京へ帰ったとしても、隣近所から“哀れな宗教貴族の末路”の無言の嘲笑を浴びせられ白眼視されるかも知れません。「これが自分の一生の終着駅か」と思うと情けなく思うときがしばしばです。組長(総裁)に伺いたいのですが、組長(総裁)は、やはり「因果の法則」と自分については、何も考えていないのですか?



組長(総裁): 

ユキシマ!お前は今日は相当弱気すぎる。「因果の法則」というが、所謂、「善因善果・悪因悪果」という事だろう。それが、過去世・今世・来世を通じて人間を支配している法則と云うのだろう。しかし考えて見ろ。善悪の判断基準は人によって皆違うではないか。「因果の法則」を客観的に、科学的に立証する事は不可能なのだ。心の法則や神癒の法則だけで人間の難病・奇病が奇蹟的に治った体験は、科学的にハッキリとその治癒のプロセスが説明できない現状では、未知なる偶然の要素とでも言うものの特別な要素の介入によるものであって、万人の全てに適用できるだけの明確な法則といえるものはないのだ。これと同じく、ある人にとっては善と判断されることも、他の人にとっては悪と判断される。その反対も然り。故に、他人の判断がどうあろうとも、自分が善と決めたことは善であって、この判断基準に従って行動すればよい。結果が思ったとおりになれば善と判断したことは正しく、結果が期待通りに得られなかったときには、自分の善と判断したことの展開過程において、未だ未知なる要素の介入があったために所期の期待通りの結果がでなかったのだ。その未知なる要素の介入は人間の予知能力を超えたものだから、当人には責任がないのだ。だから、「善因善果、悪因悪果」の絶対的法則なんてものはないのだ。それに捉われるのは間違いだ。自分が善と判断したことには何処までも自分が忠実であればよいのだ。人間には完全な自由が全能の神より与えられているのだ。自信を持って突き進めばよいのだ。クヨクヨ考えすぎて「善因善果、悪因悪果」の法則に縛られずに、自分の信じた方向に忠実に生きて行けば良いのだ。ユキシマ、分かるか? 「本流」の人間は、生真面目すぎて在りもしない「善因善果・悪因悪果」の法則に縛られているに過ぎない。人間は批判を怖れず、地位名誉と権力を目指して自由奔放に生きて行けばよいのだ。これはオレの人生哲学なのだ。すべては「勝てば官軍」の論理でしか現象世界は生き抜けないのだよ。



若頭(理事長): 

のう、ユキシマ!ワシは真剣な求道者ではないから、深い實相哲学の真理のこと等、一向に判らぬが、組長(総裁)の生き様である「勝てば官軍」の論理でこの世は動いていることは確かだ。「人間は自己の人生の主人公」とも「思い描いた通りの人生になる」ことも「今の教え」では強調されている。これが真理なのだとすると、自分の基準で「これは悪因だ」と決めて、「悪因悪果」を想像していると結果は悪くなる。だから、プラス面を見る習慣を身につけて、自分の決めたことは全て“善”と決めてかかればよいのだ。世間常識的には“悪”であっても、自分が“善”と決めればよい。幸い、組長(総裁)の主張――「地球環境保護」や「自然との共生」や「脱原発」や「自然エネルギーの開発」そして、「自然と人間の大調和」、「世界平和」と言う項目は誰が見たって“善”である事にマチガイは無い。現代人の共感を大いに引き出せる時代相応の考え方だ。その為に、信徒の浄財を使うことは“善”であり、信徒に過重な負担を掛けないために、株式運用して利ザヤ稼ぎをして資金を生み出すことも“善”である。そう思わねば「自己人生の主人公」とは言えないのだ。ユキシマ!もっと自身を持て。また、「今を生きる」ということは、科学的にその存在が立証されていない「輪廻転生」や「因果応報」のこと等そんなに深刻に考えないで、今世を如何に目標に向かって生きるかという事に全精力を注入せよ、ということだとワシは理解している。来世のこと等一切考えないで、今世限りの命と考えなければ大きなことは出来ない。「因果の法則」や「因果応報」に捉われていては、人間は大力量人なのだとはとても言えない。逆に萎縮してしまうのだ。組長(総裁)が、副組長を(副総裁)を置かないこともここにある。つまり、組長(総裁)は、教団を如何に未来に向かって存続させるか、など考えなくてよいとの考えだ。ワシも賛成だ。今の組長(総裁)の代で教団が終わってもよい。将来的に今の教団に変わるものの出現の必要性を宇宙の全能の創造神が認められたら、その時には新しい宗教の教祖が現れるだろう。未来のことは全能の神に全托して、われわれは今持てる全資金を地球救済の為に投入して「今を生きる」事だ。たとえ「本流」側から、「破壊と蕩尽」の宗教貴族・看板泥棒・説教強盗といわれようとも耳を貸さなくてもよいとワシは思っているのだがなあ。



組長(総裁): 

イソベの言うとおりだ。われわれ3人は血判を交わしたと同じ結束が必要な時なのだ。今ここで「本流」側の言に乗って、われわれ3人が辞職する必要性は全く無い。それよりも結束を強くして、イソベには、反抗分子の徹底排除をしてもらい、ユキシマには、教団財務を強固にして、不渡りを出さぬように、利ザヤ稼ぎに没頭して貰いたい。ユキシマ以外には安心して教団財務を任せられる能力と経験を積み重ねた人材は居らぬからだ。お前たち二人のことは悪いようにはせぬから、せいぜい健康には気をつけて、オレに従ってきてくれ。宗教貴族の道楽と言われようとも、一切気に掛けずに鉄の心臓をもって次なる新事業のことを考えよう。手元資金は十分あるのだから、失敗など気に掛けずにやろうではないか!
クヨクヨする必要などサラサラ無い。「本流」のことなどどうでもよいではないか。こちら側は、教勢縮小でよいのだ。縮小均衡が狙いだ。悠々と自然の中で宗教貴族生活を満喫しながら、賛同者だけの小集団でよいのだからな。三人結束して今世だけの人生を大いに楽しもうではないか! という事で、ユキシマには元気回復してもらい、お互いの結束を固め、再確認する意味で集まって貰ったのだ。もう後戻りは出来ない。全身あるのみ!では、乾杯としよう!



イソベ若頭(理事長)の独り言・・・

「ユキシマは思っていた以上の小心者だ。いづれ彼は良心の呵責に耐えかねて脱落してやめていくであろう。早速、何時やめてもよいように、彼以上の能力と経験をもった人材を民間から探しておかねば・・・」



== 以上で「創作」仮想・緊急首脳会議を終わります ==








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