生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
トップページへ戻る
↓↓↓ 訪問者数 ↓↓↓
「初心者」はかくのごとく生長の家の『御教え』を否定する! <その24> (532) |
- 日時:2013年03月19日 (火) 10時31分
名前:四万十分析官
「初心者」という人物は、「トキ掲示板」において下記の如く生長の家の『御教え』を否定しているのである。「トキ掲示版」規約には「基本的に生長の家の教義と谷口雅春先生の説かれた教えを支持、共鳴する人のためのサイトです。生長の家と谷口雅春先生へのご批判をされる内容の投稿はご遠慮下さい。」と書いてあるが、一連の「初心者」と名乗る人物は、この投稿規約に反する投稿を続け、管理人氏も未だに一回も注意を与えていない。「初心者」と「トキ掲示板」との関係は主従の関係にあり、この様なところから「初心者=雅宣総裁」と言われているのである。そして、雅宣総裁としては、決して公の“総裁”としての立場では言いたくても言えない開祖・谷口雅春先生への反逆の「本音の思想」を「初心者」なる名前を使い、思う存分吐露し続けているとも考えられるのである。この意味からでも、彼のやり口は宗教家として非常に卑怯そのものであり、“総裁更迭”に十分に値するのであり、信徒はもっと声を大きくしなければならないのである。
以下、生長の家の『御教え』を否定する「初心者」なる人物の投稿を転載させていただき読者のみなさんの判断に供するものである。
///////////////////////////////////////////////
「トキ掲示板」より
1199 :初心者:2012/09/21(金) 17:26:50 ID:qBrfhCPc
なにかをご覧になられて、そのなにかが非存在であると看破なされて、それで「現象なし」と悟られたはずであります。ではその「なにか」とはなんであったのか、これをわたしは問うているのであります。
1206 :初心者:2012/09/21(金) 22:05:39 ID:qBrfhCPc
雅春先生が説かれた現象世界の範囲をサイズの問題と考えれば、どの大きさまでが現象世界なのかということが問われることになりそうですね。・・・問題となるのは、霊界も現象世界ということですね。霊界はサイズの問題なのでしょうか、それとも次元の問題なのでしょうか。霊を波動とみなすのであれば、「波長」という意味ではサイズの問題に帰することができそうですよね。あるいは次元ということでいえば、第6空間か第7空間か、あるいはもっとべつの空間かということですよね。考えてもわかりませんので、このあたりについても回答を待つことにいたしましょう。
1220 :初心者:2012/09/22(土) 10:34:51 ID:qBrfhCPc
木や山はほんとうは「ない」ということです。あるのは茫漠たる流体的世界だけです。・・・「ある」も「ない」も言葉がつくりだしている。これが「無は関門である」の真の意味です。「物質はない」。これは当然のことです。ただしこれには、言葉による二重のワナが仕掛けられているということです。「物質とみえているものは言葉のワナであるから物質はないのだ」と知って得々としているようでは、「ない」もまた言葉のワナであることに気づいてないということ。これが「無は関門なり」です。自信はありません。
//////////////////////////////////////////////////
<問題点>
@ 「初心者=雅宣総裁」は大閑に任せて、彼の頭の中だけで理屈を捏ねているだけである。「初心者=雅宣総裁」は、人生の一大事として、形而下の世界から何とか形而上の世界へ昇っていこうとする真剣な求道心が感じられないのである。いつものような机上の“観念の遊戯”として形而下の世界の中だけで理屈の堂々巡りをしているのである。だから形而上世界における真理の奥堂へ飛び込む事が出来ずにいるのだ。だから、「初心者=雅宣総裁」は、<自信はありません>と最後は弱気な言葉を綴らなければならなくなるのである。
A 「初心者=雅宣総裁」は、二つの根本的なことが解っていないのである。 その一つは「本当にあるもの(実在)」と「肉眼に映って見えて(現われて)いるもの」との区別であり、今ひとつは、「無」は奥座敷へ入っていくために通過してゆく「門」である。「門」は留まらずに通過すればよいのだという事である。
B 開祖・谷口雅春先生は「無の関門」を透過せられて、とうてい我々凡人の及ばざる天才的實相覚で以て實相世界(実在世界)の全相を如実に悟得せられたのである。「絶対実在の絶対認識を為した。私はそれを実際において如実に観たのである」と仰せられているのである。開祖・谷口雅春先生はこの實相実在の世界から観て現象世界や物質世界は“実在ではない、現象物質は無い”と確信をもって観じられたのである。然るに「初心者=雅宣総裁」はこの實相世界(実在世界)に自己を置いていないのでこの「物質ナシ、現象ナシ」が理解できないだけのことである。理屈を捏ねること自体、自己の不明(サトリの無さ)を暴露しているのである。この開祖・谷口雅春先生の『御教え』を信仰する者は、「初心者=雅宣総裁」に比べて、霊的年齢が格段に高く、直感的にこの『御教え』が宇宙最高の真理が説かれていることを感じ取ったのである。そしてそれを生長の家の信徒たちは自己の實相覚で“いのちの体験”として観じ、日常生活に応用展開して霊的体験を積み、自己霊魂の更なる無限進化(實相顕現)の階梯を登って行くことを目指しているのである。
C しかし、形而下の世界で、頭の中の思索だけで観念的真理を求める科学者や哲学者達は、「初心者=雅宣総裁」の上記文章にあるが如く、この現象世界は何次元の構造になっているかとか、現象世界の大きさ(サイズ)はどのくらいだとか、言葉のワナだとか、真の信仰者・真の求道者にとってはどうでもよいことを、あーだ、こーだと自信のない理屈をこねまわしているに過ぎないのである。
D 「初心者=雅宣総裁」の住む世界はいつも申し上げているように“学者・評論家”の世界であって、我々の様な信仰者・求道者の住む世界ではない。だから、貴方がたは“学者・評論家”の世界へ戻ってそこで議論をしていなさい。天理教祖がおっしゃったように「学者と金持ちは後廻し」なのだ。こんな所へ出てきてわれわれ霊的真理の世界(いのちの世界)を真剣に求めているものを引っ掻き回さないで頂きたいのである。
-
|
|