生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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開祖・谷口雅春先生御昇天30周年記念 『正統・生長の家本義』――別派マサノブ教では絶対に聞けない信徒必読のお話です。<その一> (7133)
日時:2015年06月13日 (土) 10時32分
名前:信徒連合



開祖・谷口雅春先生 御昇天30年祭 記念

正統・生長の家

( 生長の家本義 )



    はしがき

@   真の宗教は”人為“をこえたものである   

A  生長の家地上誕生の経緯(いきさつ)

B  生長の家の『御教え』とは、開祖・谷口雅春先生の『お悟り』である

C  立教の使命と目的、及び 新しい宗教の使命

D  立教当初とその後の神秘現象、および ブラックソン師のこと

E  開祖・谷口雅春先生の全貌 

F  信徒の体験談の価値 

G  「法燈継承」の真義 

H  日本国の世界史的使命

I  “本流一本化”の必要性

J  「生長の家」實相顕現の祈り 

K  教団史に於ける最大の謎の解明 

   あとがき 



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< はしがき >

開祖・谷口雅春先生が御昇天されましたのは昭和60年6月17日でありました。今年はその30年祭をお迎えするのでありますが、この30年間に「生長の家」の『御教え』は、三代目のマサノブ総裁によって“換骨奪胎”され、『今の教え』と称されて、教えの中味は完全に逆転した親・左翼的思想内容となりました。このままでは、開祖・谷口雅春先生の『御教え』は地上から抹殺消滅させられていくことは確実となりました。

開祖・谷口雅春先生の愛国関連の御著書は絶版となり、左翼思想のマサノブ総裁の環境論に関する本しか信徒は読めなくなり、更に聖典『生命に實相』も講習会のテキストから除外され、聖経『甘露の法雨』も読めなくなりました。今日では往時の「生長の家」の面影はその姿が消えてしまいつつあります。

看板だけは『生長の家』でありますが、中味は完全な『マサノブ教』・『環境の家』という左翼思想団体となってしまいました。開祖・谷口雅春先生の御昇天以降に入信された信徒の方々、マサノブ総裁の講師試験を受けて講師になったニュー講師さんたちは、本当の「生長の家」の正確な教えの内容を理解されている人はおそらく一人も居られないと思われます。

それらのニュー信徒の方々や、ニュー講師の方達に本当の「生長の家」の『御教え』とはどんなものなのか、『正統・生長の家』とはどういうものなのかについて、基礎的なことを知っていただきたいと存じまして、以下の如く開祖・谷口雅春先生の御文章から抜粋引用させて纏めさせていただきました。御熟読して頂き、開祖・谷口雅春先生による「生長の家」の『御教え』の内容を正確に御理会していただきますよう念願いたしたく存じます。




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@  真の宗教は”人為“をこえたものである 

(開祖・谷口雅春先生・新講『甘露の法雨』解釈P.310―315より)

<< そのころ、私は別に宗教を拵えるというつもりはありませんでした。今でも人為的に宗教を説く積もりはないのであります。

 宗教というものは、野心をもって人間が拵えるものではないのであります。神の起こしたまえる「人類光明化運動」あるいは「人類救済運動」として、神からもよおされて自然に出て来るのが、本当の宗教であります。

 ところが大東亜戦争後、野心家が、自分が宗教というものを拵えて教祖様になるとか、或いは宗教というものは政府の束縛がないとか、大変収入があっても税金が要らないから都合がいいとかいうような利己主義的な事を考えて、ある団体を拵えて、それを「宗教」だと名前をつけて届けさえすればよいというので、戦後の日本では終戦後にずいぶん沢山新宗教が出来たのですけれども、このようなのは人造のものであって本当の宗教ではないのであります。

 それは人造真珠みたいなものであって、本当の真珠より劣ること数倍である。中を割って見れば、ガラスに太刀魚の銀色の鱗が張ってあるというようなのを真珠と言って売り出しているのとおなじように、戦後の宗教には、人間の拵えた擬似宗教がずいぶんあります。

 本当の宗教というものは、そう言うものではないのでありまして、自然に阿古屋貝の貝の中に真珠の珠が生まれて来るように、自然とそこに光輝燦爛とした教えが生まれて来て、その光によって人々が引き寄せられて来て功徳があらわれ、自然に宗教が生まれて来る、これでなくては本当の宗教ではないと、こういう事になる訳なのであります。

 『生命の實相』の教えや『甘露の法雨』の聖経は、人間が、それを宗教にするつもりでないのに、それが宗教に自然になってしまったのであって、そこに神が内面的に働いておられる宗教だといえるのであります。だから『甘露の法雨』を披くだけでそこから光が燦然と出るのを見た人がでて来たりいたします。>>



聖経を開いた途端に光を発す

<< 昭和三十七年六月二十日、京都会館で生長の家の講習会がありました時、京都市北区紫野旭ヶ丘に住んでいられる伊吹恵美子さんが体験を話されたのであります。

『・・・昭和十五年の六月、私はその時は娘でお店のお手伝いで事務をとっておりました。その時に仕入先の浜見実蔵さんと云う方が参られまして、私の父に生長の家のあの黒表紙の御本と、「甘露の法雨」を持って来ていただいたのでございます。・・・その御本を私の父は床の間の違い棚の上に、ずーっと置いておきまして・・・お掃除の時に邪魔になって仕方がないものですから、「お父さん、読まないのでしたら、早う返して片づけて下さい」と言ったのでございます。・・・それで私はしびれを切らしまして、このつぎ浜見さんが来られた時には、私からよう言うて返そうと・・・その御本を返すべく紙に包もうとしたのです。せっかく、こうして貸して下さった御本ですし、どんな事が書いてあるんだろうかと、取りあえず、本より先に薄いお経のような本を開けて読もうとしたのです。

 そしたら一番最初に「汝等天地一切のものと和解せよ」と、ただその短い言葉を読んだ途端に私の眼の前が、本当に金色に輝いたのでございます

 私はその時に本当にびっくり致しました。これは夢を見ているのではないかしらと思いました。周囲を見たのですが、そこらじゅうが眩しくてちっとも見ることが出来ないのです。

 それで私はその事を人に言うのも恐ろしい気が致しまして、そして水道の蛇口をひねったのであります。そしたら、その水道の水が、ちょうど金の棒のようになってシャーと出るのです。顔を洗うにも、もったいなくて洗えないのでございます。私は、二度びっくりしてしまいまして、店の店員に「私、何か変わってへんか」と聞いたのですが、「あんた、ちっとも変わってへん」とこう言うのです。

 私は不思議で不思議で、仕方がないものですから、それから本の裏を見てみましたら、生長の家と書かれてあるのでございます。それから毎日、もう朝でも晩でもその「生長の家」という言葉が頭に焼きつきまして、何かそこらに「生長の家」という言葉が書いてあるものはないかしらと思って、ある日、新聞を見ましたら、ちょうど親指位の大きさの文字で「生長の家」と広告がのっているのが眼につきましたのです。・・・

 ・・・ちょうど店の店員さんで桜井さんと言う方がいらっしゃいましてその方が烏丸一條に「生長の家」の札がたっている所がある。そこは私の叔母がよく話を聞きに行くから、この次の土曜日の晩に連れて行ってあげましょうと言ってくれたのです。・・・そして私は桜井さんと一緒に烏丸一條に行き・・・部屋に入りましたら、皆さんが合掌していらっしゃるのでございます。その合掌を見ました時、・・・何とも言えない、その雰囲気でございましたのです。その時にお話をしていらっしゃいましたのが、人見米吉先生で・・・私は帰りしなに何か本当に胸が詰まってしまいまして、その時のお話の「人間神の子」という言葉だけが、頭の奥の奥の方に、しみこみまして、桜井さんが何か話しかけて下さるのですけれども、感きわまったような感じで、もう夢中で帰ったのを覚えております。・・・>>



霊界の指導者が私に書かせる
(昭和6年1月号・月刊神誌「生長の家」より)

<< しみじみと味わう心は尊い心である。人生をしみじみ味わう。大自然をしみじみ味わう。絵を見てしみじみ味わう。食べ物を食べるにもしみじみ味わう。書を読むにもしみじみ味わう。『生長の家』は幾度繰り返して呼んでみても新しい感じがすると多くの読者は言って下さる。聖書がそうである。仏典がそうである。すべて霊感によって書かれたものには無限の深い味わいがあって噛みしめれば噛みしめる程、その味わいはなお深くなって来るものである。

不徳自分の如き者の手に持つペンからこれ程のものが書けると言う事が自分にとって実に不思議である。私は自分の書いたものを見てそれに教えられる。私自身五読十読して人生が明るくなり、健康が増進し、人生に処する自信力が高められる。所詮は私が『生長の家』を書いたのではなくて、或る『霊界の指導者』が私に『生長の家』を吹き込んで書かせるのだと思うほかは無い。

『生長の家』の誌友でなお自信力が欠けているとか、なお病弱だとか言う人が若しあれば、屹度その人は『生長の家』を普通の雑誌のように一度きり読んで打ち捨てておく人である。そんな人は今後一日一時間は是非本誌を繰り返し読む事に費やして欲しい。そこから必ず無限の力が湧いて来る。人生は明るくなり、健康は増進し、自信は満ち溢れて、読むのに費やした以上の収穫が得られるのである。真理は自己の全存在に滲み通ったとき始めて現実的力となるのである。(雅春)(生長の家本部より昭和6年1月号)>>



笠原政好氏の霊眼に映じたもの
「生命の實相」第1巻P.15−16

<< ところが、埼玉県から霊眼によって、わたしが『生長の家』の原稿を書いている現場を透視した人があって、わたしが霊感によって書くということを客観的に証拠だてた人があります。それは埼玉県の笠原政好君であって、昭和6年6月1日付で報告が来ています。

「 神想観を実修して、大虚無の境地に入っていた。ふと目に映じ出した、私の処から西南に当たる方向に先生の姿が髣髴として見える。実はまだ私は一度も先生のお顔を拝見したことはない。それが霊の性質かもしれないが確実に見える。さっきから先生は広間の片隅で穆々しく机に向かっておなじみのペンを持って何かお考えを書いている。姿勢よく座し、しかとペンを握り十分に含ませたインク、あたりの光景は手に取るように見える。光明は先生の軀から無限にも放出する。ちょっと弱そうな容貌、しかしその熱烈さ。『道』に奉ずるの御決心は一目瞭然である。生き生きしたペンはソロリソロリ走り出した。まだなん行とも書かぬうち先生は無我のうちにおかれ、またたくまにペンのスピードは前とはまるで変わってくる。走る走るあらっと思う間もなくぜんぜん先生とは違った人になっている。口元の締まった、あご髯の胸まで垂れ下がった、見るだに気高き霊人だ。あれ先生はどこにと、見詰めた。ああ先生は霊人の内に溶け込んでいるのだ。霊人は全支配権を握り、わき目もふらず書を進めてゆく。あれなんという、推敲もせずそしてペンの早さは目も及ばぬほどだ。まあ不思議なこと一体どこから来た方だろう。霊人の軀から神々しい霊光が放たれ付近は光明浄土と化した。静寂また静寂、付近はまだ霊人の占領地となっている。やがてペンははたと止み、霊人はどこにか姿を消してしまった。目的の文ができあがったらしい。後は先生の独座とかわった。やれやれ重荷でもおりた様子。籠の鳥が放たれたように急にのんびりして今書き終わった短文を精読している。精鋭な先生の視力はやたらに文字に引きずられてゆく。二回も三回も熟読してますます神秘の霊感に打たれている。『無理はない』渺漠の領境に導かれるどころか独専霊人の書だ。数十分の間私は恍然としてこの光景につりこまれて、ひたすら現象のなり行きを見つめていた。先生はこれを整理してまた他の目的に向かってお働きになられた。(付言)、先月14日にも神想観実修のおり、目に映ったことがあり、昨夜も同然御動静を拝し、当夜はまたこんなに勝れた光景にまで出くわしました。政好は年若く、世の経験に乏しいものです。ですがすべてを政好の感性の所産と思し召しくださるな。私は初めて自分の偉大さを知る。私は私の背後にもやはり常に私を操ってくださる方のいることを信ずる故に。頓首。(12月30日夜)」>>







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